MiChi
初めてスマートフォンにした日、颯稀が一番最初にアドレスバーに打ち込んだのは遠矢のサイトのURLだった。
自分がスマートフォンにしたころにはもういろんなサイトがスマートフォンに対応していたせいかあまり困らなかったが遠矢のサイトもそうだった。まぁ遠矢は昔から二台以上持っているのが当たり前でよくPDAを使っていたし、スマートフォンの導入も早かった。そんな遠矢のサイトに“スマートフォン対応しました”と文字が躍ったのも、まだ颯稀がフィーチャーフォンだった時分だ。
確かにきれいにレイアウトされたページは読み易い。そこに書かれた内容も容易く把握出来る程。
「……ま、突然移転突然消失も当然な自傷癖の精神系サイトなんか、読み易く在ろうが無かろうが関係ないか」
携帯対応モバイル対応PC対応。こうまでして必要だろうか。文字通りの傷の舐め合いだろうに。颯稀は自嘲した。失笑とも言えた。
「俺も“同じ穴の狢”だよな」
“同じ穴”と指すのは閲覧者やチャットの常連たちとではない。颯稀は舐め合いはしない。と言うより出来なかった。そう言う傷は一度付けただけで意味が無いと気付いてしまったたから。好奇心で手首を切ってはみたものの痛みは一瞬。すぐ塞がってしばらくして消えた。繰り返して幾度も裂く程、颯稀にはこの行為に価値を見出すことが叶わなかった。
ゆえにこうして何となく特に考えもせず遠矢のサイトへアクセスしたのはやはり遠矢と変わらない人間性を秘めているからだ。遠矢は決して舐め合いのためにサイトを開いている訳ではない。
遠矢といることで安堵出来るのは比較対照がいるせいだ。己より卑下する相手がいるのは楽だった。最低だな、と考えながら親指を滑らせた。チャットのページをぼんやり眺めながら嗤う。
「クリスマス間近だってのに、何やってんだかな」
洩れた呟きが誰に宛ててかなんて定かじゃない。それでも、零れてしまう。
クリスマスに溺れることも無いのに、取り残された気になった。中途半端に踏み止まってぼんやり思考の海に攫われ、自らを追い詰める。莫迦莫迦しい。
「そもそも、クリスマスは聖誕祭だっつーの」
浮かれたように騒ぐ民衆が羨ましくも有りまたどうでも良かった。結局自分は関係ないのだ。
「お兄ちゃーん、ちょっとー」
聖夜前も変わらない面子の語らいを流し見ていると階下から母親が颯稀を呼んだ。颯稀が「何? 母さーん」部屋からドアを開けて顔を出して応えれば「遠矢くんー、今年はお家に帰るの? もし帰らないなら、お兄ちゃん遠矢くんに肉包み持って行ってくれないー?」
「……遠矢かよ」
またタイムリーに嫌なタイミングだな。そうぼやくと右手の端末へ目線を落とす。そこには遠矢が丁度現れていたときだった。
“管理人。:皆さんはクリスマスはどうされるんですか?”
“時限爆弾:クリスマスか……うん、家かな”
“からす:私は知り合いがしつこく誘って来てるので仕方ないけど行こうかなって。”
“時限爆弾:からす≫え、それ嫌じゃないですか? 断れないんですか?”
精神系サイトにしては和気藹々と続いている。
“Sayu:自分は家族とパーティー。いつものことだから。
ま、兄貴は知らないっスけど?”
「……だからお前は変わり過ぎだから」
『Sayu』こと妹の咲雪はいつの間にか遠矢のサイトにやって来て常連になっていた。ログを見付けたときは何とも言えない気分になった。今では咲雪の普段とは違うチャットでの体育会系キャラクターにいちいち突っ込んでいる。
“管理人。:Sayu≫へぇ。お兄さんは違うの? デートとか?”
「そこ、いけしゃあしゃあと食い付くんじゃねーよ」
しれっと遠矢が咲雪に絡んでいる。冗談じゃないが今口を挟むのも躊躇われた。咲雪が常連化してから颯稀は随分注意を払っていた。颯稀は良い。けれど咲雪は無理だろう。咲雪は、咲雪自身が思うより脆い。颯稀も脆いが咲雪は颯稀が知っていると察したら反応が想像不可だ。
“Sayu:管理人。≫さぁ? どうっスかね。兄貴は自分が言うのも何ですが顔は良いですよ。ただ、何つうか無関心なんですよねぇ”
「余計なお世話だ」
強ち間違いではない咲雪の評価に眉を跳ね付かせつつ更新ボタンを押した。
“管理人。:Sayu≫お兄さん格好良いんだー”
口の端がヒクッと引き攣った。この野郎と本人がいれば殴ってやれるのだけど液晶画面ではどうしようも無い。一瞬ドアノブが軋んだのを聞こえて放した。尚も呼ぶ母に「ちょっと待って」と返しながら更新ボタンを更に押した。
“からす:管理人。≫管理人。さんはどうなんですか?”
“管理人。:からす≫今日と同じ一人寂しく不貞寝かな”
「……」
まぁ、そうだろうな。颯稀はブラウザアプリを終了した。出入り口横の壁に在るフックから掛かっているコートを取ると、半開きだった扉から外へ出た。階段まで行き一端止まると。
「母さん」
「遠矢くん、どうだって?」
「クリスマスも一人だって。あと今から出掛ける」
「そう。あ、ちょっと待ってて。さっき作った肉団子持って行ってあげなさい」
用意するから、とばたばたキッチンへ駆け込む母の背を見送りつつ颯稀は降りながらコートを羽織った。前のチャックを閉めてボタンを留め溜め息を吐いて頭を掻いた。
「何だかんだ……ったく、何やってんだかなぁ」
気が付かない内に入り込んでいた。初めは単なる駆け引きだった。そばにいれば楽になれると自分本位に計算していた。だけどいればいる程逆に胃が痛かった。
逃げようと思わなかったと言えば嘘になるけれど結果見ない振りでここまで来た。見棄てられないところに着いてしまったのは自業自得だ。諦念に額を押さえた。
漏れ出ててた嘆息を飲み込んだのは母親がタッパーの入ったバッグを手に戻って来たからだ。
棄ててやる、か。
玄関を出て向かう道すがら前に告げた科白を脳裏に浮かべた。
ちっともそんな日が在るなんて感じられやしない。白く染まる呼吸にこの先を思った。
【Fin.】




