2話 金髪碧眼の王子様
たっぷり数秒間、私の周りの時が止まった。
誰もが息すら止めて、目を丸くして、私を見つめている。
私自身も答えのない問いに直面し、混乱した。
私は誰なのか。どうしてここにいるのか。
目の前の少年は誰なのか。周りの人々は誰なのか。
そういえば、この体勢は苦しい。離してくれないかな。
でも、少年の名前も分からないしな。
こんな状態を物語で見たことがある。たしか、記憶喪失というやつだ。
物語のなかで記憶を失った女性は錯乱して涙していたけれど、
現実に自分の身に降りかかると、ただただ現実味がない。
なんだか夢の中にいるような妙な心地がする。
そんな混乱と沈黙を破ったのは、ひとりの女性だった。
「・・・・・・アラン様、差し出がましいかとは思いますが、まずはお手をお放し下さい。」
白地の服に黒色のエプロンをつけた背の高い女性が、片方の手を私の背にあて、
もう片方の手を少年の手に添えて、そっと手を離させた。
「・・・あ、あぁ」
されるがままの少年は私の胸元から手を離し、
私はもう一度、ベッドに寝転ばされた。
「・・・カティア様、私がお分かりになりますか?」
女性が枕元に屈みこんで、優しく語り掛けてくる。
全く実感がわかないけれど、こんなふうに話しかけられるからには、
私はカティアなのだろうか、なんて思いながら、首を横に振る。
この女性にも見覚えはない。
「・・・そうですか」
女性が悲しそうに目を伏せる。
そんな顔をさせてしまったことに心が痛む。
しかし、女性は一瞬で切り替えたように、後ろで固まっていた別の女性に、
「旦那様とお医者様にお伝えしてきて」と頼んだ後、やわらかく微笑むと、私の手に手を添えてくれた。
声をかけられた女性が動き出すのを横目に、温かい手だな、と思った。
「・・・あなたはカティア=テナール様です。
そして、私はローズと申します。幼いころから、カティア様に仕えてまいりました。
カティア様はラモル病にかかられて、先月からずっと眠っていらっしゃいました。
そのため、記憶が混乱してしまっているのでしょう。いまはお休みになられてください。」
「・・・はい。」
なんだか、理解できていない問題の解説をすっ飛ばして、答え合せだけをしている気分だ。
言葉は理解できても、全然しっくりこない。
私はカティア=テナール。流行り病にかかって、今の今まで眠ったままだった。
女性はローズ。幼い頃から私の面倒を見てくれていた人。優しそうな人。
・・・じゃあ、他の人は?
「あんたは・・・誰?」
手始めに一番近くにいる、先ほどまで私の胸ぐらをつかんでいた、
金髪碧眼の少年に尋ねると、呆けていた彼の瞳に光が戻った。
「く、口をつつしめよ!俺はガルシア国の第二王子、アラン=ガルシアだ!」
偉そうなしゃべり方だなぁ。でも王子様ならこれが普通なのか、と思ってから、
「王子様」の単語に違和感を感じる。
「え・・・あんた王子様なの?」
「そ、そうだ!・・・だから口の利き方には気をつけろって!」
「あ・・・ごめん・・・なさい」
なぜ王子様がここにいるのか、王子様と会うことができるなんて私は何者なのかとか気になるけれど、
二度も口の利き方を注意されると、続ける言葉に困る。
王子様にへんなことを言うと殺されちゃったりするんだろうか。
ずーっと眠ってたってことで許してくれたりしないかなぁ。
とりあえず王子様に話しかけることは一旦諦めて、部屋の中をぐるりと見渡す。
部屋にはローズさんと王子様の他に、3人の人がいた。
うち2人はローズさんと同じ格好をした女性で、状況に戸惑っている様子。
・・・そりゃあそうだ。私だってわけが分からないもの。
そしてもうひとりは、こちらをおもしろそうに見ている青年だった。
王子様よりも少し年上に見える。髪は濃い栗色で、瞳も同じ色。
他人事のように、腕を組んで、壁にもたれて、
混乱している私たちを興味深いものでも見るように眺めている。
こっちは混乱しているのに、そんな目で見られて、いい気はしない。
失礼な目で見ないでよ、の意を込めて睨むと、青年も目を丸くした。
「・・・カティアの年相応な顔なんて初めて見たなぁ。別人みたいだ。うん、僕はそっちの方が好きだよ」
褒められているのか、けなされているのか分からない発言に、眉がよる。
以前の私はもっと大人びていたと言うことだろうか。で、いまの私は子どもっぽいと?
ん?疑いようがなくけなされてない?
