17.灯台もと暗し。
頭までグルグルと毛布にくるまったあたしは、目だけ出してセフェリノの一挙手一投足を注視していた。毛布はガードだ。べつに、怯えてなんていないけどね!
「姫、そんな隅に寝ていては危ないぞ。机が崩れてくるかもしれない」
「う゛ぅ~(セフェリノの隣の方が危ないわよ)」
「まだ怒っているのか?」
「う゛う゛っ!(あったり前でしょ!)」
「――夜は冷える。この姿ならば、以前姫が言っていたようにあたためることができるが」
「キシャーッッ!!(あたしに近寄るなぁ!!)」
「……せめて喋ってくれないか……」
あたしの威嚇に、困った表情のセフェリノが溜息を吐いた。彼の両頬には真っ赤な手形がはりついている。
右手で一発、左手で一発。イイ音がしました。
むろん天誅だ。二度にわたって乙女の唇を無断で奪っただけでも許し難いというのに、あまつさえ、し、舌を……。
いやいやいや、忘れるのよ山。野良犬に、ううん竜に噛まれたと思って。ブツブツと自分に言い聞かせていると、セフェリノが途方に暮れた様子で言った。
「どうしたら許してもらえるのだろう?」
絶対ユ・ル・サ・ヌ・ゾ! そう叫び返そうとして、ピンと閃いた。
待ってよ、これはひょっとしてチャンスなんじゃないの?
「……まず、竜に戻って」
セフェリノが頷いたかと思うと、瞬きする間に氷竜に変じた。
蝋燭の灯りを映してオレンジに煌めき、月明かりを受けて青く光る氷の鱗。氷柱の爪に金色の目。空間を占める大きな体。人は恐ろしいと言うかもしれないけど、あたしは見慣れた姿にホッとした。ぶっちゃけ人型の方が緊張します。
毛布から這い出し、コホンと咳払いした。
「あなたはビンタ二発じゃ当底許されない行いをしましたが、あたしの質問に正直に答えたら、ゆる……しちゃっていいの? でも二度あることは三度あるっていうし、甘い顔しちゃいけないような……」
『姫?』
「ええいっ出血大サービスで許します! だから正直に答えてね。あと、どうしてこんなことを聞くのかと尋ね返さないこと!」
『わかった』
深呼吸して心を落ち着け、あたしは氷竜を見上げた。
「セフェリノは、《竜心珠》って持ってる?」
『ああ、持っている。竜族ならば第二の心臓として皆持っているものだが?』
意外な質問だったらしく、セフェリノは軽く首を傾げた。
そっか、やっぱり持ってるんだ……。
あたしはこっそり唇を湿した。ここからが本題だ。ざわざわと蠢く感情を押し込めて蓋をする。考えるな、考えるな。喉がカラカラになり、背中を嫌な汗が伝った。
「その《竜心珠》ってどんな形をしていて、今どこにあるの?」
形状のわからないものは探しようがない。今日の捜索でつくづく実感した。わからないなら本人に尋ねるのが手っ取り早いけど、内容が問題だ。どうすれば不審をかわずに聞き出せるか。良い案が思い浮かばない中、セフェリノの申し出は渡りに船だった。
セフェリノの答えをエリー王子たちに教えれば、すぐに《竜心珠》は見つかるだろう。そうしたらあたしは晴れて身代わりの花嫁から解放される。
ゴクリと固唾を呑んで返事を待つ。
…………なに、この気まずい沈黙。
まさかあたしたちの目論見がばれたんだろうか、と心配になった時、澄んだ声が頭に響いて告げた。
『――《竜心珠》ならば、姫に渡した』
「……えぇ!? 何それっ、もらってないよ!」
宝石も腕輪も剣も受け取っていない。あたしが憤慨の声を上げると、セフェリノは拗ねたように金色の瞳を半眼にした。
『初めて逢った日に、結婚誓約書とともに渡した』
あの巾着袋!?
ダッシュでそこら辺に転がしておいた巾着袋を取って戻る。結婚誓約書ってあたしには要らないものだよねー、と存在ごと記憶から抹消してました。再び開けることになるとは思っていなかったから、きつく縛った紐に手こずりながら解いていく。
手を突っ込んで触ったものを引きだし、セフェリノに見せた。
硯? 氷竜が首を振る。違うんだ……。
墨も羊皮紙も羽ペンも水の入った小瓶も違った。最後に袋の底に転がっていた石を取りだす。小さい割にずしりと重いからてっきり文鎮だと思い込んでいた。
えへ、と愛想笑いを浮かべつつ、聞いてみる。
「……これが《竜心珠》だったりして?」
『その通りだ』
宝石でも装飾品でもないじゃん!
あたしは手の中の石を観察した。滑らかな表面の丸い石。色は黒で、表も裏もあちこち引っくり返して見てみたけど、ただの石との違いがわからない。
「大事なものだって言ってくれたらよかったのに」
知ってたらもっと大切に扱っただろう。大切にして、そして……?
王子たちに、渡してた。
『氷竜と婚姻を成す王族が、《竜心珠》の形状を知らぬとは考えていなかった。だが五百年も経てば伝わっていないのも仕方がない』
苦笑しているような声。ズキリと胸が痛んだ。
竜を思いのままに操れるという、《竜心珠》。
セフェリノもさ、そんな大事なものをぽんっとあたしみたいな小娘に渡さないでよ。悪用されたらどうするの?
「……あたしにくれたのはどうして? だってもうひとつの心臓っていうぐらい、大事なものなんでしょ?」
『竜族は生涯でただ一人の伴侶を持つ。《竜心珠》とは、伴侶に捧げる心の証』
目の前に居るのはもう氷竜ではなかった。
跪いた青年は面映ゆそうに微笑んで囁く。
「――愛しい姫。貴女にならば、渡してもいいと思った」
返す言葉もないあたしの手の中で、《竜心珠》が急に重みを増した気がした。