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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

灰色の私、色付ける君

作者: 砂山 海

 悲鳴にも似た呼吸が繰り返される。肺は焼けつき、心臓はもう破れてしまいそうだ。視界も朦朧とし、はっきり目を開けていられない。それでも私は腕を振り、足を前に出し走り続ける。ゴールを迎えるために。

 目標の周回を終えると、私はグラウンドの隅にへたりこんだ。周りには同じように座り込んでいる同級生や後輩がいる。先輩も数人いるが、もう呼吸も整っているのかストレッチに入っていた。目に入りそうになった汗をぬぐい走っていた場所へ目をやると、私の後には二人しか残っていないようだった。

「お疲れ様、美優」

 すっとスポーツドリンクを差し出してきた凛は心配そうに、でも笑顔で覗き込んできた。肩までの髪を後ろで一つ縛りにして、笑うと八重歯が特徴的な彼女。ふっと風が吹くと、汗臭い私の体臭の合間に良い匂いがした。そんな凛は私の傍にしゃがみ込む。

「ありがとう。でも、駄目だね。タイム、伸びてない」

 一気に喉を潤し、大きく息を吐き出すとようやく視界がはっきりしてきた。それでも肩で息をし、まだ立ち上がってストレッチをするまでには至らない。腕時計のタイムを見ればベストタイムとは程遠く、私からすれば可も無く不可も無くといった感じだ。

「毎日そんな記録を更新していく人なんていないよ。こうして一生懸命やっていれば、きっと伸びるから」

「そう信じてるけど、きっついなぁ」

「大丈夫だって。諦めないのが美優のいいとこなんだから」

 笑顔を交わし合うと、彼女は私の後にゴールした後輩の元へ駆け寄った。私はそんな彼女の背をしばらく見ていたが、呼吸も落ち着いてくるとゆっくりとストレッチを始めた。

 私と凛は高校入学の時からの親友だった。部活を決める際に指定の教室に行かなければならなかったのだが、そこで同じタイミングでドアを開けようと鉢合わせしたのが凛だった。小柄で、肩までの綺麗な髪をした彼女は何かしらの競技者かと思っていたのだが、マネージャー志望との事だった。対して私は中学校の時はバスケ部にいたのだが万年補欠だったのと、団体競技に向いてないと中学の終わりに気付いたので、個人で頑張れる陸上部に入部してみたのだった。長距離を選んだのには深い理由などなく、単に百メートル走ではそんなに早くなかったってのと、部活で長い距離を走らされていたのでそっちの方がまだマシかと思っただけだ。

 ただ、それが大きな勘違いだったというのは数日もかからなかった。私の中で長距離と言えばせいぜい二キロ三キロくらいだったのだが、五キロ十キロは平気で走らされるし、おまけにスピード走も練習で結構あるので、ついていくので精一杯だった。いや、実際一年生の時はついていく事もできず、二年生となった今でも何とか途中で諦めないで終わらせるだけで精一杯だった。

 平凡な公立高校で、競争は激しくない。一人すごい先輩がいて、彼が県大会の常連でいる事以外はみな地区予選の決勝にでも行ければ御の字である。私なんかは予選で八人中六位くらいの実力で、むしろ低い方だ。それでも部活を辞めたいと思った事は無く、むしろキツイけれどとても居心地が良い場所だった。

 がんばっても結果が出ないのは傷付くけれど、汗を流してがんばるのは嫌いではない。それに自分に才能が無い事くらいわかっている。なのに結果ばかり求めても仕方ない。だから私は一歩一歩進めば、諦めずに進めばゴールを迎えられる長距離走に最近愛着が沸いてきたくらいだった。

 凛は凛で経験が無いと言ってたものの、私からすればすぐに物事を覚えてテキパキと働いていた。三ヶ月もすれば備品管理から選手の管理、記録、果てはそれぞれのレベルから見た練習方法の提案まで行っていた。それは顧問の先生も納得の出来だったらしく、今では長距離の練習方法は大半凛がまとめている。なんだか一緒に入ったはずなのに明らかな差があってたまに落ち込むけど、まぁ自分は自分、焦らずやるしかない。

