In the room. 《To Tohya》
腕を、掴んだ。捕らえたのは、手首。勢いのまま引っ張り。傷に触れないように。綺麗な、病的に白い腕。女のそれとは違う骨張った感触は、しっかりとした感覚と硬さで安心する。
颯稀が、手首を切った。
好奇心から、だったのはわかっている。だからこそ。
その綺麗な肌を傷付けるなんてゆるせなかった。
「包帯取れて良かったね、颯稀ちゃん」
「……」
「何よ? 不服そうな顔」
何にも隠されていない手首を擦りながら、颯稀は考え事をしていた。その綺麗な肌を見る綺麗な顔には、しっかり眉間に皺が。
「颯稀?」
さすがに心配で、話し掛ける。すると。
「……たな、」
「はい?」
「綺麗に消えたな、と思って」
何週間だったか十何日だったか前に刃を滑らされた場所は、確かに何の跡も無く健在だった。
「良いことじゃん。何が嫌なの?」
俺としては綺麗なら綺麗なままが一番だと思うから、大して気にならない。むしろ喜ばしいけども。
しかし、颯稀はそうじゃないらしい。
「何か、」
「うん」
「呆気ない」
「あんた…」
がっくり、肩を落とした。それはもうわかる程。“呆気ない”って。
「……何言ってんの……」
遠い眼しちゃうよこっちは。本当に何言い出すかな。
「拍子抜けした」
「左様で」
俺は呆れ返ってリビングを出る。いつもなら逆の行動をしていた。
たまに俺と颯稀の立場は入れ替わる。別段意図している訳でもないのに、こうして。俺に呆れてリビングを出た颯稀が、ついでに珈琲を二つ淹れるように俺もまた、今珈琲を沸かす。
薬缶に火を点けながら、煙草にも点ける。ふわりふわり蒸気より先に煙が上がる。
不意に考える。───焼き、入れようかな───。
「おい」
「はいな」
「俺がいるところでやるなよ」
いつの間にやら、颯稀が入口に突っ立っていた。丁度シンクに寄り掛かる俺の対角線上だ。
「───。……何を?」
「『根性焼き』」
「嫌ぁっだぁ。颯稀くんたら亭主関白ぅ」
「阿呆。肉の焼ける臭いが嫌なんだ」
「そんなの、……してた?」
初耳だ。根性焼きでも上がるものなのか。
「ああ」
颯稀は俺の問いにあっさりと事も無げに返した。
「へぇ。するんだ」
当たり前か。“肉焼いて”んだし。
「そりゃ失礼っ」
笑い、煙草を吸う。呼吸するように。
颯稀が嫌らしいから、焼きはやめておくとして。
会話中沸いた珈琲を淹れ、颯稀に片方のカップを渡す。颯稀は断りも礼も言わずに受け取り、入口に寄り掛かり口を付ける。
俺はリビングに戻るべく颯稀の前を通ろうとして───お呼びが掛かった。
「遠矢」
「あいよ」
「それ、痛い?」
特に何を指しもせず、目線は宙に浮かせたまま珈琲を啜り颯稀が言った。
「は?」
「それ」
今度はきちんと目で俺の腕を指す。…ああ。
「焼き、のこと?」
「そ」
「痛いよ。決まってんじゃん」
煙草は何度在るか知ってるかい? 半端じゃなく痛いし熱いんだよ。
それさえ、俺には馴れてしまった部分が強いけど。
それくらい、頭の中まで麻痺が進行してるんだろう。
「ふぅん」
「何考えてんの? 颯稀ちゃん」
颯稀は興味なさそうな表情で、しかし何か思い描いてる瞳でそう打った。不快な予感を覚えて、質す。
「いや、別に……」
「隠さず言って?」
「……俺もやってみようかなと」
カップが、音を立てて落ちて床を転がる。半分くらい残っていた中身の珈琲は、ミルクはまるで入ってないってのにミルククラウンを描いて。
床を拡がった。
謝りながら片付けていく颯稀を見詰め考える。綺麗な指が、男として華奢だけどゴツゴツした手が床を滑る。綺麗な、無駄のない動きで。
颯稀は、キレイなのにどうしてキタナクしようとするんだろう?
「───ねぇ、颯稀」
「ん?」
「どうして傷付けたいの?」
「意味なんか無いよ」
憎らしいくらいあっさりと。答える声も調子も綺麗。冷たいくらいに。
「意味なんか無い」
繰り返す。綺麗な颯稀。
俺が欲しかったモノ。
義父に似た、義母に似た、そしてどちらでもない、俺にはもう無い無傷の綺麗な肌を纏った────颯稀。
俺が欲しがったモノ。
「じゃあ、」
「けど、」
同時に言い掛けてお互い止まり、颯稀に譲る。颯稀は止まった一瞬俺を見上げたけれどまた床に戻ってしまった。台詞は続く。
「知りたかったんだよ。何となく。『傷付ける』って行為を。あの、咲雪でさえしてしまうその衝動を」
その発言にああそうか、と納得した。
サイトに残ったアクセスログの一つが妹のものだったと。いつだか颯稀が言っていた。
無関心に見えて、実際は気に病んでいたんだろう。得心。けれど。
「それでわかった訳?」
「全然。俺には無理だった」
「じゃ、もうやめてよね」
「……。わかったよ」
やさしい颯稀のためでも俺は我慢出来ない。
綺麗な綺麗な、颯稀。傷を付けないで良いのに付けるなんてゆるせない。
俺は、絶対にゆるさない。
ゆるしてなんてやれない。
【Fin.】




