第三話 『北』 その十五
「……ニト」
「お疲れ様です、キルニさん、それにクアリも……っと」
ユンクォさんが僕にだらりともたれかかる。あの術でかなり体力を持っていかれたようで、彼女の重みを全身で受け止める形になった。
「悪い、少し、眠たくなってきた……」
「頑張ってましたし、仕方がないでしょう。次に起きたら、色々話を聞かせてもらいますね」
「ああ……」
欠伸をしながら僕の首に腕を回し、頬をすり合わせながら目蓋を閉じる。生命の暖かさというのを布越しに感じ、こちらまで睡魔に襲われそうだ。僕は彼女の上半身を少しずつずらし、頭を腿の上に移して膝枕をする形に変える。
「……クアリ」
「ん? 何?」
「ありがとう」
「いきなりだね。何もニトに感謝されるようなことをした覚えはないんだけどな」
クアリは赤らめた頬を搔きながら照れ笑いする。さっきまでの真面目な顔と打って変わって女の子らしい仕草だと思った。
「最後は、二人の行動が無かったらもっと酷い結果になっていたかもしれない。だから……感謝すべきだって思って」
「ほとんどユンクォさんがやったけど」
「発想はクアリだろ。それに、ユンクォさんの命も守ったじゃないか」
「……やっぱり、ユンクォさんが大事?」
少女はやけに、重要だと主張するように問いかけてくる。僕は少々訝しんだ。
「やっぱりって……まあ、そりゃ大事だよ」
「大事かあ……それって、キスリさんとかも?」
「うん。彼女には随分世話になってるしな。というか……」
僕は素直に、心の奥からの言葉を考える。
「――クアリのことも大切だよ」
「……そっか。――そうだよね。君はそういう人だもんね」
「?」
独り言だったのか声が小さく、「そっか」の後がうまく聞き取れなかった。
「――なんでもないよ。というか、私、大切なんだ? 大切なんだね?」
「なんだよ。そうだって言ったじゃないか」
「なら、私も連れて行ってくれるよね?」
「……それとこれとは話が違うだろ」
つい否定的な意見が口をついて出てしまった。ユンクォさんにもされた提案で、彼女の方にも最初は否定した。最終的な答えは保留しているが、話すことは決まっている。だが、今目の前に居るのはユンクォさんではなくクアリ。彼女の思いも聞く必要があると感じた。
「違くない。大切だって思いは一方的じゃないんだから。大切な人を守りたいのは人間として当たり前に抱く感情だよ」
「……つまり、クアリは僕が大切だと?」
「直接表現すると恥ずかしいんだけどね……そうだよ。私はニトのことが大切だって思ってる」
ユンクォさんにも言われたでしょ? と確認するような眼差しを向けられる。僕は確かに似たような話はあったと答えた。
「流石にそれは分かったんだね」
「ん、『流石に』って、どういう受け答えなんだそれは」
「え、あ、いや、ユンクォさんって偶に分かりづらい言葉遣いというか、トークスキルみたいな? あるじゃん? こういう類いの、会話? ってこう、抵抗があってなんやかんやで……」「分かった分かった。僕が悪かった」
まるでとある事情を隠そうとしたり、その際中で告白と言うのを恥ずかしがったような言い回しだったが、話が進まなそうだったので強制的に切った。
「まとめると、大切だから一生一緒に居たい。クアリはそれを望んでいるんだろ」
「そう! 私は君の横で笑っている君の顔が見たい。それも、私の言っていることで」
「我儘な言い方するんだな」
「敢えて言う程に我儘かな、これって?」
首を傾げることで垂れた髪から、嗅ぎ慣れている焼き立てのパンのような甘い匂いが鼻腔をくすぐる。少女の瞳には呆気にとられる僕が映っていた。
「ニトって、何かと一方的に捉えることが多いけど、単純に考えすぎだなって思うよ。この世界は全部お互いに押されて生きているんだから、本来我儘なんて、一方的なんて言葉は自然に淘汰されるような脳内オンリーの視点じゃない?」
「……脳内オンリー?」
「そう。現実問題、この世は私達が脳に受け取った光、音、風みたいな外的情報を処理して、此処に立って風景を見るという結果を抽出しているだけで、私達は本当に世界を見ることはない、なんて話を前に話したのは覚えてる?」
……ええと、確か、それは脳について研究した学術書の内容だとかで嬉々として語ってきた内容だ。自分の脳等、あまり考えたことがないので確実な話は分からないが、元々多くは研究されていない項目で真偽は不明な筈。
「なんとなくは」
「こうやって私の目に写っている君が、私の妄想かもしれないなんて、凄く滑稽だと思うの。あ、でも、私の理想が写っているって意味でとれば、あながち間違ってないかも。――これって、孤独とかにも通じる話だと私は思う」