 その後、ストレッチを終えると全員で合同のジョグを行った。激しい運動をした後に行われる三十分にも満たないジョグが私は好きだ。同時にこれを終えれば全ての練習が終了した合図でもあるので、部活から解放されて自由になれる気もしていた。

「終わったね、お疲れ。私、着替えてくるから一緒に帰ろうか」

 練習を終えた私は用具や備品を片付け終えた凛に声をかけた。だが凛は申し訳なさそうに眉根を寄せる。

「ごめん、ちょっとやることがあって」

「また練習メニューの作成でも先生に頼まれたの?」

「うん、まぁ、そんなとこかな。時間かかりそうだから今日はごめん」

「しょうがないよ。それじゃ、また明日ね……って、ちょっと待って」

 私は凛のつむじの辺りについていた綿毛を取ってあげた。

「これでいいよ」

「……ありがとう。それじゃ、また明日ね」

 凛はそれだけ言うと、足早に駆けて行った。折角部活も終わったというのに、まだ色々考えないとならないなんて大変なんだなぁと思いながらも、私はこの汗臭さと早くお別れしたかったため、一人で帰る事にした。

 だが校門を出て五分もしないあたりで、ふと教室に明日提出のプリントを置き忘れている事に気付いた。忘れましたと言って先生に怒られても仕方ないと思ったのだが、気付いちゃったからには取りに行かないと夢見が悪い。重くだるい足に再び喝を入れ、私は再び三階にある教室まで行く事に決めた。

 夕日が差し込む赤い廊下。カラスの鳴き声も遠くで聞こえ、閑散としている。三階は文化部も部室として使っている場所はほとんどないため、他の階に比べて静かだった。私は重たい身体を溜息つきながら動かし、自分の教室の傍まで来ると、何かしらの違和感を覚えた。それが何かわからないが、音を立てずそっと近づき、ドアのガラスから中の様子を覗き見る。

 そこには凛がいた。彼女は私の机に突っ伏し、そのまま動かずにいる。

 具合でも悪いのだろうか。でも、それならばわざわざこんなとこに来ないで帰るか保険室に行けばいいのに。それとも、別の理由でもあるのだろうか。ともかく考えても埒が明かないので、私は驚かせないよう静かにドアに手をかけた。

「ねぇ、何してるの?」

 ドアを開けた音、そしてそれが私だったからか、弾かれたように振り向いた凛は言葉も出せずに口をぱくぱくとさせ、真っ赤になっていた。私が一歩教室に踏み込むと、彼女はばっとその場から離れる。

「凛、どうかしたの?」

「……見てたの?」

 耳まで真っ赤になった凛はうっすら目に涙を浮かべているようにも見える。

「え、うん、まぁ。私の机で寝てたよね」

 そこまで言うと凛はぽろぽろと涙を流し、教室から走って逃げだそうとした。しかし慌てていたからか、机にぶつかりよろめいたため、追いつく事が出来た。私は彼女の腕をつかみ、逃さない。

「ちょっと、何で逃げるのよ」

「だって、あんな……見られて……まさか美優、戻ってくるなんて知らなかったから」

 観念したのか凛はへたり込み、泣きじゃくる。一体凛は何だと言うのか、別に私の机で寝ていても、そんなに怒らないのに。

「どうしたのさ、凛。そんな泣かないでよ。私、別に怒ってるわけじゃないんだってば。何かしてたんだったら、怒らないから言ってよ。私達の仲じゃない」

 こくこくと頷くが、まだ嗚咽が止まらないみたいだ。私は落ちつかせるために抱き締めようとしたが、先程まで部活で汗を流していた事を思い出し数瞬ためらった。しかしそれよりも大事な親友を早く泣きやませたいとの思いが強く、そっと抱き締めた。彼女は一瞬びくりとしたが、力強く抱きしめ返してきた。そして、大きく深呼吸を始めた。

 どのくらいそうしていただろうか。段々と熱くなってきてまた汗ばんできたため、私はそっと凛を引きはがした。彼女は名残惜しそうにしていたが、もう落ち着きを取り戻しているみたいで、涙は流れていなかった。

