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僕がきみの神になろう。

 



「やつよしぃー」

 舌足らずな声が、八好を呼んだ。高い声。今じゃ聞けない、懐かしくて、馴染んでいた声。

 ああ、晴夜や。八好は思った。


 自分は寝ていて、これは覚醒前の夢なのだ、と。気付いていた。

 だから、八好は動かないと決めた。もう少し、と瞼を閉じた。


 それでも夏の陽差しが邪魔をして、八好は結局目を開ける。重たい瞼は、力一杯持ち上げても開き切らない。半眼で上体を起こす。体が言うことを聞くには時間を要するらしい。緩慢な動作は、もし急いでいたなら、生来の八好の性格からかなり苛立ったことだろう。

 それが無いのは、急ぐ必要が無いからだ。


「……?」

 緩やかにしか働かない頭に、携帯がバイブでメール受信を告げた。何事か、と八好が手を伸ばしサブウィンドウを見てみる。と、そこに名前が在った。

 八好は、ほくそ笑む。その笑みは心底うれしそうで有り───そのくせ、邪気が溢れていた。ニヤける口元を手のひらで覆い、抑えようとするが。


「……くっ、」


 止まらない。前からワンレングスに流した耳下までの、赤く染め直した髪が揺れる。最初金髪だったのだが、某近頃知り合った晴夜の友人────向こうは向こうで『番い』がいたので嫉妬対象にすらならなかった────が、気に入らないことに似たような色の金髪だったのだ。

 それで赤にした。真っ赤な真っ赤な、茶には見えない赤。


 まるで血に染まったような色。


 一頻り笑ったあと、折り畳み式の携帯を開く。メール画面に切替え、チェックする。


 送信主、“from:晴夜”。


「“今日、ウチ行っても良い?”。……良いに決まってるやないか」


“やつよしぃ”

 目に浮かぶのは、手を振り駆け寄ってくる幼い晴夜。小さい頃からいっしょだった。


 晴夜は八好と出会った幼稚園時代、丁度真ん中の年中部のときだが、すでに小学生並に背が高かった。次に背の高かった子供と、一回り二回りは違ったのではないか。

 片や八好は周囲から心配されるくらいに小柄な子供だった。小さくて、くるくるしている。人形みたいに愛くるしかっただろうと、八好は自画自賛してみるが。

 にしても、あの頃から自分の成長は止まり気味だったなぁとしみじみ。八好は思った。

 小さくて、年中さんなのに年少さんの大きな子と変わらなかったかもしれない。まぁ、年齢で言ってもそう変わることは無いのだが。

 小さな八好は、けれどその小ささゆえか物凄く俊敏で。短気な性格よろしく喧嘩っ早くてよく、己を馬鹿にした相手を泣かした。

 晴夜の腰巾着、とはそのせいか誰も八好を呼ばなかった。


「呼ばれたくもなかったしな、」

 誰に言うでも無く、零して苦笑する。

 晴夜は昔から変わらない。穏やかでのんびりした人格は、周りに敵を作らず、人好きする所作が友達を呼んだ。

 敵がいないのはその気性がそうさせてるかと言うと、確かにそうだ。だがそこは仮に突っ掛かっても、あまりにのんびりした低反発性な感触にその気が萎える、と言うのも有るのだろう。

 あの体格で。


 あの巨体で、過ぎる程の高身長で。威圧されない和やかな空気を、内面を醸し出す。


 中学時代の話だ。悪い友達とも八好がつるんだ。その仲間さえ、晴夜の前ではおとなしい、年相応な少年に戻った。

 怖いからとかではなくて。


 晴夜は、まず莫迦な大人よろしく、またそれに倣う愚かな同級生みたいに彼らを差別しなかったから。

 やさしいから。

 誰もが晴夜に魅かれた。


“やつよしぃー、ねーっ”


 周りの、晴夜を知る人間はまず嫌わない。嫌えないから。聖人並みの包容力なんて持つ人間はいないはずだけれど、もし測定器が在るとして。測定の仕方が在るとして。そうしたら。


