15、手書きの切符
北海農園の軽トラックを借り、運転席に座った正雄はものも言わず、前を見つめて運転していた。助手席の美里も何も言わなかった。重苦しい沈黙のまま、駅までのまっすぐな単線道路を軽トラックは直進して行った。蝦夷駅からJRで札幌まで行き、札幌からバスで千歳空港へ行く予定だ。
「これ、札幌駅までの切符だから」駅に着くと、正雄はポケットから切符の入った封筒を出し美里に差し出した。
美里は封筒を受け取ると、正雄の顔をまっすぐ見つめた。“もし、今私を引き止めてくれたら、このままずっと北海農園にいる。正雄がひとこと、言ってくれたら・・・”
「じゃあ、行くから」長い沈黙の後、目をそらしたのは美里の方だった。くるりと後ろを振り向くと、足早に改札を抜けた。
美里はホームのベンチに腰掛け、柱に頭を持たせて考えた。“やっぱり、正雄は何も言わなかった、ひょっとしたら、私のこと、本当に迷惑だと思っているのかもしれない・・・”さまざまな考えが頭に浮かんだ。
ホームに電車が入ってきた。
「すみません、切符を拝見します」乗り込んでぼうぜんと座席に座っていると、突然車掌に声をかけられた。あわてて手に持っていた封筒を差し出した。そういえば改札を通った時、駅員が見当たらなかった。この小さな駅は無人駅だから、車掌が切符を切るシステムだ。
「お客さん、この切符じゃあ行けませんよ」ハッとして車掌の手元を見た。失笑している車掌が手に持っているのは、駅で売っている切符ではなかった。切符大に切りぬいたノートの切れ端に、ボールペンで正雄の字が書いてあった。
“蝦夷駅から北海農園行き”
「降ります」発車のベルが鳴り響くなか、美里は手書きの切符を車掌からもぎ取り荷物をつかんで汽車から飛び降りた。改札を走りぬけていくと、正雄は、軽トラックの荷台に寝そべっていた。美里は一目散に走っていた。
「このチケットを使います」美里が差し出した。
「裏の注意書きは読んだ?」正雄が聞くと美里は慌てて裏を見た。
“この切符を使うと、人の3倍苦労します。だけど、人より10倍幸せになります”美里の涙が文字をにじませた。
「お願いします」美里は正雄の胸に飛び込んでいった。
2人で北海農園に戻った。しかし、岡本は自然栽培の大変さを話し、神奈川に帰るように説得した。そしてドクターシェフは岡本が自然栽培の指導を受けた千葉の高山農園を案内すると約束して納得させた。