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3話:お話の後にお兄さんが爆弾発言しました。


あのわんこの目が忘れられずにまたしてもその場所に足を運んだ時は秋も終わりのひんやりとした日だった。


「あれ…」


なんと扉の前にはあの日の黒猫がじい、と立ちつくしていたのだ。首にはピンクの首輪が映えている。じい、と扉を見つめている様子から、どうやら中に入りたい様だったのでそっと戸を押してやった。隙間が出来ると黒猫はスルリとその隙間に入り込んで行った。

続けて中に入ると、キッチンカウンターで桜井さんが丁度作業中だった。彼がこちらを見上げると作業を止め、案の定瞳をキラキラと輝かせてこちらへ近づいてきた。瞳! 瞳が超ワンコ! 


「沙織! 来てくれたんですね、…おっとアーテルも一緒か、やっと戻りましたねお姫様」


ちらりと視線を向けて猫に気が付くとそこに静かにしていた黒猫に優しく呼びかけた。


「アーテル?」


聞き慣れない単語を問いかけると、桜井さんはああ、と朗らかに笑って猫を目で指しながら、この子の事です、と言った。黒猫が小さくにゃあ、と一つ鳴く。


「この子の名前です。アーテル。アーテルはラテン語で黒、という意味」

「ああ…」


納得した私を見て、桜井さんは前回来た時と同じ席へ私を案内し、そして注文を聞いてきたので私は前来た時と同じコーヒーを注文した。それを聞いた途端、桜井さんはまたも瞳をキラキラと輝かせて頷いた。ええ…? なんでそんな嬉しそうなんだろうか。


「アーテルはお店の猫なんですか?」

「うーん…いつの間にか居ついちゃった感じですかね。でも大人しいし人懐っこいし、かわいいでしょ? アーテルって名前も僕が付けたんですよー」

「へ、へえ…」


言葉尻にハートマークが飛び交っている気がするが、まあ気にしないでおこう…。アーテルと言えばそのままスタスタと奥の方に続く通路に消えてしまった。桜井さんはそれをちら、と一瞥して、また作業に戻った。恐らくはいつもの光景なのだろう。

キッチンカウンターに目をやると、桜井さんはトレイを抱えてこちらにやって来て、テーブルにコーヒーとクッキーのお皿を置いて微笑んだ。視線で疑問を投げかけるとクッキーはサービス、と言うことらしかった。


「僕の手作り」


そう言ってお皿をずい、と押しやる。されるがままクッキーを一つ摘み、口に運ぶと程良い食感と甘さが口中に広がり、次にコーヒーを飲むと苦みと奥の方に残る酸味が綺麗に合わさってとてもおいしかった。


「おいしいよ、桜井さん」


そう言って微笑みと共に視線を返すと、桜井さんは白い頬をうっすらと染め上げ、目を細めて嬉しそうに微笑むのだった。心臓に悪いよ! 何でそんな嬉しそうに見つめてくるの! 桜井さんイケメンだしいちいちそう微笑まれるとホント心臓に悪いよ! 赤くなった顔を隠す為に俯き加減でいると、桜井さんはふと思いついた様に話し出した。


「このお店、小夜鳴鳥さよなきどりっていうんですけどね。何でだか分かります?」


私はコーヒーをすすりながら右上を見上げてしばらく考える。しかし分からないので小さくいいえ、と呟いた。桜井さんはニコニコしながら向かい側で頬づえをついてそれはね、と話し出した。


「アンデルセンって知ってるでしょ? あの人の書いた童話の名前でもあるんですよ」

「アンデルセンって…みにくいあひるの子、とかの?」

「そうそう。沙織は知ってますか」


ううん、知らないと答えると桜井さんはそうでしょうねえ、と残念そうに眉を下げて言った。うう、正直に答えただけなのにすごく悪い事をしている気分になる…。それでも桜井さんは良いんですよ、と楽しそうに笑って言った。


「…小夜鳴鳥…ナイチンゲールですね。実はコレ、中国を舞台にしたお話なんです」

「へえ…アンデルセンってそういうお話もあったんですね」


私がそう言うと、桜井さんはそうでしょ、と微笑んだ。


「昔々。良い暮らしをしていた皇帝が、ある時旅人から聞いた小夜鳴鳥の鳴き声の美しさを絶賛した事から、皇帝は使用人に小夜鳴鳥を探させます。ついに小夜鳴鳥を見つけた使用人は鳥に宮中に来て皇帝の前で鳴いて下さい、とお願いするんです。