 調べたら、晴夜はそう結果が出てもおかしくない。と言うか、絶対に出る。


 少なくとも、八好はそう確信している。どうやっても疑いようなんて無いくらいに。

 その晴夜の隣りは間違いなく自分のポジションだと思っている。八好にとって、それは絶対だった。


 自然の真理のように。


 何人も、その隣りを、自分から奪うモノなんていない。

 八好は幼年時代信じていた。屈託無く、晴夜のほうが己に付いて回っていた時期。

 何の迷いも無くそう信じた。


「ふっ……ふふ、ははははっ……」


 彼女、が現れる前は。




 中学時代。八好はそれなりにモテていた。不良っぽいが、成績も良く愛想も良い。明るく同級生は笑わせ、先生は鬼っ子で悪さするが憎み切れず、八好を皆好いていた。

 当然の倫理のように、その延長線で、女子は八好を好んだ。


 八好は、最初に寝た女を思い出す。確か、隣りのクラスで何かの───ここが曖昧な分、それだけ興味が薄かったようだが───部活の、マドンナ。名前は…。


「『ユリ』…いや、『ユキ』か? ん? 『マキ』……?」


 名前は思い出せなかった。幾ら掘っても出て来ないと、八好は放棄する。ただいつだったかは覚えていた。中一だ。

 おとなしい顔して、なのに八好が「ヤりたい」と言ったら恥ずかしげも無く、酔ったように足を開いた。とんでもないアバズレだった。


「しかもバージン違うかったしなぁ」

 ホンマ、とんでもないわ。そう八好はベッドに胡坐をかいて独り言ちた。


 あんなのが晴夜に近付かんで良かったな。そうしみじみする。


 晴夜に近付く女はそういなかった。いたにはいたが、だいたいが八好目当て。


「……」

 それでも。


 いたのだ、ひとりだけ。


“ねぇ、八好くん”


 彼女は可愛いタイプじゃなかった。どちらかと言えば美人系。そして可愛げは無くて、あまり周りに好かれなかった。だが顔は良かったので、男受けは悪くなかった。

 他人と群れずどこか狼めいた彼女を、八好は知らない内に打算無しで好きになっていた。


 思えば、そんな計算無しに人を好いたのは、晴夜以来じゃなかったか。


 だけど。


 八好は彼女の次の科白に自身の気持ちが百八十、引っ繰り返ったのを生々しく感じた。


“ねぇ。晴夜くん、私にちょうだい?”


 愛は憎悪に変わる。簡単に単純にそれは手間隙無く必要無く。八好は、笑った。笑って笑って嗤い続けた。

 そうして一頻り笑い気付くしかなかった。自分はゆるせないのだと。


 だって八好は気付いていたもの。晴夜が。


 晴夜が、誰を好きか。淡いその恋心に、ずっと見て来た自分が気付かない訳有るもんか。


 晴夜は、彼女を。

 彼女───『早月』は、晴夜を。


 二人はお互いに知らないけれど愛し合っていた。


 わかっていた。それがただの身勝手な話だと。


 しかしゆるせたか? 晴夜は早月を。早月は晴夜を。


 晴夜の隣りを、八好のポジションを、早月は奪おうとするのだ。

 そして、晴夜はそれを望んでいる。


 ゆるせない。


 ゆるせない。


 ゆるせないゆるせないゆるせないゆるせない……


 ────ゆ る せ な い ───!!




『可愛さ余って憎さ百倍』を、八好は実行せざるを得なかった。




 早月を滅茶苦茶にした。壊して、殺した。


 手は下さなかった。ただ、八好は早月をグチャグチャにするために囁いた、責めた詰った。

 薬を用いた監禁状態で早月に。


 甘く、やさしく。


「“こんなキタナイお前なんか、あのキレイな晴夜に相応しくない”」


“薬漬けにされて耐えられなくなってるくせに”

“晴夜にあげるはずだったバージン、知らない男に奪われてどんな気分?”


 他にも、エトセトラ。


 手を下してはいない。そんな足の付くことはしなかった。

 危ないヤツらに知り合いのいるヤツをパシらせて、早月を拉致させて、それからヤツら任せにした。


 それだけだ。それ以外何もしていない。


 滅茶滅茶の早月は。


 解放された後、空を、飛んだ。




 中学二年の、秋だった。


 それから、だった。八好は何ごとも無く接していたのに。晴夜は気付いていたのかもしれない。八好の関与を。どこまでとか、どこからとかじゃなくて。


 三年でクラスが別れ。それでも会いに行った八好を、晴夜は軽く躱して行った。

 最終的に、高校すら教えてくれなかった。まぁそれは、晴夜の母に聞いてクリアしたけれど。

 ヤバいな。漠然と考えた。あの頃の自分は焦って苛立っていた。


 早月がいなくなったのに、どうして晴夜は戻って来ない?

 そう巡らせては根をつめていた。


 ───まぁ、結果的に晴夜は戻って来た。


 やっと、五年歳月を経て。


 八好は、メール画面を見据える。そのまま目線を上げ、空を見詰めた。

 決意を固める。


「もう、逃がさへんで。晴夜」


 死守した場所なのだ。手間を懸け暇を懸け、時間を割いて。


 手放すものか。手放しはしない。


 八好は携帯を畳んでベッドのそばに在る机の上へ置いた。着替えるために。


 観念した晴夜。もう逃げはしないだろう。

 だから、八好も捕らえて搦め取るつもりだ。


 逃がさないためじゃない。それは




 自分の、安寧のためだ。







   【Fin.】

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