#__5 バイタログ
Every act of creation is first an act of destruction.
『どんな創造活動も、はじまりは破壊活動である』
#__5 バイタログ
料理の初心者が塩梅を間違えたとき、味が薄すぎる分にはフォローが効くだろうが、味を濃くしすぎてしまったなら、その料理は大惨事としか言えないだろう。
「……どうしてくれるのさ、これ」
ミオは小屋を、いや、小屋だったものを指差して言った。僕の目の前でいくつもの木の板材たちが集まってもたれ合っている。少しすると、その瓦礫の山の頂上に千鳥のような小さな鳥が止まった。どうやらこれはもう人工物ではなくなってしまったらしい。
「……すいません」
何を隠そう、こんな風に小屋をバラバラにしてしまった犯人は僕である。バラバラ、とは言っても、小屋の素材ひとつひとつにはヒビ割れどころか欠けや傷も見当たらない。まるで家の釘を全て抜き去っただけのように、バラバラと崩れ去っているのだ。
とにかく、崩壊の詳細はここまでにして、どうしてこんな奇妙な壊れ方をしたのか。思い当たるのは僕の放った魔力がこの建造物全体を覆い尽くしてしまったことだけ。
初めての魔法とやらに気持ちを高ぶらせすぎた……のだと思う。
「あなたには驚かされるよ……いや、手を焼かされるの間違いかな。あなたは気を抜くとすぐに予定外のことをしでかす。まるで、あなたは何も考えてないみたいでさ」
ミオはため息混じりに言う。
「……すいません」
「いやあ、謝らないでくれ。何も考えてないってのは集中出来てないとか、そういうお咎めのために言ったわけじゃないのさ。ただ君は、あまりにも、何か大事なものを無意識に見ないようにしているような……空を見上げながら綱渡りをしているような……いや、これじゃあまたけなしているみたいだね」
ミオは困ったように顔を萎えさせて笑った。どうして彼女は今、こんなに悲しい顔をするのだろう。別にミオが悲しむこともないだろうに。
「まあ、なんか、前の世界でも似たようなことを友達に言われてたような気がするし、大丈夫です。気にする必要ないですよ。たぶん。それより……」
「それは何が大丈夫なのさ」
ミオは栞を挟みこむように僕の言葉を遮った。
「え、いや、あんまり気にしなくていいですよ、ってことで」
「何を言っているのさ。それで、たくさんの人にそう言われるからといって、君のその足りないものは埋まるとでもいうのかい?君が危ういことは何も解決しないだろう?」
そんな、別に気にしないでほしいことだけ分かってくれれば僕はよかったんだけどなあ。
まあ一理ある。何も、解決してないのかも。でもだからといって、他の言葉で何かが変わるわけではないとも、思う。
「……まあいいよ。すまないね、脱線した。正直、あなたの魔力の量には驚いたけど、わざわざこっちの世界に来てくれたんだから、これくらいはしてほしいところなのかもしれないね。気に病むことはない、むしろ立派さ」
「でも、この小屋壊しちゃったんですけど……」
「……小屋じゃなくて家を意識して作ったんだけどね」
ミオはわざとらしく声を落として言った。
「あっ……」
「あなたは一体どこまで無礼を働けば気が済むんだい? ……まあ、この家のことはいいよ。後でどうにかしよう。それよりまだ説明してないことがある」
「はあ……」
後でどうにかなるのか? これ。けれども、ミオは次の説明に急いでる。
「魔法を使うために知るべきことはあと一つ、術式だ」
「術式?」
僕が聞き返すと、また彼女は顎を少し上げて、得意にな様子で語り始めた。
「そうだ、大きく分けて二つある。ひとつは命論“バイタログ”、そしてもうひとつは同浸“シンフル”。シンフルについて説明してもいいんだけど、使い勝手が悪いからこれはまた今度。当分は片方のバイタログだけを身につけて貰うよ」
「バイタログ……」
なんだか、相づちを打つだけになりそうだ。
「バイタログは、さっき見せた魔法だ。物質に潜む魔を、魔力と呪文を使ってより合わせるものさ。こんどはペン無しでもう一度見せよう」
ミオは袖を肘までまくって、右手を地面にかざした。さっきペンを袖口にしまってたのにどうして腕まくりが出来たのかを考えたけれど、どうせこれも魔法の類いなんだろう。
「まず魔力を出す」
ミオの右手にピンポン球くらいの魔力が据えられる。
「そして、呪文を唱える。バイタログ・サス・チル」
ミオがそう唱えた瞬間、魔力の玉が一瞬だけ光り、消滅した。するとまたさっきと同じように地面に茂る草がパリパリと凍り始めた。
「どうだい? 大雑把だけれど、これが魔法を使う手順。魔を持つ対象を念じて魔力をかざす。そして、呪文を使って、魔に対して魔力をどう干渉させるかを決めるのさ。これがバイタログ。単純だろう?」
ミオは満足そうな目で僕の方を見た。これで終わりってことかな。
「まあ、なんとなく分かりました。とにかく、魔力と呪文が揃ったら魔法が使えるということですね」
「そうだ。それさえ分かっていれば十分さ」
