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第1章13話:春菜の決意

安中榛名高校の吹奏楽部に入部して数日が経ち、高峰春菜は新しい環境に少しずつ慣れ始めていた。


憧れの高校生活、そして再び手にしたトランペット。

このトランペットは母がコツコツお金を貯めて買ってくれたものだ。


パート練習も全体練習も、中学の時のような重苦しい雰囲気はなく、先輩たちは皆、優しく丁寧に指導してくれた。クラリネットを始めたばかりの音羽杏菜が隣で必死に練習する姿を見ていると、自分も頑張らなくてはと自然と力が湧いてくる。そして、ホルンパートの鳴瀬友理の音。彼女の奏でるホルンの音色は、まさしく「本物」だった。澄んでいて、深くそして圧倒的な存在感があった。

友理が練習を始めると、部室の空気が一変し、誰もがその音に聴き入ってしまうほどだ。


春菜は、友理の存在に、これ以上ないほどの刺激を感じていた。


中学最後のコンクールで銀賞に終わり、悔し涙を流したあの日から、春菜の心には常に「リベンジ」の炎が燃え続け

ていた。もう二度と、あんな悔しい思いはしたくない。今度こそ、全国大会に出場し、最高の形で中学時代の忘れ物を取り戻したい。その目標を達成するためには、友理のような圧倒的な実力を持つ仲間が必要だと、春菜は直感していた。


友理が部に入ってくれたことで、全国大会への道が一気に開けたような気がしたのだ。


しかし、同時に、春菜は部活の中に、わずかながらも違和感を覚えるようになっていた。

それは、友理の圧倒的な実力から生じる、部内の微妙な空気だった。特にホルンパートの先輩たちは、友理の演奏を聞くたびに、驚きと尊敬の眼差しを向ける一方で、どこか遠慮がちに接しているように見えた。

休憩時間中も、友理が話しかけても、ぎこちない会話しか続かず、どこか距離を置かれているような雰囲気を感じた。


(友理ちゃんの音はすごいけど......なんだか、みんな、友理ちゃんに気を遣ってるみたいに見える)


春菜は、その状況に少しだけ複雑な思いを抱いた。


自分たち新入生は、友理の圧倒的な実力に素直に感動し、その存在を歓迎している。しかし、先輩たち、特にホルンパートの先輩たちの間には、友理の才能を認めつつも、自分たちとの実力差に戸惑い、どう接していいか分からないような空気が流れているように見えたのだ。


それは、中学時代の、あのギクシャクした部内の雰囲気を、微かに思い出させるものだった。あの時も、一部の優秀な生徒と、そうでない生徒との間に、目に見えない壁があった。


その日の練習を終え、春菜は家路についた。心の中には、友理への期待と、部活の微妙な空気に対するもやもやが混じり合っていた。自宅の玄関を開けると、キッチンから夕食の準備をする母、由美の声が聞こえてくる。


「ただいま」


「おかえり、春菜。今日の部活はどうだった?」


由美が優しく尋ねた。春菜は、食卓に並べられた夕食を眺めながら、今日感じたことを母に話した。


「うん、すごく楽しいよ。杏菜も友理ちゃんも、すごくいい子だし。でもね、友理ちゃん、ホルンがもう、プロみたいに上手なんだ。全国大会にも出たくらいだもんね」


「そうよね、すごいわよね!そんな子が、同じ部にいるなんて!」


由美は目を輝かせた。娘の友人が優秀であることは、由美にとっても喜ばしいことだった。


「うん。でもね、お母さん。なんだか、ホルンの先輩たちが、友理ちゃんに遠慮してるみたいに見えるんだ。友理ちゃんが吹くと、みんな黙っちゃうし、ちょっと気まずい雰囲気になっちゃう時もあるんだよね......私、せっかく友理ちゃんが入ってくれたのに、このままでいいのかなって思って」


春菜は、正直な気持ちを打ち明けた。


母は、春菜の言葉に静かに耳を傾けていたが、やが て、春菜の目を見て、ゆっくりと話し始めた。その表情は、どこか遠い昔を懐かしむような、 それでいて、経験に裏打ちされた深い思慮を感じさせるものだった。


「春菜、お母さんもね、高校時代に似たような経験をしたことがあるわ。私もフルートを吹いていたんだけど、当時の部には、私よりずっと才能のある子がいたの。その子の演奏は本当に素晴らしくて、私たちみんな、その子の音に圧倒されていたわ。最初はね、やっぱり私たちも、その子にどう接していいか分からなかった。嫉妬のような気持ちもあったし、自分たちとの実力差に、自信を失いそうになったこともあった」


由美の言葉に、春菜は驚いた。いつも優しく、感情的になることのない母が、そんな風に感じていたとは。


「でもね、ある時、顧問の先生が私たちに言ってくれたの。『才能は、それを持つ人だけのものじゃない。その才能に触れることで、周りの人間も成長できる。彼女の音に、君たちの心が動かされるなら、それは彼女からの最高の贈り物だ。遠慮するんじゃなくて、その音から学び、自分の音楽を高める努力をしなさい。そして、彼女が孤立しないように、仲間として支えてあげなさい』って」


母の言葉は、春菜の胸に深く響いた。


「その言葉を聞いてから、私たちは変わったわ。その子の演奏を、ただ圧倒されるだけじゃなくて、どうすればその音に近づけるのか、どうすれば一緒に最高のハーモニーを奏でられるのか、真剣に考えるようになったの。そして、その子も、私たちが真剣に向き合うことで、どんどん伸びていった。最終的には、私たちみんなで、今までで一番素晴らしい演奏をすることができたわ」


由美は、懐かしそうに微笑んだ。その瞳には、遠い日の思い出が鮮やかに蘇っているようだった。


「だから、春菜。友理ちゃんの才能に遠慮する必要はないのよ。彼女の音は、きっと、安中榛名高校吹奏楽部を、もっともっと高みへと連れて行ってくれる。彼女の音から学び、彼女の才能を最大限に引き出してあげることも、部長や副部長、そしてパートリーダーである先輩たちの役割よ。そして、何よりも大切なのは、友理ちゃんが吹部で、心から音楽を楽しめる環境を作ってあげること。彼女が孤立しないように、仲間として支えてあげることよ」


母の言葉は、春菜の心の中に、新しい光を灯した。


そうだ、友理の才能を前にして、戸惑ったり、遠慮したりしている場合ではない。この圧倒的な才能を、どうすれば部に活かせるのか、どうすればみんなが共に成長できるのかを考えるべきだ。そして、友理自身が、この部で心から音楽を楽しめるように、自分たちが支えてあげなければならない。


(私は、友理ちゃんのホルンに、心から感動したんだ。その気持ちを、もっとみんなに伝えて、一緒に友理ちゃんの音から学んでいこうって、引っ張っていかなきゃいけないんだ)


春菜は、ぎゅっと拳を握った。中学時代の悔しさをバネに、今度こそ全国大会に出場する。 その目標を達成するためには、友理の才能が必要だ。

そして、友理の才能を最大限に引き出 すためには、部内の雰囲気を変え、友理が心から安心して音楽を奏でられる環境を作ること が不可欠だ。


「うん、お母さん。私、わかった。友理ちゃんを、この部で輝かせる。そして、みんなで一緒に、最高の音楽を奏でて、全国に行くんだ!」


春菜の瞳には、かつてないほどの強い決意の光が宿っていた。それは、単なるリベンジではない。新しい仲間と共に、新たな歴史を築くための、力強い決意だった。

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