「もう大丈夫? 一体どうしたの、いつもの凛らしくないよ」

 しゅんとうつむき、凛は何も答えない。

「具合悪かったの? 部活じゃいつものように見えたんだけど、もしかして無理してた?」

 ふるふると横に力無く凛は首を振る。

「ねぇ、ほんとに悩みでも何でも、私に教えてよ。できる限り力になるからさ。私、凛がそんな風にしてると悲しいよ。いつもみたいに笑ってくれてる方が好きだから。頼りないかもしれないけど、凛のためなら頑張るからさ」

「……もうね、ダメなの」

「えっ、何が?」

 やっと発した言葉があまりにも普段の凛とはかけ離れた悲観的なものだったため、私は思わず聞き返してしまった。

「だから、ダメなの。私、美優の事が好きなの。もう我慢できないの」

「……は?」

 キッと力強い眼差しと共に宣言した彼女の言葉の意味がつかめなかった。

「私、美優が好きなの。親友以上に好きなの。美優といると私、自分を抑えきれなくて我慢できないの。最近は特にそう。だから、変だとわかっていても美優をいっぱい感じたくて、美優の机で色んな事考えて、それで」

「ちょ、ちょっと待って。凛、お願いだからちょっと待って」

 突然の告白にもう頭がついていけなかった。両手を前に突き出し、制するように懇願する。

「えっ、好きってその……恋人としてって事?」

 はっきりと頷く凛に私は戸惑いを隠せないでいた。

「いやその……好きって思ってくれるのは嬉しいけど、何で私なの? 私なんて何の取り柄も無いし、私よりもっとすごい人とか可愛い人なんていっぱいいるし」

「美優がいいの、美優じゃないとダメなの」

「あ、ありがとう」

 勢いに押され、思わず照れてうつむいた。そこには気恥しさもあったのかもしれない。

「でも、ねぇ、ちょっと……私達、女同士だよ。そんな恋人みたいに好きって言われても」

「美優は私が女だから嫌なの? 私は女の私でも、仮に男だったとしても美優が好き」

「いや、その……凛は嫌じゃないけど。男だったとしても、女でも」

「じゃあ」

「でも待ってよ。何で好きになったのかだけ、教えてよ」

 凛は少し視線を落とし、ふっと息を吐いた。

「美優がね、いつもがんばってるからだよ。私ね、中学までは三千メートルの選手だったんだ。県大会でも上位に入るくらいは速かったんだけど、中三の時に怪我しちゃって、それでもう走るのは無理って医者に言われてね。それで陸上の世界から離れようとしたんだけど、やっぱりできなくて、結局マネージャーとして居座ろうと思ってさ」

 そんなの初めて聞いた。でも、だから練習メニューとか決められたんだろうし、場慣れした雰囲気でテキパキと物事を進められたんだろう。

「そしたら同じタイミングで美優が入部してね……気を悪くしないで欲しいんだけど、見てたら中学の私よりずっと遅くてさ、フォームもバラバラで、センス無いって思えたんだ」

「確かに私はそんな、県大会とか無縁だけど」

「入部したての頃はそんな風に嫌な眼で見てたんだ。でも、美優はいつも一生懸命だったの。練習についてけないのに、挫ける事無く腐る事無くずっとがんばってた。もし私が走れたとしても、そんな環境だったら負けてたと思う。でも美優は負けなかった、今も一つも負けてない」

 嬉しくて恥ずかしくて、私は苦笑を浮かべながら視線を外す。

「二年生になったくらいに、はっきり好きってなっていったの。だってそんな姿、ずっと見せられてたらそうなるよ。それに美優って、顔も身体も話し方も性格もセンスも、全部私の好みなんだもん。だから、好きになって当然なんだよ」

 こんな熱い告白生まれて初めてだったし、もしかしたら今後一生無いかもしれない。ついさっきまでは親友で、でも女同士だというのに、色々な戸惑いを乗り越えて私の心を強く響かせてくる。胸がくすぐったくて、熱い。

