18話:小さなお菓子と薄暗い部屋のキャンドルと。
少しの間来ていなかっただけなのに、店内は酷く懐かしい感じがした。灯りは間接照明が少なめについていて、薄暗い中一つだけ、テーブルの上に小さなキャンドルが柔らかい光を放っていた。微笑む結城さんに促されてそのままイスに腰を降ろすと、彼は静かに離れてキッチンに向かって行った。それを見送って再びテーブルの上のキャンドルをぼんやりと見つめ、外を見た。外は先程から降り始めてきた雪がはらはらと舞い降りている。冷たくなった指先を蝋燭の小さな温もりにかざして温めながら、キッチンに立つ結城さんに視線を向ける。
髪を降ろしたままいつものエプロンを付けて作業をしている結城さんは、髪の毛がその顔に陰影を作っていて余計にかっこよく見える。瞳は真剣に作業に向いていて、変わらないその眼差しに何だか安心もした。それから少しして彼はトレイに色々乗せ、それを抱えながらこちらに戻ってきた。
「お待たせしました」
遅くなってごめんなさい、と苦笑してきたので私は慌ててそんなに待ってないです、と首を振った。むしろ色々と眺めてしまってごめんなさい。そう、と微笑んだ結城さんがそのまま繊細な手つきでテーブルにお皿やフォークを置いていく。
「飲み物は今回紅茶にしてみました。君はいつもコーヒーを飲んでるだろうから、落ち着く時には紅茶も良いかなと思って。無難にダージリンかな。あとスイーツはサントノーレというフランス菓子です。ケーキでもいいけどちょっと頑張っちゃいました。サントノーレはパイ生地の上にシュ―をカラメルでくっつけてクレーム・シブースト…メレンゲとゼラチンを合わせたものか生クリームを乗せたお菓子。今回はベリー系のクリームをシュ―に詰めてシュ―の上のチョコと飾りのクリームはバラを。フォークじゃない方が良かった?」
結城さんのそんな説明も右から左に通り過ぎていて、私はそれどころじゃなかった。綺麗な水色の紅茶に可愛いお皿とフォーク、その上に乗る可愛いスイーツ。ダメだ、可愛い。見惚れていたせいでいつの間にか眼前に迫った結城さんの顔に気が付いた時にはびっくりした、なんてどころではなかった。思わずうひゃあ! と間抜けな声が口から飛び出し後ろに反りかえってしまった所で結城さんの手が頭を支えてくれたので後ろにぶっ倒れずに済んだ。色々な意味で心臓がヤバいです。
「大丈夫? 沙織」
そして心配そうな結城さんの顔が私を覗きこんでいる。ふひゃい! 心臓に悪い! まるで金魚の様にパクパク口を動かして何とか答える事が出来た。
「あ、…あの…すいません…あんまりに…可愛くて…おいしそうで…び、びっくりし…て」
「ああ…驚かせすぎちゃったのか。僕としてはそんなつもり無かったんですけどね…ごめんなさい」
前の席に座りながら、張り切りすぎちゃった、と苦笑する結城さんの仕草に久々に撃たれてしまった。ぐっ…カッコかわいい…。
「でも良かった、君がそんな喜んでくれたのなら、頑張ったかいもあります。ね、食べて」
結城さんは私にさあ、と手で促してきたので、おそるおそる頂きます、と手を合わせてゴールドのフォークを手に取る。ピンク色のチョココーティングのかかった小さなシュ―をそっと外してもちあげると、横に乗っていたピンク色の生クリームが少し付いてきた。口に入れるとこれ以上に無いってくらいに甘くて、そしてほのかにバラの香りがした。甘いんだけど嫌なくどさじゃない。それは幸せにしてくれる甘さだった。ニコニコしながら味わっていると、あの微笑みとうれしそうに細めた眼差しをこちらに向けてくる結城さんと目が合った。
「ゆ、結城さんも食べます…?」
「へ?」
思わず口をついて出た私の言葉に、珍しく彼は目を丸くしたまま固まった。予想外の反応に照れながら、それでもそうっとシュ―を指したフォークを目の前に差し出す。
「わ、私だけ食べるの…勿体ないし…」
「そ、それは僕が…沙織だけの為に作ったから良いんですよ?」
「でも…」
「?」
不思議そうに顔を覗きこんでくる結城さんをちゃんと見る事が出来ず、顔を逸らしながら必死に声を上げる。
「結城さんと…一緒に食べたい…」
途端にいつも以上の沈黙が辺りに満ちたのを感じて思わず顔を上げた。結城さんが耳まで真っ赤にして顔を押さえて悶絶していた。い、言うんじゃなかった…。空気に耐え切れずに俯くと、しばらくして今度は結城さんが沙織、と震える声でこちらを呼んだ。顔を上げると、結城さんは頬をそめたままフォークを持った手を引き、刺さったシュ―を口に入れた。唇についたピンク色の生クリームを結城さんの指が拭い取って、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「……おいしい」
「う…ん」
「君が食べて、って言ったんでしょうが」
「うん…」
「…早いけど、メリークリスマス、沙織」
「メリークリスマスです…結城さん」
こんな事、去年は考えもしなかった。互いに向かい合って、キャンドルの灯りの中でスイーツを食べる。二人で向かい合ってメリークリスマスと言い合うなんて。
いつの間にかまた沈黙が訪れていた。雪の所為で辺りはとても静かだ。部屋の中の時計の音、フォークが皿を小突く甲高い音、互いの息遣いがより一層はっきりと聞こえる。それが余計に心臓をうるさくしてしまう。
兎に角目の前のスイーツを食べてしまおう。フォークを伸ばすと、途端に結城さんの手がフォークを持っていた手を掴んで誘導し、パリンとパイ生地を刺す。生地を持ち上げると、そのまま何と私の口に向けてきました。不意打ち過ぎて思わずどころか心臓がバクバクしすぎで困る! どうせよとおっしゃるのですか!?
「ゆ、ゆ、結城さん?」
長くなったので分けます。サントノーレは真ん中にクリームが入ってその周りをちっさなシューが囲んでるイメージをして頂ければ分かりやすい。桜井君が作ったのはワンピースのケーキが収まるサイズ、ケーキ屋さんに並んでるサイズです。クリームはシャンティというらしいですが、分かりやすく生クリームと表記しました。
調べている最中も腹が減ってくる…