12.吐きます。基本仕様です。
王子にはああ言ったものの、あたしにできるのは神殿でセフェリノと過ごすくらいだった。
身代わりとはいえ花嫁として、氷竜と恋だか愛だかを育まないといけないのかもしれないけど……。
そりゃセフェリノは優しいよ。でも竜だし。ライクはあってもラブな雰囲気にはなりようがないって!
「セフェひのって、お腹空ふぁない、んぐ、の?」
昼食時、自分だけ食べているのも悪い気がしてそう尋ねた。
調理する人間がいない神殿へ運ばれる料理は、そのままかぶり付けるものがほとんどだったけど、不満はまったくございません。
このバゲットのサンドイッチがまたおいしいのだ。表面はパリッと香ばしくて、ふわふわの中身にはたっぷりバターが塗ってあり、フィリングは胡椒のきいたハムとレタスにトマト。添えられたジュースで喉を潤したら、もう二個三個と手が伸びてしまう。ヤバい、こっちに来てからお腹まわりが危機的状況です。
食べ終えると、セフェリノに神殿の中庭へ誘われた。
「ううっぷ……ジョギングならあとにしてね、走ると脇腹痛くなるから」
『走るわけではない。――姫は食べる割に肉付きが良くないな』
今どこを見た、どこをっ!
ちらりと上半身に走った視線はセクハラじゃないでしょうか。
「ふん! セフェリノに人間の女性の体型なんてわかるの?」
悪態をついたら、ぱたりと耳を揺らした氷竜が言った。
『確かに、体型についてはわからないな。私が知っている女性で比べることができるのは、母だけだ』
「あっそう。言っておくけど、あたしは未来に希望があるの。まだまだ成長期だからね!」
再び走ったセフェリノの視線は、満腹のお腹にだった。
…………おのれマザコン竜めっ、今に見てろ!
屈辱を噛みしめ、あたしは強くダイエットを誓った。
『ここでいいか。姫は下がっていてくれ』
中庭の噴水を前にして、セフェリノは立ち止った。翼の陰にあたしを下がらせる。
ちょっと。何する気か知らないけど、見えないんですが?
前に回ろうとした瞬間。
――ゴォウッッッッ!!
世界が凍りついた。
一瞬で周囲の気温が零下に下がり、白く渦巻く冷気で何も見えなくなった。目を開けていることができなくて瞼を閉じる。芯まで凍りつきそうな冷気につつまれ、あたしは自分の身体を抱きしめたまま、ただ震えているしかなかった。
『もう目を開けてもいい』
翼が起こした風で冷気が払われ、陽射しが戻った。
おそるおそる目を開くと、水が噴き上がっていた場所に氷の柱が立っていた。噴水だけじゃない、噴水を囲む地面に生える草も辺りの木々も、白い霜をつけて凍っていた。暖かな太陽に当たっているはずなのに溶けだす様子がない。
あたしのいた場所はセフェリノの翼に守られていたけれど、噴水の周囲に満ちているのは雪が降り積もる冬の夜の静けさだ。
生物が息をひそめて過ごす、死に通じる静寂。
『――これが私の食事だ』
牙の隙間から、シュウッと名残の息吹が洩れる。
噴水へ向かうセフェリノの足元で、踏みつけられた下草が緑の粉と砕け散った。翼に触れる枝が軽い音を立てて折れ、砕け、地に落ちた。
大きく顎を開けた氷竜が、がり、と氷の柱を噛み砕く。
硬く凍った柱を飴でも齧るように、がり、がりり、と美味しそうに食べていく。
この国の人たちがセフェリノを恐れているのが不思議だった。日本には竜なんていないし、あたしにとってはお伽話やゲームの中の存在だったから。
王子はひどく緊張していた。
神官長のおじいさんは気絶しそうな態度だった。
親しみやすい性格だから。
人間を食べないから。
だから竜という生き物は安全なのだと思っていた。
人々がどこに脅威を感じるのか、今わかった気がする。震えに、寒さ以外の理由が加わった。
セフェリノは種の異なるいきもの、氷竜なのだ。
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悪気はないけど迷惑な人っているよね? セフェリノってそんな存在だと思う。
噴水の水を凍らせるために周囲一帯を凍らせるなんて、大雑把にも程がある。蝋燭の灯を消すのに消火器を持ちだすようなものだ。蝋燭の灯が消える頃には、あたしの命の火も消えてるよ。
離れた位置でしゃくしゃくと氷塊を咀嚼している竜を眺め、あたしは寒さのあまり足踏みしながら食事が終わるのを待っていた。霜のついたドレスが冷たくて、じっとしてるとクシャミが出そうだ。
『姫は落ち着かないようだな。ああ、走ってくるのか?』
「余計寒いわ! もう中に戻るからね!」
ぷいっとそっぽを向いて神殿に向かう。セフェリノが慌てて後を追ってきた。歩幅の違いですぐ追いつかれる。
『なぜ怒っている?』
「寒いから」
『息吹は直接当たらなかったはずだが……』
「直接は、ね。でも辺りが凍るほどよ? 間接的にめちゃくちゃ寒いに決まってるでしょ!」
てれ、と鼻から垂れてきたのを袖口で拭いつつ、ハンカチを持ってくればよかったと後悔した。
横に並んだセフェリノはしゅんとして項垂れた。
『……すまない。私はどうも息吹を吐くことが苦手で、思うように調節ができないのだ。目的の物だけを凍らせることが難しく、つい対象を広範囲にしてしまう』
「出力を絞れ! 命中率を上げろ! つい、で食事の度に死にそうな目に遭うなんて冗談じゃないわよ」
『それならば大丈夫だ。私はひと月に一度の食事で事足りる。次の食事はエストレージャに戻ってからだ。姫に迷惑はかけぬ』
なにやら必死に言い募る竜。
そこであたしは、“今後食事の時は被害の及ばない場所で行う”こと、ブリザードブレス?の“威力の調整ができるように修行する”こと、を提示した。
『わかった。姫の言う通りにしよう。…………もう、怒ってはいないか?』
立ち止まってセフェリノを見上げた。
主人の許しを待つ子犬のような仕草で小首を傾げるセフェリノに、疑問がわいてくる。
人間におもねる必要などない氷竜が、どうして捧げられた小娘の機嫌をとるような真似をするんだろう、と。