6 熱
カトール編・14話の修行時です。
「大丈夫か? ミチカ」
「だいじょ、……っゴホッ!」
ベイルに問われた私は寝台に横になったまま、激しい咳をした。
頭はぼんやりとして熱いのに、身体はなぜか寒くて、足先は痺れるような感覚がある。上にかかっている毛布を引き寄せて、私は身体を小さくした。
寝台の脇を見上げると、困ったように佇むベイルと、椅子に座ったまま片膝に顎をのせ、興味なさそうに私を見るエミリオがいた。
「やっぱり昨日、訓練中に湖に落ちたのが悪かったか」
「あれくらい普通避けられるだろ。こいつがどんくさいだけだ」
「風邪っぽいんだが、俺は風邪ひいたことがないからどう看病したらいいのかよく分からん」
「僕もない」
駄目だこの人達。体中の悪寒は「これは駄目かもわからんね!」という意味だろうか。泣きそうである。
「水、と……ゴホッ、熱を下げるための、ゴホッ、氷枕をお願い、します」
何故看病されるほうが必死で指示をださないといけないのか、常人はいないのかと探そうとしたが誰もいなかった。もう駄目だ。目眩で身体を起こすことができない上に、話すのも精一杯である。
「じゃあ俺は氷枕を用意してくる。エミリオはミチカを見てやってくれ」
「……」
さっさとベイルが部屋を出ると、残されたエミリオは不満げに鼻を鳴らした。じろり、と私を睨む。
「ほんっと、お前弱っちいな」
「……」
彼の「強い」の基準はおそらくリパー・エンドである。基準値が高すぎる、と突っ込みたいが声が出ない。力尽きるように目を閉じた私に、再度エミリオの声が聞こえる。
「魔力も弱いし、武器も使えないし、体力もない。僕のほうがよっぽど強いのに」
いつものように主を罵倒した私の死霊は吐き捨てた。
「なのに、何で僕じゃなくてお前なんだよ」
「……?」
うっすらと目を開けた私に、エミリオは刺すような視線を向けると、ふんと顔を逸らした。
沈黙が続く室内は、私の咳き込む音だけが響いていた。
しばらくして、ガタンと音を鳴らして不満げな表情のままエミリオは椅子から立ち上がった。
「持って来たぞ……おっと」
「僕はもう行く」
用意をしてきたベイルとすれ違うようにして、エミリオはさっさと部屋から出て行った。恐らく「見ててやってくれ」とベイルに言われた通りに、見てくれていたのだろう。見ているというよりどちらかというと睨まれていただけな気がするが。
「看病ってあとは何だ? 熱を下げればいいんだよな? 水風呂持ってこようか」
「待って、くださ、い。ベイルさん」
弱々しく私は彼を制止するために手をあげた。この状態で水風呂に突っ込まれたらまさしく死ぬ。物理的な熱の下げ方は勘弁して欲しい。
「このまま、ゆっくり休ませてくれれば……ゴホッ、大丈夫です。あと……」
力一杯突っ込む気力もないが、これだけは言わねばなるまい。
「氷枕は……氷をそのまま使うんじゃ……ないんです……!」
ベイルが左肩に抱えている剥き出しの大きな氷を、枕として頭の下に置かれる前に、どうにか制止した私はそのままぱたりと手を下ろした。
* * * * * * * * * *
翌日、翌々日とミチカの病状は悪化していった。熱は上がり、時々起き上がって食事をとる以外、彼女は昏々と眠り続けている。
ぱたんと扉を閉めて外に出ると、ベイルはどうしたものかと頭をかいた。振り仰いで、山小屋の屋根の上に向かって声をかける。
「エミリオ、言伝を頼めるか?」
「どこに?」
ベイルの言葉に、屋根に座っていたエミリオは眉を上げて返事をした。ミチカに対しては感情を剥き出しにするエミリオではあったが、ベイルには普通の対応である。ベイルはエミリオにとって「どうでもいい存在」であるがゆえに、逆らったり従順であったりする必要はないのだ。
