16、高山農園
正雄と美里は神奈川に戻り、お互いの両親を説得した。直樹は結婚には納得したが、無肥料の小麦粉や野菜はどうしても値段が高くなるので店で使うことには不安だった。
ドクターシェフは正雄と美里、直樹と優子を千葉の高山農園へ連れて行った。高山農園の高山博夫が出迎えてくれ、一通り畑を案内してもらった。
「ドクターシェフ、どうしてこんな美味しい野菜ができるんですか。野菜を育てればそれだけ土から養分が吸収されて、土の養分が減ってしまって、1年や2年は育っても長い間肥料を与えなかったら野菜は育たないですよね」直樹は肥料を使わないでなぜ野菜ができるか理解できなかった。
「ここの畑は20年も無肥料で栽培しているけど、収穫量は減っていないんだよ。その理由は科学的には分かってないんだ。大自然の力というか、本来種と土に備わっている威力を十二分に発揮できるように、人の手で環境を整えているということかな」
「何だか難しくてよく分かんない」抽象的な表現では美里は理解できなかった。
「そうだろうなぁ。じゃあ分かりやすいように例え話で説明するね。野菜は根から土の養分を吸収するよね。葉っぱでは光合成で養分を作っていることは小学校の時習ったのは覚えているかな」
「習った習った。なんか実験をやったよね」美里は思い出した。
「仮説として聞いて欲しいんだけど、たとえば人参の根が土から吸収した養分を10だとして、葉が光合成で作り出した養分を10だとすると、合わせて20になるよね。人参を立派に育てるのに必要な養分が10であれば、20から10を引いて養分が10余るんだ。余った10の養分を根から出して土に与えていると思うんだ。そうすると土の10の養分が人参に一旦吸収されても、人参が根から土に余った10の養分を与えていれば土の養分は減らなくてすむんだよ。分かりやすく言ったけど、10とか20とかの数字は養分の量だけじゃなく自然の力も含まれていると思うんだ。土が作物を育てていますが、同時に作物が土を育てているんですね。」
「なるほど、親子と同じようだね。親が子供を育てているんだが、子供から教わることもたくさんあるよな。美幸と美里からは親としてあるべき姿をずいぶん教えられたよ」直樹は美幸のことを思い出した。
「さすがお父さん、年の功ですね」
「北海農園では種を採っていましたけど、ここでも採っているんですか」正雄は種に興味があった。
「種は買ってくるものじゃないんですか」直樹は何のために種を自家採取するのか分からなかった。
「種の能力も重要な要素なんですよ。化学肥料でも有機肥料でも、与えられた肥料を吸収していると作物が自分から養分を吸収しようとする能力が低下してしまうんです。同じ無肥料で栽培しても無肥料栽培の自家採取の種であればよく育ちますが、化学肥料や有機肥料に頼った市販の種であればよく育たないことがあるんです。
たとえば、テーブルに米、野菜、肉、魚を与えられた場合、調理能力のある人であればご飯を炊き、野菜を刻み、肉を焼き、魚を煮て食べることが出来ますね。だけど、調理能力のない人だと生米を食べたり、生のじゃがいもは皮もむかずに食べれないから、食事を他の人に作ってもらって与えてもらわないと食べることが出来ないですね」
「調理能力のある人が無肥料の自家採取の種で、調理の力のない人が市販の種ということになりますかね」パン職人らしい直樹の例えだ。
「パン職人で言えば、お父さんは無肥料の自家採取の種で、うちに来た時の正雄は市販の種、ってとこかな」美里が正雄をからかった。