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妹の代わりなんて、もううんざりです。

 屋敷の前に、いつもの見慣れた馬車が横付けされる。

 私は自室の窓からそれを見た瞬間、待ちきれずに部屋を飛び出した。


 今年で18にもなるのにと母にはよく小言を言われるけど、会いたかったのだから仕方ないじゃない。


 踊るように軽やかに階段を滑り下りエントランスへ向かうと、彼が姿を現した。


 リオン・マクドール。侯爵家の次期当主であり、私の婚約者だ。

 黒く短い髪に、薄紫の瞳。背は私よりほんの少し高いくらいで、微笑むと両頬にえくぼが浮かぶ。


 可愛らしいなんて二つも年上の男の人には言ってはいけないのだろうけど、愛らしく優しい彼の顔が本当に好きだった。


「リオン、待っていたわ」

「アイラ、ぼくも会いたかったよー」


 そう言いながらリオンは私を片手で抱きしめてくれる。

 彼の胸からは、ふわりと花の匂いがした。


 私はその匂いが気になり、抱きついたまま体を傾け、彼のもう片方の手を見る。

 そこには赤やピンクの花で作られた豪華な花束があった。


「わぁ、すごいお花。リオン、それは?」


 もしかして、私へのプレゼントかな。

 どこか浮かれた気分で尋ねれば、またいつもの答えが返ってきた。


「あーいや、ほら、君の妹のマリンがまた体調を崩したと聞いてね。これはそのお見舞いだよ」

「そっか……ありがとう」


 私は彼に本心を気付かれないように、そっと笑顔を作った。

 仕方ないことよね。

 病人には親切に。

 これは両親も、いつも私に言っていることだもの。


 むしろ病弱な妹まで気を遣ってくれる優しいリオンなのだから、大切にしなきゃ。

 

 そう思うのに、どこか心が痛むのを感じる。

 だけど痛めば痛むほど、醜く思える自分を否定したくて首を横に振った。


 誰にも言えるわけない。

 本当のコトなんて。


「今、マリンは?」


 リオンはそう言いながら私の顔をのぞき込む。


「二階の自室で寝ているわ。でもあなたがお見舞いに来てくれたって言えば、きっとよろこぶと思うわ」

「そうか。よろこんでくれるといいけど」


 どこか浮かれたような表情の彼に、我慢していても悲しくなってくる。


「そうね」


 そう返すのが私には精一杯だった。

 そしてそのまま彼を私の部屋の隣にある、妹のマリンの元へ案内する。

 

 定義上妹とはいっても、マリンと私は双子の姉妹。

 どちらかが上で、どちらかが下ということはない。同じ歳なのだから。


 だけどあの子が私を姉と呼ぶために、周りの人は皆マリンを妹だと言っていた。


「マリン、ちょっといいかしら。リオンがあなたにお見舞いを渡したいって」


 部屋をノックすれば、思ったよりは元気そうなマリンの声が返ってきた。


「きゃー、リオンさま。もしかしてマリンのお見舞いに来て下さったの?」


 ベッドに横たわる妹は満面の笑みで、やや頬を赤くさせながらそう言った。


 私たちが部屋に入ると、マリンの専属侍女たちはそっと部屋から退出していく。


「ああ、君がまた倒れたと聞いて心配になってね。ほら、これはお見舞いのお花だよ」

「うれしい、すごくうれしいわ」

「よろこんでくれてよかったよ」

「リオンさまがくれるものなら、なんでもうれしいわ」


 満面の笑みで、マリンはリオンを見つめていた。


 私と同じハニーブロンドの髪に、ルビーのような瞳。

 その造りはまったく同じだというのに、いつでも私たちは比較の対象だった。


 どこまでも愛くるしい妹に、聡明な姉。

 聡明と言ってしまえば聞こえはいいが、実際は揶揄(やゆ)されていることも知っている。


「ねぇ、久しぶりだからお話いっぱい聞きたいわ」

「ああ、そうだな……」


 リオンは私の顔を(うかが)うように、こちらをちらりと見た。

 こんな時、正直どんな顔をすればいいのか分からない。


 だって久しぶりに彼と会って、たくさん話をしたいのは私も同じなのだから。


「ねー。いいでしょうお姉さま。あたし、ここから動けないんだもの」

「……そうね」


 嫌だと思っていても、そう答えることしか出来ない。

 彼を一人占めされるのも、こうやってわざと妹ぶられるのも、本当は全部嫌だった。


 だけどそんなことを顔に出してしまえば、みんな私のことを薄情だと責め立てるだろう。


 だからどんなに嫌でも、私にはそれを飲み込むことしか許されてはいなかった。


「あとで君の部屋に行くよ」

「ええ。待ってるわ、リオン」


 どこまでも聞き分けのいい姉を演じ、私は自分の部屋に戻る。

 なんで私は姉であの子は妹なのだろう。

 もしこれが逆だったら、私はあんな風に笑えたのかな。


 隣の部屋から聞こえてくる二人の笑い声に、私はただ耳をふさぐことしか出来なかった。


 どれだけ部屋の片隅で耳を塞いでいただろうか。


 あれだけ降り注いでいた日差しはやや陰り、窓の外がほんのりと薄暗くなってくる。


 隣からは笑い声はもう聞こえない。

 それが余計に不安にさせる。


 マリンの部屋を確認しに行こう。

 そう思った瞬間、部屋のドアがノックされた。


「はい」

「ごめん、ぼくだよ」

「リオン!」


 私はドアに駆け寄り、彼を出迎えた。


 長時間経っているせいか、彼はややバツの悪そうな顔をしている。


「遅くなってごめんな、アイラ」

「ううん。大丈夫よ」


 そう言いながらも、私は彼を抱きしめた。

 彼はただ優しく、私の頭をなでてくれる。


「久しぶりだから、つい長くなってしまったよ。君に会いに来たというのに」

「そう思うなら、今度は二人でどこかデートしてくれる?」

「ああ、もちろんさ。でも、マリンも中々外出もままならなくて、大変だな」

「……そうね」


 そう返したものの、あまり私もよく分かっていない。


 マリンは子どもの頃から病弱だ。

 普段は元気でいるのに、何かイベントがあると必ずといっていいほど、熱を出してしまう。


 こうやってリオンが来るのが決まった日や、お誕生日、それに何かのお祝いなど。


 その前日までは確かに元気だったというのに……。


 だけど病気なのだから仕方ない。

 一番悲しんでいるのは、マリン本人なのだから。


 どれだけのイベントが中止になっても、そう言われ続けていた。


 だから最近は何かイベントがあるとわかったその瞬間から、ああまたなのかと思ってしまう自分がいる。

 それが嫌で仕方なかった。


「次のデートはマリンにサプライズでプレゼントが買いたいから、内緒にしていてもいい?」

「ん? 別にぼくは構わないよ。何か買いたいものでもあるのかい?」

「街に新しいお菓子のお店が出来たみたいなの。あの子ほら、すぐ熱を出してしまうからそういうの食べにもいけないでしょう?」

「あー、確かに。それはよさそうだな。さすがアイラ。君は優しいね」


 本心は何も優しくなどない。

 ただこの心優しい私の婚約者を一人占めしたいだけ。


 彼は今、王立の学園に通っていてあと少しで卒業の身だ。

 卒業すれば、彼は王宮の管理官になるらしい。


 就職がキチンと決まったあと、私たちは結婚となる。


 長かった。

 この婚約はまだ私が子どもの頃に結ばれたものだ。


 初め彼はマリンの婚約者になる予定だったらしい。

 しかしマリンが病弱なため手元に置きたい両親が、この伯爵家の相続をマリンに、彼との婚約を私とした。


 私としては家なんかよりも、彼との婚約の方が何倍もうれしかったのを今でもハッキリと覚えている。


「リオン、好きよ」

「なんだい、急に」


 ただ伝えたかっただけ。

 だけど照れくさそうに笑うリオンは、私の欲しい言葉を返してはくれない。


 しかしその代わりに、彼は私のおでこにキスをしてくれた。


 早く春が来ないかな。

 またイベントをマリンに潰されないかと思いつつも、私はそれが待ち遠しく思えた。


 その夜の食事は、久しぶりに家族四人でとることとなった。

 

