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氷竜と身代わりの花嫁  作者: riki
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20.ただ一人に許された名。

「本題に戻ろうか。《竜心珠》はどこにある?」

「知らないって言ってるじゃない、しつこいわよ! ……大体、《竜心珠》を手に入れたい目的はなんなの? 花嫁のことだったら事情を説明すればどうにかなるかもしれないわ。セフェリノは話の通じない相手じゃないもの」


 世の中に黒髪の女性は大勢いるだろうから、他を当たれとマザコン竜に掛け合ってもいい。

 あたしの妥協案に、エリー王子は困った顔で首を横に振った。


「無駄だよ。たしかに氷竜は竜族の中でも気性は穏やかだけれど、争いを拒む。《竜心珠》がどうしても必要なんだ」

「争い? セフェリノになにをさせるつもり?」

「ソレールには氷竜の守護がある。過去にそれを信じずに攻め入ってきた国は、例外なく氷竜から手痛い損害を被っている。だが、庇護の翼が差しかけられるのは国内だけだ。国境を一歩でも出ると氷竜は護ってくれない」


 なにが問題なの、と言いかけて、不意に理解した。


「…………よその国を攻めるのね?」


 自国の領土内に限られていた氷竜の守護を、思いのままに操ることができたら?

 セフェリノは比類のない最強兵器となる。氷の鱗を纏った巨体は、歩くだけで人も馬も家だってぺしゃんこだ。魔術も効かない。食事も氷ですむから安上がり。築き上げた城壁も翼を持つものには意味がない。頭上から人々にブリザードブレスを吐きかけたらどうなるだろう?


「我が国は豊かな国だ。しかし人間は慣れてしまうんだよ。恵まれていても、恵まれているからこそ、もっとおいしい食べ物を、綺麗な服を、いい暮らしを! ――国民が求めていることに応えるのも、王族の義務だ」

「なにが義務よっ、どうして今のままで満足できないの!? セフェリノに罪のない人たちを殺させようとするなんて信じられない!」

「……きみが氷竜に情を移すようになるとはね」

「どっちに味方するかなんて考えるまでもないでしょっ! あんたたちは鬼畜よっ、一欠片でも良心があったらこんなひどいこと思いつかないわ!!」


 あたしの罵りに眉をひそめたのは、エリー王子よりもサルバドール老師だった。


「殿下、術の精度が問題でございますよ。縛りを強くなさいませ。このような耳障りをお許しになられるなど……」

「行動の制限はできているようだが?」

「行動だけでは頼りのうございます。わたくしめが術をかけることができれば自我の消去も可能ですが……対象が自らの意思で真名を許すのが術の条件。惜しまれますなあ」


 恐ろしいことをさらりと吐いて、酷薄な視線を向けてくるサルバドール老師に震えた。この人はきっとあたしに路傍の石ほどにも価値を見出していない。

 老人は哀れむように笑った。


「かわいそうに、震えておられる。この部屋は寒いですからのう。老身にも堪えます」

「会話も魔術も洩れないのはいいが、地下にあるのがどうもな……」

「氷竜はこの娘に執着しておるようです。もし術をかけたと知られれば我らの命はありますまい。用心にこしたことはございませんぞ」

「では手っ取り早くすまそうか。きみは大人しく話してくれそうにないしね」


 ペンを手に取った彼は、アヒルに何かを書き付けた。


「“サン”、氷竜から《竜心珠》をもらったかい?」


 ぎちり、と身体を戒める不可視の重圧が強まった。

 いやだ。

 答えるものかと鉄錆の味が広がるほど噛みしめた唇が、あたしを裏切った。


「……もらった、わ……」

「それで、どこにあるんだい?」

「……神、殿に……おいて、きた…………」

「どんな形状をしている?」

「くろい、石……」


 悔しいっ……!! 握りしめた掌に爪が突き刺さる。

 誰かあたしの口を塞いでくれたらいいのに。

 エリー王子とサルバドール老師は小声で会話を交わし、あたしにこう言った。


「神殿に戻り、《竜心珠》を持っておいで。氷竜も連れてくるといい」

「……できない」

「どうして?」

「あたしに、は……セフェリノを……つれてくる、ちからがっ、ないもの……」


 《竜心珠》は持って来られるけど、セフェリノを連れてくることは腕力的に無理だ。氷竜の首に縄をかけて引きずってこいとでも言うのだろうか。それに、三十日間は神殿を離れちゃいけないはず。あたしは婚約期間中だっておかまいなしに城へ来ていたけど、セフェリノは一度もついて行くとは言わなかった。律義にしきたりを守っている彼をどうやって連れ出すの?


