24.男のロマンをかきたてる山。
誰かが隣に膝をついた気配がして、壊れものを扱うようにそっと頭を抱えられた。
「痛むか?」
パキリと乾燥した木の枝が砕けるような音がして、腹部の違和感が消失した。感覚が麻痺してしまったんだろうか、サルバドール老師に刺された傷や体は不思議なぐらい痛みがない。
「――サン」
氷竜の時は冷たい鱗の彼も人型になれば熱を持つ。髪を撫でてくれるあたたかい手はいたわりに満ちていて胸が苦しく、顔を見ることができない。顔を覆った手の間から涙が流れた。
「……ご、めんっ」
「謝らなければいけないのは私の方だ。サンを護ると誓ったのに、誓いを果たすことができなかった」
「ちがうっ! そんなことはいいのっ」
「…………ならば貴女は何を謝るというのだ?」
「セフェリノにっ、ひとごろし……させちゃったっ……」
守りたかった氷竜を自分の手で窮地に追いやってしまった。
《竜心珠》を渡したのはあたしだ。本当なら恨まれてもおかしくないのに、セフェリノは助けてくれようとした。
「とめて……っく、あげられたらよかったけどっ……」
何も答えてくれない。やっぱり怒っているんだろうと恐る恐る窺うと、セフェリノは罰の悪そうな顔をしていた。
「セフェリノ……?」
「止める声は、聞こえていた」
「じゃ、なんで……」
王子の命令は撤回されていない。あたしの止める声が聞こえたならどうして動けたの?
「真名を交わし、《竜心珠》に証の血を重ね飲み込んだ。真実伴侶となった者同士に真名の強制力は生じない。――止められても、私が許せなかったのだ。貴女に責はない」
一瞬だけ強い激情がよぎった眼に気圧された。何も言えないあたしに、セフェリノは慌てたように「それに、あの魔術師なら殺してはいない」と付け足した。……あやすような口ぶりが怪しい。見え透いた言い訳に呆れて涙も引っ込むわよ。
「……どう見ても氷漬けで、生きてる可能性なんてないみたいだけど?」
「ただの氷ならそうだが、竜の息吹には魔力が籠っている。魔力の氷を融かせば魔術師はそのまま出てくるだろう」
「じゃあ無事なの!?」
「尾で払ったあとも息はしていた。魔術師か薬師の治療が必要になると思うが……」
なにその微妙な表現。
あたしが胡乱な半眼で見つめていると、セフェリノへ助け舟が出された。
「お任せください。息があるのなら、宮廷魔術師と薬師の治療で一命を取りとめるでしょう」
サルバドール老師が倒れたためか、炎の檻は消えたようだ。やや煤けた感はいなめないエリー王子が傍に立っていた。
よかった……サルバドール老師は助かるんだ。
あたしは安堵の息を吐いた。
自分の意思でしたことだとセフェリノは言ったけど、原因はあたしにある。突きつめていけば王子たちが招いた事態だけど、どちらにしてもセフェリノは悪くない。
「治療の方はエリー王子にお願いするね」
「ああ」
「王子、呪法具を全てよこせ」
表情を改めたエリー王子は跪くと、伸ばされたセフェリノの手へおもちゃのアヒルを置いた。触れるか触れずの内にパキッと軽い音を立て、あたしを苦しめていたアヒルは細かな塵になった。塵は床に落ちる前に消えてしまう。
次に外された剣。これもセフェリノの指が柄に触れただけで塵になった。残された鞘を退き、エリー王子は顔を伏せた。
「もう呪法具はございません」
――人が魔術を使うには呪法具が必要だとセフェリノが言っていた。竜の魔力は強く、彼が呪法具に触れば壊れてしまうと。ぺたりとお腹に当てた手に触れるのは血に濡れたドレスだけで、刺さっているはずの杖はなかった。セフェリノが塵に変えてくれたんだろう。
道理で杖にも剣にも見覚えがあるはずだ。どちらもあたしがこの国に召喚された時に二人が持っていたのを見ていたんだから。
……ん?