「その……ありがとう、そんな想ってくれて」

 目を合わせられなかった。それでも凛が不安そうにしているのははっきりとわかった。

「でも、ごめん。ちょっと整理できなくて……一日、考えさせて。明日には答えるから」

「わかった」

「それじゃあ、あの、また明日」

 それだけ言うと私は踵を返し、足が重たい事も忘れて走って帰った。階段を駆け下り、急いで靴を履き替え校門を飛び出し、しばらく走ったところで持って帰るプリントをやっぱり忘れた事に気付いたが、もうそんなものはどうでもよかった。制服で全力疾走なんかして、周りはどんな風に私を思うんだろうか。でも、先程の凛とのやり取りを思い出すと何だか夢か現実かわからなくなり、とにかく頭真っ白になるまで走り続けたかった。

 夕飯を終えるといつもは家族で夜の九時くらいまで同じテレビを見るのが日課なのだが、今日は早々に自分の部屋に戻った。そして私は今、ベッドに身体を投げ出し、ぼんやりと天井を見上げる。見慣れた白い天井に、走馬灯のように夕方のやり取りが思い出される。

 好きなんだ、私の事……。

 嬉しいか嬉しくないかと言われれば、嬉しい気持ちの方が大きい。凛は部活以外でも頼りがいがあるし、いつも明るくノリが合い、小柄で可愛らしい。美人よりは可愛い系の顔立ちで、男女問わず人気者だ。と言うか、モテる。私が知ってる限りで四人くらいには告白されていたはずだ。

 対して私はと言えば何て事の無い顔立ちだし、スタイルも良い方では無い。付き合った事も告白された事もないし、好きになった人に告白した勇気も今まで無い。恋愛に憧れはするが臆病すぎて、無関心を装っていた。すごいイケメンと恋愛する事はたまに想像する事はあっても、現実は何て事の無い地味男子に何となく告白されて付き合えれば私的には御の字なのだろうとも思っていた。

 だからあんなに熱い告白、戸惑いはしたが嬉しくないわけなかった。あんなに必要とされた事無かった。あの凛が泣いて私に告白してくるなんて思わなかった。いつも一緒にいて笑い合って、お互いの悩みを相談し合って前向いていた凛が、実はあんな……。

「あー、どうしよう」

 私はうつぶせになり、ベッドに顔を押し付けた。幾ら考えても納得できる答えが出て来ない。そもそも、付き合うってなんだ。一緒に出かけたりゴハン食べたりなんて、今までもしてきたじゃない。じゃあキスから先ができるかどうか、なのかな。女同士だから普通に考えたら変だけど、でも凛なら大丈夫な気もするし、じゃあ女同士だから駄目だとしたら例えばクラスの男子なら誰がいいかと言われたらまた困るし……。

 結局夜中の一時過ぎまであれこれ悩み、最終的にはもう凛に電話かラインでもしてやろうと思ったけど、それもあと一歩勇気が出ないで一人身悶え、気付けば寝坊し、慌てて学校に行けば宿題忘れて怒られてと、散々な午前中が過ぎて行った。凛とはもちろん会ったけど、ぎこちない笑顔と挨拶を軽くかわすので精一杯。おかげで周りからはケンカでもしたのかと聞かれたが、否定も肯定もする元気なんて出て来なかった。

 部活を終えても、すぐには凛が待っている教室へ行く勇気が出なかった。行けばハッキリと答えを出さないとならないが、まだ決め切れていない。逃げ出したい、本気で逃げてしまいたい。でも、そしたら明日からどうすればいいんだろう。凛とは気まずくなり、より辛い毎日があるだろう。今日行かないと、どう転んでももう凛とは笑い合えなくなってしまう、そんなのは嫌だ。

 パンッとももを叩くと、私は一歩一歩踏みしめるように教室へ向かって行った。高揚と恐怖の入り混じった心に、目の前の光景もどこか夢見心地。見慣れた景色が眩暈を起こしているかのように、歪んで見える。どんなに走ってもこんなに心拍数は上がった事は無いだろう。この階段を上りきって廊下を曲がればすぐゴールのはずなのに、まったくそれが見えないような感覚に陥っている。