 普段王宮に出入りする父はとても忙しく、中々こうやって食事を囲むことが難しいのだ。


 朝から熱を出していたマリンも、リオンと話しているうちに元気になったのだという。

 思うことはたくさんある。

 だけどそれを口にすることは、我が家では許されないことだった。


「いやぁ、本当に今は大変だよ」


 ワインをかたむけながら、父が一番に口を開いた。

 父の忙しさの原因は、数か月前に王位継承が行われたためだ。


 しかもただ普通にそれが行われたのではなく、恐ろしいほどの血塗られた争いがあったのだという。


 その中身までは広く表ざたにはなっていないものの、結果として本来継承するはずだった第一王子ではなく、末の第三王子がその席についた。


 その混乱もあってか、王宮内は今総入れ替えの最中らしい。


「あなた、無理はなさらないで下さいね」


 城に寝泊まりすることも多い父が体を崩すのではないか。

 心配性の母は、いつもそればかり気にかけていた。


「ああ、分かってるよ。だが少し問題が起きてな」

「何かあったんですの?」


 父と母の話を小耳にはさみながら、私もマリンも食事を続ける。

 熱が下がったというマリンは確かに顔色も良かったが、この話にはどこか興味がなさそうだ。


 リオンと会話していた時と違い、私の真正面に座るマリンはこちらを見ようともしなった。


 別にマリンと会話したいわけでもないけど、なんだかなとだけは思う。

 

「即位された国王陛下には、元より婚約者なども誰もいなくてな。急遽、その選定が行われることとなったんだ」


 この国のお妃さまになるための選定ね。

 お妃教育とかもあるってことよね。


 試験とかそういうのを行って、その中から選ばれるのかしら。


 今まで国王陛下となられるような方は、即位されるよりも前から婚約者がいるのが普通だった。

 貴族だってそう。

 基本的には子どもの頃に、親たちが決めてしまうのだ。


 だけど今回即位された方は末弟だったこともあって、どこかの国に婿にでもと考えられていたはず。

 外交的な意味合いからして、婚約者がいなかったってことかしら。


 でも、年頃の貴族の娘でってなったら、みんなすでに婚約している人たちばかりじゃないのかしら。


「わたし、それに参加したいわ、お父様!」


 先ほどまで全く興味なさそうにしていたマリンが、大きな声を上げた。

 

「マリンは確かにその要項には当てはまるが……」

「でもその選定は厳しいのではないの?」

「大丈夫よ、お母さま。わたし頑張れるわ。だって、この国の王妃さまになれるかもしれないのよ? こんなチャンス二度とないじゃない!」


 マリンの言葉に、父と母は顔を見合わせていた。

 確かにマリンには婚約者はいない。


 しかしそれはこの子が体が弱く、この屋敷を継ぐから。

 いつかこの家のために婿となる候補を見つけるつもりだったはず。


 それに私の婚約はすでに決定していて、結婚もそう遠くはない。

 結婚すれば私はこの家から出て行く身なのだ。


 もし仮にマリンが王妃になったら、この家はどうなるのかしら。


 私のそんな心配などまったく気にする様子もなく、マリンはただ夢を見ているようだった。

 

「いやしかしだなぁ……」

「お父さま、お願いです」


 懇願するマリンに、父はチラリと私を見た。

 おそらくは父も私と同じ考えなのだろう。


 いくら可愛い自分の娘の願いでも、こればっかりは無理な話。

 そんな困ったような顔で私を見られても、どうしようも出来はしない。


「それにうちの家門から王妃が出たとなれば、お父さまだって大出世ではないですか」

「それはそうだが。しかし選定試験はとても難しいものとなっているぞ。体の弱いおまえにはさすがに無理じゃないのか」

「だからこそですわ。たった一度のことではないですの。挑戦してダメなら諦めもつきますし」


 やれるだけねぇ。

 こんなにも病弱なのに。

 仮になれたとしても、その先のその務めを果たせるのかどうか。


 なんて言ってしまったら、嫌な姉よね。自分でも自覚している。


「あなた、今までこんなお願いをしてこなかったこの子がそう言うんです。一度挑戦させてみたらどうですか?」

「だがしかし……」

「体調が悪くなれば、それこそ辞退することも出来るわけですし」

「その前にきっと国王陛下に見染められてきますわ」


 父の心配をつゆとも知らない二人は、その了承を聞くこともなくすでに盛り上がっていた。

 

 何を着て行くのか、どうやって自分をアピールするのか。

 (はた)から見ればどうでもいいような話ばかり。


 しかし盛り上がるマリンと母にそれ以上何も言えなくなってしまった父は、夕食後に私を自分の執務室へと呼んだのだった。



     ◇     ◇     ◇



「お呼びですか?」

「ああ、すまないアイラ」


 父は先ほどの話し合いにややヤケになったのか、執務室ですでに二本目となるワインを開けていた。


 こんなにも飲む父は、本当に久しぶりに見る気がする。


「そこに座りなさい」


 父はそう言いながら私を手招きすると、執務室のソファーに座らせた。

 雰囲気からして、よい話ではないことはなんとなく分かる。


「マリンの話、おまえはどう思う」

「体調を崩し、王宮に迷惑をかけないか心配です」

「ああ、そうだな」


 父はため息をつきながらそう答えた。


 参加するための条件は確かに満たしているものの、選定試験ともなれば王宮からすぐには戻ってこれないだろう。


 それにミスをすれば、もしかしなくとも家門の名に傷がつく。


「マリンは基本的な教育すら、おまえよりも遅れているそうだな」

「はい。そうですね。あの子は体が弱く、熱を出せばその分中断しますからね」

「ああ、困ったな……」


 父は額に手を置きながら、天を仰いだ。

 そんなに困るのならば、もういっそ断ってしまえばいいのに。


 しかし私の考えに反し、父は驚くことを言い出した。


「せめて選定試験に参加するのがおまえだったらなぁ」

「は? お父様、それはどういう意味ですか?」


 私は父の言葉の真意が分からず、思わず聞き返す。


「言葉のままさ。選定試験は、所詮陛下が参加するわけではない。いろんな分野から人を集めて、試験を行うらしい」

「はぁ」

「その試験に合格できた者だけが、陛下の目に映ることとなる」


 話の内容は分かる。

 わざわざ何名集まるかも分からないような試験に、初めから国王陛下が参加するはずはないと思っていた。


 そしておそらく数日かけて行われるであろう試験だ。

 その道の分野の偉い方たちを集めて、大規模に行うのでしょうね。


 だけどその話のどこに、私だったらという言葉が含まれるのだろう。

 試験を希望したのは私ではなく、マリン。


 しかも私にはリオンという婚約者がいるから、まず参加資格すらないというのに。


 それにいくら自分の一族から王妃を選出させたいからといって、リスクしかないなら諦めるべきだ。


「陛下の目に映るまでの試験を、マリンの代わりにおまえが受けるのはどうだろうか?」

「正気ですか⁉ そんなことがもしバレでもしたら、一族が取りつぶしになるどころの騒ぎではないですよ?」


 取りつぶしくらいなら、まだいい。

 しかし父の言い出したことは、国王陛下を欺くこととなる。


 下手をすれば、処刑だって……。


 そう考えると、背筋に寒いものが走った。


「そんなこと、おまえに言われずとも分かっている!」


 父は大きな声を上げながら、持っていたワインの瓶を力強く机に置いた。

 あまりの大きな音に、肩がビクリと上がる。


「しかしマリンのたっての願いなのだ。仕方ないだろう」


 たっての願いだからなんだと言うの?

 いつだって私の願いは後回しだったくせに。


 だいたいそれを私に言ったところで、どうにもならないでしょう。


「幸い、おまえとマリンは双子だ。元は似ているのだから、どうにでもなるだろう」

「無理です! うちを潰す気ですか?」

「姉のくせに、妹の幸せも願えないのか」

「そういう問題ではないことなど、お父様も分かっておられるでしょう」


 母の性格は知っていたけど、父までもこんな人だとは思ってもみなかった。


 あの子の幸せのためなら、私はどうなってもいいということなの?

 姉のくせにってなに。好きで姉なんてなったわけじゃないのよ。


 それにこれは、そんな小さな話でもないでしょう。


「マリンの幸せをと願うのならば、参加など辞めさせて良い婿を探すべきなのではないのですか?」

「そんなことは分かっている。しかしあの子が納得する人間が今までいなかったのだ」


 一度だって聞いたことはなかったけど、一応婿の候補はいたのね。

 でもその度に、マリンが嫌がったってことか。


 だけど今回は、マリンがその気になった。

 だから親としてはその願いを叶えてあげたい?