「カトールとここの真ん中くらいに神殿があるんだが、そこに俺の知り合いの神聖術士がいる。ミチカの熱も下がんねぇし、ちょっと呼んできてほしいんだが」
「……」
ベイルの差し出した手紙を、エミリオは複雑な表情で見下ろした。ミチカの為に働くのは嫌だ。しかし、彼女が死ねば自分も消える。そんなことになってしまったら「あの方」はがっかりするだろう。そうはさせたくない。けれどミチカの為に働くのは。
眉間に皺をよせて、ぐるぐると考えを巡らすエミリオを、ベイルは苦笑して促した。
「嫌ならミチカの看病するか?」
「いや、行ってくる」
すぱっと断った。そっちは明確に嫌だった。二人きりで弱ったミチカの看病など、ひねれば折れそうな首を、折ってやりたくなるくらいにはお断りである。
「じゃあ、よろしくな。あ、そういやお前死霊だろ? 神殿にいっても大丈夫なのか?」
人間と死霊は、魔力を読み取れるものであれば簡単に見分けられる。中でも神聖術士は死霊を痕跡すら残さず消し去ってしまえるものであり、死霊にとっては脅威とも言えるものだ。もちろん神聖術士が理由なく死霊を消すことはないが、かつてリパー・エンドの従者であったというエミリオの顔を知っているものがいたら、危険であることは確かだ。
誰に対して言っているのか、と少年は思った。仮にベイルの知り合いとやらが彼に攻撃をしでかしたとしても。
「僕に手をだすような無能な神聖術士なら、あんたの知り合いでもぶち殺してくるけどいいのか?」
少年の言葉を気にした様子もなく、ベイルはあっさり頷いた。
「じゃあ大丈夫だな。早めに帰ってこいよ」
「……」
少年はふん、と鼻をならして滑るように屋根から下りると、ベイルに渡された手紙を手にして足音も立てずに走り去った。
彼の後ろ姿が見えなくなって、ベイルは独りごちる。
「風邪、にしては何か、な」
どんどん病状が悪化している気がする。熱を出した初日は風邪の症状や看病の仕方を説明出来るだけの気力があったが、今日はずっと彼女は眠り続けている。
かといって何らかの病気であると断言もできない。何故なら、ベイルは今まで風邪も病気もしたことがないので、全く分からないのだ。
彼は再度がしがしと頭をかいた。
「……普通の弟子なら放っておくんだがなぁ」
彼の弟子は基本的に体力に優れているため、風邪を引いても普通に訓練に参加する。
「これくらい水風呂につかればすぐ熱も引くんすよ、ベイル師匠!」と言ってた弟子達なのだ。看病のかの字も必要ない。
しかしミチカは違う。あれはもやしだ。引っこ抜いて水風呂に突っ込んだらそのまま萎れてしまうもやしっ子だ。
彼女の言うように食事と水を用意して、風邪に効くという薬を煎じて飲ませはしたが、一向に良くならない。
「どうしたもんかな」
とりあえず神聖術士の治療を受けて、それでも駄目ならば見つかる危険性はあるが医者に連れて行くしかあるまい。そう結論付けて彼は山小屋を離れた。
空に光る月が、一瞬だけ黒いもので陰ったのを、気付いたものはいなかった。
* * * * * * * * * *
私はぼんやりと目を覚ました。汗で濡れた額に張り付いた髪を、すこし冷えた手がかきあげたのだ。
「ベイル、さん?」
声を出したつもりなのだが、その誰かの返事はない。届かなかったのだろうか。しかし目を開く気力も沸かないくらい気怠い。
風邪にしては症状は重く、体中がぴしぴしと痛い。なんでだろう。
思い返すと、四日前。
一人きりで追いかけられたときに、身を隠す場所を探すという訓練中で、私は湖の近くの木の上に隠れたのだ。
「木の上だと逃げ場に困るだろ、遠距離攻撃も防ぎにくいし」
