邂逅
カクヨムにて7~9話でわけて投稿したものです。
ガサガサと草木をかき分けて獣道から出れば、階段が現れた。階段といっても、泥を積み上げ、木枠で組んだものだ。しかし、人の手の入った物が見られるということは、人里が近い証拠だ。
「この先の宿場町で、仲間と落ち合うことになっている」
「わかった」
ジェイドの言葉に頷いて彼を見ると、ジェイドは顔に布を巻いて、目だけ出るようにし、更にフードを被った。
「ジェイド、何しているの?」
「人相書きが出ていたら困るからな。村を襲った奴らの話からすると、俺は灰妃さまを殺害した犯人らしいのでな」
「そ、そっか……僕も顔を隠した方がいい?」
「うーん。そうだな」
ジェイドはそう言うと、マントのフードだけ深く被るように、神具は手に持つようにと言った。
階段を下って歩いて行けば、段々と足下の道が木から石段に変わっていった。階段を下りきってしまえば、目の前に平坦な道へ続いている。
向かいから行商人の装いをした老人が歩いてきて、思わず顔を見られないよう顔を背ける。しかしジェイドが小声で「自然に、堂々として前を見て歩け」と言い、顔を上げる。老人は特にアイルもジェイドも気にせず横を通り過ぎていった。
まばらだった人の往来が増えて、すれ違う人が多くなっていった。なるべく首を動かさないよう目だけを動かし、フードの隙間から人々の動きを見る。荷台を引く人、大荷物を背負っている人、馬に乗っている人、他にもいろんな人がいるが、二人の様子を気にしているそぶりは見られなかった。脇道から大きな通りに合流し、道が横に大きく広がっていくと、草木の生えた道から石畳が整備された道になっていった。道の変化に伴って、どんどんと人は増える。
やがて、目の前に壁面と、大きめの聖火の土台が見えた。門には衛兵がいたが、大きなあくびをしながら、道行く人を眺めている。呼び止められることもなく、門をくぐれば、道に沿って店が軒を連ねている。
村の買い出しに連れて行ってもらったときに、街に行ったのを思い出した。大きな通り、様々な物が売った店、見たことのない食べ物や生き物、たくさんの聞いたことない人々の声、嗅いだことのない香りに、胸が躍った。ナラと一緒にはしゃいでしまって、じいちゃんに怒られてしまった。あの時頭にもらった拳は、とても重たかったなあと思った。
ふと思い出した風景と、目の前の景色が重なったが、あのとき来た街とは、違う街だ。並んでいる店も、香りも、そしてあのときの気分とも。
早足で歩くジェイドの後を、小走りでついて行く。大通りから路地に入り、更に路地を曲がって歩く。大通りの喧噪が小さくなったところで、ジェイドは一件の店の前で止まった。「ここだな」
「ジェイド、ここは……何屋さん?」
「宿屋だ」
ジェイドは木戸の音を立てないように開け、入り口をくぐった。アイルも後に続き、店の敷地に入って行った。
カウンターに店の主人と思しき人物が帳簿をつけていたが、ジェイドとアイルが入ってきたのに気がつくと、顔を上げて柔和な笑顔を作った。
古い建物であるが、掃除がしっかりと行き届いている。床はもちろん、天井から下がる照明にも、ホール横から伸びる階段の手すりにも埃がなく、窓は磨かれて外の往来をしっかり見ることができ、建物が主人に大事にされていることが分かった。
ジェイドが主人とぼそぼそと話をすると、主人は背後の並んだ棚から鍵を取り出し、二人の前を歩いて案内した。
三階の一番奥の部屋前まで案内されると、主人が丁寧に部屋の扉を開いた。広々とした部屋、清潔なシーツが敷いてあるベッドが二つ、長年使い込まれた文机と木の椅子、窓には細かいツタ模様の入ったカーテンが掛かり、開け放たれた窓から新鮮な風が入ってきていた。 主人はまたジェイドと話をすると、「ごゆっくりおくつろぎください」と言って、部屋を出て行った。アイルが慌てて主人に頭を下げると、それに気がついた主人も深々と礼を返した。
「少ししたら、湯も沸かしてくれるらしい。疲れただろう、一休みしよう」