 冗談ではないわ。

 聞き分けが悪くとも、私だって巻き込まれたくない。


「だいたい、もし仮にマリンが王妃になったとして、この伯爵家はどうなるんです。跡を継ぐ者がいなくなるではないですか」

「そんなのはおまえが何人か子どもを生んで、その子を養子にすればいいだけの話だろう」


 さらりと言ってのける父に、私は開いた口がふさがらなかった。

 

 そんなのはどうでもいい。

 そう言われた気がする。


 父にとってどこまでも私は、あの子を補うモノでしかないのね。


「小うるさいおまえと話していると頭が痛くなる。あとは一人で考えるから、もう部屋に戻りなさい」


 父は私と視線を合わせることなく、そう告げた。

 唇を噛みしめ、何とも言えない気持ちを引きずりながら、私は部屋へ戻った。


 部屋に戻り少し落ち着くと、やはりどうしようもない怒りがこみ上げてきた。

 それは枕を投げつけても、地団太を踏んでみても、消えることはない。


「いつでもこの家があの子中心で回っているのはわかっていたけど。でもそれでも、あんな言い方しなくてもいいのに」


 さも私のことなどどうでもいいような発言。


 何もかもマリン中心で、あの子が幸せになるためのコマみたいじゃない、私。


 悔しさは涙となってあふれ出てくる。

 いつまで我慢しなくちゃいけないの?


 何もかもうんざりよ。

 堪えきれなくなった私は、リオンに急ぎの文を書いた。


 さすがに身代わりになれという話は書けなかったけど。

 マリンが国王陛下の花嫁候補として選定試験を受けること。

 そのためにうちの跡継ぎがいなくなってしまうかもしれないこと。


 不安と不満。

 そして少しの悲しみを込め、朝一で届く様に侍女に手配してもらった。


 ほぼ眠れぬまま朝を迎え、一人窓の外をボーっと眺めているとリオンを乗せた馬車が見えてくる。

 

「リオン? 急ぎの文を見て、心配になって会いにきてくれたのかしら」


 いつもなら先触れを出して、約束をとりつけてからきちんと訪ねてきてくれるリオン。


 そんな彼がこんな早朝に駆けつけてくれた。

 そんなに私のことを心配してくれたなんて。うれしい。


 私の味方はやはり彼しかいないわ。


 いてもたってもいられなくなった私は一階に降り、玄関の扉を開けた。

 すぐに横付けされた馬車からは、蒼白な顔をしたリオンが下りてくる。


「リオン!」


 すぐに抱きつけば、なぜか彼は私の両肩に手を置き、力強く私を引き離した。


「リオン?」

「あの手紙の内容は本当なのか? マリンが妃候補の選定試験に出るって」

「え、ええ。そうなの。止めたんだけど、あの子自分は条件にピッタリだから出るって聞かなくて」


 私の話を聞くうちに、なぜかリオンは不機嫌さを隠そうとはしなかった。

 

 こんな風に怒っているリオンを見るのは初めてのような気がする。


 彼と初めて会ったのは、私がまだ五歳の頃。

 その頃からずっとリオンは私の傍で微笑んでくれていたのに。


「いくら条件がピッタリとはいえ、病弱なマリンでは無理だろう」

「私もそう言ったのだけど、大丈夫だって言い切っていて。だから父も母もそれに仕方なく押される形で……」

「ありえないだろう! ぼくが説得してくる」


 私の肩から手を離すと、その脇をすり抜ける様に一人リオンはマリンの部屋へと向かっていった。


 何が起こったのか理解できない私は、ただその場で一人立ち尽くす。


「リオン?」


 リオンが説得するのは、私のためよね。

 そうじゃなくとも、自分の義妹となるマリンの体を心配してのことよね。


「そうよね……きっとそうよ。だって……」


 そうじゃなければ、唯一の味方も失ってしまうじゃない。

 そんなことなど、考えたくもなかった。



     ◇     ◇     ◇



 あれから数日後。

 リオンの説得すら聞き入れなかったマリンは、王妃選定試験に行ってしまった。


 しかしその試験が始まった翌日早々に、危惧していた事態は起きてしまう。


 昼になる少し前に私は執務室に呼ばれて入ると、すでに中には父と母がいた。


 父の机の上には、一通の手紙。

 そこには赤い封蝋で我が家の家紋が押印されている。


 私は中など見なくとも、その内容が分かる気がした。


「マリンから急ぎの手紙が届いた」

「……そのようですね」

「中身が気にならないのか」


 顔をしかめ、やや父は強い口調で言う。

 すると父の横に立つ母が、なだめるように父の肩に手を乗せた。


 まったく気にはならない。

 だけどそう口にすれば、父は激怒するだろう。


 母が無言のまま、私に圧をかけていた。


「何が書かれていたんですか」


 私のその言葉に、母の顔がほんの少し緩む。


「マリンが助けて欲しいと言うのよ」

「そうなのですね」

「今日から始まった選定試験なんだが、朝一に行われたお茶の試験でマリンだけが脱落し、このままだと一人帰されそうだと言うんだ」


 父の言葉に、私は目を細めた。

 母はそんな私の態度を見かねたのか、マリンの手紙を渡してくる。


 目を通してもどうしようもないと分かりつつも、私はその手紙を読んだ。


 手紙には、現在参加している令嬢は全部で七人。

 しかし今朝の試験において、不合格をつけられたのは自分だけ。


 このままでは自分が一番真っ先に脱落してしまう。

 自分よりも身分が低い令嬢も数名いるのに、そんなことになったら我が家の恥だ。


 この先笑いものになったら生きて行けない。

 どうしたらいいか。どうにかして助けて欲しい。


 どこまでもそんなことが便箋いっぱいに書かれていた。


「だから言ったではないですか。あの子では無理だと」

「そんなことを今さら言っても仕方ないだろう!」


 今さらって。

 何度も忠告したじゃない。


 結果など分かり切っていて、行かせた両親も、行ったマリンも悪いってだけの話でしょう。

 私には何の関係もないじゃない。


「まったく困ったことになったものだ」

「下位の令嬢たちよりもマリンが劣っているなどと言われてしまえば、もう嫁ぎ先もなくなってしまうわ」

「それに何より、我が伯爵家の家門に傷がつく」


 わざとらしく大げさに嘆く二人を、私はただジッと見ていた。

 

 これはなんの茶番なのかしら。

 そんな風に言えば、私があの子に同情するとでも思ったの?


 冗談じゃない。絶対に嫌よ。


「困りましたね」

「なんだその言い草は!」

「あなた……」


 怒鳴れば私が言うことを聞くと思っているあたりが、本当に頭にくる。

 私は操り人形じゃないのよ。


 黙ってさえいれば、いつかその怒りは私の頭を通り過ぎ、諦めてくれるかと思った。


 だけどそんなのは幻想にすぎず、父はあり得ないことを言い出したのだった。


「まったくどうしておまえは、そうも薄情なんだ。妹が窮地に陥っているのに助けたいとは思わないのか」

「それはこの前も言ったはずです。だから辞めさせるべきだったんです!」


 なんでもかんでも私のせいにしないでよ。

 結果なんて初めから分かっていたじゃない。


「始まってしまったものは、もうどうにもならないんだ」

「……そうでしょうね」


 そう言ってのけたものの、実際この先どうするつもりなのだろう。


 ハッキリ言って、マリンの実力では試験になど一つたりとも通過できる見込みはない。

 

 元より病弱で勉強が遅れていたのもあるけど、基本的にあの子はそういったものが好きではないのだ。


 病弱だろうとなんだろうと、取り組む姿勢さえあれば本来ならばもう少しマトモに出来たはず。


 私とあの子に付けた教師は同じなのだから、教え方の問題でもないはずなのに。


「そこで考えたんだ。このままではマリンの嫁ぎ先はない。だから一次も通らす試験に落ちた場合、マリンをおまえとして、リオン殿の侯爵家に嫁に出すこととした」

「は?」


 父の言っている言葉の意味が、まったく理解できなかった。


 あの子が一次試験すら通らなかったら、マリンが私としてリオンと結婚する?