と、追いかける役のベイルは、近くの木になっていた果物をむしると、下から私にぶん投げたのである。剛速球だった。見事に頭に当たって、そのまま湖に落ちたのだ。柔らかな果物であの威力だ。あれが石だったら死ぬと思う。
急に水に落ちたせいでか足はつって痛いし、水草があって泳ぎづらいし、エミリオは見てるだけで助けてくれないし。いつもながら死ぬ思いである。私がこんな目にあうのも全部が全部。
「リパー・エンドの、せいだ……」
殺したくなったとかいってあっさり裏切るような酷い死霊である。奴のせいで今私は苦しんでいるに違いない。
「……僕はあんまり関係なくない?」
不満げな声が聞こえるが、知ったことか。全部奴が悪い。
額の髪をかき上げた手が離れると、こつりと何かが額に当たった。ふわりと空気が揺れる感覚がして。
「……あ」
間の抜けた声が耳元で聞こえた。
その声の主は苦笑するように言った。
「うーん。駄目っぽいね。主従関係結んでないせいか、魔力の移譲ができないみたい」
頬に触れるほど近くで、囁く声が笑う。
どこかで聞いたような、どこか落ち着くような……瞬間的にイラッとするような声であった。誰だろう。ベイルさん、ではないし。エミリオの訳がないし。
「どうしようか、ミチカ。このまま死ぬならとどめをさしてもいいんだけど……そんなんじゃ、つまんないんだよね」
残念そうに彼は言う。さりげなく何か酷いことを言われている気がしてならない。良く分からないけど死ねばいいのに。
そんなことを心の中で思いつつ、私は再度眠りについた。
いつものように彼は、私が寝たらどこか部屋の外で暗殺者やら彼や私を狙って来た人やらと、彼曰く「遊んでくる」のだろう。あれ、いつものようにってなんだっけ。
よくわからないけど、しねばいいのに。
声なく呟いた私に、くくっと笑う声と「お休み、ミチカ」といういつもの声が耳に届いた。
* * * * * * * * * *
ベイルは畑の近くの柵によりかかり、ぼんやりと月を見ていた。
おそらくエミリオの足の速度からいって、行って戻ってくるまでに一日はかからないだろう。本気を出せば半日で行けるだろうが、ミチカ相手に本気は出さなそうである。
少年が本気を出すのは、おそらく。
「あのさぁ、ベイル」
「……」
一瞬ぽかんと口をあけて、ベイルは目を瞬かせた。
ありえない声が聞こえた気がして、振り返るといつの間にか傍に立っている青年がいた。以前と変わらぬ笑みを浮かべて、まるで今も彼女の死霊であるかのように。
「……お前なぁ。一応ここ、敵陣だろ?」
呆れたように言うベイルに、黒衣の青年は首を傾げる。
「それはともかくさ、これなんだけど」
「ともかくってお前なぁ……」
あっさりと彼の言葉を流して、手に持ったものを見せる。ぽいと差し出されたそれをベイルが手にとると、萎れた水草があった。
「それさ、毒持ちなんだよね」
「……」
一瞬手を離しそうになったが、ベイルはその水草をじっくりと調べてみた。葉の後ろに棘のようなものがいくつもついている。
「頑丈なベイルとか、毒に慣れているエミリオとかには効かないだろうけど、ミチカだと結構まずいんじゃないかなぁ」
あくまでも他人事のように彼は言う。なるほど風邪にしては様子がおかしいわけだ、とベイルは頷いた。
「解毒は、あるのか?」
「僕は知らないけど、エミリオならたぶん分かると思うよ?」
毒殺は興味ないから覚えなかったんだよね、とからから笑う青年に、呆れ顔のベイルは言った。結局の所そのためにわざわざここに来たんだとしたら、この青年は。
「……ミチカを殺したいんじゃないのか?」
不思議そうに青年はベイルを見返した。
「僕が殺したいんであって、ただ死んで欲しいわけじゃないんだよ?」
矛盾している、と思う反面、納得している自分もいた。彼にとって彼女はこんなつまらないことで死んでほしいと思うほど、「どうでもいい存在」ではないのだ。