ジェイドは背中の荷物を下ろすと、荷ほどきを始めた。
「お湯も使っていいの?」
「ああ、この時間なら他の客とも会わずにすむそうだ。いただいてくるといい」
「お、お金は……?」
「アイルお前、俺がそんな甲斐性なしだと思っていたのか?」
ジェイドが眉をひそめ、渋い顔をしてアイルの顔を見た。アイルは慌てて「そんな風に思っていないよ!」と弁明した。
アイルも荷ほどきしていると、部屋のドアをノックされる。湯の準備ができたと主人が呼びに来てくれたのだ。ジェイドに促され、先にお湯をもらうこととなった。
石けんも贅沢に使わせてもらい、泥だらけになっていた体を洗って綺麗さっぱりしたアイルは、汚れていない服に袖を通した。ふっと、服から石けんの優しい香りがする。
主人から湯冷ましまでもらい、部屋に戻ると、ジェイドが部屋いっぱいに荷物を広げていた。「後で片付けるから、そのままで」とジェイドは言うと、湯が冷めないうちにと、ジェイドは部屋を出て行った。
荷物を踏まないように、ベッドまで行くと、壁に立てかけてあった調停の剣を手に取った。ベッドに腰掛け、剣を布袋から出せば、相変わらず汚れも傷もない鞘と柄が姿を現す。
——……どうして、僕なのだろう。
確かに、ジェイドはこの剣を鞘から抜けなかった。わざと抜けないフリをしているわけじゃなかった。ジェイドが鞘を抜けるなら、僕をこんな風に村から連れ出したりはしなかっただろうと、そう思う。
旅に慣れていないアイルは、ジェイドに世話を焼かれ、明らかに旅路はジェイド一人で行くより遅くなってしまっただろう。神具に選ばれなければ、きっと近くの村に預けられたのだろうと思う。
どうして僕が選ばれたのか、全く分からない。剣を抜いたときに、何かあったのだろうか? 剣を抜いたときの事を思い出そうと、目を瞑った。脳裏に出てきたのは、真っ赤になった村と、人々。びくりとして、思わず目を開けた。冷や汗が背中に噴き出すのを感じ、剣を強く握った。
「じいちゃん、ナラ、皆……ごめん」
小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
ジェイドが部屋に戻ると、アイルがベッドに腰掛けた状態からパタリと横に倒れた状態で寝ている姿があった。腕にしっかりと調停の剣を抱えていた。ジェイドアイルの体勢を直してやると、毛布を掛けてやった。
※
走る。ただひたすら走った。後ろから赤色が、炎が、大勢の人々の声が追いかけてくる。ぐぐもった声は、低く轟き、どんどん大きくなっていく。音の渦が、熱が、足に絡み、手に絡む。まとわりつく声は、こう言った。
——どうしてお前だけ生き残った、アイルと。それは、村は外れのばあさまの声だった。村の入り口近くの家のおじさんの声だった。隣のおばさんの声、剣術を教えた子どもの声だった。テルハの声、ナラの声だった。
振り向けば、黒い影がこちらを見ていた。声をあげようと口を開いたが、足下から影と同じ色をした手が伸びて、アイルを縛りつけ、べたべたと体を這っていく。影に首を絞められ、口を塞がれた。無数にある影は、アイルを飲み込んでしまった。
目を開けると、装飾が施された天井に、明かりがぶら下がって灯っているのが見えた。息をつき、ああここは宿屋だと思い出した。
寝こけていたのだと、ふっと力を抜いた。しかし、見知らぬ気配、視線を肌で感じたので、体をガバッと勢いよく起き上がらせると、部屋に見知らぬ男が三人いた。
一人は眼鏡をかけた、落ち着いた服装の中年の男。一人は長身で若く、鮮やかな金色の髪の青年。一人は筋肉質で、片手に酒瓶を持った男。
「お、旗印さまのお目覚めだぞ」
「そのような呼び方はおやめなさい、失礼ですよ」
「いやあ、本当にガキだな」
男たちは、アイルに向かって口々に言った。
アイルは手元にあった調停の剣を抱き寄せ、ベッドの端に体を寄せると、なるべく男たちから距離を取ろうとする。
「ほら、お前の顔が怖いからだぞ、タウロ」
「いやいやお前の失礼な言い草のせいだろ」