これで魔法というものがどういうものかだいぶ掴めた、ということでいいのかな。十分とは言われたけれど、僕はもう少し踏み込むことにした。
「つまり、その、魔力を動力源にして、呪文でどういう効力を発揮するかを決める、ってことで良いんですよね」
「違うね」
即答だった。すると、こちらの方を見てミオは慌てて付け加えた。
「ああ、えっと、すまないね。別に咎めたわけではないのさ。初心者にはよくある間違い。うん、でも少ない説明でこれほどまで理解に近づいたのはむしろ褒められることでね、だから、全然……」
「あの、気を使わなくてもいいですから」
僕は彼女の言葉に栞を挟む。すると、
「ダメだよ」
これまた即答だった。そしてまた同様に、ミオは慌てて付け加えるのだった。
「あっ、いやあのね、違うのさ。君の考え方を否定しようなんて思ってるわけじゃないのさ。ただ、ただね、私はその、君に……」
ここまで饒舌だったミオは、はじめて言葉を詰まらせた。そして、しばらく、いやしばらくといってもほんの数秒にも満たない間をおいて、彼女はおそるおそる口を開いて言った。
「君に……そのね、魔法を好きになってもらいたくて、私は」
なんだか、ミオは急にたどたどしくなった。
「魔法を、好きに?」
「えっと、それは……もちろん君を守るためでもあるんだけど……」
速度を落とす車輪のように、ゆっくりとゆっくりと、ミオの語調は途切れ途切れになっていく。
「実はさ、君に気を使わせると思って、言わないでおいたけれど、私は君を長い間待っていたんだ。それまでさっきの家でね。だから、私はこうして誰かと同じ時間を過ごすのが久しぶりなんだ。それが、私は嬉しくてさ。私はさ、実を言うとこの魔法くらいしか取り柄がないからさ、もし君が魔法を好きになってくれたらと思うと……ね」
僕は、彼女の言っていることがよく分からなかった。誰かを待つために長い時間を費やすことも、誰かとの時間を待ち焦がれることも、そして、自分の取り柄とか、誰かと好きなことを共有していきたいとか、そういうことも。僕だって、自分の“さだめ”を待つために長い時間を費やしてきたはずだった。だけど、それは待ち焦がれるものではなかった。その先は無いものだと信じていたから。でも、もし。もし僕が、ミオと出会うことを知っていたら、つまり先のある“さだめ”だと知っていたら、この気持ちを分かっていたのかもしれない。
「え、えっと……迷惑だったかな?」
僕が黙っていたら、沈黙に耐えかねたのか彼女はおそるおそるそう聞いた。
「いや、そんなことは無いです。ただ、」
「ただ?」
「僕も、ミオさんに会うなら、取り柄のようなものを持っていればよかったなって」
「そうかい。確かに、今の私には君の取り柄を言い当てることは出来ないけれど、きっと大丈夫さ」
「そういうもんですか?」
「大丈夫、君にも取り柄が必ずあるさ」
気が付くと、彼女は僕の手を握っていた。少し冷たくて、か細い女の人の手だった。
彼女の言葉は、僕の元居た世界でも、励ましの常套句として言われていたはずだった。だけど、曖昧な大人に言われたはずのその言葉は、ミオの声を通すと温かくて、なんだか本当に信じられる心地がした。
「わかり……ました」
「うん、それがいいさ」
そう言って、ミオは手を離した。そのときどうしてか、弱い力の温もりが消えた自分の手から、たまらなく寂しい気持ちが込み上げてきた。だけど、これもまた、その理由が分からなかった。
前を見るとミオは満足そうな顔をして、こちらを見ていた。
「それで、どうだい、魔法を使ってみるかい?」
僕はまた少し返事をためらった。上手くできるかわからない不安と、魔法というものを使ってみたいという好奇心が入り混じって、うまく言葉が出なかった。だけど、今回はなんとか好奇心が競り勝った。
「はい、使いたいです」
「よろしい!」
ミオは、満面の笑みを浮かべた。女の人の笑顔は、妹と一緒にいたから見たことがあった。でも、悲しさとか虚しさとかを一切残さないで笑っているのを見るのは初めてのことだった。
……いや、違う、これと同じような笑顔を僕は見た気がする。でも、なんだ? 思い出せない。
「じゃあ、覚えてるね? 今度は地面に向かって魔力を出してみよう。そうだな、さっきは一息に魔力を出してもらったけど、今からやるのは長く息を吐き続けるようなイメージでやってみて」
長く息を吐き続ける……うまくいくかは分からないけど、今はそのイメージを持ち続けることでいっぱいいっぱいだ。
足は肩幅に開いて、肘をしっかりと伸ばして、それをゆっくり地面へ下ろす。そして、慎重に力を込めた。
すると、今度はやや控えめに青い光が地面を覆った。とはいえ、やはりその量は多いし、よく見ると光度に疎密がある。
「うん、いいね、上手だよ」
ミオは相変わらず僕のことを剝げましてくれた。相変わらずという言い方が適切かどうかはともかくとして。
「呪文は、覚えているかい?」
「はい」
「じゃあ、やってごらん」
僕は、長く息を吹くような力を途切れさせないように、それでいてかつ丁寧に呪文を思い出した。
「バイタログ・サス・チル」