22.激突!《竜心珠》を奪え!
「殿下、鞘当ては後になさいますように。先に《竜心珠》を確認いたしましょう」
サルバドール老師の言葉に、なぜか少しだけ決まりが悪そうに咳払いをしたエリー王子は、あたしに向かって命じた。
「ディアナ、《竜心珠》を持っているだろう? 見せてもらおうか」
ディアナと呼ばれても、命令は命令だ。拒むことはできない。
「姫、応じないでくれ」
あたしの腕に手を置いてセフェリノが止める。だけどあたしの身体は王子に従おうと、「邪魔しないでよ」と彼の手をふり払った。
《竜心珠》を見せると、初めて見る二人は疑わしそうな顔になった。
「これが《竜心珠》なのか……?」
「宝石のようなものかと思っておりましたが、まるで石炭ですな……本物ですかのう?」
「本物かどうか、確かめればいい。この大広間なら竜の姿でも支障ないだろう。こちらの思うまま姿を変えて頂ければ本物の証明になる」
最初からそのつもりだったのかもしれない。ここは天井も高く、氷竜に戻っても大丈夫なぐらい広い。
眉をひそめたセフェリノが鋭く王子を睨みつけた。
「無礼な。我に指図するつもりか」
「いいえ、貴方に願うつもりはありません。ディアナ」
あたしはこくりと頷き、《竜心珠》をぎゅっと握った。
「セフェリノ、竜に戻って」
一言もなく、セフェリノは竜の姿へと変じた。
ざっと全身が総毛立つ。放たれる冷気で一気に周囲の気温が下がった。
小さな人間たちを踏みつぶさないために少し離れた場所にいても、圧倒的な存在感はすぐ間近に感じられた。幾万もの水晶が連なるような氷の鱗。滑らかな筋肉の動きに合わせ、光が虹色の筋となって体表を流れる。
子供のような歓声をあげたのはサルバドール老師だった。
「おおっ!! こうしていても溢れ出る魔力を感じますぞ! 竜族とはなんとすばらしい生き物であるか!」
『寄るな人間』
高みにある金色の瞳はギラギラと怒りに燃えていた。憤りを表してヒュッと宙を鞭打つ尾。当たれば人間なんて軽く吹っ飛ぶだろう。同じことを思ったらしいエリー王子があたしを横目で見て言った。
「貴方に身動きされると、わたくしどもは脅威を感じてしまいますね」
「……動いちゃだめだって。じっとしててね、セフェリノ」
グルルッと唸った氷竜が物騒な尻尾を床に垂れる。敷石を抉り掴んでいた氷柱の爪も動きを止めた。エリー王子を睨みつける瞳の迫力は人型と竜の姿では段違いだ。アヒルを握る王子の拳が白くなっていた。……いっそ握りつぶしてくれたらいいのに、日本のおもちゃって頑丈にできてるんだね。
「ほうほう。実に見事なものですな。娘が真名を知るとはいえ、やはり強制力を発しているのは《竜心珠》のようだ。……殿下、少し《竜心珠》を拝見したいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、かまわない」
エリー王子はセフェリノから目を逸らせないらしく、サルバドール老師を見もせず言った。だから老人がにたりと笑ったのを見たのは、あたしとセフェリノだけだった。
『渡すなっ、その者何か企んでいるぞ!』
セフェリノの忠告は遅かった。サルバドール老師はあたしから《竜心珠》を引ったくると、老人とも思えぬ素早さで飛び退り、見覚えのある杖をかまえた。中央の赤い宝玉が不規則に明滅している杖は、あたしが召喚された時に老人が持っていたものだった。
「動かないで下さいませ、殿下」
「サルバドール、何を!?」
とん、と床を打った杖を起点に炎が走った。魔術を使う杖だったらしい。
生まれた炎は蛇のように床を這い、あっという間に王子を中に捉えると爆発的に燃え盛った。築かれた炎の壁は王子の胸を超える高さだ。あたしのところまで肌をあぶる熱気が伝わってきた。
熱さに顔を歪めたエリー王子は何事かを呟くと腰の剣を抜き放ち、炎の壁を一閃した。
一薙ぎの間だけ衰えを見せた炎は、次の瞬間いっそう火勢を増した。
「ほっほっほ……わたくしの魔術に干渉するには、殿下では力不足でございますなぁ」
サルバドール老師は品定めをするように《竜心珠》を掌で転がしながら笑った。魔術は老人の方が強いらしい。
……どうも仲間割れってやつのようです。
「何を考えているっ、炎を収めて《竜心珠》を返せ!」
「お断りいたします」
「……金か? いくら欲しいんだ?」
「金っ! 金なぞいくらあっても老い先短い年寄り、墓に持って入ることしかできませぬ。ですが、《竜心珠》は手にすれば竜の寿命と魔力を得られる栄光の珠だと言うではありませんか」
「まさか、そのためにっ」