金髪の青年と、酒瓶を持った男が言い合い始めたのを、眼鏡の男が呆れた様子でやめるように言っている。
「だ、だれ?」
困惑しているが、アイルに構わず三人の男たちは構わずしゃべり続けている。部屋のドアが開いてジェイドが入ってきた。
「アイル起きたか。随分うなされていたみたいだったが、大丈夫か?」
「う、うん……」
背中にびっしょりの汗をかいていることに気がついたが、今はそれどころではない。目の前に知らない男が三人もいる。ぎゅっと剣を握りしめていると、ジェイドがふっと顔を緩ませた。
ジェイドは三つのカップを持っており、眼鏡の男と金髪の青年にカップを渡していく。アイルにもジェイドはカップを渡した。カップの中には、温められた白い液体が入っていた。独特な香りに、山羊の乳だと分かった。ほかほかと上がる湯気と温かなカップに、ほっと息をつく。
「俺にはないのか?」
酒瓶を掲げ、男はジェイドに言う。ジェイドは「酒代をおごる理由はない」ときっぱりと言い捨てていた。
「さて、アイル。仲間を紹介するぞ」
ジェイドはアイルのベッドの端に座ると、男たちを紹介し始めた。
眼鏡の男はギオンと言い、反乱軍の頭脳。金策と反乱軍全体の動きを判断している役目にある。緩やかな動作で、ギオンは頭をアイルに下げた。
金髪の青年はフレイという名前の者で、北の戦士の村出身だ。剣術が得意で、魔法も多少使う事ができるという。腰に下げた剣は、何でも業物なのだそうだ。フレイは腕を組み、ふんと鼻を鳴らし、アイルから目をそらしていた。
酒瓶をあおる男タウロといい、その筋肉を見れば力自慢というのは一目瞭然だが、それ以上に様々な武器を扱うことができるそうだ。
フレイとタウロは、反乱軍の中で一、二位を争う程の武術の達人なのだそうだ。そして、ジェイドは反乱軍の中で諜報活動を主にしており、ギオンと一緒に反乱軍に指示を送る役目を負っていると、説明をされた。
「タウロとフレイは、今後はアイルの護衛をしてもらうつもりだ」
「護衛? どうして……?」
「そうだ! よろしくな、旗印さま!」
どっかりとタウロがアイルのベッドに腰掛け、アイルの肩を組んだ。酒臭い呼気が顔にかかり、思わず顔をくしゃっとしてしまう。薄目でタウロの顔を見れば、口元は笑っているタウロだったが、琥珀色の瞳の奥に鋭い光を宿しており、心臓が跳ね上がった。
「ふう~ん?」
タウロはするっとアイルのペンダントに触れた。チリチリと、触れられたところからペンダントが発火しているような、そんな緊張感があった。
ふっと、タウロが笑うと、縛り上げられるような緊張から解放され、アイルは止まっていた汗がまた出てくる。タウロはアイルの頭をぐしゃぐしゃと勢いよく撫でた。
「ははははは! いい目をしている。俺は気に入ったぞ! アイルと言ったな、よろしくな!」
勢いのあまり、頭も一緒にぐわんぐわんと振られ、髪の毛が乱れた。タウロは酒瓶をあおってグビグビと酒を飲み干した。その奥で、フレイがじっと目を細めてアイルを見ていた。
何故? 何故護衛が? 聞きたい気持ちでいっぱいだったが、ジェイドはギオンと話し始めて聞くことができない。当の護衛となった二人を交互に見て、聞くことができるようじゃ雰囲気ではなく、下を向いて縮こまっているしかなかった。
※
翌朝早く、ジェイドとギオンが旅立つと言ってきた。
「しばらく他の仲間のところに行ってくる。何かあればタウロとフレイについて行きなさい。大丈夫だからな、心配いらないさ」
自分でも自覚がある位に不安な顔をしているアイルに、ジェイドはアイルに優しい目をして頭を撫でた。胸に神具をぎゅっと抱き握ると、剣がカチャリと呼応するように鳴った。
このままジェイドに二度と会えなくなるかもしれない、そんな思いがふっと浮かべば、頭から離れない。
ジェイドはタウロに何か話をしている。ジェイドの言葉にタウロが大きく頷き、ジェイドの背中をバシンバシンと何度も強く叩いた。フレイには革袋を渡している。革袋から金属のこすれる音がしたので、恐らくお金が入っているのだろう。