 それはどういう意味なの。

 だって現に私はここにいるわけだし、いくらリオンだって私とマリンの見分けはつく。


 それなのに……。


「意味が分かりません。私はここにいるんですよ? それにあの子が私に成り代わってリオンと結婚するなど、現実的に無理があるではないですか」

「はたしてそうだろうか?」


 父はニタニタと嫌な笑いを浮かべていた。

 私は思わず、母を見る。


 だけど母は、バツが悪いのか私から視線をそらした。


「マリンがおまえに成り代わってリオン殿のとこに嫁として迎えられても、本人たちが何も言わなければ通ることだろう。なにせ、おまえたちは双子なんだからな」

「は? でも! リオンは私とマリンの区別がつくのですよ?」

「だから何だというんだ」


 だから何って。

 考えたくもなかった答えが、私を支配していた。


 区別がついても関係ない。

 マリンが私に成り代わっても、関係者たちがそれを漏らさなければ、他人の目など誤魔化せてしまう。


 でもそれは――


「リオンもその提案に納得したということですか?」


 そうだ。

 これは大前提として、嫁ぎ先である侯爵家とリオンが納得しなければ成り立たないのだ。


「ああ、そうだ。リオン殿はおまえの代わりとしてマリンが嫁いできても構わないと。一生、表面上はアイラとして愛しぬくと言ってくれたさ」


 どこまでもどこまでも。

 みんなで私のことを馬鹿にするのね。


 信じていたのに。

 言葉では『愛してる』って言ってくれなくても、いつでも会いに来てくれて、傍にいてくれた。

 

 リオンだけは、私は私のままでいいって言ってくれていたのに。


 全部そんなものは嘘だったのね。


「だから選ばせてやろう。マリンとして王妃選定試験に参加するか。リオン殿をマリンに明け渡すか」


 どちらにしても、私が得をすることなど何一つない。

 結局、私を踏み台にして幸せになるのはあの子じゃない。


「一つだけ条件があります」

「なんだ」

「すべて勝ち抜いてしまえば、そのまま国王陛下のお目にかかることとなりましょう。そうなれば、替え玉がバレるかもしれません。私が協力するのは、あくまで一次試験の途中まで。最下位にならず、撤退することです」

「……まぁ、いいだろう。最下位にさえならなければいい」

「絶対ですからね」


 父はしぶしぶという形で、大きく頷いた。

 どのみち私の嫁ぎ先がなくなってしまえば、困ることには変わりない。


 だからそれよりはマシだと思ったのだろう。

 

 どこまでも許せないと思うのに、不思議と涙は出てこなかった。


 この時にはもうすでに、私の心は死んでいたのかもしれない。

 

 それからほどなくして城の裏側から抜け出した馬車で、私はマリンと合流した。


 状況を悲観しているかと思っていたマリンは、いつものふてぶてしい態度だった。


「まったく姉さま、来るの遅すぎ!」


 馬車の中で喚くマリンに、私はわざとらしく大きなため息をついた。


「なんなの、それ!」

「みんなマリンの時間に合わせて生きていないのよ」

「でもだって、午後の試験がもう少しで始まっちゃうじゃない」


 大きくその頬を膨らませて見せる。

 大概の人間は、この仕草が可愛いと思うらしい。


 だからマリンがこうやってむくれて怒れば、それをなだめにかかるのだ。


 だけど所詮は元は同じ顔。

 私にそんなものが通じないと、なぜ分からないのかしら。


 姿かたちは同じでも、中身はまったく違う。

 そのせいか私は、マリンと自分が同じだと思ったことは一度もなかった。


「まずもって、この状況が分かっているの?」

「姉さまがわたしの代わりに、めんどくさい試験だけ受けてくれるってことでしょう?」

「あなたねぇ」

「やっだぁ。冗談じゃない。そんなに怒らないでよ」


 ニタリと笑うマリンに、私は再びため息をついた。

 成り代わることがそれだけのことなのか、この子には理解できないんでしょうね。


「バレたらどうなるか分かってるの? タダでは済まないのよ」

「あーはいはい。わかってまーす」

「はいはいではなくて。替え玉で試験を受けたことがバレれば、下手したらみんなが処刑されるかもしれないのよ? 本当に分かっているの?」


 私の言葉に、マリンはようやく少し考えているようだった。


 ただこの子が出した答えは、何よりも醜いものだったけども。


「んー、その時はわたしを不憫に思った姉さまが勝手に成り代わったことにすれば、さすがに一族みんな処刑ってことはないんじゃない?」

「……」

「なぁに。その怖い顔。わたしと似てなくなっちゃうからやめてよね、冗談だってさっきから言ってるじゃない。ちゃんとその時は、姉さまを助けて下さいって懇願してあげるわ」


 懇願したところで、どうなるというのよ。

 結局はその罪を私に押し付けるってことじゃない。


「だから、とにかくバレないように姉さまも頑張ってね」


 ありがたくもない応援だった。

 私は無言のままマリンが来ていたドレスと自分のドレスを交換する。


 そして乗り合わせた侍女に、マリンと同じ髪型にしてもらうと、マリンが乗って来た馬車で城へと一人戻った。


 部屋の位置は確認してある。

 次の試験時間まではもういくらもない。


 逃げ出したくなる気持ちを押さえ、私はマリンとして試験に参加した。


 王妃選定試験は、思っていたよりも違う意味で大変なものだった。


 それは多岐に渡る科目というわけではない。


 いわゆる選定方法が、だ。


 厳しい試験官と相対した時の対処法や、間違った場合になぜ間違えたのか。

 論理立てて話したり、嫌味を言う者たちに対するスキルがないとどうにもならなかった。


 合格させる気があるのか。

 そもそも試験の点数や内容よりも、人としての中身を見られているような気がした。


 それでもふるいにはかけられ、初め7人いた候補者は3人が脱落し、1人が泣きながら辞退した。


 日に日に候補者から余裕は消え、責め立てられるような毎日のせいか、横の繋がりもなかった。


 私が知っているのは残った人たちの家名と、彼女たちの名前だけだった。


「では、明後日が最終選考となるため明日は1日お休みとなります。ですが、帰宅は許されておりませんので、お気をつけ下さい」


 やっと今日の試験も終わった。

 自慢するわけではないが、キチンと自宅で勉強さえしていればさほどそれ自体はきつくはなかった。


 だけど本当に試験官の人たちは嫌味な人ばかり。

 合格させる気がないみたいに。


 そう考えるとこの王妃候補を探さねばと言い出したのはどこかの大臣たちで、国王陛下はいらないと思っている。


 だから意地悪くして、全員の脱落をさせようとしているのではないか。


 そんな風に邪推してしまった。


 まぁ、それすら私にはどうでもいいわ。


 私の役目は今日で終わり。

 病気退場か何か知らないけど、最終選考には出ない。


 それがあの時した約束だもの。

 朝一の試験前に手紙を送ったから、部屋に戻ったら指示が来ているはずね。


「では、部屋にお戻りください」


 試験官の言葉で、中庭で試験を行っていた私たちは椅子から立ち上がる。


 今日の毒花の見分け方の試験では脱落者はいなかった。

 最終選考もこのままのメンバー。


 私は抜けるから、この二人のうちどちらかが王妃様か。


 ふとそんな風に見ていると、宮殿の方から護衛を連れた男性が歩いて来るのが見えた。


 燃えるような赤く短い髪に、ややくすんだ朱色の瞳。

 背は護衛騎士たちと変わらぬくらい高く、体格もややガッチリとしている。


 だけど服装は細やかな金の刺繍が施され、シルクか何か高そうな生地で作られているのが分かる。


 もしかしてあの方って……。


 試験官から言われるよりも先に、私たちはすぐに頭を下げ挨拶をする。


「ほう。この者たちが生き残りか」

「陛下、言い方というものがございますかと」

「ははは、言葉の意味の通りだろう」


 頭を下げたままの私たちを気にする様子もなく、陛下と呼ばれた人は試験官と話始めた。


 やはりこの方が陛下。

 即位式前だから見たこともなかったけど、父からその特徴を聞いていて助かったわ。


 粗相があったら困るもの。

 だけどまさかこんなところまで来られるなんて。


 想定外だわ。

 できれば顔を合わせずここを去りたかったのに。


 頭を下げたままの私たちは、先ほど遠目で見ただけで陛下の様子は分からない。


 だけど嫌な緊張感だけはあり、息が浅くなるのを覚えた。


「予想外に皆よく頑張ってくれているみたいだな」


 陛下のその言葉が、本当の意味でのねぎらいなのか、その逆なのか。


 頭を下げたままの私たちには到底分からない。

 だけどこのまま立ち去ってくれたら。


 顔を見られなくても済む。

 私とマリンは一卵性の双子。


 一度や二度会ったくらいでは、特徴を変えない限りは今まで見分けられたことはない。

 だけど万が一ということはある。


 顔を合わせないなら、合わせない方がいい。

 どうかこのまま立ち去って。


 私のささやかな願いなど、簡単にかき消された。


「ああ悪かった。そう畏まらなくていい。頭を上げてくれ」


 一番聞きたくない言葉だった。

 

