12、美里と正雄の出会い
草原酵母を天然酵母のパンだと売り出していた1ヶ月間の間に買ってもらった客をだましていたことになると思った美里は、両親と相談して事実を店内に掲示して草原酵母パンを買った人には1週間の期限を決めて自家酵母パンを無料で提供することにした。提供するといってもレシートを保管していない人も多かったが、自己申告でも提供した。
2001年6月5日、この日は最終日だった。このうわさを聞きつけた近所に住む杉浦正雄23歳は、悪友の同級生の佐藤利彦と悪だくみを考えた。草原酵母パンを買ってもいないのに買ったと言って自家酵母パンをもらいに行った。利彦を偽の証言者に仕立て上げたのだ。
「今までここでたくさんパンを買ったんだよな」正雄は利彦に相槌をもとめた。
「そうだよ、そうだよ」利彦は嘘の証言をした。
「パンだけじゃなく迷惑料として5000円払ってもらいましょうか」美里は正雄も利彦も明らかに初めて見る客で嘘をつくなと押し問答になった。
直樹もだまされていると分かってはいたものの、自分達が間違ったことをしてバチが当たったのだからと、パンと5000円を正雄に渡した。美里はそんな父親の対応を理解できず、批判し親子喧嘩になった。
営業時間が終了の午後8時に美里は入り口のシャッターを閉めた。その直後誰かがシャッターをたたいてノックした。美里はまだパンを求めてきた客がいたのかとシャッターを開けるとそこには正雄が立っていた。
「まだ何か用があるのか」美里がどなった。
正雄はさっきもらった5000円を無言で差し出した。直樹と優子が出てきて何事かと正雄に聞いた。
「もらってきたパンを食べたら、去年亡くなった長野の田舎のおばあちゃんのことを思い出したんです」正雄は事情を語り始めた。
正雄は子供の頃から少年野球で活躍していてエースピッチャーで4番打者の甲子園球児だった。大学でも野球部で活躍しプロ野球を目指していたが、4年生の時肩と肘を故障し色々な治療をしたが回復せずプロに進むのを断念した。プロ野球の夢が捨てきれず今年の春卒業してから就職もせず家にいた。
パンをもらってきて食べてみると、子供の頃長野の祖父母の家によく遊びに行った時おばあちゃんが作ってくれたパンの味を思い出した。すぐに長野のおじいちゃんに電話をしておばあちゃんが作っていたパンの作り方を聞いてみると、干し柿を使って天然酵母を自分で培養してパンを焼いていたことが分かった。
正雄は、子供の頃ばあちゃんから「人様に迷惑をかけてはいけないよ。うそついてはいけないよ。悪いことをするとバチが当たるよ」よく言われていたんです。
「それで、お金を返しに来たのか」美里が問いただすと、正雄はうなずいた。