夕焼けの路地裏
人混みの中を歩く一人の男がいた。
短く切り揃えられた黒髪、双眸は常に前を、人混みに向けられておりぶつかる手前で体を捻って歩いていた。
(あー・・・今日の夕飯は・・・えー、肉じゃがでいいな)
今朝見た冷蔵庫の中にじゃがいもと玉ねぎがあったのを思い出し夕飯を少々簡潔気味に決める。
「っと!?」
「きゃっ!」
考え事をしていた為か胸辺りに軽い衝撃が走る。と同時に女性の驚いたような声が鼓膜を震わせた。
「すいません。考え事をして・・・・・・いて・・・」
男の声が途中で止まる。 前を見ていた双眸は目線は少し下、男とぶつかった女性──否、少女に向けられていた。
「あ、こちらこそすみません・・・」
男とぶつかった衝撃でバランスを保てなかったのだろう。尻餅をついた状態で謝ってきた少女に男は少しの間固まったままだった。
「・・・あのぉ・・・?」
少女が困った顔で男を見る。そして倒れた体勢から起き上がり、男をやはり困った表情で見た。
「え、ああ・・・怪我はありませんか?」
我に返り即座に怪我の有無を問う男。その問いに少女は背中まで伸ばした黒髪を少しいじりながら困ったような笑顔をしていた。
「まぁ、大丈夫ですけど・・・そちらは?」
少女は自身の服とショートパンツに付いた汚れを手際よく払うと男にそのままの質問を返した。
「・・・大丈夫です」
少し後ずさりした程度の事だったので怪我という怪我をしなかった男は少しの間を置いたあと大丈夫だという旨を伝える。それを聞いた少女は垢が抜けたような笑顔になり男の横を通り過ぎ、振り返る。
「お互い大事にならくて良かったです。これからは気を付けて歩きましょうね!あなたも私も」
そう言いながら男に手を振って人混みの中を駆けていった。
「・・・・・・」
男は少女が駆けて行った所を茫然と見つめていた。しかし三十秒ほどで歩き出す。また男は人混みをかわすように歩き出した。
(何だ? 俺はあの女の子に惚れちまったのか・・・? ははっ、一目惚れなんて絶対ぇ無いなんて思ってたけどこうもあっさりするんだな)
人混みの中を泳ぐように歩きながら内心自嘲気味に呟く。男は歩くたびに先程ぶつかった少女の事を思い出していた。艶のあるサラサラそうな黒髪に少し大きめな同色の瞳、身長も男から見れば小さ過ぎず大き過ぎずの所。ショートパンツから見えた太ももは一瞬だけ男に不埒な考えをよぎらせていたり。 そんな事を考えている内に目当てのスーパーに着いた男はしばらく物色した後、目当ての牛肉やにんじん、鷹の爪などを買った。
(あー、日が落ちかけてるな。早く帰らないと遅くなっちまう)
スーパーを出てから空を見上げると見事な夕焼けが目に入った男は急ぐべく少し早歩きをした。
「おらぁ、どこ見て歩いとんのじゃい!!しっかり前見て歩かんかい!!」
自宅までようやく半分に差し掛かった頃、怒鳴り声が響いた。野太い声はヤクザを思わせる声でぶつかったであろう相手に怒鳴り散らしていた。
「ここじゃなんだからちょっと路地裏まで付き合えや」
野次馬が集まり始めた為男からは見えなかったがチンピラかヤクザか分からない男とぶつかったあろう相手が移動し出した。その時、一瞬だけぶつかった相手が見えた。一人はチンピラ、連れなのだろうか二人同じようなのがいた。そしてもう一人に男は目を見開いた。
(なっ!? あの子は・・・さっきの!!)
そう。先程男とぶつかった少女だった。少女は黙って男達に囲まれながら移動していった。
「へへへ・・・ここまで来りゃ誰もこねぇだろ」
薄暗い路地裏に四人の人影が。三人は男の人、一人は少女。三人の男は少女を壁際まで追い詰めるような姿勢をしていた。
「このアマぁ・・・覚悟しやがれ。泣き叫んでも誰も助けにこねぇぞぉ?」
少女にぶつかられた男が下卑た笑みを浮かべながら少女に近づく。男の腕が少女の顎に触れそうな瀬戸際、少女が口を開いた。
「それはこっちのセリフですよ。じゃあね・・・馬鹿な男三人衆・・・」
「あ?」
間の抜けた男の声が響いた瞬間、少女は素早く男の懐に潜り込み強烈なボディーブローを男の鳩尾にめり込ませた。捻りの効いたコークスクリュー。
「がああああっ!?ぐぅおおええ!?」
腹を押さえて両膝をつき悶絶する男。脂汗が全身からブアッと噴き出している。少女は悶絶する男の後頭部を少女らしからぬ力で掴み上げ、壁に顔面を叩きつけた。あまりの強さにコンクリートの壁にヒビが入る。一度だけじゃ物足らないのか二度、三度叩きつけた。叩きつける度にヒビが広がり、それに比例して出血も多くなる。三度目で叩きつけるのを止め、残りの二人に向き直る少女。
「さて、次はどっちがああなりたい?」
先程までの可愛らしい声ではなく、背筋の凍るような声音で二人の男を見据えながら言う。ビクンビクンと痙攣している男をチラっと一瞥しながら。
「う・・・ああ・・・いやだ・・・助けて・・・助けてくれええええええええ!!」
号泣し、絶叫し、懇願する。しかし誰も助けは来ない。それを聞いた少女は快楽を得たと言わんばかりにクスクスと愉しそうに笑った。
「クスクス・・・さっきの言葉をそのまま返しますね。泣き叫んでも誰も助けは来ねぇぞぉ?」
凄絶な笑みを浮かべる少女に対し二人の男は絶望に染まった顔でその場に立ち尽くした。少女がそんな好機を見逃す筈もなく、男の腹に強烈な前蹴りを叩き込み、間髪入れずに垂れ下がった顔面に抉りこむように鼻先から爪先を当てる回し蹴りを食らわす。勢い余り壁に後頭部が激突し血が飛び散り 男は意識を失った。
「さぁてとぉ・・・あと一人ね。どおしようか?」
男の顔面から足を離すと残りの一人を見つめる少女。
「ひぃ・・・!?」
余程恐ろしいのだろう。失禁したのか股間がずぶ濡れで顔も涙と鼻水でグチャグチャだった。
そんな様子の男に少女は意に介さずゆっくりと歩みを進める。
「うああああ・・・ばっ!!」
叫び声を上げようとした所に有無をいわさない少女の右ストレートが男の頬に直撃する。思ったより強かったのか、よろめいて壁に背が触れる。その感触に男がまたも絶望に染まる。
「じゃあね・・・」
嬉しそうに呟いた少女は男を殴り続けた。
辺りはすっかり暗くなり満月と星が輝いている。
スーパーの袋をぶら下げた男は重い足取りで帰路を歩く。 酷く頭痛がし、吐き気すら催す。
(何だったんだ・・・アレ・・・)
頭を押さえながらそんな事を思う。男はあの少女がやった事をこっそりと覗いていたのだ。あの凄惨さは一生のトラウマものだろう。何より自分が一目惚れした少女があそこまで化け物だとは思わなかった。男は一刻も早く先程の出来事を忘れようと重くて堪らない足を無理矢理早く動かした。
──────────コッ
死神の足音が聞こえた気がした。