船引警部への挑戦状
「ようやく春が来ましたねぇ兄さん」
早春の陽光を浴びながら呑気な顔をして呑気な台詞をのたまう弟に船引太郎は苛立ちを抑えられなかった。
「おい次郎、真面目にやれ。挑戦状に記された日時はもう明日なんだぞ」
「その手紙、挑戦状とは書かれていませんけど」
「馬鹿もん!!捜査一課の警部の机にこんな手紙が置かれていたんだぞ!!
これが挑戦状じゃなかったら何だというんだ!!」
話は1週間前に遡る。
いつものように事件の捜査を終えて署に戻った太郎は一通の手紙を発見した。
そこにはこう記されていた。
いせすきかがでやまとす
でちとせーとしてかつらぎくだこんごうさいあやなみ
3月21日 午前10時 シーサイドパーク時計塔前
たぬき
「まぁ確かに、挑戦状といえば挑戦状ですか。それで船引警部殿はどうするおつもりで?」
「無論受けて立つ!!」
「では問題解決ですね」
「あほたれっ!!暗号を解かずにノコノコ行けるかっ!!
シーサイドパークで何が起きるか分からなければ対処のしようがないではないか」
「同僚の方には相談したんですか?」
「………いいや」
次郎のニヤニヤした表情に憮然となる船引警部。
県警が誇る天才捜査官として数々の難事件を解決してきた船引太郎だが
実のところいつも事件の謎を解いているのは彼ではなく
いい年をして真面目に働きもせずVtuberなるごっこ遊びで金を稼いでいる弟の方だった。
署員たちに暗号が解けない姿を見せられないことなど自慢の頭脳でお見通しだろうに
わざわざこうやって聞いてくるあたり性格が悪いったらない。
「いいからさっさと解いてくれ。予定している犯行内容なり犯人の名前なりが出てくるはずだ」
「名前なら手紙の最後に書かれているじゃないですか。たぬきって」
「あのなぁ次郎。どこの世界に警察官に挑戦状を送る狸がいるというんだ。
ジブリの平成狸合戦ぽんぽこにだってそんなやつは出てこなかったぞ」
「兄さんの部下にそんな名前の人がいたでしょう?」
「確かに田貫という若手の女性警察官はいるが、あいつは俺が感心するほど勤勉で真面目な捜査官だ。
犯罪に手を染めるようなやつではないし、もし田貫が犯人だったらバカ正直に自分の名前なんて書かんだろう」
「ルパン3世や怪盗キッドはちゃんと名前を書いてますけど」
「あれはフィクションだ。現実の事件と一緒にするな」
「事実は小説より奇なりという言葉もありますよ」
「なぁ次郎、お願いだから屁理屈はやめて力を貸してくれ。時間がないんだ」
次郎はそこで深く考え込むような素振りを見せた。
県警がお手上げになるような難事件ですらヘラヘラと笑いながら解決してしまう彼がこんな顔をするのは珍しい。
「そんなに難しい暗号なのか?」
「いえ超簡単です。兄さんはこんな初歩的な暗号も解けなくてよく刑事してられますね」
「何だとぉう!?い、いや暗号が解けたなら問題解決ではないか。さっさと答えを教えてくれ」
「そこがこの事件の問題なんですよ兄さん。いいですか、これは船引太郎に出された挑戦状です。
それを弟の僕が答えを教えて解決でいいのかなと。差出人もがっかりしてしまうかも」
「えぇい、面倒なことを言いおって」
「とはいえ兄さんが自力で解くのに期待していたら春が過ぎ冬になってしまいます。
だから今回は僕がヒントをあげるのでそれを聞いて兄さんが暗号を解いてみてください」
「………よし分かった、ヒントを出せ」
「ヒントその1。というかこれもう半分答えですね。これはたぬきの手紙です」
「だから田貫は……」
「そっちではなくて、なぞなぞのたぬきの手紙です。
兄さんだって聞いたことくらいあるでしょう?
たにたいたさんはたたばたたか から「たぬき」、「た」をぬくと?」
「に、い、さ、ん、は、ば、か」
「よく出来ました」
「この野郎……しかし問題の手紙には「た」がないぞ。「だ」が一つあるが抜いても意味が通らない」
いせすきかがでやまとす
でちとせーとしてかつらぎくだこんごうさいあやなみ
3月21日 午前10時 シーサイドパーク時計塔前
たぬき
「そこは一捻りしてるんですよ。文末のあやなみで気づきませんか?」
「あやなみ……お前が好きなアニメのヒロインがそんな名前だったな」
「新世紀エヴァンゲリオンの綾波レイちゃんですね」
「そのエヴァが暗号と関係しているのか?」
「直接は関係ありませんが糸口にはなります。
新世紀エヴァンゲリオンの登場人物の名字の多くは艦船が由来になっているんですよ。
例えばエヴァのもう一人のヒロインである惣流・アスカ・ラングレーちゃんは
帝国海軍蒼龍型航空母艦1番艦「蒼龍」、海上自衛隊実験艦「あすか」、アメリカ海軍ラングレー型航空母艦1番艦「ラングレー」
3つの船の名前が由来になっていますね」
「えーと……つまり……?」
「マジかー、ここまで言ってもダメですか。ねぇ兄さん、これは誰に対して書かれた手紙ですか?」
「俺だ」
「そう船引警部への挑戦状です。だから「た」を抜くのではなく「ふね」を引けばいいんですよ」
手紙の中にある船は伊勢、加賀、大和、千歳、葛城、金剛、綾波。これを引くと……」
すきです
でーとしてください
3月21日 午前10時 シーサイドパーク時計塔前
たぬき
「こうなります。差出人はやっぱり田貫さんだと思いますよ。
そもそも警察署の机に手紙を入れるなんてルパン3世でもなければ署員ぐらいしか出来ないですし。
暗号自体は単純なものですが船引と田貫という名前の共通点を使っているのはセンスがありますね。
待ち合わせ場所をシーサイドパークにしたのも船を連想させるためのヒントで気配りも効いている。
良かったじゃないですか。母さんたちもこれで孫が見れると喜びますよ」
次郎は茹でダコのように顔を赤くしている兄を祝福する。
「こ、この野郎。いつから分かっていた」
「手紙を見せられた瞬間に分かりましたよ。だから最初にこう言ったじゃないですか」
名探偵はニヤリと笑った。
「ようやく春が来ましたねぇ兄さん」