#__2 言葉つかい
格言は毎話ついてるわけではありません。大変ですから。
#__2 言葉つかい
「ワシは、お前の“さだめ”だ」
フクロウは、ゴロゴロと唸るような低い声でそう言った。そしてまた、そのフクロウは間違いなく、“さだめ”と言った。“さだめ”とは、僕に、いや文を含めた僕らにとってあまりに馴染みの深い言葉だった。だって、そのために自らの人生を消費していたから。僕は18歳の7月17日に死ぬ。それが僕の“さだめ”。つまり僕らの人生のノルマは受験でも就職でもない、ましてや人々が目指す幸せな生活とやらではなかった。
その理由が、こいつ?
「え、あ、どういう?」
緊張と恐怖と不安が入り混じったようで、うまく尋ねることができない。だが、このフクロウの言う“さだめ”と僕らの“さだめ”が同じだとしたら、どんな事情であれ、聞きたい。知りたい。どうして僕は“さだめ”から逃れられなかったのか、どうして“さだめ”のために生きるしかなかったのかを。
「今は答えるに十分な時間がない」
フクロウは僕の問いをはねつける。だったら、
「じゃあ少なくとも、ここはどこで、何が起きたのだけ教えてほしい」
「ワシは、時間がないと言ったはずだ。それを教えたらこれからの指示に従うか?」
「なんでもいい」
言葉が咄嗟に出た。このときの僕には相手の思惑を勘ぐるほどの冷静さは無かった。
「なるほど」
フクロウは、一息ついてまた続けた。
「まず、お前の“さだめ”は死ぬことではない。そしてもうひとつ、ここはお前の居た場所とは大きく違う。たとえば、お前の世界で信じられてきた自然科学の理論も、言語構造もかなり違う」
……よく分からないが、とりあえず科学と言葉がまるっきり違う場所に飛ばされたってことでいいのか?
「喋りすぎた。本題に移ろう」
フクロウはこちらの反応を待たずに畳み掛ける。
「簡単に言えば、今のお前はここの人間と身体の構造が違う。そしてもちろん言葉も知識も同様だ。しかればまずは通じる言葉が必要だとは思わないか?」
先ほど奇妙な小屋にいた女の人の言葉を思い出して、確かに、と思う。でも、
「でも、言葉が違うのにどうして今言葉が通じてるんですか…?」
「それがこの話の核だ。話が通じるのは、ワシが言葉を司る生き物だからだ」
フクロウが、言語を司る生き物……?
「それってどういう___」
「おい青年。この世界は、昨日までの世界とは違う。お前がいた世界がどんなものかは知らないが、ここにいる以上、ここの常識に従おうとは思わんのか?」
……そういうことは、そういうことのままで、か。腑に落ちないけど、腑に落とさないといけないのだろう。喉に詰まったものを無理やり飲み込むように。
「……そう、ですね」
フクロウはひと振り、大きく翼をはためかせて、仕切りなおすように語り出した。
「時間がない。とにかく、お前には契約を結んでもらう。契約というのは、わかるか?」
「ま、まあ、分かります」
それが簡単に結んではいけないことくらいは。
「よろしい。おそらく前の世界のものと形は違うだろうが、“翻訳”が同じならば、大体の意味は同じだろう。契約内容を言う」
でも、どこか断れない何かに、奥歯が縛られている。
「お前が言葉を使えること、それと引き換えに、ワシがお前の身体の一部を借りる。良いな。結ぶか結ばないかを言え」
少しためらってみるけれど、重い雰囲気が、喉の奥からせきたてる。
「……結びま____」
そう言いかけたとき、ピストルのような快音と共に、冷たさ、すなわち冷気が洞窟の壁を這うように突き抜けた。いや違う。その直前に冷たい何かが僕の首元を通り過ぎたんだ。それもとてつもないスピードで。それで、その何かが――
「……###」
後ろから、わずかに聞き覚えのある声がした。だけど前に聞いたその声は、もっと温みがあったと思う。僕は振り返られずにいた。ただ、前を見ていると、先ほどの何かの終着点がどこか分かった。僕の足元で白い羽がヒラヒラと舞っている。フクロウの声はもうしない。
「……###?」
気付けばその声はもう、すぐ後ろまで来ていた。目の前にある羽は、どうしてか固形の入浴剤のようにシュワシュワとその形を失っていった。そして、フクロウが佇んでいた場所に、ソフトボールくらいの大きさをした赤く光る玉が残されていた。なんだこれ。なんとなくキレイだけど。僕がなんとなくそれに触れようとすると、その直前で後ろから来た人影が素早くそれを拾った。そしてその人物は胴乱に玉を入れると、僕に手を差し伸べた。
「###?」
ふと気づけば、その声の温かみは戻っていた。何をしたのか分からないけど、その人はさっきの女の人だった。僕はその手をとる。誰が危険で誰が安心できるかどうかは知らない。けれど、この人はたぶん僕を傷つけないように思えた。言葉が分からなくて、思惑なんて知れたものではないけど、この人にはそう信じられる何かがあった。
洞窟の出口に向かうと、月明かりがさっきとは反対に差し込み、この穴の様子がよくわかった。洞窟内に転がっていたのは動物たちの死骸だった。さっき蹴った竹のようなものも、骨だ。それに、この臭いもたぶん、動物たちの肉の臭い。
思い返せば、部屋を抜けだしてから何かに酔っていたような気分だった。視野がやけに狭くなって、思考できるものごとの数が極端に少なくなってしまう。そんな気分。だけど、今この人の手を握っている限りはその気分が紛れた。とりあえず、一旦落ち着こう。冷静になって、身体を休めて、それで朝にならなきゃ、文を見つけることは無理だ。