 しかし私だけ頭を上げないわけにもいかない。

 

 一度息を飲んだあと、気が付かれないように息を吸い込み顔を上げた。


「ああ、君が噂のね」


 顔を上げたその瞬間、陛下と視線が合う。

 何を思ったのか、彼は真っすぐに私を見ていた。


「試験官たちから聞いているよ。初回以外はとても優秀な成績を収めているようじゃないか」


 バレないことだけを重視しつつ、普通にやってきたつもりだったのに。

 一番初めのマリンの出来が悪すぎだったのか、悪目立ちしていたのか。


 どちらにしても、注目を浴びてしまっていたなんて。

 

 どうしよう。どうしたらいいの。

 今日、退場予定だったのに。

 

「お茶だけは苦手でして」


 なんとか誤魔化して逃げ切らないと。

 極力マリンに似せる様に、にこやかに笑顔を作った。


「そうか。苦手なのか。それならば仕方ないな。まるで人が変わったかのようにその後から快進撃だったから気になってな」


 顔に出すな、顔に出すな。

 今はとにかく笑え。


 きっとバレてる。

 バレてるけど確証がないから、陛下はきっとこんなことをおっしゃるのだわ。


 今もし少しでも不安な顔をしてしまえば、それだけでバレてしまうもの。


「陛下に気にかけていただけたなど、これ以上にない喜びですわ」

「……そうか」


 陛下もそう言いながら、笑った。

 その笑顔の裏が、どこまでも恐ろしい。


 なんでこんなことになったの。

 全部マリンのせいなのに。


 だけど……最後まで断り切れなかった私も、きっと同罪なのね。


「ところで令嬢、そなたは姉妹や兄弟をどう思う」

「は?」


 質問の意図が分からず、思わず私は素に戻ってしまった。


「言葉のままさ。好きか? 大事か?」


 心臓の音がいつもよりも早く大きい。

 しかも胸からではなく、自分の耳元にそれがあると思えるほど。


 これはなんと答えたら正解なのか。

 限界の私には、もう分からなかった。


「……嫌いです」


 (つくろ)えなくなった私は、もうそうとしか言えなかった。


 私の言葉に、陛下以外の人間の顔が驚いているのが見なくとも分かる。


 自分ですら言ったその瞬間に、後悔が体を支配していた。

 

 ああ、間違えてしまった。

 疑われている場面で、まさか不正解の方を言ってしまうなんて。


 しかし陛下は一瞬固まったように見えたが『そうか』と笑顔のまま答え、同じ質問を残りの二人の令嬢にもしていた。


 二人の令嬢は私とは違い、いかに自分が兄弟や姉妹を大切にしているか。

 家族愛とはなど、楽し気に語っていた。


 そこから陛下が執務に戻られるまで、生きた心地はしなかった。


 そして何を言われたのか、どうしたのか。

 それすら記憶が曖昧(あいまい)なまま、私は王宮より与えられた自室へと戻った。


「おっそーい。何していたの、姉さま。わたし、ずっと待っていたのに」


 部屋を開けた瞬間聞こえてきたその声に、私は急いでドアを閉めた。


 部屋の中には退屈そうにベッドに寝転んだ、マリンがいる。


「どういうこと、これは」

「へー? なにがぁ?」


 マリンはゆっくりと体を起こし、こちらを向いた。

 しかしニタニタとしたまま、話をはぐらかそうとする。


 最終日となる明後日は、もう試験には参加しない。

 だから今日の夜にでも体調を崩したことにして辞退する。


 手筈としては、そうなるはずだった。

 しかし目の前にはマリンがいる。


「最終試験には出ずに、今日帰る予定だったじゃない。それなのに、どうして」

「姉さまは最終試験になど出なくてもいいですよ? わたしが出ますし」

「馬鹿なこと言わないで」

「なんで? あー。まさかここまで来て、わたしが王妃になるのが嫌になった感じ?」

「そうじゃないでしょう!」


 怒鳴る私を、マリンは鼻で笑った。

 この子、初めからそのつもりだったんだ。


 しかもこの部屋まで辿りつけたということは、おそらく手引きしたのは父だ。

 

 自分が登城するタイミングで、侍女として変装でもさせてマリンを連れてきたのだ。


 こんなの話が違い過ぎる。

 約束が違うじゃない。


「大丈夫よ。ちゃーんと、一番おいしいとこはわたしが持って行ってあげるから」


 にこやかに微笑みながら、立ち上がったマリンは近づいてくると私の肩に手を置いた。


「姉さまはいつも通りに戻ればいいじゃない。ほら、リオンさまだって返してあげるわよ?」

「あんたね!」

「やっだー。怖い顔。これで同じ顔だなんて嘘みたいね」


 私はマリンの手を払いのけた。

 ああ、そうだ。

 この顔も、何もかも大嫌い。


 私は私から全部奪っていくこの子が大嫌いなんだ。


 だからあの時も、取り繕うことは出来なかった。

 嘘でも好きだなんて、言いたくもなかったから。


「あはっはははは。まったく、ホント同じなのに残念すぎー」


 悔しくて、どこまでも悔しくて。

 マリンから離れ、背中を向け部屋の奥へ逃げる様に歩き出す。


 するとドアを開ける音と共に、ドサリと何かが倒れる音が聞こえ、私は振り返った。


 振り返るとそこには、黒い装束に身を包んだ男がいた。

 彼の手にはナイフがあり、そこには赤いナニかが色づいている。


 私は数歩後ずさり、ナイフからしたたり落ちるモノのその先を見た。


 私と同じ顔。

 あれほど大嫌いだったあの子が、青ざめた顔のまま動かなくなっていた。


 こんなにもあっけなく死んでしまうのね。

 ああ、なんだろう。


 悔しいともうれしいとも違う感情。

 ただ乾いた笑い声だけが、口から漏れた。


 男は私とマリンの顔を交互に確認すると、顔をしかめる。

 おそらく双子がこの部屋に揃っているなど、考えなかったのだろう。


 しかし男が考えた時間はさほど多くはなく、ナイフを持ったまま私との距離を詰めようとした。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 自分でも驚くほど甲高い声が出た気がした。


 ただ男は私にナイフを振り下ろし、それを必死に払いのけようとして腕に痛みが走る。


 それは痛いを通り越し、灼けるような熱さに近かった。


「何事だ!」


 男のナイフが次に私に届く前に、声を聞きつけた護衛騎士たちが部屋に流れ込む。

 窓を割って逃走を図る男。

 そしてそれを追う騎士たち。


 私は力なくその場に尻もちをつくと、もう動かないマリンとその目があった。


 あれほど憎らしく、輝いていた瞳はもう何も映さない。


「大丈夫ですか?」


 騎士たちの声をどこか遠くに感じた。

 