ジェイドはアイルに、街の中は自由に歩いて大丈夫そうだということ、ジェイドはこの街に戻るので、それまでタウロとフレイと一緒にいるようにと、何度も言い含めて旅立って行った。
宿の部屋に、アイルとタウロ、フレイが残った。調停の剣を抱えて、ベッドの上に体を縮めて座った。
二人と何を話せばいいか、そもそもどうしていたらいいのか分からない。村にいたときは畑仕事や狩りに行っていて、なんだかんだやることがあった。街を自由に歩いていいと言われても、知らない街だ。何があるのかもわからないし、用事も思いつかない。
「なんだアイル、そんなに縮こまっていないで、こっちに来いよ」
タウロが椅子にどっかりと座って、手招きをしたが、アイルは首を振った。
「ジェイドの用事はすぐに終わるから、心配いらねぇぞー」
アイルの思いを察してタウロは言った。アイルは頷くことしかできなかった。
食事はフレイが持ってきてくれた。宿の店主が用意してくれたものを運んできてくれた。簡素な食事だったが、塩辛い干し肉や固いパンに比べれば食べやすいものだ。食べやすいが、やはりアイルには味があまり感じられない。黙ってもぞもぞと食べ終わって顔を上げると、フレイが睨み付けて目の前に立っていた。口にあった食べ物をごっくんと飲み込む。
「な、に……えっと、フレイ?」
「お前、それはどういうつもりだ?」
「それ?」
「これだよ!!」
フレイはアイルのペンダントを引っ張り上げる。ペンダントの紐が、首の後ろに食い込んでちりっと痛み、紐に引っ張られて体を起き上がらせて立ち上がる。手に持っていた空になった食器を落としてしまい、派手な音を立てた。しかし、その音も気にならないくらいの剣幕で、フレイはアイルを見下げている。
「お前、俺たちがどんな関係で集まっているかわかってんのか!」
「分かっているよ。はんら……」
「なら、これは一体どういうつもりなんだよ!」
フレイがまた、ペンダントを引っ張った。フレイの握られた拳の下から、アズトラ教のシンボルがぶら下がっていた。
「なんで俺らの旗印になるって奴が、こんなもんぶら下げているんだよ。ふざけるな!」
「これは、僕の大事な……」
「大事!? こんなもんが? 馬鹿にするのも大概にしろよ! 俺たちが遊びで戦っていると思ってんのか! 目障りだ!!」
フレイはつんざくような声で怒鳴り、ペンダントを引っ張って紐から引きちぎった。千切れたシンボルは、フレイの拳に握り込められた。
「返して! 返してよ!」
アイルがフレイに飛びかかると、フレイは握り込んだ腕を上げ、アイルの手の届かないところにまで腕を掲げた。フレイの方が長身なので、どんなに手を伸ばして飛び上がっても、フレイの拳には届かない。
「おいおいフレイ、いじめてやるなよ」
タウロは少し離れたところで椅子に座ったまま、呆れたように見ている。しかしフレイを止めるつもりもなく、ペンダントを取り返す様子もない。
「俺らの旗印になるってんなら、こんなもんは捨てちまえ!」
フレイは飛びつくアイルを振り払うと、窓の方に歩いて行くと拳を大きく振って、外に放たれてしまった。慌てて窓枠に駆け寄ると、宿屋の庭に落ちて行くものが、庭に植えられた植物の葉に当たってカサカサと葉を揺らし、微かに地面に落ちた音がした。
「なんてことを……」
アイルはずるずると、窓枠にしがみつくようにへたり込んだ。
「清々するぜ。アズトラ教のシンボルなんて、俺たちの仲間が持っていていいもんじゃねえよ」
フレイは吐き捨てるように、肩を震わせるアイルの背に言った。アイルはぎゅっと握りこぶしを作ると、勢いよく振り返ってフレイの頬を思いっきり殴った。立ち上がった勢いも加わり、フレイの体が後ろに吹っ飛んでしまった。素早く起き上がったフレイが、アイルの襟首を掴んだ。
「何してくれんだてめえ!!」
「それはこっちの台詞だ! 人の大事なものを奪うなんて、お前らも神王とやっていることは代わりないじゃないか!」
「な……なんだとぉ!」
