はっつぁんの夢
星屑による、星屑のような童話。
お読みいただけるとうれしいです。
ひだまり童話館 第30回企画「開館8周年記念祭」参加作品
お題は「8の話」
粒の大きな雪が東京でちらつくほどに寒い、ある冬の日のこと。
東京と名乗るのには地味すぎる小さな町の、これまたとっても地味な感じのこじんまりとしたお店『たこ焼き屋 はっつあん』の調理場で、店主のおじさんが大きな声を張りあげた。それも、急に。
「うわあ、大変だ。麻実、ちょっと来てくれ!」
麻実というのは、この店主の娘で8歳になったばかりの女の子の名前だ。
土曜日の今日は、小学校も休み。
なので、もうすぐ10時になるというのに、店の2階にある自宅の部屋で、今の今まで、ぐーすかと寝ていたのである。店主が叫んでから1分ほどが経った後――ピンクのパジャマをだらしなく着た麻実が、2階から降りて来た。
「なによー。お父ちゃん、あたしのこと呼んだ?」
「おう、麻実か。おはよう……。すまんが、すぐに魚屋さんに行って、タコの足を三本、買ってきてくれ」
「ちょっとぉ……なに言ってんのよ。今朝、買い物に行かなかったわけ?」
「うん、ちょっと寝坊しちゃってな。買えなかったんだ」
「だったら、お母ちゃんに頼んでよ。あたし、寝るのに忙しいの」
「お母ちゃんは、今日は仕事なんだよ。もう、とっくに出かけてる」
そうなのだ。
お母ちゃんはあまり売り上げのかんばしくないお店を助けるため、普段はコンビニのパートに出ることが多かったのである。
麻実は、一度舌打ちすると、肩をすくめながら言った。
「もう……仕方ないなあ。じゃあ、行ってくるか」
「よろしくぅ! お金なら、居間のコタツの上にあるからさ。頼むよ!」
たこ焼きのネタを仕込みながら、お父ちゃんは左手で拝むようにしてそう言った。
麻実は、゛寝ぼけまなこ゛のままいつもの外着に着替えると、ぼさぼさ頭など気にもとめずに、買い物へと出かけた。
「おはよう、おじさん!」
歩いて、5分。
子どもが使うにしてはやや大きめのエコバッグをぶら下げた麻実が、近所の商店街にある魚屋、「魚政」の店先へとやってきて、朝のあいさつをした。
「よう、麻実ちゃんか。もう昼だけど、おはよう」
「おじさん……そういう細かいことは言わなくていいの。まあ、いいわ。タコの足を3本くださいな」
「よっしゃ、3本な。じゃあ……今日は特別に新鮮なタコを一匹、まるごとおまけにつけちゃおうかな」
「え、一匹まるごと!? いいの?」
「いいよ、いいよ。お宅にはいつもお世話になってるからね……。それに、アレを引き取ってもらえるなら、こっちも――いやいや、何でもない。とにかくさ、おまけするからもらってって。毎度ありぃ!」
魚政のおじさんにタコをエコバッグに詰めてもらった麻実は、お金を払うと、店のある家へと戻った。
途中、あまりに重たくて「道端に捨てちゃおうかな」なんて思ったほどだったが、なんとか家にたどり着いた、麻実。店の中でかいがいしく働く『ふり』をするお父ちゃんに、声をかける。
「お父ちゃん、買ってきたよ」
「おう、ありがとさん。流し台のところに置いといてくれるか」
台所に移動した麻実が、包装紙に包まれたタコを袋から取り出そうとした、そのとき。
包装紙を勢いよく突き破って、一匹の゛生きたタコ゛が、エコバッグから飛び出したのだった。
「きゃあっ、タ、タコが――!」
「ど、どうした麻実!」
お父さんが駆け付けると、流し台のへりには8本の足ですっくと立った、タコが一匹。
その目の前で、目をぱちくりさせた麻実が立ちすくんでいた。
「おれ、『はっつぁん』っていうんだ、よろしくな。生まれも育ちも東京湾で、一流のタコ焼き職人を目指してる。夢は、本場大阪の心斎橋あたりで『たこ焼き屋』を開くことなんだぜ!」