屈託などまるでない、真面目な顔で少女は続ける。真面目とはいえ、堅苦しい真剣さはなく、本来の彼女らしさが表れているだけに過ぎない。
「天涯孤独なんて真実のないデマで、思春期と同じくらい当たり前に通る妄想だと思う。自分の中で消費するには切ない感情を出来るだけプラスに捉えた結果だろうから、デマや妄想なんて言葉は失礼だとも考えたけどね。一方的な愛は話さないから一方的であって、片思いは思いの交換をしていないから欠けている。私は、話して想いを交換して、相手の想いを受け取る。だから、私は君に一緒に居たいって何度でも言うよ」
返ってきた思いが逆だったら、もう泣くしかないけどね、とクアリは心中の苦悩を冗談にして笑う。苦悩に関しては僕が思い込んでいるだけだが。
「…………どう、かな? 君の答えは生まれた?」
「……」
僕は押し黙る。返事という小さな枠組みに嵌める台詞が見つからなかったからだ。寝耳に水であるが、真剣な話題に付け焼き刃で打っては興醒め。金言は耳に逆らうが、妄言だって逆らうこともある。つまりは、適当な答えなど少しも思いつかなかったということだ。
だが……「大丈夫、今直ぐに出せなんて急かしたりはしないよ。ユンクォさんも寝ちゃってるし」
……僕の言い訳が終わるよりも早く発された言葉によって、折角の積み立てが遮られた。また遮られる前に言ってしまえば、僕は適当ではなく、正に適当な答えを考えついていたのだが、これは後回しにする方が良さそうだった。
「別に、それぞれ話をしても変わらないと思うけどな」
「三人の話だし、三人とも揃っていないとあれじゃない?」
「あれってのは、あれか」
「あれだよ、あれ」
「あれかあ……」
適当な相槌に適当な返事が返された。
「まあ兎に角、君と私とユンクォさん、三人の準備が整った時に君の答えを聞く。そうするのが一番だと思う」
「……分かった。出来るだけ早くまとめる」
二人同時に返事をするなんて考えてはいなかったので、この言葉は紛れもない本心である。
「私はいくらでも待つけど……」
「ユンクォさんだよなあ。この人、心は広いのに自分事には短気だから」
「自分事というか、ほとんどニト事だよ?」
「僕の名前が出てくるだけで、僕主導なことはあんまりないじゃないか」
「確かに」
「でしょ」
「でも、私も同じくらいニトの話してるからね」
「何の張り合いをしてんだ」
「魂の張り合いかな」
「思ったよりも重いな!」
「――……あのー……」
非常に申し訳なさそうな抑制された声で、キスリさんが話しかけてきた。会話に集中していて気が付かなかったが、周囲で『北洋道』の団員達(勿論幹部である二人も)がどっちともとれない反応をして僕達を観覧している。
「甘酸っぱくて堪らない二人、いや三人に介入するのって非常に抵抗があるんだけれど……一回宿に帰ってからそういう話はしてくれる?」
された側はともかく、した側からすれば公開告白は非常にハードルの高いものである筈だ。クアリも現状況に気づき、市場で偶に見かける蛸と遜色ない見事な赤面を披露する。そして、描写するのは非常に可哀想な錯乱状態だった。
◆◆◆◆
……騒がしいな。何事だ?
私は確か……そうだ。魔物のデカ熊をヤるのに『神契』を使って体力やら魔力を使い切ってニトに倒れ込んだんだったな。ううむ、『神契』が強力なのもあるが、この力の本領も出さずに終わってしまったのにこれでは、北の大地での実用化は難しいだろう。
かといって、あんなものが蔓延っている森を突破するには『神契』のような戦闘能力と、『北洋道』程ではないにしろ、なかなかの人数が居なければ即終わりだ。魔法使いはクアリ、誘えればキスリやケルイ。彼女らが居れば大分盤石だが、近接攻撃系統のジョブはリスクも含めると難しい。
……まあ、ニトが私を連れて行ってくれるかは分からないし、深く考えても仕方ないか。いや、考えたことは見透かしてしまったのだが、私の思った面子が揃うかどうかはあの時のニトの思考だけで決まるものじゃない。やっぱり、深く考えても仕方がない。
やけに騒がしいのは依頼達成で宴でもしているのだろうか。このまま寝たふりなどしてないで、この喧騒の中に飛び込むのが私の気分としても好ましい。
「そうですね、ユンクォ様。早く起きなさい」
そうだ。私も……。
「え?」
私の心を読んで話す、何処かで聞いたことのある男の声に思考のペースを乱される。閉じていただけの目蓋を開けると、声の持ち主であろう男が目に入る。
夜で染められたような黒の燕尾服、対照的に無機質な白仮面。王国やムニナの様式とも違う身なりで整えられた男、――代理報告人が立っていた。
「おはようございます、ユンクォ様。では、改めまして。練習試合は如何がでしたか? ニト様、ユンクォ様、キスリ様」