エミリオにとって彼が特別な存在であるのと同じように。
やれやれ、とベイルは肩をすくめた。
「最近よく、お前のことが新聞に載ってるぜ」
「そう? 興味無いから見てないや」
「カトールで上位陣が結構死んだらしいな。お前の仕業だろ?」
「そうだけど?」
悪びれもせずに言う青年である。彼にとって従うべきは、良心でも主でもなく、彼自身の欲望のみだ。
「フィリップの番犬は、楽しいか?」
揶揄するようなベイルの言葉に、面白そうに青年の唇の端が上がる。挑発ともとれるそれを、気にした素振りもなく青年は言う。
「暇なんだよね」
「?」
とん、と青年は柵の上に足を置いた。柵の上に立った彼の後ろに月があり、逆光で見えないがきっと彼の顔はいつものように笑っているだろう。
「全部、暇つぶしなんだよ。ミチカが来るまでのさ」
その言葉と共に、闇にとけるように彼は消えた。
残されたのは水草と、その日を待ちわびる彼の言葉だけだった。
「……」
再度やれやれと肩をすくめて、ベイルは水草を手に山小屋へと向かった。エミリオが来たらすぐに解毒剤の用意にとりかかろう。彼女はまだ死なないだろう。それを切望する存在がいるのだから。
「……面倒くさい奴に好かれたもんだな」
このまま楽にしてやったほうがいいんじゃないかと思わなくもないが、きっとミチカも、あの殺人鬼もそれは望まないだろう。
「……あとエミリオには黙っておこう」
彼をさしおいて自分があの殺人鬼に会ったことを知ったら、少年は全力でむくれるだろう事は想像に難くなかった。
* * * * * * * * * *
熱が下がって数日後。
水草の毒にやられてしまったらしいとベイルから聞いて私は驚いた。
「あの湖、そんな草が生えているんですか!」
「らしいな。俺も弟子も、夏冬問わずあの湖に入って熱の一つも出したことないけどな」
「いやいや、その人達と一緒にしないでください」
彼の屈強な弟子達はいずれも鍛え上げた肉体をしていた。彼らと肉弾戦をしろと言われたら、一秒で沈む自信がある。きっと彼らも風邪をひいたこともないに違いない。
それにしても、と私は首を傾げた。
「エミリオが解毒剤を作ってくれたなんて、めずらしいですね」
「お前が死んだらつまらないと、あいつが言うと思うぜって言ったら、渋々作ってたよ」
「……」
あいつ、という言葉に盛大に顔をしかめて、私は寝台に身を横たえた。
一瞬脳裏に何かがよぎった気がしたが、霞のように消えていった。
熱は下がったがまだ体中が痛いのである。ベイルさんの知り合いの神聖術士によれば、毒にやられた原因の一つとして、魔力不足による体力低下が指摘された。
限界まで奪われていますからね! とエミリオを見ると「うるさい無能。これでも控えめだ」と一蹴された。死ねばいいのに。死んでるけど。
まぁ体力の増強とともに、多少魔力も底上げされますからと言われて、ベイルほどの筋肉は欲しくないが、また頑張ろうと思い直したものである。
「じゃあ、そろそろ寝直します。そういえば、ベイルさん、私が寝込んでいるときに部屋に入ったのってベイルさんですよね?」
「ん? まぁ、エミリオは看病しねぇからな。俺くらいしか……あ」
「?」
私が寝台から見上げると、何かに気付いたように口を開けた彼は、苦笑して首を振った。
「まあ、主に俺だろ。多分な」
人口3人の場所でエミリオではないならベイルさんしかいないだろうに、と思いながら看病への礼を述べて私は目を閉じた。
「お休みなさい、ベイルさん」
「ああ、お休み、ミチカ」
――お休み、ミチカ。
いつもと違うその声に感じた違和感は、眠気と共に闇の中に消えてしまい、その後思い出すこともなかったのであった。