「殿下のお招きは渡りに船でございました。氷竜から《竜心珠》を奪うなどと馬鹿げた計画が成功するとは思うてもみませんでしたが、意外や意外、こうして手にすることができました。……象嵌された宝玉かと踏んでおりましたが、まるで粗末な石くれですな。さて、これを所有するにはどうればいいのだ氷竜よ。呑み込めばいいのか?」
セフェリノは無言のままサルバドール老師を見下ろしていた。その手段が当たっているのか外れているのか、金色の瞳から読み取ることはできない。
「まあよい、試してみるとしよう。それにしても殿下は欲がございませんのう。かの氷竜を隷属させられるときに、なぜイスラごときで満足されるのか。周辺諸国を降して世界の王となることも夢ではありませんのに、覇気のない為政者はいずれ王座を追い落とされましょうぞ」
《竜心珠》をつまみ上げ、うっとりと魅入る老人の眼は欲望に濁っていた。
「殿下に《竜心珠》は勿体のうございます。わしが世界を従えてみせましょう!」
「ディアナ! サルバドールを止めろっ、《竜心珠》を取り戻せっ!」
王子の命令は絶対だ。頭で考えるよりも早く、サルバドール老師へタックルをかましていた。操り人形状態のあたしはノーマークだったらしく、簡単に押し倒すことができた。
「なにをする!?」
「《竜心珠》をかえしてっ」
『無茶をするな姫!』
床の上で揉み合いになった。相手は老人といえども、お互い死に物狂いだ。握り締めた手をこじ開けようとして爪で引っ掻かれた。血で指が滑って力が入らない。このままではらちが明かないと思ったあたしは、サルバドール老師の腕にがぶりと噛みついてやった。
どうだっ、入れ歯(たぶんそんな歳だし)のじいさんには真似できない芸当でしょう!
「このっ……やめんかっ!」
「きゃっ……」
衝撃とともに視界がぶれた。殴られたこめかみから痺れが走り、顎の力が抜ける。必死に抗おうと突き出した手が偶然老人の眼をかすめたらしい。うめき声を上げて顔を覆った老人の指から黒い石がこぼれ落ちた。《竜心珠》はカツンと床で跳ね、あたしの手の傍に転がってきた。やった! ゲットしたよっ、セフェリノ、エリー王子!
「それをよこせっ!!」
咄嗟だった。隠すにしたってもっとマシな場所があっただろうに、取られちゃいけないと思ったあたしが選んだ場所は、自分の口の中だった。
血の味がする石は予想外な大きさで、「喉につまって死ぬかも」という若干間抜けな危惧を抱いた瞬間、《竜心珠》はしゅわっと舌の上で溶け、炭酸の泡が弾けるみたいに小さな刺激と清々しさだけを残して消えてしまった。
「――呑んだのか小娘!? ~~許さんぞっ! 出せっ、出さんかっ!」
サルバドール老師が杖を掴み、振りかぶった。頭を庇った腕に一撃、二撃。骨に響く痛みに襲われてあたしは叫び声をあげた。
追撃は腕だけにおさまらなかった。両腕を上げて無防備だった胸の真ん中をドンッと打たれ、息が詰まる。続いて脇腹へ振りおろされ、激痛とともにメキッと嫌な音がした。
「出せ出せっだせぇぇええぇぇっっっ!!」
「やっ……いたっ! やだっ……ぐっ……」
『やめろ人間! 姫に手を出すなっ!』
「サルバドールっ! やめないか!」
鈍器と化した杖にお腹を殴られ、内臓が口から飛び出るかと思った。胃からせり上がってきたものを床に吐いた。咳込む辛さに涙が出てくる。
サルバドール老師を止めようとする二人の声が遠くに聞こえる。全身が心臓になったみたいだ。ドクドクと激しい脈動に合わせて痛みが押し寄せてくる。どこもかしこも痛くて大声で泣きわめきたいけど、身体を丸めて痛みに耐えるのに精いっぱいだった。
「もういいっ、一度奴に渡せっ!」
焦った声で王子が命令の変更をしてくれるけど、吐き出したくても消えちゃったから無理なんだって! あえぐ息では言葉にならなくて、首を横に振って答えにかえた。
『姫っ姫っ、貴女を助けろと私に命じてくれっ!』
悲痛なセフェリノの声が頭に響く。もどかしそうに歯噛みする牙の音に、動かないでと彼に命じたままだったことを思い出した。自由にしてあげたいけど、王子の許可がない限りそれもできない。
あたしって本当に役立たずだ……ごめんね、セフェリノ。
「いいだろう、どうあっても出さぬというのなら……」
ドカッと肩を蹴られて仰向けにされた。
あたしを跨いで馬乗りになったサルバドール老師は、手にした杖の柄を回した。二つに別れた柄の間から、冷たい銀の輝きを放つ刀身が現れる。老人は血走った眼に狂気を宿らせ、逆手に持った仕込み杖を大きく振り上げた。
逃げなきゃ、と思うのに恐怖で動けない。
「――腹をかっさばいてでも取り出してくれるわっ!!」
『やめろぉぉぉっっ!!』
広間を揺るがす咆哮が全ての音をかき消す中、どすん、とお腹に衝撃を感じた。