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トランキライザー

 



「“このまま消えたい”って思うんだよね」

 不意に落とされた一言。最早馴染んだマンションの一室でソファに寝転んだ遠矢の声だった。俺は床に座ってそのソファに寄り掛かりながら聴いていた。ハードカバーの本を捲りながら聞き流す体だが、頭同士が結構な近距離で聞き逃すことはまず無い状態だった。

「……こうやって眠気がじわじわ来るとさ、唐突に“このまま朝起きなかったらどうしよう”“このまま死んだりして”って想像する訳さ」

「あー。在るな。急に考えるの。実際無いことじゃないしな」

「そ。昨日まで元気だった人が翌日死ぬのはよく在るんだよね、現実。でもさ、普通は不安なんだよね。そんなこと思って沸き上がるの。けど俺は、どっちかと言うと“このまま死ぬんなら良いかな”“朝になったら冷たくなってる”“良いな、消えたい”……穏やかに死ねそうで、期待とか満足感に近いんだよ」

 会話が続くに連れそろそろ頭に内容が入らなくなって本を閉じる。テーブルへちらりと目を走らせる。硝子の天板の上には半分は残り半分は潰れて空になっている錠剤のワンシートが転がっていた。

「……。また眠れないのか?」

 遠矢は長く不眠症を患っている。実家のお抱え医師に薬を処方されて飲まないと眠れない。家を出てからはだいぶマシで、飲まなくても寝られるようにはなったらしい。それでも、たまには頼らずにいられない。遠矢の精神は常に不安定だ。

 殊、実家が絡むと酷くなる。

「うーん……今日はそーでも無いかな? 飲もうと思ったんだけどやめた。颯稀ちゃんもいるしね」

「……」

 うんざりしつつ本をテーブル放るように置いた。勿論乱暴に投げてはいない。読めれば良い主義だけれど、別にわざわざ傷を付けたくはない。

「今日薬貰いに病院行ったらさ、先生に誉められたんだ。“遠矢さん安定剤出さなくても良くなったんですね。良い傾向です、頑張ってますね”って」

 昼間用事が在ると言っていたがこれだったのか。『先生』こと遠矢の家がお抱えにしている医師は遠矢の実父、つまり戸籍上の祖父の馴染みらしい。馴染みとは言っても、更に遠い時分知り合いその縁で援助を受け医者になった経緯からだから、言うなれば遠矢に関しては醜悪としか評しようが無い祖父は医師にとっては恩人に当たるのだろう。

 医師は遠矢が家を出た辺りから個人の診療所を持ったと聴いた。正確には個人診療所を営んでいた息子さんのところへご厄介になったとか。息子さんは父親が同じ医師ながらご殿医さながらに遠矢宅へ召し抱えられていることをあまり快く思っていなかったのでこれ幸いと受け入れたのだそうだ。まぁ、遠矢が生まれる前の十年前後して殆どが体の良い面倒事処理係だものな。主に医療関係で。祖母の不義の出産、家長である祖父の娘に対する性的暴行へ加えて禁忌の妊娠、変わってしまった後継者の遠矢にして来た虐待の痕……。山崎豊子も真っ青だな。俺は喉を鳴らす。鳴ってしまっただけだが遠矢は「何よ。どっかおかしい?」と唇を尖らせた。だから、俺よりデカい男がやっても可愛くねぇっつの。いや、女ならよろこぶのか。コイツ不細工じゃないからモテるしな。

「や、別に」

 実際にはお抱え医師も健気だな、とは思ったが。健気だろう。あの家を出奔したのも遠矢のためだろうし。

 この、生まれながらに受けなくて良い罰を受け続けた青年を少しでも助けたいと考えたのだろう。こう言うところでは、コイツは恵まれていた。

「ま、良いけど……。でね、先生が“お薬が無くても大丈夫な日が多いようならもっと減らしてみますか”って言う訳よ。俺即答したよね。“や、無理です”って。にこにこしてたのがちょっと悲しそうになったから申し訳無いなーって思ったんだけど、さ。だって怖いじゃん。いつ颯稀ちゃんいなくなるとも限らないし」