「タコが、たこ焼き職人を……目指してる?」
「うん、そう。悪い?」
「悪くはないけど……あ、でもここのお店、『はっつあん』っていうの。同じ名前なんて、面白いぐうぜんだね」
「なに言ってんだよ! ちがうちがう、おれは『はっつぁん』であって、『はっつあん』じゃない。そこんとこ、まちがえないようによろしく!」
「え? 大体同じじゃん……」
「ふん、ぜんぜんちがうぞ。まあ、いいや……。とにかくおれ、たこ焼き職人の修業を積みたいんだ。これも何かの縁だし、おれをここの職人として雇ってくれ、頼む!」
タコが頭をぺこんと下げた。
後頭部のツルツルした部分が、てかりと光る。
すると、今まではっつぁんと麻実の話を黙って腕を組みつつ聞いていたお父ちゃんが、難しい顔をしてこう言った。
「わかった……。でも、ウチ、あんまりもうかってないから給料は払えないぞ。それに、はっつぁんはタコであるがゆえに、いろんな意味で、一流のたこ焼き職人への道はつらく険しいものになるだろう……。それでもいいか?」
「いいっす。頑張るっす!」
こうして、タコのはっつぁんは、開店して8周年――つまりは麻実が生まれた頃から続く『たこ焼き屋 はっつあん』の、住み込みで働く職人となったのだった。
☆
その日から、はっつぁんのきびしい修業が始まった。
数か月たち、今ではすっかりトレードマークとなった白いねじり鉢巻きを頭に巻きながら、昼間は店先でたこ焼きをそれこそ干からびる思いで何個も、何十個も焼きあげる。そして、たこ焼きを買いに来るお客さんに、愛想を振りまくのだ。
ただ、彼?も一介のタコだった。
完全に干上がってしまわないよう、夜は麻実の家の居間にある塩水を張った金魚鉢の中に入り、体を水分でうるおすとともに、疲れたその柔らかい体を休ませるのである。お母ちゃんが勤め帰りに魚政から買ってくるイワシなどの小魚をあげると、うまいうまいと言って食べていた。
お客さんの評判も上々だった。
いつの間にか、お父ちゃんが焼くたこ焼きよりもおいしい、という噂が近所で飛び交ったほどである。麻実とお母ちゃんの間でも、ひそかに『お父ちゃん不要論』が、ささやかれ始めていた。
ただ、ひとつだけ。
常連のお客さんたちがいつも気にしていたことが、ひとつだけあった。
それは、はっつぁんの足が、ある日突然7本になったとか、そういうことが起きていないか、ということだった。「毎度ありぃ」と、元気にお客さんにたこ焼きを渡すはっつぁんの足の数を数え、「ちゃんと今日も8本あるね」と安心して帰っていくお客さんの姿が、この店の風物詩になったほどである。
だが、そんな平和な日々は長くは続かないもの。
麻実やその家族と彼?との別れが、ある日突然、訪れたのである。
土曜日の朝だった。
金魚鉢から出てきたはっつぁんが、居間で゛のんべんだらり゛と過ごすお父ちゃんと麻実に向かって、いきなり頭を下げた。そして、神妙な顔つきでこう言った。
「師匠、それに麻実ちゃん……。わし、今日でここの修業を終わらせよう思ってますねん。今まで、ようけぇお世話になりました」
なんで、いきなりの大阪弁?
戸惑う麻実の横で、お父ちゃんが目をつり上げて怒った。
「修業が終わっただとぉ!? なにを言っとるんだ、はっつぁん……。お前の焼くたこ焼きなんぞ、まだまだ、だ」
イワシ数匹で毎日働いてくれる従業員がいなくなってしまっては困ると、かなりの抵抗を見せる、お父ちゃん。自分が働かなきゃいけなくなるのが嫌なのだろう。
だが、はっつぁんの意志は固かった。
「すんまへんなあ、師匠。でも、もう決めたことやねん。わし、修行して大阪弁もだいぶしゃべれるようなったし、そろそろかな、思うて。しらんけど」
え、そっちの修業が仕上がったの? たこ焼きの修業はどうなったの?? しらんけどの使い方、それで合ってるの???