顔を真っ赤にしたフレイは更に襟首を持ち上げ、アイルの足が床から離れそうになるくらいだ。
「神王と戦うって言うなら、いろんな人が大事なものを奪われたり踏みにじられたりしないようにしないようにするんだろ そんな理不尽と戦わないといけないんじゃないのか! それを、それをお前がやってどうするんだ!」
フレイが目を見開くと、一瞬力が緩んだのを、アイルは見逃さなかった。フレイの体をどっと押すと、フレイはふらっと後ろに離れた。
タウロは口笛を吹き、やるなぁーと言いながら大笑いをしている。
アイルは急いで部屋から出ると、庭に向かって走って行った。
宿の店主に事情を話し、庭に出させてもらった。店主が一緒に探すこと申し出てくれたが、店主も仕事があるだろうと断った。
庭には色とりどりの季節の花が咲いている。ペンダントを探すためでなければ、花々を楽しむことができたろう。部屋の下辺りで、部屋から見えた花があった。アイルは膝をつきながら芝生と土の上にペンダントがないか探し始めた。
芝生を手で撫で、土を少し掘り、草をかき分け、アイルは探す。もしかしたら、葉の上にあるかもしれない、花弁に落ちてしまったかもしれない。庭の隅々探しても、ペンダントはない。何度も庭の端から端まで確認したが、それでもない。
庭の外に出たのか、誰かが持って行った、いやそんな事はない。落ちて行くところも見たし、誰かが持って行くような代物でもない。たいしたことはない、この国の国教のシンボルのペンダント、どこにでも売っているし、どこの家にもあるものだ。ありふれたものだ。
けれど、けれどあれは。あれは、家族が最後にくれた贈り物、アイルの事を思って手作りしてくれた、もう二度と同じ物は手に入らない、この世にたった一つのもの。そう、家族の唯一のものだ。村は燃え、すべて灰となってしまった。アイルが持ってこれた、家族の思い出だ。
でも、ペンダントは見当たらない。何度も何度も庭の隅々を探す、でも見つからない。なくしてしまった。こんなにも簡単になくしてしまった。
「じいちゃん、ナラ……ごめん。ごめん……」
いつの間にか、アイルの口からこぼれる言葉。言葉と一緒に、涙もこぼれてくる。
僕が弱いから、村の皆を守れなかったのだ。力のある神具に選ばれたのに、行動が遅かったから、間に合わなかった。僕が、僕が守れる力を持ったのに、何の意味もない。村を守れなかったばかりか、思い出もなくしてしまう。
「ごめん……みんな、ごめん……」
右手がじんじんと痛んでくる。よくよく見ると、拳が赤く腫れていた。人を殴ったことが今までなかったので、変なところに当たってしまったのだろう。小さく血も滲んでいる。
唇を噛み、痛む手で涙を拭くと、アイルは下を向いて庭の土を掘り、ならしながら探し続けた。
「まだやってんのか」
振り向くと、ランプを持ったフレイが立っていた。いつの間にか、ランプで照らさなければならいくらいの時間になっていた。道理で手元が見え辛くなっていた訳だ。夕日を背に立つフレイの顔は見えなかったが、声色からして呆れた表情なのだろう。
ちらりとフレイを一瞥したが、話をするだけ時間の無駄だ。そう思って手元に視線を戻した。
「そんなになるまで……そこまで大事な物か?」
「僕の大事な、大事な家族からもらった、大事な物だ……人の大事なものを大事にできない君は信頼できない、言葉を交わしたくない」
落ちてくる汗を拭いながら、フレイの言葉を振り払うように答えた。早く、早く見つけないと真っ暗になってしまう。
「そんなところを探しても、見つからないぞ。そこにはないからな」
投げ捨てた奴が、何を言うのか。大事な物を捨てた上に、まだ揶揄ってくるのか。ふつふつと怒りがこみ上げてきて、また殴ってやろうかと立ち上がる。すると、フレイが手のひらの中の物を見せてきた。
紐がつながった、ペンダント。切れた紐も、結び直してある跡がある。
「え?」
「俺が庭に投げ捨てたのは、小石だよ。すり替えて投げただけだ」
