わたくしは女帝アレーシア。聖女を殺したい程の嫉妬の心に蓋をして、黄金の薔薇として君臨致します。
ああ…なんて美しい景色なのでしょう。
皇宮の庭が…魔物で溢れかえって。宮殿が炎に包まれているわ。
人々の悲鳴があちらこちらで響き渡り、我が帝国の終わりが見えているわ。
天の日が真っ赤に霞んで見えて、さながら魔界のよう…
ええ…もうすぐわたくしの命も終わりを迎えるでしょう。
でも、わたくしはどうしても許せなかった。
あの女を…だから、こうなる事が解っていても、わたくしはあの女を殺すしかなかった。
アレーシアは生まれながらの皇族だった。
皇帝ジルベルトの一人娘として生まれたのだ。
ジルベルトには側妃も2人いたのに、子は皇妃が産んだアレーシアしか恵まれなかった。
そんなアレーシアは激しい恋をした。
この国の美男騎士団長イルドール・ハーベリンゲンにである。
黒髪碧眼のこの騎士団長は美男で有名で、アレーシアは17歳の時に恋に落ちた。
だから、良く彼を皇宮に招いて、一緒にお茶をしたり、夜会にはエスコートをしてもらったりして、それはもう、彼に接近した。
皇帝である父にも頼んで、彼を自分の婚約者にしてもらうよう、手回しもしたのだ。
イルドールは26歳。9歳離れていたが、多少年上でも関係はない。
イルドールと一緒にいられるだけでアレーシアは幸せだったのだ。
「イルドール。イルドールはわたくしと結婚するのよ。」
「アレーシア様。申し訳ございません。私には想い人がいるのです。皇帝陛下からも婚約を打診されましたがお断り申し上げました。」
皇宮の花が咲く庭で、アレーシアはイルドールから婚約を断った旨を伝えられた。
悲しかった…好きで好きでたまらなかったのに。
イルドールの想い人って誰?
イルドールに問い詰める。
「貴方の好きな人って誰?その人がいるから、今まで独身でいたって訳ね?」
「はい。ですが、その方の名前を言う訳には参りません。」
「わたくしがその人を害するというの?」
わたくしは、悔しくて悔しくて…
だってイルドールが大好きなのだもの。
だから…許せなかった。許せなかったの…
どんなに問い詰めてもイルドールは教えなかった。
誰が好きなのか。誰を愛して独身を貫いているのか。
アレーシアは皇族が雇っている闇の者を使って調べる事にした。
誰?イルドールの心を掴んでいる女は誰なの?
なかなか相手が解らない。
イルドール自身、女性の陰が無いのだ。
モテるはずである。
夜会に行けばダンスの誘いが耐えない。
だが、特定の女性と付き合っていないのだ。
そんな事をしているうちに、父であるジルベルト皇帝が突然病に倒れ、急死してしまった。
宮殿は大騒ぎである。
第一皇位継承者は、アレーシアだった。
この国は女帝も認められていた。
わずか17歳の少女が即位したのだ。
アレーシア一世。
しかし、政治の事なんて解る歳ではない。
宰相に任せきりで、アレーシアはお飾りの女帝だった。
不安な事ばかりである。
騎士団長イルドールを呼びつけて、時々、テラスでお茶したり、夜会でエスコートして貰える事だけを楽しみにアレーシアは生きていた。
女帝の命は断れないのだ。
イルドールは報われない恋をしているに違いない。
だったら以前は断られた婚約も、女帝の命で結ぶことは出来ないのか。
いやもう、女帝になったのだ。婚約なぞしなくても、すぐにイルドールと結婚し、彼を王配にするのだ。
「イルドール。わたくしは女帝になりました。結婚したいの。断らないで。
わたくしを傍で支えて欲しいの。」
イルドールは首を振って。
「貴方様を愛する事は出来ません。私の想いはあの方に捧げているのですから。」
「誰っ。誰なのっ。貴方の心を占めている女性はっ。」
「例え、拷問にかけられても言うつもりはありません。失礼します。」
イルドールに嫌われてしまった。
でも、イルドールがいなければ、この孤独な女帝という立場に耐えらない。
アレーシアはそう思って涙がこぼれる。
皇妃であった母は2年前に亡くなった。
父も死んでしまった。
わたくしは一人…ひとりぼっちなの…
そんな思いを抱えていた頃、聖女様に感謝を捧げる儀式が行われる年に一度の日がやってきた。
聖女とは帝国に魔物が入り込まないように結界を張ってくれている大事な女性で。
普段、神殿に籠って祈りを捧げ生活をしているのだ。
その彼女が神殿の外に姿を現すのが年に一度。帝国民皆が神殿の前に集まり、感謝を捧げると言う物である。
勿論、女帝であるアレーシアも、皇宮の高官達も出席して、神官長と共に聖女に感謝を捧げる事となっていた。
神殿に行き、聖女が神殿から出て来るのを皆で待っていると、一人の女性が神殿から出て来た。
アレーシアより少し年上の銀の髪が綺麗な女性で。
その女性は参列していたイルドールを見るとニコッと笑ったのだ。
イルドールの女性を見る目が、自分を見る目と違っていた。
あの聖女は帝国民の中から探し出され3年前に就任した聖女で…確か、探して来たのはイルドール。
あの女が…あの聖女がイルドールの想い人。
いつからイルドールはあの聖女を知っていたの?
いつからあの女と付き合いがあったの?