目をぱちくりさせ、またもや大いに戸惑った麻実。
その後、ねばり強く交渉を続けたお父ちゃんだったが、結局は、涙を飲んではっつぁんの希望を受け入れることにした。
次の日、麻実とお父ちゃんは、はっつぁんをいれた金魚鉢をもって電車に乗ると、海へと向かった。はっつぁんを海に戻し、お別れをするためである。
日曜日の空いた電車に揺られる、二人と一匹。
海近くの駅で降り、徒歩で海岸へと向かう。お父ちゃんが波打ち際に金魚鉢を置くと、それを待っていたかのように金魚鉢から飛び出したはっつぁんが、久しぶりの海に喜んでいるのか、ばちゃばちゃと足をばたつかせて泳ぎ回った。
そんなはっつぁんの姿を目を細めて見ていたお父ちゃんだったが、やがて意を決したように、彼?に声をかけた。
「はっつぁん、立派なたこ焼き職人になれよ! それから……大阪の海はここから西へ500キロメートルくらい行ったところにあるから、迷うんじゃないぞ。途中、サメに食われないよう、気を付けてな」
はしゃいでいたはっつぁんが、ぴたりとその動きを止めた。
それから麻実とお父ちゃんの方に向き、初めて会った日と同じような深いおじぎを見せて言った。
「おおきに、おっちゃん。麻実ちゃんもな……。大阪に着いたら、すぐ手紙書くよって」
「ああ、わかった」
「はっつぁん、頑張って大阪で成功するんだよ!」
「わかったでぇ。ほな、さいなら!」
はっつぁんは、8本の足を使って手を――いや、足を盛大に振ると、海の中へと消えていった。
それを見送る麻実の目に、きらりと涙が光っていた。
☆☆
それから、数週間後のことだった。
麻実とその家族のもとに、一枚の葉書が届いた。麻実が差出人を確認すると、やっぱりそれは、タコのはっつぁんからだった。
「わあ、はっつぁんからだ。きっと、大阪に着いたんだね……。立派な、たこ焼き職人になれたのかな」
喜び勇んで葉書をひっくり返した麻実だったが、なぜかその目はどんよりとなった。
そこに書いてあった大見出しが、麻実の思いもしなかった「結婚しました!」だったからだ。よく見れば、葉書の真ん中に、はっつぁんとその彼女?らしきタコが二匹、仲よさそうに写真に納まっているではないか。
手紙によれば、その場所は静岡の伊豆半島にある水族館であるらしい。
大阪から比べれば、東京からかなり近い場所であることは8歳の麻実にもわかる。
泳ぐのが面倒くさかったのか、巡り合った彼女?が相当魅力的だったのか、とにかく、大阪湾にたどり着く大分手前で、彼?は夢を諦めてしまったのであろう。
「一流のたこ焼き職人になる夢は、どうなったんだーい!」
麻実が、大声でツッコミを入れた。
その声を聞いたお父ちゃんが、何事だとすっ飛んでくる。
葉書を見たお父ちゃんは「すぐに彼女ができるなんて、アイツもなかなか大したもんだ」と、にやにやしながら、しばらくそれを眺めていた。
「まあ、これもひとつの人生――いや、タコ生だな。あ、『近くに来られた際は、ぜひ遊びに来てください』って書いてあるな。じゃあ、今度みんなで行こう。タダで水族館に入れるかもよ」
「タコに、そんな力があればね……」
「まあ、それはそれとして、めでたいことには変わりないさ。俺たちにできるのは、はっつぁんの幸せを祈ることだけだ」
「……そうかもね」
麻実とお父ちゃんは、はっつぁんとその彼女?の幸せを願い、はっつぁんの焼いたものよりはおいしくないお父ちゃんのたこ焼きを突き合わせるようにして、「おめでとう、はっつぁん!」と乾杯したのだった。
おしまい
お読みいただき、ありがとうございました。
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