今日の事、僕はずっと忘れないだろう
◆2024年7月20日 10:00◆
桔梗は約束の15分前に、駅前の改札口で待っていた。
約束の10時丁度、向こう側から千早が近づいてくる。
桔梗の姿を見つけると、足早に近づいてきた。
「ごめん! 待った?」
「いや、さっき来たばかりだから」
軽く交わすとプラン通り、商業施設の方へ歩きはじめる。
天気は快晴、桔梗は少し緊張しながらも落ち着いていた。
街は人でにぎわい、いつも通りに時間は進む。
◆同日 10:30◆
映画館も入っている複合施設は、人で混み合っていた。
土曜日ということもあるのだろうか。
桔梗はプランの通り、当りを付けた店に入る。
雑貨を扱ったお店で、店内も相応の装飾が目を引く。
「これ可愛くない?」
ふと手に取ったペンは、使い心地もデザインもいい。
「うん!」
千早も同じ様で、同じ色のペンを2つ手に取るとレジに向かう。
「少し待っていて」
個別に包装をしてもらい、会計を済ませると千早の所に戻る。
「これ、あげる」
クラフトの包装紙にちょこんとリボンが付いている。
「本当に……ありがとう、大切に使うね!」
千早はペンを鞄にしまうと、雑貨屋を出て歩きはじめる。
その横を桔梗も並んで歩く。
「 (本当は……こうしてずっと……) 」
そう思っていると千早が楽しそうに先の方へ駆けていく。
こんな時間がずっと続けばいいのに――そう、思っていた。
◆同日 11:54◆
そろそろお昼にしようと、フードコートに続く廊下を歩いていた。
その時、桔梗は今までに感じた事のない耳鳴りを感じた。
「 (何だ……この感じ。ものすごく……嫌な予感がする) 」
これまで感じた事のない強烈な不快感。
しかし、横に居る千早はきょとんとしている。
「 (千早はどうもないのか……) 」
気を取り直し、手近のお店で昼食をとる事にした。
ベーグルの美味しいお店と昨日のメモ用紙には書いてあり、
その評判に違わない味をしていた。
「これ――おいしいね!」
千早もどうやら満足してくれたようだ。
良かったと、胸をなで下ろそうとした時、またあの耳鳴りがする。
先程よりも強く、迫りくる緊張を告げている。
「桔梗……大丈夫?」
返事をしようとすると、それを携帯の音が遮った。
携帯から鳴る音は着信音でもメールの受信音でもない。
不安や不快感を加速させるあの音だ。
「千早、テーブルの下に潜れ!」
そう言った瞬間に、目の前が大きく震えはじめる。
周りからは叫び声や怒鳴り声が聞こえる。
かなり大きな揺れで、桔梗も経験したことのないレベルだ。
机の上にあったコップが床に落ちて行き、破片が千早の方に飛ぶ。
「千早あぶない!」
そう言って抱き寄せ、破片が千早に当たらないようにする。
暫くそのままでいると、揺れは収まり身動きが取れるようになった。
周りを見渡すと、数名を除いてほとんど外に出てしまったようだ。
「桔梗……もう大丈夫」
顔をほんのり紅くしている千早を見て、抱き寄せたままと気づいた。
「ごめん!」
直ぐに離れると、お互いにどこか気まずい空気が流れる。
しかし、そう言ってはいられない事態になっている。
携帯に入っている緊急地震速報のメールを確認すると、
かなり大きな地震だったようで、震度7の文字が並んでいる。
「取りあえず、外に出ようか」
「そうだね……」
2人はフードコートから、手近の避難図の通り出口へと向かった。
◆同日 15:15◆
デパートを避難してから、2人は相談して家に向かう事にした。
道路があちこち陥没しているので、思いのほか時間が掛かる。
自宅へ続く道に進もうとすると警察官に道を塞がれた。
「この先は、液状化と地盤沈下が進んでいるので通れませんよ!」
「でも、この先に家があるんです!」
千早が少し感情的になっているのは、家族の安否がわからないからか。
「この先の避難は完了していると報告を受けています。
ですので、中央公園の方に避難して下さい!」
千早の手を取って、指示された通りに公園の方へ避難を始める。
「散々な土曜日になったね……」
「あぁ、忘れられそうにないよ」
障害物を避けつつ、ゆっくりとした足取りで公園を目指す。
ふと千早を見ると、どこか疲れたように見えた。
手近に小さな公園を見つけると、千早を連れてベンチに座る。
「一回休憩しよう。もう少し掛かりそうだし」
そう言うと、鞄からお茶を取り出し千早に差し出す。
「ありがとう。……ふぅ」
一息つくと、緊張が少し緩んだのか自然と笑顔が出ている。
そんな時間も束の間、また余震が地面を大きく揺らす。