「心配しなくても、きみの一言で解決するよ。……ディアナ以上に適役だったらしいね。氷竜から真名を許された時も驚いたけれど、《竜心珠》までもらうとは」

「……真、名……?」

「気づいてないのがきみらしい。誰も知らなかった氷竜の名をきみに教えたのは誰だい? 秘めたる名で呼ぶことを許したのは?」


 “セフェリノ”、この名は彼の――。


「きみ以外誰も氷竜の名を呼ばないのはなぜだと思う? 資格のない者が呼べば殺されかねないからだよ。魔力の有無も強弱も関係ない。古来より竜族が真名を許すのは、伴侶のみと決まっている」


 エリー王子は手の中のアヒルをくるりと回した。


「《竜心珠》は、いわば竜族用の呪法具なんだよ。人間の魔術が及ばない存在へ干渉できる唯一の媒体だ。《竜心珠》には竜の莫大な魔力が籠っていて、手にすれば竜と同様の魔力と寿命を得られる。魔力のないきみでも呪術字無しで使えるだろう」


 自嘲するように唇を歪め、「簡単なことだよ」、と続けた。


「ぼくの真似をすればいい。《竜心珠》を握り、真名を呼び、命じるんだ。“ついて来い”、とね」


 恐ろしい構図が脳裏に描かれ、さっと血の気が引いた。王子の言葉通りなら、セフェリノを操る立場になるのは? 彼らの望むままに、セフェリノに人殺しをさせるのは……あたしだ。


 婚約式の日、セフェリノの名を呼んだあたしを見て、彼らはさぞかし喜んだことだろう。だってエリー王子はあたしの真名も媒体も手にしていたんだもの。あとは《竜心珠》を見つけるだけでよかった。

 ねえ、本当は日本に帰してくれる気なんてなかったんでしょう? 泣いてごねたって協力を拒んだって、命じればすむんだから。


「殿下、真名を秘めさせることをお忘れなく」

「ああ、そうだったな。いいかい“サン”、きみはまだ氷竜に名乗っていないね? これからもディアナで通すんだ。絶対に真名を名乗ってはいけないよ」


 身代わりのあたしがセフェリノに名前を教えていたはずがないというのに、強固に念を押すのはどうしてだろう? 訝しむ色が出ていたらしい。


「竜の魔力は肉体と声に宿る。もし氷竜がきみの真名を呼べば、ぼくの術は押し負けて瞬時に砕け散る。呼び比べで人間に勝ち目はないからね」


 ――セフェリノに名前を尋ねられたあの日、教えておけばよかった。

 もっと早く、身代わりだと告白すればよかった。

 人を食べる竜じゃないと知ったとき、彼に優しくされたとき、考え直す機会はいくらでもあったのに。セフェリノと天秤にかけ、元の世界に帰る方をとった。あたしが身勝手だから、罰が当たったのかな……。


「それにしても、なぜこの娘なのでございましょうな? 黒髪であるにしても、ここまで氷竜が気に入るとはいささか不可思議でございます」

「……ぼくにはわかる気がするな」


 前に立ったエリー王子に、顔を覗き込まれた。悔しくて悲しくて泣きそうだったけれど、彼らに弱みを見せたくなかった。

 潤みそうになる瞳に力を籠めて睨み返した。


「――この目だ。何者であっても、おそれることなくまっすぐに見つめてくる」


 当たり前だ。あたしは現代日本人だ。身分制度なんて知ったことじゃない。

 相手が正真正銘の王子様だって、ありがたがってかしこまったりするもんか。


「……わかりませんなあ。殿下は世継ぎの君ですぞ、敬われてしかるべき御方だ。氷竜も皆が畏怖し崇める我が国の守護者。わたくしにはこの娘の態度は不遜に映りますがのう」

「理解しろとは言わないさ」

「殿下も惹かれておいでですかな?」

「いや、…………許すまい」


 誰が、とも、何を、とも言わず、翠の瞳は逸らされた。


「さあ、行くんだ“サン”。《竜心珠》と氷竜を連れて城に戻れ」


 エリー王子の促しに、あたしの脚は勝手に歩き出した。

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