 私もこのまま死ぬのだろうか。

 どこまでも灼けるような痛みの中、そこで意識は途切れた。


 疲労とストレス、それに心的ショック。

 挙句にあのナイフには、確実に妃候補であったマリンを殺害するための毒まで塗られていた。


 致命傷ではないとはいえ、毒に耐性などない私は十日以上生死の淵を彷徨った。


 朦朧とする意識の中見た夢は、どれも面白くもない過去たちばかり。


 いつでも家族の中心にいたマリンと、そのオマケにすぎない私を何度も思い知らされる。

 その度に、私にはマリンに消えて欲しかったという願望はなかったのか。


 私の思いがマリンを殺したのではないのか。

 何度も何度も、繰り返しそんな夢を見ていた。


「まだ……ゆめ?」


 辛うじて動く左腕。

 右腕を見れば、幾重にも包帯が巻かれていた。


 あの時ほどの熱さはないものの、決して痛くないわけではない。


 でも痛いってことは、生きてるってことよね。


 ただ目を開けて飛び込んできた室内は、王宮より与えられた部屋でも自室でもなかった。


 高い天井に、天蓋付きの恐ろしく広いベッド。

 そのどれもが見ただけで、高いものだと分かる。


 まだ私は王宮にいるということなのかしら……。


 体はこわばったように固く、無理に動かすことは出来ない。

 首だけでもと、横を向くとちょうど部屋の扉が開いた。


 そして水差しを持った侍女と、その目が合う。


「あああ! 気が付かれたのですね! 誰か、誰かお医者様をすぐに呼んでちょうだい」


 侍女は大きな声を上げながら、私に近づいてきた。

 そこからわらわらと、医者や侍女たちが部屋に流れ込んでくる。


 その一番奥には、両親の姿もあった。


 一通りの診察を終えると、医師たちから許可を得た両親が私のベッドに駆け寄る。


 私たちが襲われすぐに自宅へ一報が届いてからは、私の隣の部屋に滞在が許されそこにずっといてくれたらしい。


 そして私も王妃選定試験の待機部屋から、もっと広いこの客間へ移動させられていた。


 二人は私を見るなりその瞳に涙をあふれさせ、縋るように床に膝をつきながら私の手を握った。


 両親が私のために涙を?

 

 なぜだかそれだけで、じんわりと胸が熱くなり私も涙をこらえることが出来なかった。


 私でもちゃんと愛されていたんだ。

 そんな安心感が、先ほどまでの酷い悪夢など忘れさせてくれる。


「おか……あ……さま」


 久しぶりに声を出そうとしたせいか、それとも涙のせいか。

 うまく言葉にならなかった。


 しかし母は私の手を握ったまま、何度も頷き声をかけてくれた。


「ああ、良かったわ。あなただけでも生きていてくれて」

「本当にな。神様に感謝するよ」

「ええ、わたくしたちの可愛い娘、マリンを助けて下さり感謝します」

「……え」


 この現実こそが、夢ではないかと思えるほど、その言葉は残酷に思えた。


「なん、て?」

「大丈夫だ、マリン。今は混乱しているかもしれないがすぐに良くなる」

「ええ、そうよ。目の前であの子を殺されてしまったのだもの。混乱してしまっても仕方ないわ」

「ちが」

「大丈夫よ」


 そんな言葉を繰り返す両親が、どこまでも恐ろしく気持ちの悪いモノにしか思えなかった。


 私アイラが死んでマリンが生きているなど、どうして思えるの。

 いくら双子とはいえ、両親には区別がつく。


 もちろん間違えられたこともあるけど、毎回区別がつかなかったわけではない。

 だって親だもの。


 だけど二人は私をマリンだと言う。

 ううん。そう思い込んでいるだけ?


 私が死んだ方が良かったから。

 それとも、他に目的でもあるっていうの?


 だけどそのどちらにしても、二人は私をマリンに仕立て上げたいということだけは分かる。

 でも、冗談じゃない。

 いくらなんでも、あり得ないわ。


「私は……マリンじゃ、ない」

「いいえ。今あなたはその怪我のせいで混乱しているのよ」

「ああ、そうだ。今はゆっくり休みなさい。陛下からもここで療養するように言われておるからな」

「まって、じゃああの子は」

「アイラの葬式ならもう終わったわ。あとで怪我が良くなったら、お墓参りに行きましょうね」


 さらりと言う母の言葉に、私は凍り付いた。

 葬式は終わり、お墓までって。


 でもこの人たちは、アイラが死んだことにしたのよね。

 私が死んだことにされたって……。


 どうなるの? いえ、どうすればいいの。

 このままじゃ、本当に私がいなくなってしまう。


 私は両親が部屋に戻ると、私は一縷(いちる)の望みをかけて手紙を書いた。

 そう、婚約者であったリオンへと――


 ほどなく面会の許可を得たと言いい、リオンが私に会いに来てくれた。


 リオンならば、どちらに転んでも私を助けてくれるはずだと思った。

 だって彼は、私よりもマリンを選んだのだから。


 そう思ったのに……。


「マリン!」


 リオンは部屋に入ってくるなり、そう叫びベッドで寝たままの私の足もとにすがりついた。


 そして今まで一度だって見たこともない、大粒の涙を流している。


「リ、オン?」


 私は彼の行動の意味が分からず、身じろぎしながら声を上げた。


「マリン、マリン、マリン」


 ただずっと泣くリオン。

 一つだけ分かるのは、その涙は私へのものではない。


「やめて、リオン。私は……ちがう」


 アイラだと言いかけた私を睨みつけ、リオンが先に声を上げた。


「何も違わないさ。ああマリン、君が生きていてくれてよかった」

「聞いて、待って、私は……」

「ぼくにとってマリンが全てなんだ。初めて君を失うかもしれないと思った時、もう生きた心地がしなかった。だからあの時、君は王妃選定試験に出たいと言った時、もっと強く止めていればよかったんだ」


 私がマリンではないと分かっていて、あなたもマリンだと言うのね。

 自分にとっては、私よりもマリンが大事だから。

 マリンがいないと生きていけないから。


「いつから、そんな」

「ずっとさ。前にも何度も言っただろう? マリン、君を愛しているって」


 私にはくれなかった言葉を、こんなにも簡単にあなたは言うのね。


 聞きたくなかった。

 一番聞きたくなかった言葉だわ。


 身体よりも、心が黒く染まり死んでいくような感覚だった。

 ああ、身体なんかより、心の方がずっと重いのね。


 こんなことなら、本当に私が死んでしまえばよかったのに。

 私が生き残った意味はなに?

 なんで私なの?


 こんなにも、こんなにも惨めなのに。

 何一つ私のものなんて、この世界には存在していなかったのに。


「親には君と婚約を結びなおすようにお願いするさ。だからあと少しの辛抱だ。怪我が良くなったら、ぼくの家に行こう。もう二度と君を離さないよ」


 傍からみれば、きっとそれは素敵な愛の囁きなのだろう。

 だけど私にはそれは、絶望の言葉でしかなかった。


「ぼくの愛しいマリン。どうか泣かないでくれ」


 リオンは立ち上がり、私の枕元へ近づくと、その手で涙を拭おうとする。

 しかし私はその手を払いのけ、ただ彼を睨みつけた。


 彼が再び声を上げようとしたその時、大きな音を立てて扉が開く。

 あの時のことを思い出す体が、震えるのが自分でもすぐに分かった。


 部屋に入ってきたのは、両親だった。

 父はリオンを見るなり顔色を変え、私からリオンを引き離す。


 そして母は私を庇うように、私と二人の間に立った。


 これはどういう状況なのだろうか。

 今まで両親は、自分たちよりも身分の高いリオンにはベッタリだったはず。


 私であっても、マリンであっても、嫁がせたいと思うほどにその関係は良かったはずなのに。


「誰が招き呼んだのだ」

「ぼくはマリンに助けを求められたから来ただけです」

「マリンは混乱しているだけだ。帰りたまえ、リオン殿」

「なぜです!」


 状況の掴めない私を置き去りに、二人の口論はただ続く。


「わしが君との婚約を認めたのは、アイラだけだ」

「ですが伯爵は……」


 そう。

 初めからリオンとの婚約は私のみだ。

 たとえ私とマリンを入れ替えていたとしても、名義上はリオンとアイラが結婚することになっていたはず。


 外側から見れば、マリンとリオンの結婚ではない。

 それは世間体とか、そういう意味だと思っていたのだけど。


 二人の口論を聞いていると、どうもそこではない気もする。


「マリンと君との婚約は決して認められない。君はあくまでアイラの婚約者だろう」

「アイラが亡くなったとしても、両家の結びつきを考えれば、その相手がマリンとなってもいいではないですか」


 ここまでくると、私は何を見させられているというのだろう。


「マリンは王妃選定試験において、優秀な成績を収めたんだ。陛下の覚えもいい。このままいけば、マリンが王妃なのは間違いないんだ」

「!」


 私はやっとこの時になって、今自分が何を見せられているのか分かった。


 父たちはマリンの名誉と、自分たちの家門の繁栄のために、私をマリンのままにしておきたいのだ。

 そうでなくては、せっかく得た権利を失ってしまうから。


 アイラがマリンの代わりに死んだことにすればいい。

 面会だって禁止されていたけど、大方姉が妹を心配して~なんて説明したのでしょう。


 入れ替わりに試験を受けされていたなんてバレてはいけないし。

 私がマリンとして陛下に嫁ぐこととなれば、自分たちは幸せだものね。


 そしてリオンはマリンがいないと生きて行けないと泣いた。

 ある意味純粋な愛なのかもしれないけど、そのために私に犠牲になれと言っている。


 ああ、ホントどちらもクソだわ。


 ねぇ、マリン。

 死人に口なしなんだろうけど、あなたは今どんな気分?