「……」

「颯稀ちゃんがいるからなんだよね。きっと。変でしょう。颯稀ちゃんがいるから、俺生きて行けるんだよ。こうやって。重たいねーはははは」

 わらえてねぇ、って言ってやったらコイツ(遠矢)はどう反応するんだろう。俺は指摘しないが想像してみる。追い詰めたところで責任なんか取る気も無いのでしないけど。

「いつかいなくなるだろうって思うから最初は雑に扱ったモンです。どう接したら良いかわからなかったのも在るよ。誰かそばに置こうなんて考えたことも無いからさぁ……他人との関係なんて一期一会で良いって思ってたから」

 わらうのにわらえていない。今日はハイの日か。俺は冷静に分析していた。同情はしても踏み込みたくは無い俺。だとしても、長い付き合いで遠矢のことくらい把握出来てしまった。躁鬱だか何だか知らないが不安定の人間は寝ていない人間とよく似ている。気が張って休息を得られない辺り類似しているのかもしれない。遠矢の場合、長年の状況にか鉄製の猫を被って誤魔化しているけれど。それだって、随分とマシになった。

 出会ったときは本当におかしいヤツだったからな。現在も変わっていないが、そうでも、やわらかくなった。医師の言う通り、遠矢は良い方向へ向かっているのかもしれない。

「……『からす』に会うの押し付けたりな」

「そーそー。悪いことしたなぁって」

「“外面の良いお前に任せた”とか言って勝手に人のアドレス教えやがって」

「ごめんて……俺、変わった? あのころから。変わったよね。だってあのときは颯稀ちゃんに嫌われても良い、むしろ嫌われよう、って思ったりしたんだよ……怖かったんだ。期待して、依存して、しまうのが」

「……」

「今は失うほうが怖い……。颯稀ちゃん、女じゃなくて良かったね。俺、颯稀が女だったら監禁してじーさんみたいに妊娠させて籍、入れたりしてたかも」

「警察沙汰はやめてくれ」

 勘弁しろよ、と思った。だけれど、そうだろうか、とも疑問が浮かぶ。当時の遠矢は俺にわざと雑用させたり時々遠ざけるような素振りを見せた。現状では「嫌われるのが怖い」の発言通り丁重に対応されている。当然、女扱いとは違う。生来お育ちの良いこの坊っちゃんは、上品だ。大袈裟なくらい下品なことを言うしするし人を弄ぶ外道だけども。女子供お年寄りには基本やさしく困っている人間には手を差し出している。何より死者は別格にやさしいが。

 きっとコイツは上等な人間になったはずだ。真っ直ぐ育てば人に純粋に好かれ人を純粋に好く人格者に。コイツの義父たる異母兄が本来は真っ当だったように。お互い、どこで道を間違えたんだろう、なんて思い付きもしないけど。自明のことに考察する時間は勿体無いからな。俺は育ち方を、遠矢は育てられ方を誤っただけだ。

「警察沙汰になんかならないよ。この俺がすると思う?」

 ……さらっと怖いことを言ってのけるのが嫌だ。あーそうでした。家の力なんか使わなくても自身の持て得る全部でやらかせてしまうのが遠矢でした。そうでした。

「犯罪は発覚してこそ犯罪ですよ。身を以て証明してるもの」

「……。もう寝るぞ。お前も寝ろ」

 付き合っていると頭が変になりそうだ。俺は結構話し込んだ、と考え打ち切ると毛布を手繰り寄せクッションを頭の下に敷いた。目覚まし代わりの携帯端末のアラームを設定する。遠矢も「ぶー。もうちょい付き合ってくれても良いんじゃないのぉ」不満を洩らしつつおとなしく電気を消して毛布の中に潜り込んだ。


 このリビングでの雑魚寝は俺が遠矢の家に泊まるときのスタイルだった。特に決めていることも無いがリビングのカーペットが少々弾力が在るせいでよく俺はここに寝転んだ。充分な大きさの一人掛けソファか、セットの多人数掛けのソファの横になる床が俺の定位置だった。

 床暖房とグラファイトの暖房機であたたかい室温に早々と俺は眠気に襲われたが物音にゆるり瞼を上げた。

「どうした?」

「あー……ごめんね。何か発表グループいっしょのヤツからリプライ来てて」

 謝りながらスマートフォン片手にタブレットを操作し始める遠矢をぼんやり眺めていた。昨今買ったキーボード付きタブレットPCは高頻度で役に立っているようだが……俺はテーブルの上の電気のリモコンを取る。電気を点けた。