最初の地震から、数時間経っても断続的な余震が続いている。
公園の地面を見ると、奥の方で液状化が始まっていた。
「ここもか……そろそろ行こうか」
千早の手を取り、避難所の方へ再び歩きはじめる。
「そう言えば、ここ数時間人をほとんど見ないね」
確かに、千早の言うとおり、人影をほとんど見ない。
少し気になったが、桔梗はあまり気に留めなかった。
◆同日 17:30◆
かなりの時間を要して、目的地の中央公園に到着した。
しかし、中央公園には人影が見られなかった。
「どうして誰も居ないのかな……」
「確かに……」
桔梗はここで少し考えることにした。
「 (地震発生から数時間。その割に避難が早すぎないか……) 」
公園の中を少し歩くと、避難所らしきものを見つけた。
誰も居ない避難所に、1枚の張り紙があった。
【中央公園避難所は閉鎖しました。避難者は桜タワーへ】
張り紙の近くには、携帯ラジオが置かれ、音声が流れている。
『本日発生した地震により大きな被害が発生しております。
避難命令が発せられ、住民の9割以上の避難が完了しました。
まだ避難していない方は、桜タワーに向かって下さ……」
そこで電池が無くなったのか、音が出なくなってしまった。
距離を歩いたので、千早の提案で少し休息を取ることにした。
幸い、食料があったので軽くお腹を満たしておく。
お互いに疲弊していたが、まだ何とか頑張る事ができた。
それは、千早が一緒じゃなければきっとできなかっただろう。
1時間ほど休むと、懐中電灯などを手に桜タワーへ向かう事にした。
明るかった街が暮れはじめ、暗がりに消える。
街に人影は見えず、2人だけが迷い込んでしまったようだった。
◆同日 20:45◆
街の損傷も激しく、ちゃんと歩ける道を探すのが大変になってきた。
何とか歩いてたどり着いた桜タワーは、元の姿を保っていない。
入口の自動ドアはひしゃげ、周りにはガラスが散乱している。
懐中電灯を頼りに、最上階へ続く階段を上っていく。
「千早大丈夫か?」
そう言って手を差し出すと、桔梗の手を握り返してくる。
「まだ大丈夫……ありがとう」
強がってはいるが、お互いに限界は目の前に近づいていた。
最上階に着くと、扉はすでになく屋上に続いていた。
ほとんど損傷していない屋上には、数人の人が居た。
「あれ……桔梗と千早じゃないか!」
そこに居たのは恩と若桜だった。
「お前たちも避難しそこねたのか?」
桔梗が聞くと苦笑いしながら頷く。
これまでの情報を共有し、やっと肩の力が抜ける。
ふと集まっている所を離れ、屋上の柵に近い部分から街を見下ろす。
あちこちから煙が上がり、建物の倒壊も激しいように見える。
「朝まであんなに平和だったのに……」
桔梗は冷たいコンクリートの床に座り込み空を見上げる。
ここに連れて来られる前に見た様な、綺麗な星が空を彩っている。
「桔梗、空を見上げてどうしたの?」
気付くと横に千早が居た。
「千早、あの星わかる?」
そう言って指差したのは、一際輝きを放っている星だった。
「あれが、千早の生まれた星だって」
「本当に?」
「うん、そう聞いた」
「誰に聞いたの?」
そう問いかける千早に、桔梗は決心を決めた。
「千早……俺、お前に行ってない事がある」
「えっ! なに……」
桔梗は、自分の置かれている立場を話しておこうと思った。
この場所に居れば、千早が死ぬこともないと感じたのも一因か。
「実は――」
千早に自分がこの世界の人間ではない事、千早が死ぬ運命にあった事。
自分の知っている事を素直に話した。
これまで自分が言えなかったことも含めて全部だ。
黙って聞いていた千早は、ふと手を強く握りしめてきた。
「私も桔梗の事……好き」
思いがけず告白され、桔梗は少し動揺してしまった。
しかし、気付くと自分の目から涙が零れている。
「 (そうか……俺はこの一言が聞きたくて……) 」
口を開こうとしたその瞬間、これまでで1番大きい余震が襲った。
立とうとしていた千早がバランスを崩し、柵の方に体が向かう。
「千早!!」
ここからは無我夢中だった。
千早が柵から落ちる寸前に手が間に合い、千早を自分の立っていた方に。
そして、自分は千早と入れ替わりに柵の向こう側へ。
「桔梗!」
上から千早の叫ぶ声が聞こえるが、徐々にそれも遠のいていく。
周りの景色がスローモーションで流れている。
地面に着く寸前に桔梗は思った。
「 (千早を好きになって本当に――) 」
その刹那、背中に強い衝撃を感じる。
一瞬息が止まりそうになり、間髪入れず激痛が背中を襲う。
薄れ行く意識の中で、桔梗はつぶやいた。
「良かった……」