第3章4話:駅前の語らい、深まる音の絆
五十嵐の指導が始まって一週間が過ぎた頃、安中榛名高校吹奏楽部の面々は、その変化に 戸惑いながらも、確かな手応えを感じ始めていた。
その日の部活後、クラリネットパートリ ーダーの音羽杏菜、副部長の高峰春菜、部長の鳴瀬友理、そして二年生の木村楓は、いつも のように連れだって安中榛名駅前のコンビニに立ち寄っていた。
部活の熱気で火照った体を、 ひんやりとした夜風が心地よく撫でる。
「あー、疲れた......けど、なんか、今日の練習、すげー集中できた気がする!」
楓が、スポーツドリンクを一気飲みしながら、額の汗を拭った。
杏菜もそれに頷く。
「うん。五十嵐先生の指導って、なんだかこれまでとは全然違うよね。言われたこと、最初は難しくてよく分からなかったけど、やっていくうちに『あ、こういうことか!』って、ふと腑に落ちる瞬間があるの」
「だよね!『音符の羅列』って言われた時は、正直カチンときたけど、確かに私たちの音って、ただ楽譜通りに吹いてるだけだったのかもって、ハッとさせられた」
春菜が、缶コーヒーを開けながら同意した。彼女の表情には、中学時代の苦い経験から来る影は薄れ、音楽への新たな探求心と情熱が宿っているのが見て取れた。
友理が、優しい眼差しで三人の話を聞いていた。
「五十嵐先生の指導は、私たちの音楽の根っこを揺さぶるような感覚よね。私も、ホルンの音色をもっと豊かにしたいって思ってたけど、先生は『喜びだけじゃなく、悲しみや決意の色も表現できる』って言ってくださって。その言葉で、自分の音の可能性が広がった気がするの」
「友理先輩のホルン、最近マジで鳥肌立つくらいすごいですよ!前より、なんか、深みが増したっていうか......」
楓が目を輝かせて友理を見上げた。
「楓も、音変わったよね。前はもっとカチッとした音だったけど、最近はすごくしなやかで、温かさも感じるようになった」
春菜が楓の成長を指摘した。
楓は照れくさそうに頭をかいた。
「あ、本当ですか?なんか、五十嵐先生に『その硬さも君の個性だけど、もっと自由に、心 のままに音を紡ぎ出してみなさい』って言われて。あと、杏菜先輩の音聴いてると、なんか、 自分ももっと表現したいって思うようになってきたんです」
杏菜は驚いたように目を見開いた。
「え、私の音?そんな風に思ってくれてたんだ......」
彼女はまだ自分の変化に自信が持てないようだったが、春菜が力強く頷いた。
「もちろんだよ、杏菜。五十嵐先生も言ってたけど、杏菜の音は本当に繊細で美しい。それに、最近はそこに感情が乗ってるのがすごく伝わってくる。パートリーダーとして、みんなを引っ張る力も増してるよ」
春菜の言葉に、杏菜の頬がほんのり赤くなった。
「五十嵐先生は、私たち一人ひとりの音の個性を見抜いて、それをどうすればもっと引き出せるかっていうのを、的確に教えてくださるんだよね」
友理が腕を組み、深く頷いた。
「まるで、私たちの心の中を覗いてるみたい。私が藤堂先生の指揮から感じた『魂に語りかける力』って、五十嵐先生の音楽そのものにもあるんだなって、最近つくづく思うの」
「魂、か......」
春菜は呟き、遠くの空を見上げた。中学での「完璧」を追い求めすぎて、失ってしまった音楽の喜び。それが、五十嵐の指導によって、少しずつ取り戻されていくような気がしていた。彼は、技術だけでなく、音楽に対する向き合い方、心のあり方までをも教えてくれている。
「でも、五十嵐先生の言葉って、最初はすごく抽象的で、 どうすればいいんだろうって 悩むこともありますよね」
楓が少し困ったように言った。
「そうそう!『もっと音に色をつけて』とか『感情を音に乗せて』とか言われても、最初はピンとこなくて」
春菜も頷いた。
「でも、先生が実際に演奏してくれたり、私たちそれぞれの音を聴いて具体的にアドバイスしてくれたりすると、急に視界が開けるような感覚になるの。それが、五十嵐先生のすごいところだよね」
杏菜が続けた。
友理が微笑んだ。
「そうね。先生は、私たちに『答え』を与えるのではなく、『考えるヒント』を与えて くださる。そして、私たち自身がそのヒントをもとに、自分なりの音を見つけ出すこと を促してくださるんだと思う。 だからこそ、みんながこんなに一生懸命になれるんだよ」
「確かに!なんか、自分たちで音楽を創ってるって感じがする。言われたことをやるだけじゃなくて、もっとこうしたい、ああしたいって、どんどん欲が出てくるんです」
楓の言葉に、三人も笑顔で頷いた。
安中榛名駅前のロータリーには、夜にもかかわらず、煌々と明かりが灯っていた。
コンビニの明かりが、彼女たちの希望に満ちた顔を照らす。
五十嵐雅人という偉大な指導者との出会いは、安中榛名高校吹奏楽部の音色を、そして部 員たちの音楽人生を、確実に変えつつあった。
由那学園の「圧倒的な音楽力」という目標は、 未だ遠い。
だが、彼女たちは今、その壁を乗り越えるための、確かな一歩を踏み出したばか りだった。
そして、この新しい挑戦の中で、杏菜、春菜、友理、楓の間に、これまで以上に 深い絆が芽生え始めていた。音楽が繋ぐ、見えないけれど確かな絆が。