召喚術に使用したらしい呪法具が木端微塵になっちゃったんだけど、あたしって日本に帰れるんでしょう、か……。
素朴な疑問に嫌な汗が噴き出すのを止められない。
あれれ? いやいや、落ち着けあたし! 召喚の魔術を使うには呪法具が必要で、呪法具は塵になって……永住フラグ!? そんな馬鹿な!
「きみは、その……着替えなくてもいいのかい?」
「今は着替えどころじゃないの! 多少のスプラッタはケチャップだと思って我慢してよっ、剣を扱ってて血が駄目ってことはないでしょ!?」
悠長なエリー王子に噛みついた。
大体王子も王子じゃない? アヒルは渡して正解だけど、ほいほい大事な呪法具を渡すなんて!
ぎろっと睨みつけると、エリー王子は目を泳がせ、困惑した様子でぽつりとこぼした。
「それはないが……目のやり場に困るんだ」
………………はい?
あたしは自分の姿を見下ろし、悲鳴を上げて飛び起きた。
「うひゃあっ!! なんなのこれっ!」
お腹が血まみれドレスは予測の内。
だけど胸元に見えるのはありえない光景で、ありえないボリュームだった。
マウント・フジ。
いやさあたし的にはチョモランマ。
襟ぐりの開いたドレスから「ポロリもあるよ☆」な際どさで豊かな胸がアレを形成していた。
あたしの慎ましやかな胸では寄せて上げて引っ張ってもできなかった、夢のた・に・ま!
震える手で確かめると、ふにっ、とやわらかな感触が返った。自分の指の動きがはっきり感じられるからパッドやシリコンじゃない。
ふにゅふにゅと信じられない心地のまましばらく揉んでいたあたしは、男二人の視線に気づき、恥ずかしさで憤死するかと思った。
「みみみみっ見てんじゃないわよっ!!」
エリー王子は赤くなって顔を背けた。セフェリノはそんな王子から「貸せ」とマントをはぎ取ると、「本当は使わせたくないのだが」とブツブツ言いながら不本意そうに差し出してきた。
誰のだっていい。あたしは一も二もなく大急ぎでマントをひったくり、彼らに背を向けた。
立ち上がって大きなマントの前を合わせようとし、手が止まる。
「……どうなってるのこれっ! 嘘でしょお!?」
ドレスが短くなって生足サービスだしっ、髪の毛もワサワサと腰の辺まで伸びてるんですけど!?
あたしは赤くなったり青くなったりして一通り自分の変化を確かめた。
突然増量された胸と長い髪、伸びた手足にサイズが合わない縮んだドレス。ドレスが小さくなったんじゃなかったら、考えられることはひとつ。
あたしは振り返り、ニッコリとセフェリノに笑いかけた。
まあいやだ、口の端が引き攣るのはどうしてかしらウフフフフ。
「ねえセフェリノ……あたしなんだか成長してるみたいなんだけど、心当たりないかなぁ?」
雨後の筍もびっくりの急成長だ。魔法のようだけど、あたしはシンデレラじゃないから魔法使いに縁はない。もし人間の仕業だったら呪法具が壊れた今、魔術は解けているはず。
多分あの時サルバドール老師が驚いていたのはあたしの姿にだったんだろう。
同じく驚いていたエリー王子も除外するとして、残る容疑者は……。
「竜族の伴侶になるということは、眷属に加わるということだ。肉体も寿命も私に準ずる」
「具体的に、わかりやすく!」
「竜族は頑強にできているし、治癒も早い。傷はほぼ治っているだろう?」
「そうね、痛まないのはどうしてかなって思ってたの。それよりこの姿はなに?」
「私は百を少し越えたばかりだが、人の年齢に換算すると二十ぐらいだ。寿命を合わせるために私の歳にならったのだと思う」
「で? あたしに言うべきことは?」
多少目線は高くなったけれど、見上げなければいけない金色の瞳が嬉しげに細められた。
「大きくなっても貴女は可愛いな」
「~~あたしの青春を返せぇぇっっ!!」
極悪非道な竜に肘鉄をくらわせ、屈んだところで三往復ビンタをお見舞いしたのは乙女の当然の報復よね?