震える手でペンダントをそっと手に取る。小さなアガルタ教のシンボルは、テルハとナラが手作りをしたこともあり、つなぎ目が少し歪んでいる。その歪みもある、間違いなくこの世でたった一つのペンダントだ。切れた紐は、つなぎ目を溶かして繋げられた跡があった。
「よ、かった……」
アイルはその場にへたり込むと、手の中にあるペンダントを撫で、何度も手にあることを確かめた。
肩を震わせるアイルの目の前に、フレイはしゃがみ込む。
「悪い、紐を繋ぐのに時間がかかっちまった。部屋に戻ろう、アイル」
フレイの言葉に、アイルは頷いた。
「おお、大丈夫だったか?」
湯桶を持ったタウロが、ニコニコと笑顔を浮かべて部屋で待っていた。全身泥で汚れてしまったアイルを見て、椅子に座るよう促した。タウロは乱暴に、でも優しくアイルの顔や手についている泥を濡れ布で拭った。握り込んだアイルの右手を差し出すように言うと、アイルは自分でできると答えた。そうか、とタウロは言うと、そのまま部屋を出て行った。
湯桶の水を使いながら、手についた泥を洗い流す。その間、ペンダントを決して離さないよう拳を握り込んでいた。
「すまなかった」
椅子に座るアイルの真横で、床に座ったフレイが頭を下げてきた。
「え、っと……」
フレイの行動も意味も分からず、アイルが答えに困っていると、フレイは構わず言葉を続けた。
「タウロにお前のペンダントは、故郷の家族のくれた大事な物だと聞いた。お前の言うとおりだ。大事な物を奪うなんて、王族の奴らと一緒だ。俺は道を誤った、すまない」
「うん……」
「小石を投げて、お前をだました事も申し訳なく思っている。本当にすまない」
ぐっと、更にフレイは頭を下げる。フレイの後頭部を見ていると、そんな行動をさせてしまっているのが、申し訳なく思えてくる。目を泳がせ、迷った結果、アイルはため息をつくしかなかった。
「フレイ、もういいよ。君を許すよ」
「本当か?」
フレイが少し顔を上げ、アイルを見上げる。自分より大きな人が小さくなって自分の表情を伺っているのが、まるで村の子らがいたずらをして大人たちに怒られた顔とそっくりに見えた。思わず笑ってしまうと、アイルは右手を差し出した。
「僕も、思いっきり殴ってしまったし。ごめん」
フレイがふっと表情を和らげると、アイルの手を握った。
「改めてよろしく、フレイ」
「ああ、こちらこそ。よろしくな、アイル」
ぐっと握られたフレイの手は、見た目の割にゴツゴツとしていて、鍛錬をしてきている手だった。
「しかし……人を殴って怪我をするってのは。お前、ひ弱なんだな」
「え……?」
握った手をフレイはくるっと回し、アイルの手の甲を見た。フレイを殴った手が、すり切れ赤く腫れている。
「こんな奴初めて見たぞ」
「……喧嘩なんてしかことないし、ましてや人を殴るなんて、僕も初めてだったんだから、仕方がないじゃないか」
「お前、よっぽどまっじめに生きてきたんだなー」
フレイはしみじみ言うと、何故か恥ずかしくなってくる。人と争いをすることはいけないことだ、そうテルハに言われて育ってきた。それはアズトラ教の教えの一つだから。なので村でも子どもの頃から喧嘩もしてこなかった。
「ま。だから神具がお前を選んだろう。俺はそう思うよ」
フレイはアイルの目をしっかり、真っ直ぐ見ると、真剣な声色で言った。
アイルはペンダントを首にかけると、しばらく指で触っていた。戻ってきたことを確かめ、実感するために。その後、服の中にペンダントを仕舞った。
「いや、もう取ったりしないぞ」
フレイが慌てて言うと、アイルは首を振って「そうじゃないよ」と言った。
「反乱軍にいるのに、敵のシンボルを身につけているのは、確かにおかしいなって思って……フレイは分かってくれたけれど、そうじゃない人もいるかもしれない。だから見えないようにしておく。けれど……こうして首から提げておくことは許して欲しい」
「ああ、わかった。そうだな。その方がいい、血の気の多い奴もいるしな。大事な物は大事に扱う方がいい。しかし……神具も大事に扱って欲しいところだ」
「え?」