「パソコンいじるなら、電気点けろ。目に悪い」

「良いのに。送ったらすぐ寝るし」

「そんな言って無理そうじゃん。しっかし迷惑なヤツだな。何時だと思ってんだよ」

 起き上がりもせず寝ながら悪態を付いていると遠矢が噴き出す。「何」と問えば「いやいや」と笑いを収めもせず返して来た。

「何だよ」

 少し苛っとして上体を起こし睨むと遠矢は器用に作業をこなしつつ返答する。

「颯稀ちゃんは真面目だなぁって」

 小莫迦にしたみたいな答えに「あ?」と訊けば「だってさー」心底楽しそうに笑って。

「LINEじゃなくてツイッターだったんだよ? つまり今の時間の返信は欲しいけど寝てればそれはそれな訳で必ず今返さなくても良い訳よ。そうじゃない人もいるけど、ウチ、と言うか俺はそうしてるのね。公言もしてる。これを踏まえた上で相手はこっちで連絡してんじゃん。しかもリプライ。DMじゃなくてね。良心的じゃない。まー、LINEでも同じようなモンだけどね。見なきゃいっしょだし。凄いヤツは電話して来るから。この時間帯だって」

 まぁ起きてるのバレてるだけだけどね。笑いながら告げられるが、俺はこの男がまめに応答するのを知っている。遠矢は自覚していないだけで義務はきちんと果たす。義理は無くても。

 ふと。狂わされてしまったこの男は、俺より性根は善良な人間ではないのかと感じるときが在る。周囲の善意に捻くれた俺より、周囲の悪意に歪められた遠矢(コイツ)のほうが幾分にも善人なのではないかと。成り行きを見守っていると、遠矢のスマートフォンに電話が掛かって来る。相手も遠矢の返信を待っていた訳だ。莫迦が。利用されてんじゃんか。いや、やっぱり完全に読まれているだけか。

 遠矢はお人好しじゃない。厳密なラインを設けている。だが、無駄に誠実なんだよな。俺は立ち上がるとスリッパを突っ掛け台所へ向かった。珈琲を淹れるためだ。遠矢はキーボードを外してタブレットを体育座りの膝に乗せくるくるタッチペンを回しながら電話をしていた。薬缶を火に掛ける。

 湯を沸かし珈琲を淹れリビングに戻るとまだやっている。と言うかいない間に物が増えてた。必要資料を出したようだ。その資料を避けながらテーブルにカップを置くと肩を叩き声にはせず珈琲を淹れたことを教える。遠矢はごめんとジェスチャーして来た。俺は頷いて床に座る。勿論いつもの場所だ。寝はしないでテーブルに放置していた本を取る。読み掛けだから丁度良い。

 遠矢が打ち合わせをしている横で本を読む。遠矢は珈琲を早速啜りながらタッチペンを動かしていた。……よくやるな、と思った。

 俺だって日ごろの演じている人間性から同じことをするとは想像する。でも、ここまで付き合ってやろうとはならない。ある程度見計らって見切り付けてやる。自嘲した。


 出会ったころ、俺は遠矢の狂気に自身の歪曲した性格を比べて安堵した。俺はマシ、なんて安寧を手にするため遠矢のそばにいることを選んだのだ。遠矢に唆された形で。

 だけれども、今はどうだ。

 遠矢に絆されている自覚は在る。絆され、遠矢の狂気の中に在る本性を誠実さを見付けるたび自分の良心と自己愛が苦痛に悲鳴を上げた。穢れた精神が鈍くまた鋭く軋むのを痛感した。

 離れたって良いんだ。そのほうが、自分を保てる。ずっと。

 けれど。

“颯稀ちゃんがいるからなんだよね。きっと。変でしょう。颯稀ちゃんがいるから、俺生きて行けるんだよ。こうやって。重たいねーはははは”

 薬が減ったんだってさ。良い傾向なんだって。

 知ってた。もう戻れない。


 遠矢を見る。笑いながら電話をしていた。


“だって怖いじゃん。いつ颯稀ちゃんいなくなるとも限らないし”

 病んでいるのは、誰だ?


“怖かったんだ。期待して、依存して、しまうのが”

「───」

 依存しているのは、誰だ?







   【Fin.】

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