2 旅の二日目①
朝靄が木立の間を漂っている。少しの肌寒さに微かに身震いし、ルナティシアはゆっくりと瞼を上げた。
視界に映るのは爆ぜる炎。その周りに幼い寝顔が四つ。視線を上げれば、火に薪をくべるシアンと目が合った。最後の火の番は彼だったのだろう。
「……おはようございます、シアン様」
「おはようございます、オークフェルのお嬢さん」
同じ年なのにお嬢さん扱いって……。
ルナティシアは微かに笑うとゆっくりと身を起こす。固い地面で眠りはしたが、強張っている箇所は無さそうだ。それに少しだけホッとしつつ、体に巻き付けていた薄布を畳み、カバンの中へ片付ける。
周囲を見渡し太陽の位置から時間を推察する。どうも、日が昇ってから一時間経ったくらいのようだ。
「洗浄・浄化」
水が貴重な旅路。近くに川等の水源となる場所がないのは昨日のうちに確認済みだ。その為、ルナティシアは自分に対し洗顔や汚れ等を洗い流す魔法を掛けた。令嬢として、女として、この手の事に手を抜く気はない。
立ち上がり、結界ギリギリまで寄ってから、少し乱れた髪を梳かし改めて結い直す。癖のないプラチナブロンドが頭の中央より少し上で纏まり微かに揺れる。
身嗜みをしっかり整え元の場所に戻ると、苦笑したシアンがルナティシアを出迎えた。
「お嬢さんも、若くても女ですね」
「当然ですわ」
何を言っているのと言外に滲ませながら、ルナティシアは荷物から食糧を取り出す。学院から一週間分渡されてはいるが、昨日の昼と夜に使って減っている為、六人分の朝食には足りない。
それを見ていたシアンは自分の荷物から食糧を取り出すとルナティシアに渡した。
「これで間に合いますか?」
「ええ、十分ですわ」
差し出された食糧をありがたく受け取り、ルナティシアは手短にあった石に形状変化の魔法を掛け調理器具を準備すると洗浄・浄化の魔法を掛け調理を開始する。
父の教育方針の為、ルナティシアは普通の貴族では習う事の無い料理や掃除、身支度等を身に付けており、一人で生活するに困らない程度の事は出来る。父も同じ学院を卒業している事から、こういったサバイバルの為に事前に身に付けさせていたのだろうとルナティシアは推測している。
ともあれ、身に付けたスキルは今大いに役立っており、匂いにつられて起き出してきた料理をした事もない男達を尻目に六人分の朝食を作り上げていく。
そして、あと一人起きれば良いというところで朝食が完成し、其々の前に配られた……が。
「「「「…………」」」」
食べ始める訳にもいかず、男四人が困ったように寝ている一人を見る。見る事しか出来ないのは、まだ寝ているのが六人の中で最も高位に存在する為、手が出せないからだ。
でも、放っておく訳にはいかない。今日中に村へ着く為にも、早目に朝食を済ませ、出発しなければならないのだ。
覚悟を決め、オグルが手を伸ばす。
「殿下。起きて下さい、殿下」
ゆさゆさと遠慮がちに揺すられるエリオットの体。そんな振動ものともせず、エリオットは夢の中。
「殿下」「エリオット様」「殿下」
シアン、ライト、ヴィンも遠慮がちに声を掛けるが、当人には全く届かない。
困ったと言わんばかりに再び顔を見合わせる四人の様子にルナティシアは軽く溜め息を零し、エリオットの背中側に寄り膝立ちすると、その体を遠慮せず揺さぶった。
「殿下。エリオット様、起きて下さいまし」
息を飲む四人にはお構いなしに声を掛けるが微動だにしない。
「……」
ルナティシアは無言で枕と化しているエリオットの荷物と背中に手を掛け、勢いよくエリオットの体を固い地面へ転がした。
「エリオット! いい加減に起きなさい!!」
淑女の仮面を脱ぎ捨て暴挙に及んだルナティシアに、成り行きを見守っていた四人は一瞬青褪めるが、ふと、ルナティシアの身分を思い出し「ああ」と納得する。
ルナティシアは公爵令嬢だ。しかも王族公爵の。父が現王弟である事から、男であったならば王位継承権すら持っていた可能性がある。
そんな血筋と年が近いという理由から、幼少期のルナティシアとエリオットは一緒に居る事が多かった。
共に勉学に励み、剣や魔法、礼儀作法を学んだ事から、幼馴染でありながら好敵手という立場の二人。成長し、あまり会えなくなった今でも、二人きりになればかなり気安い態度となる。
そんな訳で、ルナティシアはエリオットの寝起きが悪い事は百も承知。こんな起こし方も昔から当たり前で。
「……ルナ……」
「優しく声を掛けているうちに起きないエリオットが悪い」
「…………」
王太子であるエリオットの不機嫌極まりない声音も何のその。きっぱりすっぱり言い切ったルナティシアに反論出来る筈もなく。
エリオットは溜め息を飲み込み、がっくりと項垂れた。
* * *
朝食を済ませ、火の始末や片付けを終え宿泊地を発った六人は、採取地近くにある村を目指し少し急ぎ足で街道を進んでいた。
馬車が通れるよう整備されている街道は歩きやすく、王都へ続く道の一つの為、人の往来も結構ある事から魔物も出ない。道を行き来する馬車や荷車等にさえ気を付けていれば危険な事など全くない順調な旅路であった。
その為、まだ十二歳という若さもあり、お昼の済んだ午後。ついつい気が緩みがちになるのは仕方ないだろう。
「殿下とルナティシア様が幼馴染だという噂は本当だったのですね」
唐突なヴィンの言葉にオグルとライトが大きく頷く。
「お二人とも他人行儀な呼び方や話し方をなさっているから、本当にただの噂だと思っていました」
「まさかあんな起こし方出来る程親しいとは思わなかった」
笑いを堪えるライトを軽く睨み付けながらエリオットは小さく肩を竦めた。
「四、五年程前から王太子としての仕事をするようになり、ルナティシア嬢とはあまり会えなくなったからな」
同意を求めるようエリオットがルナティシアを見ると、彼女は軽く頷く。
「そうですわね……。わたくしもその頃から違う勉強をするようになりましたから……」
そう。丁度その頃からサバイバルな勉強が始まった為、エリオットと会ってお茶する事すら出来なくなり、最初は寂しく感じた。だが、社交等で同年代の女の子とお茶会等をするようになり、少しずつ寂しさは薄れていったのだ。その間、エリオットがどう感じていたか、ルナティシアは知らない。
思わずエリオットをジッと見詰めルナティシアは口元に手を添え考え込む。
問い掛けるような眼差しに、エリオットは口の端を上げて微かに笑う。それだけで何となく通じるものがあり、ルナティシアは顔を歪める。
僅かでも何かを読み取られてしまった事にエリオットは苦笑を浮かべ、ルナティシアの肩を軽くポンと叩くと足を速め先頭を歩き出した。
そんな行動に、幼馴染な従兄弟の不器用さを見て、ルナティシアはそっと溜め息を零す。
空は少しずつ暮れ始め、人通りが減り出した街道に六人分の影が長く伸びる。
急いだお蔭か夕日が沈み切るまでにはかなり余裕がある時間に、六人は目的の村の近くへ辿り着く。
村に着いたら宿を探さないと。そんな事を相談していた時。
村の方から警戒を告げる鐘の音が夕空に響き渡った。
次はちょっと戦闘ありの予定です。