振り返れば、ベッドの上に転がされた調停の剣があった。
「旗印さまなんだからよ、それはしっかり持っていてくれ」
フレイが渋い顔をして、アイルに言った。アイルは困った顔をして、フレイを見上げた。
「あの、フレイ。その……旗印さまって何なの?」
「え?」
アイルの言葉に、今度はフレイが困った……というか明らかに動揺をした顔をした。
※
また贅沢にも湯を沸かしてもらって、体と、今度は服も一緒に洗った。店主は服が乾くまでと、清潔な服まで貸してくれた。お代を確認すると、ジェイドにもらっているのでと言われたので、好意に甘える事となった。
「ジェイドから、どこまで聞いているんだ?」
アイルの右手を手当しながら、フレイはしかめっ面をしている。フレイを殴ってできた傷は、たいした傷じゃないと言ったが、悪化するかもしれないと、フレイが強引に手当をし始めた。至れり尽くせりで、なんだか申し訳なくなってくる。
タウロがアイルと机を挟んで正面に座って、肘をついてその様子をニヤニヤしながら眺めていた。
タウロは昨晩、ジェイドにアイルのことを聞いていたそうだ。だからアイルのペンダントが、家族からの贈り物だと知っており、ペンダントのことは黙認するつもりだったのだという。それを聞いてフレイは、「俺にも聞かせてくれりゃ良かったじゃねえか」とブツブツ言ってた。
手際よく手当てされて、器用だななどと思って見ていると、フレイの不機嫌そうな声が飛んできた。
「アイル、聞いているんだぞ。ジェイドからどこまで聞いているんだ」
「えっと……」
先ほど、フレイがタウロに「こいつ何も知らないぞ!」と慌てて言ったので、タウロが「じゃあ酒のツマミに話そうか」と言ってきたのだった。机にはちゃっかり酒瓶が三つも並んでいた。
「まあ、ジェイドもざっくりとしか説明していないと言っていたしな。どこまで聞いているんだ?」
アイルはジェイドから聞いたこととして、神王が圧政を敷き始めて良くないことをしていること。反乱軍の支援を灰妃さまがしていたが、その灰妃さまは亡くなられてしまったこと。灰妃さまが神具である調停の剣を反乱軍の旗印にしろとジェイドに預けたが、アイルが何故か神具に選ばれてしまったことを話した。
「あとは、反乱軍は被害に遭った村の復旧をしたり、情報収集をしたりしているとか? で、さ……ジェイドに旗印になれって言われたけど、一体何をしたらいいの?」
アイルが首を傾げてタウロとフレイを見た。タウロは頭を抱えてうなだれ、フレイも同じく手を止めてうなだれている。何か変なことを言っただろうか? アイルは反対側に首を傾げた。
「ジェイドー! 説明がざっくりすぎるだろー!」
フレイはうなだれたまま叫んだので、びっくりして肩をびくつかせてしまった。タウロもタウロで「どこから説明していけばいいんだろうな」と顔を引きつらせながら笑っている。
「俺たちが護衛につくと言われて、お前が変な顔をしていた意味が分かったよ。ジェイドが街を出るって時にかなり動揺していたのもな。そりゃ何も知らないで、俺らみたいなのと一緒に居ろと言われりゃそうだろうな」
「酒が足りるかな」などとぼやいたタウロがふっと息を吐き、にっかりと笑ってアイルと見て言う。
「ジェイドにいろいろ説明しておいてくれとは言われていたんでな。俺たちが何者かとかな、なにもかもぼやけて聞いてて、不安だったろ」
「丸投げにも程があるだろ! お前もよく分からないままで、こんなとこまでノコノコとジェイドについてきたな! しかも、自分で言うのも何だが、よく俺らみたいな知れない奴と一緒にいろって言われて、なんで納得してんだ!?」
フレイに肩を掴まれ、揺さぶられる。視界ががくんがくんと揺れる。その揺れる視界の先で、タウロは頭をかきながら、椅子に座り直しているのが見えた。
「ジェイドは嘘をついたりしないし、ジェイドの言うことは信じられるから……」
「お前ー! 純粋なのかと思ったが、純粋通り越してただの阿呆なんじゃないのか!」
フレイの声が響いて、宿屋を揺らした。