 私に全部奪われて、キーキーと叫んでいる頃かしら。


 その姿だけは見てみたい気もするけれど、全然いらないわ。

 あなたの人生なんて。


「いい加減にして下さい!」

「おまえは黙っていなさい」

「なぜ私が黙っていなければならないんです!」

「うるさい!」

「うるさいのはどちらですか!」


 どんどんと大きくなる私と父の怒鳴り声に、すぐに異常を感じた使用人たちが駆けつけてくれた。

 ただ一人、予想外の人も添えて。


「これは一体、どういう状況だ」


 入室してきた陛下に、みなは頭を下げた。

 それほど騒ぐ声が大きかったのだろ。


「ああ、それが……」


 そう言いながら父はちらりと私を見た。

 父の代わりに私が声を上げようとすると、すぐそばにいた母が私の腕を強く掴む。


 見上げた母の表情には、何も言うなと書かれていた。


「お騒がせしてしまって、申し訳ございません。死んだアイラの婚約者であった、リオン・ドーリー小侯爵が自分との婚約を妹のマリンへと挿げ替えてくれとここまで押し掛けてきたのです」

「ほぅ」

「どうしてぼくのせいにするんです、伯爵。陛下、ぼくが言っていることは何もおかしなことではございません。結婚は家と家との結びつき。死んでしまったアイラは可哀そうでしたが、この先の我が家門の繁栄にはこの結婚は必要不可欠なのです」

「しかしマリンは王妃となるために努力してきたのだぞ。君の婚約者はアイラだったではないか」


 父とリオンが代わる代わる、陛下に訴えていた。

 リオンを排除したい父と、マリンとの結婚を正当化したいリオン。


 しかし二人の会話を聞きながらも、どこか陛下は表情にこそ出さないものの、まるでこの茶番を楽しんでいるかのように思えた。


 実際陛下はただ二人の会話を聞き相槌を打つだけで、その視線は二人の奥にいる私を見ている。

 

 あの瞳。

 あの朱色の瞳は、前回感じたのと同じですべてを見透かしている気がする。


 たとえそうではなくとも、もうこの茶番など私もごめんだ。


「してご令嬢の意見は?」


 陛下が私に話をふると、母は私を掴む手をさらに強めた。

 あざが出来るのではないかと思うほどそれは強く、その痛みに顔が歪む。


「娘はまだ昏睡から冷めた状態で混乱しておりまして、とてもマトモに話せるような状況ではございません」

「どちらにしても、結婚に本人の意思など関係ないではないですか、陛下」

「俺はお前たちにではなく、彼女に聞いているのだが?」


 燃えるような瞳が二人を睨みつけると、二人は喉を鳴らし押し黙った。


「陛下にご申告したいことがございます」

「ほう、何についてだ?」


 その返答に、私はやはり全部この人は知っている。

 どこかそんな確信を持てた。


 それならば取り繕うだけ、逆効果だろう。

 そもそも私には取り繕う意味すらない。


「私は妹のマリンではございません。姉のアイラにございます」

「マリン、何を言うのだ!」

「黙って下さい。両親も私の婚約者も、死んだのはマリンだと分かっております。分かった上で私をマリンの代わりに仕立てようとしているのです」

「なぜだ? そんなことに何の意味がある」


 この方だけは、私を見てくれている。

 この先この方の手で断罪されようとも、ただ私を見てくれた人がいた。

 それだけで十分だった。


「彼らが妹だけを愛していたから。私の婚約者だったリオンもマリンのことを愛していました。それこそ、私と婚約を交換したいほどに。しかしあの子は、リオンよりも王妃選定試験を選んだ」


 試験に行くとマリンが言ったあの日、早朝に蒼白な顔をしてまで止めに来たリオン。


 おそらくその時にも愛を囁き、婚約を私と交換してでもいいから行かないでくれとでも懇願したのだろう。


 しかしマリンはそれを拒絶した。

 

 あの子はリオンと結婚するよりも、王妃になる方が自分にとって良いと判断したから。


「しかし元より勉強の嫌いなあの子では、選定試験になど通るはずもなかった」

「な、何を言い出すんだマリン。やめないか」


 物理的にでも私を止めようとする父たちに、陛下はスッとその手を上げた。

 すると外で待機していたのか、騎士が部屋に流れ込み父たちを拘束する。


「何をなさるのですか、陛下」

「それはこちらの台詞だ。今はこの俺と令嬢が話しているんだ。邪魔をするな」


 父たちはそれでも抵抗をしていたが、騎士たちを前にどうにもならなかった。


「私は父に脅されマリンと入れ替わり、一日目の午後に王妃選定試験へ参加いたしました。その後の試験は全て私がこなしました。そして最終日、私は試験を辞退すると言ってあったのですが、あの子が……。マリンが最後だけもう一度入れ替わるといい王宮へ来たのです」


 そしてあの事件が起きた。

 王妃候補を狙った暗殺事件。


 まさかマリンもあんな形で最後を迎えるとは思ってもみなかったでしょうね。


「マリンは陛下を籠絡(ろうらく)し、必ずや王妃になるなどと……。許されざることをしたのです」


 目をつぶれば、あの時のマリンの顔が思い浮かぶ。

 

 立ち位置が違えば、あそこに転がっていたのは間違いなく私だった。


「それを申告するということは、すなわち令嬢にも罪があるということとなるが?」


 私は陛下を見た。

 陛下の言うことはもっともであり、私は分かった上で申告したのだ。


 罪などもうどうでもいい。

 私が私でいられるのなら。


「承知の上です」


 これでいい。

 そう思ったのに、陛下は予想もしなかった言葉を私に投げかけた。


「そなたの言い分は分かった。だがそれを、どう証明する?」

「え?」

「そなたを知る者、家族、婚約者、その全てがそなたはマリン令嬢だと言う。そして姉が目の前で殺されたことによる錯乱で、自分は姉本人だと言い張っていると言っているではないか」

「それは……」


 陛下の言葉の意図は分からない。

 だけどその通りだ。

 私は私を証明出来る?


