第三話 『北』 その五
結果から述べれば、ドキウさんの判断は正しかった。僕の提案したルートでは間に合っていなかっただろう。詠唱を繰り返し、渇いてきた喉に水袋から水を流し込んでから二回『飛び渡り』を使用した時だった。
「おいおい! こんなもんかよチビ共!」
唐突にそんな野太い煽り声が聞こえてきた。数瞬前には葉のざわめきしか聞こえていなかったのにも関わらずにだ。
「これは一定の領域の音を隔絶させる『音断壁』。ケルイの魔法だ」
「最初からこれを使っておけば良かったんじゃ……」
「魔力消費量が激しい魔法で使っている間は簡単な魔法しか使えねえデリケートな奴だとか言ってた筈だ。それを使うなんて、想像以上に大変な相手みたいだな」
僕達はスピードを落とさず交戦場所に近づく。
「はっ、痒い痒い! もっと気張れよ!」
幸い、相手は煽り好きのようで場所が分からないことは無かった。
「ちょろちょろ回っているだけじゃ俺を倒せねえぞ? ほおら頑張れ、よっ!」
身体を一回転させ、枝に足を着けようとした瞬間、森の異物が漸く目に入る。と同時、それによって吹き飛ばされたのであろう人物、キルニさんの背中が視界を覆った。
「ニトっ!」
ドキウさんは吹き飛ばされてきたキルニさんに一足先に気付いたが、反応が間に合わなかったようで彼は空を掴んでいた。僕はというと、空中では受け止めきれず地面へと落下、水中とはまた違う浮遊感に全身を包まれていた。
……つまり、意識を失ってはいない。ならば、大きな問題はない。
僕は膝を曲げ、蹴るように伸ばして体を起こす。足裏を鉛直方向へ向け、同時にキルニさんの背中に左手、膝裏に右手を通す。接地したら、連鎖するように再び膝を曲げて落下の衝撃を緩和しながら受け止める。
咄嗟の判断でお姫様抱っこになってしまったが、無傷で済んだのは幸運だった。
「……君か。すまない……」
が、前提として見張りに吹き飛ばされた時のダメージがあるようで、キルニさんは顔を歪めていた。『回復』は使っているようだが、治癒速度が間に合っていない。
「大丈夫か、二人とも!」
真上から呼び掛けられる。
「はい! 僕は無傷ですけど、キルニさんが」
「何でお前は無事なんだよ……」
何故と言われれば、まだ空中に居たから『落下切り』の効果が切れていなかったというのが答えになる。空中である程度動けたのも、落下する衝撃がゼロだったのも『落下切り』の副次効果だ。
「ニト! 余所見するな!」
ケルイさんの声で反射的にバックステップ。元居た場所には乾燥した肌の巨大な拳が突き刺さっていた。引き抜いた拳は土汚れが酷かった。
「やっっと歯ごたえのありそうな奴が来たか。よお、侵入者」
「……煽るだけ煽って、自分はこっそり攻撃ってのはずるいだろ」
「悪いな、俺の自慢の体を見逃す奴が居るとは思わなくてよ」
「鱗だらけの筋肉は僕の好みじゃないんでね」
二メートルはあるであろう体格に皮膚の内側に限界まで詰め込まれた筋肉。ここまでの特徴ではドキウさんに瓜二つだが、決定的に違う点が二つ。
一つは返しにも使ったように、全身が鱗で包まれていること。魚の鱗のようなぬめりは無く、岩のような容貌になっていた。
もう一つは顔で、明らかにティピカルやマーフォーク、僕やキスリさんのような平たい顔ではない。口の部分が突出し、細いつり目も大きく離れている。
この特徴の人間は、この世界においてあの種族しか存在しない。灼熱に包まれた西の地方で生きる人種。
「――リザードマン。何故南の地方にあんたが居るんだ」
「おいおい、種族名は人の名前じゃないんだぜ、ティピカル。俺には親から付けてもらったサテサテって名前があるんだよ」
「じゃあサテサテ。一応聞いとくが、大人しく捕まってくんないか?」
「嫌だね。大人数で一人をいじめるわるーい奴等の話なんか……聞くかよ!」
土で汚れた腕を振り下ろしてきた。しかし、空から降ってきた別の巨体によって中断される。
「そうかよ。一対多がお好みじゃねえんなら、俺一人で相手してやるぜ!」
ドキウさんが拳を振るうと、サテサテは笑いながら己の拳をぶつける。それだけと言われても信じられない衝撃波が心臓に響く。強い刺激に痺れている暇もなく、攻防戦が始まる。
「……き、気を付けろドキウ! 生半可な力じゃ返り討ちだ!」
「任せとけよ、帽子の嬢ちゃん!」
余った方をドキウさんが腹に目掛けると、肘打ちで止められる。
「やんじゃねえか!」
両者ぶつかっていた拳を戻し、打ち、守り、また打つ。一撃が重く、目の前で飛び交う攻撃をジャブとして処理出来るのは彼らだけだ。数撃ダメージが入ったぐらいに、指と指の間に指が食い込み、組み合いの形になる。
小刻みに震える腕から、余程の力の衝突が起きていると思われる。
「クハハ! いいね、地元以外で張り合える奴は初めてだ!」
「楽しんでんじゃ……ねえ!」
一旦後ろに傾け、勢いをつけたヘッドバットを鼻柱に叩きこむと、流石に喰らったようでサテサテは上半身を仰け反らせる。ドキウさんは隙を逃さず鳩尾に押し蹴りを刺した。
「がはっ!」
三歩ほど後退し、蹴りがクリーンヒットした部分を抑えながら肩で呼吸をする。
「ま、まだまだあっ!」
再び始まる殴り合い。しかし、ドキウさんの拳が一撃、二撃、三撃と休む暇なくヒット、怯んで喰らい、怯んで喰らいの連続が五秒ほど続くと、止めのアッパーカットが顎を打ち抜いた。立つこともままならなくなり、千鳥足でよろけて背中から倒れる。
「――っつー……。やるじゃ、ねえの……」
「お前に言われても嬉しかねえが、受け取っとくぜ。――もう眠っとけ」
横たわるサテサテの元まで歩くと、面の広い右足を持ち上げ、尖った顔へと振り下ろした。