許せない。そんな眼差しで見ないで。
わたくしには一度も見せてくれなかったあの眼差しで、見ないで。
お願い。お願いよ。
心の中で叫んだ。
わたくしにはイルドールしかいないの。
イルドールがいるから、女帝でいる事が出来た。
憎い…憎い…貴方が憎いわ。
今すぐにでも殺してやりたい。
そこで、浮かんだのだ。
燃え盛る皇宮。魔物で溢れかえり、人々が悲鳴をあげて逃げ惑う。
そして、アレーシアはそれを見て笑っているのだ。
黄金のドレスを着て、満足げに笑っているのだ…
あれは帝国の終わりの姿…
聖女を殺した後に訪れるこの世の地獄。
ふと現実に返れば、聖女がアレーシアの前に進み出る。
アレーシアは女帝として聖女に感謝の意を述べねばならないのだ。
聖女を殺す事は簡単である。
この場で無くても、彼女が口にする食事に、上手く毒を入れればいいのだ。
女帝は皇族の闇の者を使う事が出来る。
聖女を殺すことが出来るのだ。
しかし、聖女は20年に一度しか出現しない。今、彼女を殺せば結界は壊れて魔物が雪崩込むだろう。
この帝国の外は魔物で溢れかえっているのだ。かろうじて特別な力を持つ聖女が結界を張り、魔物を防いでいるのである。
結界が壊れた事により起こりうる地獄の風景…逃げ惑う人々…帝国の終焉の姿。
そして、聖女に対する激しい嫉妬…
色々な想いがアレーシアの胸を焦がす。
でも…
「聖女セシリア様。いつも帝国の為に結界を張って下さり、女帝として感謝申し上げます。」
「もったいなきお言葉。有難うございます。」
わぁっと帝国民達が歓声を上げる。
わたくしには出来ない…
そう、アレーシアは思った。
死ぬ事なんて怖くない。でも…罪なき人々を殺す事なんて出来ないわ。
わたくしは女帝。この国の女帝なのですもの。
聖女を殺したい心…
地獄の風景に蓋をして…
女帝としてアレーシアは生きる事にした。
この日以来、アレーシアはイルドールを呼びつける事をしなくなった。
政治に興味を持ち、宰相を傍に呼び、政治を勉強する事にしたのだ。
今まであまり接触が無かった宰相。
しかし、アレーシアが学びを請うと宰相は喜んでアレーシアに政治を教えた。
普通ならば、小娘に権力を渡したくはないだろう。
しかし、宰相ルーディスト・ミラデウスブルク公爵は30歳。
金髪碧眼のやり手のこの宰相は、仕事が忙しかったために妻に逃げられていた。
そんな彼は女帝アレーシアが政治を教えて欲しいと頼み込んで来たのを快く教師になってくれたのである。
ルーディストの傍につき、彼のやり方を見て、政治を学ぶアレーシア。
解らない事があったら、彼に積極的に聞き、この国を良くしよう。
この帝国の為に何が出来るか…学び、彼に相談しながら、アレーシアは一生懸命女帝として頑張った。
ルーディストがそんなある日、
「アレーシア様。少し休憩しましょうか。」
共に部屋に籠り、書類仕事をしていたのだが、そうルーディストに言われて、一休みするアレーシア。
仕事をしていれば、イルドールの事を忘れられる。聖女に対する嫉妬も忘れられる。
地獄の光景なんてみたくはない。
わたくしは立派な女帝になるのよ…
そう心に強く思って頑張って来たけれども。
ルーディストと対面に座って、紅茶を飲むアリーシア。
「いつも有難う。ルーディスト宰相。わたくしは貴方のお陰で女帝として頑張っていられるのですわ。」
ルーディストは首を振り、
「いえ、最近の貴方様は見違えるように政治を学ぼうとしていらっしゃいます。
見直しました。私は宰相として貴方様を支えて行きたいと思っております。」
「有難う。」
ルーディストは微笑んで、
「今度、黄金のドレスを贈りましょう。夜会で着てみては如何。」
「黄金のドレスを?」
「この国の最高権力者である女帝が昔いたのですが、黄金のドレスを着て、黄金の薔薇と呼ばれていたそうです。貴方にも黄金の薔薇になって頂きたい。この帝国の繁栄の為に。」
ああ…この帝国を嫉妬の為に滅ぼそうとしていたわたくし…
恥ずかしかった…とても恥ずかしかった…
黄金の薔薇。わたくしにそんな資格があるのかしら。
ルーディストはアレーシアに、
「当日は私がエスコートして差し上げます。黄金の薔薇として、この国の女帝として、咲き誇って下さい。それが私達帝国民、皆の願いです。」
「そうね…有難う。そうさせて頂くわ。」
嬉しかった。ルーディストの心遣いが嬉しかったのだ。
頑張ってきた甲斐があった。アレーシアは心の中で密かに涙した。
そして、二日後の皇宮の夜会。
アレーシアはルーディストにエスコートされて、
巻いた金の髪に黄金の薔薇を飾り、黄金のドレスを身に纏う。
女帝として夜会に出席し、皆に宣言した。
「わたくしはこの帝国の為に黄金の薔薇として、命を捧げる事を誓うわ。皆も力を貸して頂戴。」
集まった貴族達がわぁあああああと歓声を上げる。
隣に立っているルーディストが微笑んでくれた。
イルドールの姿も見えたが、もう…終わった恋。
わたくしは女帝としてこれから先、輝くわ。
帝国が滅びる地獄の光景も…聖女への嫉妬も遠い昔のように感じて。
まっすぐにアレーシアは歩を進める。
アレーシア一世は帝国に名を残す女帝として君臨した。
その傍には王配であり、宰相のルーディストの姿が寄り添うように常にあったと伝えられている。
二人の間には皇子が2人授かり、生涯帝国の為に尽くしたと言う。