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Hierarchie

 



 ピラミッド型の階級制度のことをヒエラルキーと言う。元は聖職者の支配階級がーって話やな。ども、『問屋』ことみんなの『やっつん』、仄束八好でぇっす。……そこ、引くとこやないで。

 支配階級やらピラミッド型階層やら嫌やなー。嫌な感じやけど、まぁ嫌いや無いな。俺が王様なら気分良いやろし。ちょお、お前らこっち来て肩揉めやーってな。しししっ。あ? 笑い方気持ち悪い? 知ったこた無いわ。

「八好」

“やつよしー”

 身長にしては高めの声に更に高い声が被さって聞こえた。高い言うても、百九十の身長にしては、や。実際には男やから低い。被った声は……声変わり前のソプラノで、記憶の残響。

「晴夜か」

 久野晴夜は俺のダチや。マブダチ。や、晴夜はそんなんやないな。家族より濃い感じや。依存。うん、否定はせんよ。俺は卓袱台いっぱいに広げたノートやら資料やらから顔を上げて正面の玄関を見た。ワンルームのアパートでは廊下なんて洒落たモンは無い。玄関から上がってすぐに右手がキッチン、左手が風呂とトイレ。別だからドアは二つ。晴夜はその巨体を屈めて入って来るところだった。

「宿題?」

 部屋の入り口に荷物を置きつつ晴夜は訊く。……宿題て、そないな言い方はどないやねんな。まるで小坊やでお前。俺がつい噴き出してしまうと晴夜は不思議そうな表情でこちらを見ていた。頭に疑問符を浮かべていることだろう。知ったこっちゃ無いわ。おかしいねん。

「おー、宿題や」

 何かエラい懐かしい気がして気に入ってしまった。俺が同意すると「手伝う?」とか訊いて来おった。俺は手元のルーズリーフへ目線を落とす。……阿呆やなぁ。

 俺は溜め息一つ吐いて「ええよ。お前文学部やろが。俺は商学部やで」金、人、物の動きがーとか。統計とかおもろいねんけどなぁ。レポートとか面倒や。何で在るんかなぁ。まぁ、仕組みについてがたがた書いとったら埋まるねんけど。教授の趣味も在るしな、こーゆーんは。晴夜はひょいっと覗き込み首を傾げた。

「わからんやろ。寡占の変動とか独占禁止法に絡む開発後の権利が……みたいな。書くと整理されるからええけど、とにかく疲れるねん」

 たとえば、電気会社のA社が新機能搭載の何ちゃらの製造に成功、そのときの影響は? シェアはどう変わる? 何ちゃらは家庭普及率七十パーセント、もともとの市場はこうやった。じゃあ、どうなる? A社の対抗馬だったB社はどう出て利益を守る? 自身がB社の経営陣だったら……普通に考えたらあかんよなぁ。うーんと伸びをして俺のレポートを読む晴夜に「そこの本の虫。悪いんやけど茶ぁ淹れてくれへん」指図する。「あ、わかった」俺の書いては放り散乱させたルーズリーフを纏めてから立った。……几帳面め。

 はっきり言うてこう言うんは、岬のほうが向いてるやろな。あの経済学部の坊ちゃんは流通とかやたら詳しい。「商売として進出するならアフリカや中東も良いけどもっと身近な小国に目を向けるのも在りだよ。大国で占有率を伸ばすのも在りだけど、小国を複数相手にしても美味しいんじゃないかな。特に今は東南アジアに目が向いているけど、」とか能書き垂れとったけど。続いて並べられた国名は俺もよくわからん国ばっかりやった。何でそないなとこばっかりやねんと問えば「簡単だよ。競争相手がいないから。業種によるけど、当てればでかいのも確か。ただし、勿論リスクは有る。でもねぇ。同じところで同じようなことするより特性を活かしてやってみるのは良いと思うよ。気候、地形、文化を視て判断すれば良い。先取りも上手く行くかはわからない。なら、ダウングレードしてみたり一個前の世代に戻したものを普及したり方法は変えてみれば良いんじゃない?」型に囚われれば廃れるだけ。わかる話やけど。