 やるしかない、行くしかない。

 いつものように夕方になればこの階は人気も少ない。私はゆっくりと近付き、辺りに人がいないのをそれとなく確認してから、運命のドアを開けた。

「来てくれないかもしれないって思ってた」

 凛は昨日と違い、自分の机の上に腰かけて待っていた。明るく小さく微笑んでいるが、今にも泣き出しそうな感じもした。

「だって凛が待ってるんだもん。ほんとは逃げ出したかったけど、そういうのから負けた私って嫌いでしょ」

「そうだね」

 私はゆっくりと凛と距離を詰め、やがてその隣に立った。凛も机から腰を下ろし、私と向き合う。

「それで、答えは出た?」

 私はうつむき長い息を一つ吐くと、顔を上げて凛の眼を見詰めた。

「ううん、出なかった」

 率直な思いだった。結局、この一瞬まで色々考えてみたものの、付き合う付き合わないどちらの答えにも落ちつかなかった。だからもう、凛とこうして会ってから決める事にした。凛と会って、素直な気持ちが傾く方に委ねることにした。

「私もね、凛が好きだよ。でもそんな恋人みたいにって今まで考えた事無かったから、どういう風に好きを変えればいいのかわからないんだよね。付き合うってのも私、男子とも付き合った事無いからよくわからないし」

 じっと凛は私の目を見詰め、黙っていた。

「それにね、これは今思ったんだけど、私さ、凛の事……全然知らないんだよね。だって陸上のそんなすごい選手だったなんて知らなかったし、私の事そんな風に見てたなんてのも知らなかったし、ほんともう、全然知らないんだよね」

 無理して明るく冗談ぽく言おうとしたが、無理だった。凛は表情を変えず、ただじっと黙っている。

「その、だから……知らないと、付き合えないよね」

「じゃあ、たくさん教えるよ」

 小さく、しかしはっきりと凛は言い切った。

「私、美優の知りたい事なら全部教えるよ。美優が言うとおり、私も美優の事をあまり知らないかもしれない。でもね、だからこそ誰よりも知りたいって思うの。ずっと一緒にいたいし、もっと二人で笑っていたいから」

「……凛」

「だから美優、ちゃんと言うね」

 瞳を潤ませた凛はすっと頭を下げた。

「好きです」

 私は凛が好きだった。入部をきっかけに仲良くなり、いつも頼りになる相談役。部活も勉強もよく付き合ってくれ、明るいムードメーカー。気付けば他の誰よりも気が合い、一緒にいた。でも、この一言でそれももう終わった気がした。

「私も好きだよ。凛と同じ気持ちで好きなんだって、今わかったよ」

 言うが早いか、私は凛を抱き締めていた。

 ほんのり温かく、柔らかく、いつものように良い匂いがする。頬に凛の髪があたり、くすぐったいような、気持ち良いような何とも言えない気分。そんな凛は私に気付かれないよう必死に泣いているのを堪えているのか、小さく震えている。私は凛の頭を抱え込むように抱き締め直すと、私の背に周っていた腕に力が込められた。少し苦しいくらいだけど、それが嬉しい。

「ごめんね、凛。気付くのに遅れちゃって」

「いいの。だから好きって言って。ごめんなんて言わないで、好きって言って欲しい」

「うん……好きだよ、凛」

 しばらくの間、私達はようやく芽生えたものを大事にするように抱き締め合っていたが、やがて遠くから聞こえてきた話声に我に返ると、気まずそうに離れた。そして互いにそっぽを向き、私もいつの間にか泣いていた目元をぬぐったりして整えると、再び向き合いぎこちなく笑った。だけどもすぐにそれがとても変だと思えたから、同じようなタイミングで噴き出して大笑いした。

 一緒に校門をくぐり、下校する。何度もやってきた事だけど、今日は見える景色が違う気がした。凛はなんだかいつもより近い気がするので、周りから変に思われないか気が気でないのだが、それでも嫌な気はしなかった。私は歩きながらその横顔を見る。今までも可愛いと思っていたのだが、何だか余計に可愛く見える。頬はうっすら赤く、二重でまつげも長い。鼻筋は通っているし、たれ目気味なのも心を和ませる。こんな凛とこれから付き合えるなんて贅沢かもしれないと思った反面、ふとどうしても聞いておきたい事が沸いて出てきた。

