2 門士ベイル・デイタ
初めて会った時に、少し驚いた。
この娘が、噂の殺人鬼を蘇らせたのか。
小柄で幼い顔立ちをした娘は、吹けば飛ぶ木の葉のようであった。殺人鬼に振り回される哀れな存在だと思った。
道端で時々見かける力のない捨てられた子猫のように、憐憫を引き起こすだけの。
そんな彼女がリパー・エンドを殺すために体術を教えて下さいと言ったときには、無理だと一瞬で思った。
重ねて思った。俺でも多分こいつは無理だ、と。
* * * * * * * * * *
「じゃあベイルさん、水汲みと餌やりいってきます!」
体力をつけるため、と朝の馬の世話を手伝っているミチカは、大声で宣言して出て行った。
その後をひょいと付いていく殺人鬼。見た目だけは平凡な彼はちらりとこちらに視線を向けて行った。
その視線は、冷ややかでも殺気あふれてもいなかった。だからこそ恐ろしい。
あれは俺という枠を外から冷静に観察するような、人ではないものの視線だった。
「……イカレてんな」
そんな彼をあの娘が、殺せると思えるはずがなかった。
何よりも簡単な方法がある。
リパー・エンドは死霊であり、彼を蘇らせたのはミチカだ。
ならばミチカを殺せばリパー・エンドは肉塊に変わる。
それはとても簡単で、いつでも出来そうなことにみえた。
誰もいなくなった室内で考え込む俺に、軽く話しかける声が聞こえた。
「ミチカはさ、学園に慕っている教官がいたんだよね」
いつの間にかリパー・エンドが戻ってきていた。
にこにこと笑顔で話す彼に、俺は思わず眉根を寄せた。何が言いたい。
「そいつはミチカを殺そうとしていたから僕がそいつを殺したら、ミチカがご飯食べなくなっちゃってさ」
やれやれと殺人鬼は肩をすくめるが、原因は多分お前の方だ。
「だから僕は、出来れば今度は殺したくないんだよね。ミチカを宥めるの面倒くさいし」
彼の視線は、とても穏やかで優しく見えるが、俺という人間を目の前にしても、愛らしい子猫を目の前にしても、
壊れた玩具や無機物を目の前にしたとしてもきっと変わらない。そんな気がした。
「……お前が大人しくすれば、人を殺さないでいればいいんじゃないか?」
俺の言葉に彼は首を傾げた。
「君に息をするなって言うようなものだよ? それ」
ああ、本当にイカレてる。
苦々しく思う俺に、彼はふふっ、と笑みを漏らした。
「だから、ミチカのことよろしくね?」
* * * * * * * * * *
「終わりました、ベイルさん!」
戻ってきたミチカは、空になった水桶を俺に差し出した。
先日からミチカの傍を離れなかったリパー・エンドがいない。
思わず左右を見回すが、ミチカはそれに気付いたように言った。
「あ、リパー・エンドですか? あいつはあっち行けって言ったらどっかいきました」
「……」
絶句した。気付いているのかいないのか、リパー・エンドはミチカを守っている。
それは恐らく彼がミチカを殺された場合に消えてしまうからと言う利己的な部分が多分を占めているのだろうが、
それでも彼女を守る盾などもうあれしかいないというのに。
「次は何をすればいいですか?」
見上げるミチカの首筋に、俺は手を当てた。細い、俺の手首よりも細く弱々しい首だ。
ほんの一瞬力を入れれば恐らく簡単に折れる。
リパー・エンドを殺したければ、彼女の首を折るのが一番手っ取り早い。
奴がどこに隠れていようとも、どれだけ鋭いナイフを投げようとも俺が一瞬手に力を込める方が確実に早いはずだ。
「ベイルさん?」
ミチカはぱちくりと俺を見上げていた。
「……」
ふう、とため息をつくと俺はミチカの首から手を離した。
「……髪の毛が長いと邪魔になるだろ。縛ってから馬房の掃除の仕方を教える」
「あ、はい! すみません!」
慌ててミチカは髪の毛をまとめだした。どこからか忍び笑いのような声が聞こえる。
やれやれという気持ちである。
あいにくなことに俺は力のない捨てられた子猫に弱い。馬小屋のそこかしこに、何匹も拾った犬猫がいるように。
手っ取り早くても猫の首を折るような真似は出来そうにない。
彼女を殺そうとした、という教官も大きな葛藤があったのだろうな、と何となく思った。
「出来ましたベイルさん!」
そう言って髪をまとめて俺を見上げるミチカを見て、俺は再度ため息をついた。
弱そうな首がむきだしで、逆に心配になる。
猫に人ならざる化け物のようなものが殺せるだろうか。答えなど分かってはいたけれども。
「……せめて男なら一息に折ったんだがな」
「??」
俺の言葉にミチカは、何を言っているんだろうと首を傾げていた。