僕は女の人の手に引かれ、そしてまたその手を離さないように、目が覚めたときの小屋へ向かった。
*
小屋に帰ると、部屋の中が暖かいことと、自分の手足の先が冷たくなっていることに気付いた。そして僕はまたベッドに座らされた。すると、女の人は自分の身体より少し大きめなイスを持ち出してドアの前に置いた。そしてこちらを振り向いてから、顔を若干しかめて腕で大きなバツを作った。フクロウの言ってたことを信じると、この人の作ったバツが“NO”を意味するかは分からないが、十中八九これは「外へ出てはいけません」ということなのだろう。とりあえず、僕が頷くと、女の人は頷き返して、小屋を出た時と同じように部屋の奥のキッチンに進んだ。と、思うとまたこちらを睨んだ。やば、すごい疑われてる。でも無理もないよな……起きてすぐに何も言わずに出て行って、しまいには洞窟まで行くんだから。僕がどぎまぎしていると、その人はスッと表情を緩め、小さく微笑んだ。どうやら僕が逃げるつもりはない、というか、もう外へ出るのはこりごりだということがなんとなくわかったのだろう。
しばらくしていると、何やらいい匂いがした。いい匂いというのは、フローラルな感じではなく、美味しそうな匂い。何の食べ物かは分からないが、きっと野菜スープのようなものの匂い。そこで自分が空腹なのを知った。お腹が空いた、食べたい。そんな気持ちに脳みそが侵される。さっきもこんな状態で飛び出してたのかと思うと、いかに自分が冷静さを欠いていたかがわかる。そしてまた少し待っていると、女の人は、白いコップにスープを注いで持ってきた。野菜スープの匂いがしたが、色はコンソメスープと同じだった。僕が女の人の方を向いたら、その人は微笑んで頷いた。僕はおそるおそるコップに口をつけた。知らない飲み物ってこともあるけど、どちらかというとそれはあまり気にならず、熱さを考慮した行動だった。少しずつ啜る。温かいが、熱いという程でもなかった。うまい。冷えきった身体に染みる温かさが心地良い。このスープのわずかな塩味に反応してこめかみの奥がギュッと締まるのを感じる。しかしそれにはお構いなしに喉がスープを欲して、まるで別の生き物のように動く。これは紛れもなく空腹と疲労が生み出した美味しさなのは分かるが、たぶん今までで飲んだ料理で一番美味しいと言っても過言ではなかった。
スープを一気に飲み終えて、ボーッとしていると、女の人は満足そうに笑った。そして、ベッドから少し離れたところに水を注いだグラスを置いた。その後女の人は椅子で塞がれているのとは別の扉を指差して、手で枕を作り目を閉じるジェスチャーをした。女の人は、たぶん「わたしは寝室で先に寝ますね」と伝えたいようだ。僕は小さくうなずいて、暗い部屋に消えていく小さな背中を見送った。僕もコップの水を取って、口をゆすぐように飲んでから眠りについた。思ったよりも簡単に眠りについてしまった。
*
ふと、目が覚めた。暖炉の火はすっかり熾火に変わっていた。だが完全に消えてないところからして、あまり時間は経ってない。寝ようと思えばまだ眠れるが……どうやらスープと水を一気に飲んでから眠ったせいでトイレに行きたくなってしまった。まあ、当たり前と言えば当たり前だ。しかし困った。トイレはどこだ。最悪外ですればいいが、あいにく外出禁止令が出ている。
……聞くか。
申し訳ないけれど、仕方ない。起きてもらおう。僕は女の人が入った部屋のノブを回して入る。すると、僕が寝ていたものより数ランク高そうな、装飾付きのベッドで寝るあの人の姿があった。それと、例の赤い玉の入った胴乱だ。赤い光がわずかに漏れているから分かる。そう、赤い玉。赤い玉……これは一体なんだろう。あの不可解なフクロウから出てきたものに違いない。僕は胴乱を開けて中の赤い玉を掴み、顔の前へ持っていく。触った感じは、不思議だった。重みの無い水風船のような、軽くて、強く握ればその形に変わる不思議な玉だ。ただ、自らの光のせいで輪郭がすこしぼやけて見える玉。これは一体……でも、使い方が分かるような気がする、というか、あれ。
気付けば、僕はその赤い玉を食べようとしていた。
あれ、おかしい、これ、ぜったい食べ物じゃない。でも、なんだこれ、食べようとするのやめられない。あっ、口の中に入る。入った。うわ、思ったよりすんなり喉の奥に飲まれてく。丸飲みしちゃった。うえ、痰を飲んだ時みたいだ。え。やば。何これ。ていうか、
「……やばくね?」
わざわざあの女の人が持ち帰ったほどのものだから、きっと大事なもののはず。なんで食べた?自分でもよく分からない、いや、なんで?は?
「うーん……」
女の人が、僕の声に気づいて唸った。
「あっ、いや!ちがくて!トイレの場所聞こうと思って!」
すると、女の人は少し起き上がって、目をこすりながら答えた。
「あー、トイレ?トイレなら……」
そう、答えた。
「あれ?」
「ん?」
女の人はようやく目を開いて僕を見た。いや、正確には目を見開いた。無造作に開けられた胴乱と、僕の顔を何度も見返す。そして、ふう。と一息ついて、しっかりと息を吸い込んでから
「食べちゃったの!!!!???」
そう言った。いや、叫んだ。