ますます眉が寄る私を見て、青年はぷっと吹き出した。
「そうそう。そういう顔。仮面かと疑うくらいいつも笑顔だったからねぇ」
「・・・確かに。あの胡散臭い顔よりはいまの方がマシかもな」
笑いながら、以前の私もけなしてきた青年に、王子様が同調する。
なんて失礼なやつらだろう。
どうやって言い返そうかと考えだした瞬間、
バタバタと大きな足音がして、続けざまに勢いよく扉が開いた。
「「カティア!!」」
二人の男女の声が重なって響く。
あまりの大声に、耳奥でキーンと甲高い音ががした。
目にうっすらと涙を浮かべて、見覚えのない壮年の男女がこちらを見つめている。
明るい栗色の髪をした、やや太っている男性と、
赤みがかった茶髪をきつく結い上げた、気の強そうな女性。
誰だろうか、と考えるもののやはり答えはどこにもない。
「・・・カティア、私がわかる?」
しばらく黙って見詰め合っていた私と男女だったけれど、女性の方が沈黙を破った。
どうやら、私が自分が誰なのかも忘れてしまっていることは伝わっているようだ。
目をさましたことを泣いて喜んでくれるくらいなのだから、
きっとまた、がっかりされてしまうのだろうなと思いながら、小さく首を横に振る。
しかし、男女は残念そうな顔やがっかりした顔は一切見せずに、微笑んだ。
「大丈夫。記憶はどうにでもなる。生きていてくれただけで十分だ」
その優しい言葉を聴いて、できた人たちだなぁ・・・と、どこか他人事のように思った。
そして、そんなできた男女が何者なのかということが気になった。
「名前を・・・聞いてもいいですか?」
「私はロデリック=テナール、こっちはアガタ=テナール。お前の父親と母親だ。」
ロデリックに・・・アガタ。
私の両親。言われたところでピンと来ない名前を、今度は忘れないように、何度か小さく唱える。
「・・・名前は覚えなくてもいいわ。お父様とお母様と呼んでちょうだい」
もごもごと口を動かす私を不憫に思ったのか、女性・・・いや、お母様の方がそう提案してくれた。
正直・・・とてもありがたい。キツそうな見かけによらず、優しい人みたいだ。
「・・・ありがとうございます、お母様」
違和感をぬぐいきれないまま、でもとりあえず、
ぎこちなくお母様と呼びかけると、女性も少しぎこちなく微笑み返してくれた。
「あの・・・できたら、他のことも教えて欲しいんですけど、いいですか」
口の利き方を指摘してこず、戸惑っている私を面白がることもないこの2人に、
聞けることは聞いておいたほうがいいだろう、と思って問いかけると、お母様はもちろん、と頷いた。
そして、枕元に用意されていた椅子に腰掛けようとしたとき、
少し離れたところに立っていた王子様と青年に気づいて、「あら」と小さく声を上げる。
「・・・いらしていただいていたんですね。ありがとうございます。」
「えぇ・・・心配でしたので。目をさまして本当によかったです。」
さっきまでの小ばかにしたような表情を封印した青年が、いけしゃあしゃあと紳士的に微笑む。
王子様も、何も言わずに青年の隣で同じように微笑んでいる。
さっきと打って変わった態度に、苛立ちを覚えるものの、
こいつらが何者かも分からないので、とりあえずは怒りを押し殺す。
でもたぶん不満を押し殺すことができていないであろう私を隠すように、
お父様が私と王子様たちの間に立って、2人に頭を下げた。
「キース様、アラン様、娘の見舞いにお越しいただき、誠にありがとうございます。
ただ、見ての通り、今は娘は記憶が混濁しているようです。
落ち着きましたら改めて挨拶に伺いますので、本日は1人にさせてやっていただけないでしょうか。」
「・・・それがいいでしょうね。アラン、今日のところは帰ろう。」
お父様の言葉に、どうやらキースと言う名前らしい青年の方が頷いて、王子様に帰宅を促す。
その言葉に王子様も小さく頷いて、扉に向かって歩き出す。
「見送りは結構です。・・・カティア、お大事にね」
どうやら見送りに動こうとしていた私の両親を事前に制し、私に微笑む青年。
最初の小ばかにしたような表情を見ていなかったら、
いい人だなぁと騙されてしまいそうな、見事な外面だ。
ローズさんと同じ服装の女性が音もなく俊敏に動いて2人のために扉を開け、
そのまま2人について部屋を出て行く。
お父様とお母様は、軽く頭を下げて二人を見送り、パタン、と静かに扉が閉められる音を聞き届けてから、
2人は枕元に用意された椅子に腰掛けた。
「・・・さて、なにから話そうか」