小夜鳴鳥は言います。『皇帝のお招きとあれば、是非とも参じましょう』。そして皇帝の前でその鳴き声を披露した所、皇帝はいたく感激し、涙を一つ流されました。

それから小夜鳴鳥はしばらく宮中に留まりますが、ある時日本から細工物の小夜鳴鳥が送られてきました。その細工物の小夜鳴鳥は大変美しく、そして大変良い声で鳴きました。何よりそれは同じ旋律を常に同じ音で奏でる事が出来ました。

疲れ知らずのそれに、皆は一様に驚き、そしてほめたたえました。いつしか小夜鳴鳥は忘れ去られていきました。小夜鳴鳥は誰にも悟られずにいつの間にか宮中から姿を消したのでした」

「何だか…悲しいですね。同じ旋律を奏でるのが美しいとは限らないのに」

「そうですね。でもこの話には続きがあります。それから五年が経ち、皇帝は病に伏せてしまったのです。皆が皇帝はもう御隠れになってしまった…と勘違いしてしまうほどの病でした。

なぜならば、皇帝は死神に魅入られていたからです。眠る彼の上には皇帝の王冠を冠り、剣を抱えて死神が彼をじい、と見つめていました。。死を目の前にした皇帝が叫びます。

『もう一度、もう一度あの細工の小夜鳴鳥のネジを回しておくれ』。実はあれから細工物の小夜鳴鳥は壊れてしまい、皇帝が国中に当たらせて修理をしたのですがもう元の様にはならないと言われていて、年に一度しか回す事を許されなくなっていたのでした。

しかし細工物のネジを回してくれる使用人は彼の傍には居りません。何故なら、彼はもうお隠れになったと思われていた為、皆新しい皇帝に一心になっていたからです。

悲しいかな、王は今まで己がしてきた良い行いや、その逆の悪い行いまでを囁かれ、息をするのも苦しいままにひたすら鳥よ鳴いておくれ、と言い続けました。

その時です。窓辺にあの小夜鳴鳥が止まり、それは美しい声で鳴きはじめました。小鳥が鳴くたびに死神の姿は徐々に薄れて消えて行きました。皇帝は死の淵から生還したのです。

こうして皇帝は小鳥に命を救われたのでした」


長い話が終わると、桜井さんはおしまい、と締めくくって両手の掌をぱっと私の前で見せて笑った。


「いかがでしたか? 小鳥は皇帝の一粒の涙に感動し、そのお礼として彼の死を救ったのです。小鳥にとって彼の涙は宝石にも等しいものだったのですよ」

「うん…良いお話でしたけど、一概にそんな感想でまとめられない気もします」

「というと?」


不思議そうに首を傾げた桜井さんがきょとんとしてこちらを見つめる。うっ…カワイイ。カップを両手で包み込んだまま私は自分の頭の中に浮かんだ感想を口にした。


「…人の欲の深さ、醜さ。人は変われると言う事…うーん良く分かんない。でもこのお話は何だかんだで小夜鳴鳥…ナイチンゲールが主役なんですね。そう思います」

「…そうですね」


その言葉で締めくくった桜井さんはコーヒーをもう一杯どうぞ、といってポットを見せて勧めてくれたので甘えてカップを差し出した。コーヒーがカップにトクトクと注がれる音が室内に静かに響く。


「もうこの際だからナイチンゲールって言っちゃいますけどね、この鳥はシェイクスピアの作品で登場人物が言うセリフにもあったりするんです。でも」


ちょん、と人差し指を私のおでこにつけて、それはそれは綺麗な顔が近くで優美に微笑んだ。


「今は、教えてあげません」


僕だけの楽しみに取っておくんです。うっすらと持ちあがった口角がまるで夜空に浮かぶ細い月を思い起こす位に妖艶だった。うわあ…。しばらく言葉を失った私を見つめながらしなやかな動きで手が伸び、カップを抱えていた私の手をそっと包むと、桜井さんは優しい口調で私を呼んだ。


「ねえ、沙織」


呼ばれて不意に顔を上げたら、桜井さんの綺麗な顔が視界に映った。その微笑みはやっぱり優しくて、私をふわりと癒してくれる。しかし私も学ばない子だった。癒し笑顔の次には、とんだ爆弾が待ち構えていると言う事を。



「僕と恋人ごっこ、しません?」



桜井さんは変わらぬ微笑みのままさらりとそう言った。



「……はい?」




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