「ねぇ、凛。一つ聞きたいんだけどさ」

「ん、なぁに? 何でも教えてあげる」

 すごく機嫌の良い凛にこの質問をぶつけるべきかどうか一瞬ためらったが、今聞いておかないと後でモヤモヤしそうなので、思い切ってみる事にした。

「あのさ、凛は今まで何人と付き合ってきたの?」

「誰もいないよ。美優が初めてだよ」

「……いやいや、その女の子じゃなくて、男子とだよ」

「だから誰もいないよ。私、男子とかも付き合った事とかないよ」

「嘘でしょ。だって告白とかされてたよね、何人かに」

 驚き目を丸くする私に、凛は呆れたような顔をしている。

「ほんとだって。そりゃ告白された事はあるけど、でも私、昔から男子に興味なんて全然無かったんだよね。それに中学までは陸上一本だったし、そんな暇も無かったから。高校に入ったら美優がいたから、もう他なんて興味も無いし」

 事も無げに言い放つ凛に私は若干複雑な思いだった。もったいないような、でも嬉しいような。

「そうなんだ。私も今まで誰とも付き合った事とか無かったから、じゃあお互い初めて同士なんだね」

「うん。だからね」

 にっと凛が笑うと、素早く私の唇を奪い、離れた。

「これがお互いのファーストキスになるよね」

 あまりに素早かったため、他人にはほとんど気付かれていないだろう。それでも私は下校途中で人前と言うのもあったし、それ以上の想いが込み上げてきており、次第に顔が赤くなっていくのがわかった。

「ちょっと、ねぇ、なんか雑じゃない。早過ぎて思い出にも残らないよ」

 私の抗議にも凛は嬉しそうに笑った。

「じゃあ、もっとゆっくり、じっくりした方が良かった?」

「それはだって、外だし」

「だったら、二人きりになったらまた改めてしようよ。そしたらもっと色々教えてあげる」

 にこりと微笑む凛は今までの可愛さに加え、どこか妖艶な感じもした。

「それなんだけどさ」

 そんな彼女を私もまっすぐに笑顔を見せながら見詰めた。

「私ね、凛ってすごく恋愛経験豊富だと思っていたんだ。だってこんなに可愛いし、性格もいいからモテまくると思ってたの。でもね、凛も初めて付き合うって知ったからさ」

 そっと私は凛の頭に手をやり、軽く撫でた。

「一緒に覚えていこう。私、できるなら凛と一緒に走りたいからさ」

「もぉー、美優のそういうとこ好き」

 凛は足を止め、身体を少しかがめると私の手を握った。

「美優さぁ、自分モテないとか前から言ってたけど、全然そんな事ないからね。自分じゃ気付いてないかもしれないけど、そう言うくせにたまにキュンとくる事やるからやられちゃうんだよね」

 凛が一人で悶えてはしゃいでいるけど、全然見当がつかない。一体どの事を言ってるのか思い返していたら凛が次第に落ち着いてきたのか、自然と手を離し、すっと背筋を伸ばして私を見詰めてきた。

「……そうだね、美優の言うとおりだね。一緒に覚えていこうか」

「うん。でもあぁいうのはもう、人前ではやらないでね」

「わかった。うん、約束する」

 素直に頷く凛に私の心が温かくなった。私は照れ隠しもあり、うんと伸びをした。

「ほんとにね、美優が隣にいるだけで嬉しい。色んな事に挫けて絶望して味気無かった私に、美優がいてくれたから世の中綺麗なんだって思い続けてられたんだよ」

 凛が何か独り言のように言っていたが、丁度伸びをしてる時だったのでほとんど聞き取れなかった。だから聞き返そうとしたけれども、にこにこ笑っている凛を見ているとそのままで良いような気もした。なんだか野暮な気もしたから。

 友達同士ではなく、恋人同士として帰るいつもの道は何だかいつも以上に輝いていて、ちょっとだけからかわれているみたいで恥ずかしかったけど、でもそれ以上に嬉しかった。そしてこれが普通になっていくんだと思うと、今日が特別でたまらなかった。

 隣で笑う凛のおかげで、とっても世の中が綺麗に見える。明日も明後日も、ずっとそうでありますように、なんてそっと願いを込めながら、私は凛の手を握ろうと伸ばした。

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