「そー上手くは行かんやろがー……」

「何の話?」

 俺が煮詰まっていた頃合いに晴夜が茶を持って来た。「おー、さんきゅーさんきゅー」俺は湯呑み茶碗を受け取って一休みすることにした。資料やら脇に追いやる。すかさず卓袱台を挟んで向かいに座った晴夜が「八好、雑」窘めて来る。んー、細か過ぎや晴夜。

「なあ」

「うん?」

「晴夜は卒業したらどうすんのや」

「実家に帰るよ」

 きっぱりと、思いの外晴夜にしては即答、と言って良い速度で返って来た。俺は重ねて「実家?」尋ねる。実家て……お前んち商社マンやないか。「小さい教材の出版社が在るんだよ。そこに入る予定」いやいや待て待て。

「決まっとる、てどーゆーことやねん」

「ちょっとね」

 笑顔でスルーしようとしやがって。バレてんねんで。軽く小突いたろかと右手を上げたが引っ込めた。俺は「聞いてへんで」茶碗に口を付ける。茶を啜り結い上げていた髪ゴムを取る。晴夜は「言ってないからね。でも……」「でも?」俺が問い返せば晴夜は苦笑を浮かべて今日の陽射しみたいに長閑に。

「戻ろうとは、思ってたよ。逃げようって、本当は思ってなかったから」

「───」

“逃げようなんてな、するな”

 俺が言うた。俺から逃げる晴夜を腹癒せに蹴って居丈高に膝を突く晴夜の髪を掴み上げて置きながら。震えていただろう声は、恥も外聞も無く、俺が縋っていた証拠だった。情けないと唾棄したくなる反面、だから何や、と開き直る。本真性根腐ってんやろなー俺。

「……」

「逃げ切れるとも思っていなかったんだ。ただ、時間が欲しかった。受け入れる、時間」

「受け入れる、て何や」

「八好の身勝手さを本気で受け入れる、時間」

 晴夜のヤツは前髪が重たい。わざとらしいが。その緞帳みたいな前髪から目が見える。大柄な外見に反し晴夜の目は大きい。垂れ目がちだし。彫りは深い。母方の祖母が沖縄出身なせいかもしれん。大きな、円らな目が、俺を射抜く。

「……俺が身勝手なんは、前からやろ」

「あはっ、自覚在ったんだ」

「っさいわ」

 苦虫潰したみたいに顔を顰めて俺は適当に放って置いた菓子の袋を取る。開いていた封を輪ゴムで縛っていたスナック菓子。晴夜が「ご飯食べたの?」指摘する。……お前は俺のおかんか。俺は無応答で菓子を食べる。ちょい湿気とった。

「八好は、どうするの」

「……今バイト先の運送会社がさ、東北の支社で事務員募集しとるんやって。やってみーへんかってのは言われたんやけどな」

「え、東北? どこ?」

「岩手……細かいとこまでは忘れてもうたわ」

 俺の喋りは西地方に近い。出身の石川は関西とも近畿とすらも言えない北陸地方だが。現在地は首都東京。東北に行ってしまえばもっと、出身地から離れることになる。

「遠い、ね……」

「まぁなぁ」

 考え込む晴夜を横目に俺はぱりぽりスナックを頬張る。止まらない手を止めたのは「行くの?」勿論晴夜の声。

「さぁな」

「訊かれてる段階なんだから、八好の返事待ちなんでしょう?」

「この世知辛い世の中や。就職してみぃへんかって言ってもらえるだけ良いんちゃうか」

「そっか……そうだ、」

「……なーんてな」

 晴夜のことや。“そうだね”とか納得しようとしてんやろ。阿呆か。せっかく晴夜が地元に戻るんに何で俺が離れなあかんねん。俺はにたぁと笑い言うたった。

「俺も地元戻るわ。地元で職探すわ」

「え、で、でもっ」

「でももヘッタクレも無いわ。俺が決めたんやから構わんやろが」

「構うよ!」

 く。思ったより食い下がるなぁ。俺は片手をひらり振り「ええねん」気の抜けた笑みを晴夜へ向けた。

「昔から地元におるつもりやってん、俺。晴夜が東京来たからこっち来ただけやし。晴夜が東京にそのままおるんやろなぁと思て、進路考えとっただけやし」

 端から東北は欄外やった。せやが、有りかもとも思っとった。いても立ってもいられんくて、勢い余って追い掛けて来てしもた今やけど。どこかで晴夜と距離は置かなあかんと考えとったんや。

