第53話 崩れる安堵。
やっと着いたな。
この場所を離れて一週間で。時間で見れば別に長くもない期間であったのに、この一週間が一ヶ月以上の期間が空いたように感じた。それだけ、この一週間は濃く、そして張り詰めた時間だったのだろう。
桜ノ宮駅にはゾンビの姿はなかった。
当然のことだ。拠点周りのゾンビは徹底的に処理をした。それは、もちろん駅も対象で、駅に関してはより丁寧に見落としがないように処理をしたので安全じゃなきゃ困る。自分たちが帰る場所だからこそ、少しの油断も許されない。
こうして目的地の桜ノ宮駅に着いた一行は、電車を止めて中の物資を運び出した。
ただ、一度では全ての物資を持つことは出来ないので、何度かに分けて運ぶことが必要だ。そのため、一度拠点へと行くこととなり、俺のあとへと続いた。
『やっと、祈さんに会えますね、マスター。』
『あぁ、そうだな。たった一週間会っていないだけで、こうも物足りなさを感じるなんてな。』
『はい、そうですね。自分も早く祈さんとお話がしたいです。』
たった一週間の遠征だった。出発前は一週間なんてすぐのことだと祈を説得していた側だったのに、今は祈の気持ちがよく分かる。何か作業をしていてもどこか心が落ち着かない。視線の先に彼女の姿がないだけで、こんなにも世界が静かに感じるものなのかと、初めて思い知らされた。
そして、夜一人で眠っているとき、無意識に手を伸ばして、そこにいるはずの温もりを探している自分がいることに気付いたとき、胸の奥がひどく軋んだ。
そんな小さな違和感や不安が積み重なって、この一週間という時間を何倍にも長く感じさせていたのだと、今になって理解した。
祈が俺を頼りにしていると思っていた。守らなければならない存在だと、そう思っていた。
けど違う。
俺も――祈に支えられていた。
あいつが隣にいることが当たり前で、その当たり前にどれだけ救われていたのかを、離れて初めて思い知った。
こんなことにも気付かないなんて、本当にダメだよな。
だが、今、この時に気付けたなら取り返せる。拠点に戻って祈を抱きしめて、それでちゃんと言葉にしたらいいだけのことだ。
たったそれだけのこと。
それだけのことを、今まで出来ていなかっただけなんだから。
俺たちは駅を抜けて前に作った鉄門のところまでやってきた。
「あとは、この門を真っ直ぐ進めばマンションへと着く。ここで俺とリタは見張るから、お前たちは物資の運搬をしてくれ。」
「‥‥俺も見張りを手伝うぞ。」
――と堂島さんも声を掛けてくれた。
「あぁ、頼む。」
と俺、リタ、堂島さんの三人で門を守るように見張りについた。
物資の運搬は滞りなく進んでいき、残りの物資が門の中へと入った。
地震が起きて道が無くなった時はどうなることかと思ったが、電車という車よりも速く運べる最強の乗り物を手に入れることもできたし、怪我の功名ってやつだな。
ようやく――終わった。そう思った、その瞬間だった。
胸の奥に、嫌な感覚が走った。
根拠なんてない。ただの違和感だ。けれど、それは確かに今まで何度も死線を潜ってきた中で感じてきた、“外してはいけない感覚”だった。
俺も門の中へと入ろうとリタに「帰るぞ」と声を掛けるが、リタは見張り台から降りることはなく、向こうの方を見ていた。
「リタ?何してるんだ?物資の運搬は終わったから戻るぞ?」
「‥‥」
返事はなく、ただ、じっと遠くを見つめていた。
「おい、聞こえてる――」
「マスター」
と俺の言葉を遮ってきた。そして、その声はわずかに震えていた。
「マスター。あれ‥‥を見てください。」
俺は見張り台へと上がり、リタが指さす方向を見た。
夕焼けに染まった空と地平線の境界が歪んで見えた。最初は目の錯覚かと思ったが違った。確かにそこに――何かがいる。
黒いモヤのようなものが、ゆらゆらと揺れている。煙のようにも見える。だが、風に流される様子はなく、モヤはこちらへと向かって来ている。ゆっくりと形を変えながら、着実に近づいてきているように見えた。
「‥‥何だ?あれは。」
嫌な予感が、確信へと変わっていく。
俺は銃のモードを狙撃に変えて、そのスコープを覗いた。
その瞬間――んッ!!と俺は息を呑んだ。視界いっぱいに広がる無数のそれは、蠢く影であり、折り重なるようにして進んでくる群れだった。
一体一体の輪郭が、はっきりと見える。
俺は何処かで、あの危機を乗り越えたのだから安全だと、後はみんなで拠点へと帰るだけだと甘い考えをしていた。その甘さが、どれほど致命的だったのかを、今になって思い知らされる。
その黒いモヤの正体は――地平線を埋め尽くすほどの、圧倒的な数のゾンビの群れだった。