 自分を知る身近な人は皆、私をマリンだと言う。

 しかもすでにアイラの死亡は届けられていて、覆すにはキチンとした証拠が必要なのだろう。


 だとしたら……。


 マリンにとても良く似ていて、あの子の影のように生きてきて、今まで何かを残してきたわけでもない。


 証人となってくれる人もいない。

 私は私だという証明すら、出来ないじゃない。


「まぁ、そんな顔をするな。申し開きの場を双方に設けよう。そこで言いたいことを話すのだな」


 数日間の後、陛下は私の死亡を覆すための王宮裁判を開くと話してくれた。

 しかし勝算はあるのだろうか。


 だけど私として生きていくためには、出ないという選択はなかった。



     ◇     ◇     ◇



 始まった王宮での裁判は、陛下が私たちを見下ろせる高い席に座り、ジッとその様子を見ていた。


 ある意味、泥沼ともいえるそれは、公平を期すために多くの裁判員たちも参加していた。


 訴えているのは、私がマリンかどうか。

 父と母は私が錯乱しているためのことだと言い張り、そしてその傍らにはリオンも証言者としていた。


 私は一人、味方のいない状態だ。


「皆さん、我が娘はこの度の暗殺事件に巻き込まれた被害者であり、目の前で双子の姉を殺されたことによる混乱からおかしくなってしまったのです」


 父は身振り手振りを交えながら、裁判員たちに訴えかける。


「とても優しい娘です。姉が目の前で死にゆく様を見たからこそ、その心が壊れてしまい、姉の死を否定するために自分は姉であるアイラだと主張しているのです」


 母は父に寄りかかりながら涙を流せば、裁判員たちも悲痛な顔を浮かべている。

 同情を買うつもりなのだろう。


 姉を亡くし、そのショックから壊れてしまった可哀そうな妹。

 それを心から心配しする両親。

 そう言いたいのだ。


「ぼくは彼女の姉の婚約者でした。だからこそ分かります。彼女はアイラではなく、マリンなのだと」


 リオンの声に、裁判員たちが頷く。

 私の部屋で見た時は、父たちとリオンは敵対していたというのに。

 どうしてこうなったのかしら。


「おかしくなってしまったマリンは、さすがに王妃様となるのは難しいでしょう。陛下がおっしゃったように、自宅でしばらく療養させていただきたいと思います」

「ええ。陛下のお心遣いには、心より感謝しております」


 父と母は深々と頭を下げた。

 お心遣いとは、きっとその言葉の意味ではない気がする。


 強欲な二人だもの。きっと、陛下からマリンに対するこの事態への慰謝料か見舞金でも提示されたんだわ。


 私が仮に嫁いで、そのあと問題を起こして自分たちの身が危うくなるよりも、お金をもらってさらにリオンにでも売り渡そうと考えたのね。


 そう考えたら、リオンと手を組んだ意味が分かる。


 どこまで私を利用するつもりなのかしら。


「では令嬢、そなたの意見は?」


 やっと私の番が回ってきた。


「私はマリンではありません。混乱もしていなければ、いたって正常です。両親は私を悪者にすることで、自分たちの罪を逃れるつもりなのです。元々、これはマリンが始めたことですが、父たちはあの子が王妃にさえなれればなんでもよかったのです」


 私なんてどうでもいい。

 そう顔に書いてあるものね。


「私すら罪に問われる覚悟で申告しているのです。むしろ、嘘をついているのは両親たちです」

「そんなことはない!」

「いいえ。アイラが死んだことにすれば、自分たちは安泰だと考えているのです」

「娘はただ混乱しているだけです。娘の言うことなど信用してはいけません」

「マリン、いい加減になさい。あなたが困ることなのよ」


 どれだけ答えを並べても、父たちは私がおかしくなったと言い返す。

 三対一。普通に考えれば勝ち目のない戦いだ。

 もちろん彼らもそれが分かった上で、私を説得にかかっている。


 だけど――


「私はあの子の代わりになって生きるくらいなら、死んだ方がまだマシよ!」


 私はただ叫んだ。

 その言葉に会場は静まり返る。


 断罪された方がマシだという人間など、この世にどれほどいるだろう。

 きっと死ぬよりマシだと言う人間の方が多い気がする。


 でも嫌なのだ。どうしても嫌だ。

 あの子のまま生きていくくらいなら、私は私のまま死にたい。

 もう身代わりなんて、嫌なのよ。


 すると今までただ沈黙を保っていた陛下がひと際大きな声で笑い出した。

 皆の注目が陛下に集まる。


 陛下は真っすぐな瞳で、私を見ていた。


「気に入った。どうせ死ぬのならば、その命俺のために使う気はないか?」


 陛下の言葉の意味は分からない。

 だけど私の答えは一つだった。


「私が私であるとお認め下さるのなら、この命いくらでも差し上げましょう」


 その言葉に、陛下はまた笑う。


「なぁ令嬢、そなたは君は姉妹や兄弟をどう思う?」


 それはいつかと同じ質問だった。

 その言葉にふと気づき周りを見渡せば、裁判員たちはあの時の指導員たちだと気づく。


「嫌いです」

「知っている。あの日と同じ。俺と君は同じだな」


 この言葉を聞いた瞬間、裁判員たちはその顔を見合わせていた。

 そして陛下からの助け舟のおかげで、私は私であるという証明を果たすことが出来たのだ。


 そう、陛下のために命を捨てる約束と引き換えに。



     ◇     ◇     ◇



 あれからいくつかの季節が過ぎた。

 父たちは王家への虚偽罪として身分をはく奪後、国外追放となった。


 リオンも愛する人を失った悲しみによる混乱だとされ、廃嫡(はいちゃく)


 いずれも温情ある判決となったのは、少なくとも私のおかげだろう。


 そして今私は、あの頃とは違い、平穏にはなったものの目の前の人の取り扱いに日々苦戦している。


「陛下、そろそろお仕事に戻られませんと、秘書官たちが困っていますよ」


 私の部屋で息を殺し、壁の花と化している秘書官たちは悲壮な顔で私の言葉に何度も頷く。

 毎日こんなでは、彼らがさすがに気の毒ね。


「休憩して何が悪い」


 そう言いながら陛下は私の膝の上で寝返りを打つ。

 そして先ほどまで太ももに顔を埋めていたのを向き直り、こちらを見た。


 この人の枕となってソファーに座り、どれほど経過しただろうか。

 ちょっとの休憩と呼ぶには、結構な時間が経過した気がする。


「子どものようなことをおっしゃらないで下さい。あなたが働きませんと、皆が困るのですよ」

「働きすぎで体を壊したら、元も子もないだろう」

「まぁ、たしかに?」


 言っていることはもっともだけど、私の言葉に壁の花たちは涙ぐむ。


 適度な休憩は確かに仕事の効率の面から言っても、必要不可欠だろう。

 この方は国王になってからというもの、確かに悪政を敷いていた前王とは違いかなり多くの業務を担っている。


 だからこそ、この腐敗しきった国には必要な方でもあり、同時に一番その身が危うい人でもあるのだ。


 そう。王妃選定でその候補たちが殺され、自分たちの娘をスパイにしたかった人たちがいるくらいに。

 

 彼のために生きると決めた時には、まさかこうなるとは思ってもみなかった。


「王妃様、なにとぞなにとぞ」


 今度は秘書官たちは私を拝み倒す。

 そう、命を懸ける仕事とは、常に危険な彼の隣で生きるということ。


 マリンが何をしてもなりたかった王妃の座に、私はついたのだ。

 もっとも、危険な仕事なんていいつつ、ほぼその仕事は彼の膝枕役でしかないのだけど。


「私も、そろそろ王妃としての仕事もしませんと」

「そんなものはしなくてよい」


 またそう、ふて腐る。

 子どものようで困った人だわ。


 どうにも私をここに閉じ込めておくことだけを、最近は生きがいにしてしまっているのだもの。


 父親や兄弟に裏切られ、血まみれの中でこの座についたのだから、他の者たちと私を隔離したい気持ちも分からなくはないけど。


 彼だけが一人で仕事をこなすから、終わりが見えないのだ。


「早く終わらせませんと、あなたを抱きしめることも出来ないではないですか。私は他の人がいる中で、そういうことをする気はないのですよ」

「……」


 私にしか聞こえないくらいの小さな声で、陛下はぶぅっと不貞腐れる。

 まったく本当に困った人。

 それでいて、なぜか愛おしい。


 それは私と同じ境遇だからなのか。

 それともそれ以外なのか。


「さぁ、一緒に執務室へ参りましょう。とっとと片づけてしまえば、いいだけですから」

「そなたは優秀で真面目過ぎるとこがダメだな」

「そなた? 名で呼んではくれないのですか?」

「……アイラ」

「はい陛下。そんな私を選んだのは、あなたですよ。さ、参りましょう」


 おでこに軽く口づけをすると、陛下の手を引き、起き上がらせる。

 また少しぶうたれたものの、どうやら今度は大人しく仕事に戻ってくれるらしい。


 私の手をしっかりと握り、立ち上がる彼。

 この世界で唯一私を見てくれたこの人と生きていく。

 

 それはこれ以上にない幸せだった。

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― 新着の感想 ―
こんな足らずが伯爵出来てたの奇跡だと思う
佳作ありがとうございました。 おそらく不正防止用途で被験者を帰宅させないものと考えますが、伝令なり文を(検閲すらなく)外部に出せる事、王宮関係者の立ち合いなく被験者が外部と面会できる事が驚きました。 …
おもしろかったですが むかつく妹マリンが、あっさり殺されてしまうところだけが残念でした。 マリンは王妃に選ばれないんだよってことを思い知らせて、もっとしっかり精神的な断罪をしてほしかった。
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