第2章4話:衝撃を乗り越え、決意を新たに
由那学園の定期演奏会から戻った安中榛名高校吹奏楽部の部員たちは、重い空気に包まれていた。あの圧倒的な音の壁、寸分の狂いもない正確さ、そして心を揺さぶる表現力。部長である鳴瀬友理を含め、誰もがその実力差を痛感し、打ちひしがれていたのだ。
部室は、普段の活気が嘘のように静まり返っていた。練習中も、どこか集中しきれない様 子が見て取れる。
特に、クラリネットパートの音羽杏菜は、由那学園のクラリネットの完璧 な演奏が頭から離れず、自分の未熟さに深く落ち込んでいた。新入部員の木村 楓も、中学時 代に強豪校で培った自信を打ち砕かれ、自分の技術が「音楽」として機能している のか、葛藤を抱えていた。
「ねえ、友理ちゃん......私たち、由那学園と同じ全国の舞台に立って、ゴールド金賞取れるのかな?」
副部長の高峰春菜が練習の合間に、友理にぽつりと問いかけた。
彼女のいつも明るい表情も、この時ばかりは曇っていた。
友理も、由那学園の演奏、そしてライバルである早乙女 凛のホルンの音を思い出し、胸が 締め付けられる思いだった。凛の音は、あの時よりも遥かに洗練されており、友理が抱いて いた「生き生きとした音」への探求とは異なる、完成された美しさがあった。
しかし、このままではいけない。部長として、この部の士気をもう一度引き上げなければ。 友理は、部員たちに向き直った。
「みんな......由那学園の演奏は、確かにすごかった。私たちとは、まだ大きな差がある。それは、認めなきゃいけない」
部員たちは、友理の言葉に俯いた。
「でもね、私たちは、あの由那学園と同じ舞台に立つことを目指してるんだ。彼らの演奏を聴いて、私たちがやるべきことが、より明確になったはずだよ」
友理の声は、少し震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。
「彼らは、私たちを打ち砕くために演奏したんじゃない。私たちに、全国の頂点がどんなものなのか、教えてくれたんだ!」
友理の言葉に、部員たちの顔が少しずつ上がる。
「私たちは、まだ発展途上の部活だ。だけど、去年の県大会ゴールド金賞、そして関東大 会シルバー銀賞は、私たち自身の力で掴み取ったものだ。そして、今年は、総勢 82 名という、 今までで一番多くの仲間がいる!この安中榛名高校吹奏楽部には、無限の可能性があるはず だ!」
友理は、深呼吸し、続けた。
「もちろん、楽じゃない道だ。でも、私たちには、あの由那学園の音が、具体的な目標としてある。私たちは、あの音を目指して、もっともっと努力できる。私たちなりの、安中榛名らしい、最高の音楽を創り上げるんだ!」
その言葉は、凍りついていた部員たちの心に、少しずつ熱を灯していった。春菜が、最初に顔を上げ、決意に満ちた目で友理を見つめた。副部長の三枝勇吉も、静かに眼鏡の奥の目を輝かせ、頷いていた。
「そうだ、友理ちゃんの言う通りだ!」
春菜が、力強く声を上げた。
「私たち、まだ何も始 まってないじゃない!由那学園がすごいなら、私たちもすごくなればいいんだよ!」
春菜の言葉に、部員たちから、少しずつざわめきが起こり始める。
「私たちも、安中榛名高校吹奏楽部らしい音で、由那学園に負けない最高の演奏をしよう!」
杏菜も、友理と春菜の言葉に背中を押され、顔を上げた。彼女の胸には、由那学園のクラリネットの完璧な音色と、楓の硬い音色、そして自分の未熟な音色が複雑に絡み合っていたが、それでも、もう一度頑張りたいという強い気持ちが湧き上がってきた。
その日の練習は、由那学園の演奏を分析し、自分たちの音に何が足りないのか、どうすれば改善できるのかを徹底的に話し合う時間となった。
技術だけでなく、音楽的な表現、ハーモニーの作り方、曲全体の解釈。一つ一つの課題に、部員たちは真剣に向き合い始めた。
友理は、由那学園の顧問、藤堂 雅也の指揮を思い返していた。彼のタ クトからは、厳しさの中に深い音楽への愛情が感じられた。友理は、部長として、そしてホルン奏者として、あの音を、あの音楽を作り出せるようになりたいと、心から願った。しか し、彼女はまだ知らない。藤堂が、祖父の教え子であることを。その事実は、いつか明かさ れるであろう未来の出来事だった。
部員たちの真剣な眼差し、そして再び燃え始めた闘志を、顧問の佐々木梓は静かに見つめていた。
(これでいい......。あの子たちは、きっと自分たちの力で乗り越える。そして、藤堂先生......あなたと、あの子たちの出会いは、きっと必然だったのね......)
梓の心には、教え子たちの成長への確信と、未来への静かな期待が満ちていた。
由那学園の衝撃は、安中榛名高校吹奏楽部にとって、一時的な挫折ではなく、さらなる成長のための起爆剤となったのだ。部員たちの心に、全国への新たな決意が宿った瞬間だった。




