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第1章20話:コンクールメンバー選考

コンクール曲『鳳凰の舞』が発表されてから、安中榛名高校吹奏楽部の日々は、怒涛のように過ぎていった。


夏が近づくにつれ、部室の熱気は一層増し、部員たちの集中力は極限まで高まっていた。顧問の佐々木梓先生の指導も熱を帯び、部長の大橋拓真と副部長の緑川紗希は、部全体の統率と、各パートのサポートに奔走した。


ホルンパートでは、鳴瀬友理の存在が、目覚ましい化学反応を起こしていた。

彼女の圧倒的な音色と的確なアドバイスは、パートリーダーの松本悠人をはじめとする三年生や二年生の意識を大きく変えた。


「鳴瀬の音に食らいついていけ!」という拓真の言葉通り、先輩たちは友理の演奏から貪欲に学び、自身の技術と表現力を磨き始めた。友理自身も、かつて東京の強豪校で感じた孤独感とは無縁に、仲間と共に音楽を創り上げる喜びを噛み締めていた。

その結果、ホルンパートの音は劇的に改善され、合奏全体に力強い深みを与えるようになっていた。


トランペットパートの高峰春菜も、持ち前の明るさと実力でパートを牽引していた。

彼女は、友理の音から刺激を受けつつ、自身のソロパートにも磨きをかける。時に、クラリネットの練習に苦戦する音羽杏菜に優しく寄り添い、アドバイスを送るなど、頼れる存在感を示していた。


しかし、そんな部内の高揚感とは裏腹に、杏菜の心には、日増しに焦燥感が募っていた。


コンクールが近づくにつれ、パート練習はより専門的になり、合奏のスピードも速くなっていった。杏菜は、どれだけ自主練習を重ねても、先輩たちや春菜、友理のレベルに追いつけないことを痛感していた。


複雑なリズムや細かい音符が並ぶ楽譜は、依然として彼女にとって高い壁だった。

指使いはぎこちなく、音程も不安定。音を出すこと自体はできるようになったものの、曲として表現するには、あまりにも道のりが遠いように感じられた。


(みんな、こんなに頑張ってるのに......私だけ、全然ダメだ......)


夜遅くまで部室に残って練習しても、翌日にはまた新たな課題が見つかる。

杏菜は、自分の不甲斐なさに悔し涙を流すこともあった。

そんな彼女を支えたのは、春菜や友理、そしてクラリネットパートの先輩たちの優しい励ましの言葉だった。


そして、運命のコンクールメンバー選考の日がやってきた。


部員たちは、緊張した面持ちで部室に集まっていた。梓先生が前に立ち、静かに話し始めた。


「みんな、ここまで本当によく頑張ったわね。一人ひとりの努力が、この部をここまで成長させてくれた。今年の『鳳凰の舞』は、みんなの努力の結晶よ」


梓先生の言葉に、部員たちの視線が集中する。張り詰めた空気が部室全体を包み込んだ。


「さて、今日の選考だけど、これはあくまでコンクールという限られた枠の中で、現時点での最高の演奏を目指すためのもの。メンバーに選ばれなかったとしても、それはあなたの努力が足りないという意味ではない。この部の誰もが、大切な仲間であることに変わりはないわ」


梓先生はそう前置きし、各パートのパートリーダーに、選考結果を伝えるよう促した。

クラリネットパートの選考結果が発表される時、杏菜の心臓は激しく高鳴った。自分の名前が呼ばれることを、微かな希望と共に願っていた。しかし、現実を突きつけられる覚悟もしていた。


パートリーダーが読み上げる名前の中に、杏菜の名前はなかった。


杏菜は、ぎゅっと唇を噛み締めた。目頭が熱くなり、視界が滲む。わかっていた。分かっていたことだ。誰よりも未熟な自分が、今の段階で選ばれるはずがない。それでも、期待していた自分が、心のどこかにいた。悔しさと、申し訳なさ、そして、ほんの少しの安堵。複雑な感情が入り混じり、杏菜はただ俯くことしかできなかった。


選考が終わった後も、杏菜はしばらくその場を動けなかった。周りからは、選ばれた部員たちの安堵や喜びの声が聞こえてくる。春菜と友理は、共にコンクールメンバーに選ばれていた。二人の目には、期待と高揚が宿っている。


春菜が、杏菜の隣にそっと歩み寄った。


「杏菜......」春菜は、杏菜の肩に手を置いた。その声には、杏菜の気持ちを慮る優しさがにじんでいた。

杏菜は顔を上げず、震える声で言った。


「ごめん......私、やっぱり、ダメだった」


「謝ることないよ!杏菜、本当に毎日頑張ってたの、私、知ってるから。杏菜の音が、どんどん良くなってるのも、ちゃんと分かってたから」


春菜は、杏菜の背中を優しくさすった。


「それに、コンクールメンバーが全てじゃないんだよ。部活は、コンクールだけじゃないんだから」


その言葉に、杏菜は思わず顔を上げた。春菜の瞳は、どこまでも真っ直ぐで、杏菜を励まそうとする強い気持ちが込められていた。


「そうだ、杏菜!」


春菜は、何かを思いついたように、ぱっと顔を輝かせた。


「定期演奏会!定期演奏会で、杏菜にしかできないこと、絶対あるよ!」


定期演奏会。

それは、コンクールとは別に、部員全員が参加して、地域の人々に向けて演奏を披露する、安中榛名高校吹奏楽部のもう一つの大きなイベントだ。


「定期演奏会......?」


杏菜は、茫然と呟いた。


「うん!去年の定期演奏会、すごかったんだよ!吹奏楽の演奏だけじゃなくて、一部の部員 でダンスしたり、演出考えたりして、会場全体を盛り上げてたんだ!あれ、めちゃくちゃ楽 しそうだったし、お客さんもすごく喜んでたんだよ!杏菜、そういうの、向いてると思う!」


春菜は、熱っぽく語った。

杏菜は、少しずつ顔を上げた。ダンス......?盛り上げ係......?自分が、楽器を演奏する以外で、部に貢献できる方法があるかもしれない。春菜の言葉は、杏菜の心に、小さな光を灯した。


「私に......できるかな?」


杏菜は、まだ不安そうな表情だったが、その瞳には、かすかな希望が宿っていた。


「絶対できるよ!杏菜は、いつも周りのことをよく見てるし、笑顔が素敵だから!」


春菜は、杏菜の手をぎゅっと握り締めた。


「一緒に、定期演奏会を最高のステージにしようよ!」


その時、近くを通りかかった友理が、二人の会話に気づき、杏菜に優しい視線を送った。


「杏菜ちゃん、大丈夫。コンクールは、私たちに任せて。定期演奏会は、杏菜ちゃんが、この部の音を、もっとたくさんの人に届ける場所だよ。私も、応援する」


友理は、杏菜にそっと微笑みかけた。

二人の言葉に、杏菜の心は温かさに満たされた。コンクールメンバーに選ばれなかった悔しさは、まだ残っていたが、自分がこの部で、楽器を演奏する以外にも、できることがあるかもしれないという希望が芽生えた。


安中榛名高校吹奏楽部は、コンクールという一つの目標に向かって突き進む。

その中で、 杏菜は、新たな自分の居場所を見つけようとしていた。


彼女の 1 年目の夏は、演奏者として ではなく、別の形で、部に貢献していくことになるだろう。

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