 でないと。

「晴夜がな、」

 また逃げるやんか────そない思うとった。

「地元戻るんなら、願ったり叶ったりやねん俺は」

 晴夜がおらんくならんのやったら、俺はそれでええ。晴夜の隣におれるんやったら、俺はどこだって構わへんねん。

 笑う俺に晴夜は困った顔をした。カーテン染みた前髪の裏側で、情けなく眉を落としているんやろう。……あかん。想像したら滅っ茶おかしいわ。

「……八好が決めたなら、良いけど」

 思い詰めた音の、呟き。何でそないに深刻やねん。死ぬ訳や有るまいに。俺はスナック菓子の袋の中に手を入れた。もう何も残ってなかった。

「やったら問題無いやんか。何が不満やねん」

 中身の無くなった菓子の袋をくしゃくしゃにして捨てようとすると手が伸びて来て晴夜が取り上げた。綺麗に折り畳むとゴミ箱の縁に沿うように立てて入れた。……細かいヤツめ。俺は手持ち無沙汰になり茶を啜る。晴夜は黙ったままだ。何や。今度は何が琴線に触れたんや。晴夜がいつまで経っても喋らへんので脇に追いやったルーズリーフを摘み取る。開発による市場の変動と伴った販売攻略。よう出来てると自分では思うが、まぁ教授の好みやからな。

「……」

 就職……仕事するとしたら何にしよう。店でもやろうかな。まずはバイトして資金貯めて……と俺があやふやな将来設計を抱いていると「八好のことだから、」晴夜がようやく口を開く。

「俺が口に出すことじゃないって、思っているけど……俺はさ、八好と一生付き合う気でいるからさ……最悪、何か在ったら俺が面倒見る気でいるから……」

「……」

 ぽっかーん。正しくこんな感じんなった。いやいや、何言うてんねん。真剣な声で言うてもな? っつーか。

「キモいわ、ど阿呆」

(いた)っ」

 大きくも無い卓袱台の向こうに座る晴夜の頭を身を乗り出し叩いた。いや、キショいやろ。男同士で何言うてんのやって話や。

「だって……」

「“だって”もクソも有らへんわ! 俺は可愛い嫁さん貰って可愛い娘儲けるのが夢やねん。男二人で添い遂げて老後とか冗談ちゃうわ」

「えー……」

「んで、晴夜は当分結婚無しな」

「えぇっ! 何でっ?」

 叩かれた頭を不服そうに撫でる晴夜。俺からの結婚禁止令を聞き思いっ切り目を引ん剥いた。当ったり前やん。俺は何をウマシカなことをと卓袱台横のベッドに移動して枕を抱え込み晴夜に向かう。先程とはまた別の情けない間抜けな顔をして晴夜が俺を見ている。ふふん。

「さっき言うたやろ? “俺は可愛い嫁さん貰って可愛い娘を儲けるのが夢や”って」

「……言ってたけど」

「お前は俺の娘の婿に来い」

「はぁあああっ?」

 素っ頓狂な叫びを上げる晴夜に「うっさいわ! ご近所迷惑やろボケェ!」と枕を投げる。投げた枕は見事晴夜の顔面にヒットし「ぶっ」と洩れた音声が聞こえて来た。俺はベッドから降りて晴夜に歩み寄り、晴夜の前に行くとしゃがみ込む。しゃがみ込んだだけだと言うのに目線が変わらないとかムカ付くやっちゃな。

「何や。人の夢に何ぞ文句でも在るんか」

「文句って……無茶苦茶だよ」

 肩を落とす晴夜に俺はからっと笑い掛け晴夜の背を叩く。

「ええやんか。男二人で一生いるより生産的やろ?」

 せや。そったら晴夜は普通に家族になる。良い案やん? それに、な、晴夜。

 赤の他人がお前のそばにいるより、少しでも俺の血が入っているほうが安心出来んねや。

 ……。もし。もし、早月が晴夜でなく俺を選んでいたら。俺はもっと早くこの提案をしたことだろう。ああ、身勝手なんは百も承知や。

 俺にとって優先順位は晴夜。きっと晴夜は違うだろう。晴夜にヒエラルキーは存在しない。誰も彼も、同位に決まっている。晴夜は、そー言うヤツやねん。


 俺のヒエラルキーの頂点は俺やない。晴夜や。







   【Fin.】

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