勇者
「おい」
人の声。ミシュのいる方向ではない。そもそも、それは彼女の冷静な声とは違う、冷たいと表現すべき声だった。声質は硬く、教会に置いていった元気溌剌な女性の声ではない。落ち着き払ったつもりで、強い感情を抑え込んでいる若い男性の声だった。
顔を上げる動作の手順はさして多くない。男の姿を捉えるのに時間は要さなかった。
第一印象は思ったより大きい。大人の余裕を含んでいる風に調子を合わせたイメージが引っ付いていた俺は一種の子供らしさがある外見だと思っていたが、簡単に見上げられる程には大きかった。立てば俺と同じか上だろう。
そして表情には、隠そうとしている感情の断片が端々から漏れていた。閉じている唇は異様に直線を描き、がっちりと噛み締めていることが読み取れる。熱のこもった瞳が眉間によった皺をまた強くする。
ターバンを巻き、土汚れにまみれた服は彼の歴史代弁していた。
「あんたらも噂を聞いて来たのか?」
右手に持ったいかにもな杖をぶっきらぼうに掴みながら尋ねてくる。
「噂?」
反射で口から出た質問は、初めて聞いたと答えるのと同義であることに後から気付いた。
「だろうな。俺より先に国を出た奴は居なかった」
「お、オッケーオッケー」
地に付けていた尻を浮かせ、友好的に両手を晒す。
「先ずはどういう了見か話を聞こうか。噂ってのが何なのか」「市郎くん! 無闇に近づかないで!」
首筋に風を感じる。俺が防御する間もなく――出来た所で止めるのは無理であろう杖先を向けられた。視線は知らぬうちに鉄も溶かせる熱線へと変貌していた。熱線はアナザーにも向けられている。
「……お前らが、巨人の僕か?」
ここまでの流れの理由をはっきり明かしてくれたその言葉は、あまりにも勇ましくて、ターバンを巻いた魔法使いという特徴も相まって彼の立ち姿は勇者の姿にしか思えなかった。
しょうもない答え合わせと共に、自分が勇者に討伐されるモンスター側に居ることにも知覚した俺は、今の状況の緊急性に内心焦っていた。
「……何も喋れない訳じゃないだろ。弁解もどきを吐き捨てようとしていた筈だ」
「弁解なんかじゃ……」「質問に答えろ」
咄嗟に反論してしまった。かといって、渋くなる顔を眺めているだけでは最悪首から上が魔法で消し飛ばされる可能性もある。先ずは否定から入るべきか。
「落ち着いて」
……危ない。ソフィアの声で頭の中に落ちそうだった意識が帰ってくる。
「ミシュに今伝えたわ」
「私が来るまではお得意の話術でどうにかしてください!」
ミシュはアナザーでの介入よりも直接止めた方が適性だと判断したらしい。
アナザーは強力な兵器としての実力――単純な巨体とオーバーテクノロジーを持つが、巨人だと思われているかいないか関係無く、あれが迫ってきては警戒されてしまう。
しかし、カイヤ・ミシュールは見た目は子供、頭脳と身体能力は大人(以上)のいんちきな存在だ。相対するまでは油断を誘えるから情報戦で有利に立てる。
どっちにしろ、脳内通信で現実より少し先に届いた助け船は目の前の事を冷静に対処するきっかけをくれた。
「……俺達は巨人の僕じゃない」「じゃあ何だって……」「話を聞け」
瞳孔が縮み、虚を突かれたような表情が、また切り替わるより速く次の手を打つ。もちろん考えながら。
「お前は噂を聞いてここに来たんだよな? よく思い返せ。どんな噂だった」
「……」
まるで元から造られて、人の手が入るよりも前から設置されていたと言われても違和感がない程動かない男の奥に、おそらく思慮が溢れている。
確証はない。事実に繋がる根拠は今までに一度もない。だが今、揺らさなければ大きな隙は望めないだろう。隙を作らなければ状況は暗転しない。ミシュが近づいていることには直ぐに気が付く位置に居る彼なら狙いを変えるのは簡単だったからだ。
完全な推測。ミスれば相手の激情を誘い無事では済まない。一か八かの命懸けで、俺は賽を投げる。
「……本当に巨人が現れたのはここなのか」
「……何だと?」
「あんたが聞いた噂、もしかしなくてもセイクレート王国で広まったものだろ。巨人は森の中で目撃されたのか? 違う。王国内の筈だ」
アナザーがはっきりと見られたのは昼より前。噂が他の国に届いている可能性は低いし、距離を考えれば彼が聞いたのは話の種になるぐらいの時だろう。
噂話は盛られてなんぼだが、前提が正しければ彼が聞いたのはオリジナルに近い。森から来たなんて情報はない。有り得るのは……。
「あんたは、巨人に関する迷信の通り、ここに居ると思ったんだ」
「……」
固まっていた片眉が下がり、鋭いものがまた変わる。怪訝の色だ。目の前の俺が何を言っているのか分からない、と顔に書いてあった。
反応を見るに、この推理は当たっていない。だが、当たらなくても良い。ミシュとの距離は順調に縮んでいる。もう少し気を逸らせれば援護が間に合う。
と、呑気に考えていた自分があっさりと馬鹿だったことに気付かされることになる。
青い髪がちらりと見える男の、杖を握っていた手には血管が浮かび上がり、唇が、目が、眉が、何もかもが憤怒に汚れて酷く歪んでいた。殺気立つ気配が、逆巻く空気の渦が、端的に俺へと叫んでいた。「死ね」と。
「……巨人伝説は本当だ! 七年前を忘れる奴は居ない。当たり前だろうが!」
……七年前? 巨人伝説とやらに関係があるのか? ……違う。今はそれどころではない。
こんな状況でさえ疑問しか浮かばない、いやむしろ、こんな状況だから疑問しか湧いて出てこない俺の脳に辟易し、一つ山場を越えたような気分になる。
どうということはない。目の前のことを放棄する選択をしたのだ。生きるための矜持を粉々に砕いたのだ。
もしかしたら俺を致死へと至らせる攻撃に時間がかかり、ミシュが間に合うかもしれない。もしかしたら、意表を突いて彼と距離をとれるかもしれない。
だが、感じ取ってしまったオーラに当てられた背筋は冷えて固まり、サーッと血が引いていく感覚は嫌にべったりと張り付いている。
恐怖が心を支配していた。
俺は一体どれだけ情けない姿を晒していただろうか。想像は出来るが、考えたくもない。
立っているのがやっとで、生きることにエネルギーを使わなくなったからか、俺にははっきりと知覚できた。表現なんかではなく、物理的に空気が変わったことに。
ソフィアの話から推定すれば魔素を集めているとは考えられる。残り時間が少ないことがありありと分かる。まあ、諦めてしまった人間には関係のないことだが。
……俺は目を瞑ることにした。――自主的にやったように言っても、実際は、ボールが前から飛んできた時の様に、曲がり角で他人とブッキングしてしまった時の様に。
本能が勝手にしてしまっただけの話であった。
「いちろぉ!」
――久しぶりに、ミシュの叫ぶ声を聞いた気がする。




