平凡はここまで、悲喜劇の開幕。
予想たりえなかった衝撃で少し止まっていた脳が無意識の気付きを認識させる。
今のロボが飛んでいった方向は、俺が向かっていた目的地、家の方向だ。嫌な予感がしたため少し走って先へと急ぐ。
嫌な予感というのは、大抵叶って欲しくない未来が予測できた時に使う言葉だ。そして、こういう時程よく当たるものだ。
我が家である一軒家にぶっ刺さっている、ということは無かったが、思いっきり衝突事故を起こしているのは確かだった。
やはり見間違いではなかった超近未来的なロボットが、家に寄りかかるように倒れている。
大きさは全長4~5mといったところか。人間で言うところの頭部から胴体の辺りにコックピットがあり、誰かが乗っているのが見える。
動いている様子はない。あの位置ならば二階の窓から乗り移れそうだ。
俺は一度家に入り、いつもプラモデルの塗装作業のときに着けるゴム手袋を装着してから窓を開ける。予想通り、コックピットがちょうど真ん前に来た。先程の人物がよく見えるようになる。
「……思っていたよりも若いな」
熟練のおっさんパイロットでも乗ってるかと思ったが、それとは真逆の、小柄な少女が座っている。
顔立ちは整っている印象、そして、綺麗な翠色の髪の一部が赤く染められていた。
看護をするにしても先ずはここから出す必要がある。
適当に触れる範囲で何か出来そうなものを探す。
こういうのは大体外部に緊急時の強制解除レバーみたいなのが何処かにあると思うのだが、さっぱり見当たらない。
――そりゃアニメとは違うか。
と、すれば。
「ぶち破るしかないか」
一呼吸置き、拳をしっかりと固める。右半身を後ろに沈め、腕の角度を決める。そうやって溜めに溜めたストレートをガラスに打ち込んだ。
――まあ、よくよく考えると、この程度で割れたら墜落時点で割れてるか、と赤くなっているであろう右手を労りながら思う。
では、どうしようか。何か使えそうなのは、と少し部屋を漁ってみる。
「お」
あった。ワンチャンありそうなのが。
◆◆◆◆
――それから少しして。少女はぐらぐら揺れる視界と共に意識を取り戻す。迅速に現状を把握するため周囲の確認に努める。
すぐに寝かされていることには気付いた。そのまま目を凝らすとぼんやりと人が見える。
「……お父、さん?」
反射的にそう呟いた。何故かといわれても分からない。安心したかったのかもしれないし、怖かったのかもしれない。
「お、起きたか」
だけど、その声は父とは似ても似つかない別人だった。冷静に考えれば、彼に助けられたという状況に気付けたのだろう。
が、余裕のない今では防衛反応のきっかけにしかならなかった。
引きずり出して二十から三十分経ったくらいに、やっと少女が起きた。応急措置は間に合ったようでひと安心する。
目をぱちくりさせて、こちらを見てくる。
「……お父、さん?」
まだあまり視界が良くないらしい。
「お、起きたか」
「軽く手当てはしたから救急車が来るまではしてた方ぎゃっ!?」
意図せず口が閉じ舌を噛む。下から少女の足がそのまま顎を打ち抜く。
寝た姿勢からの一撃で入りが浅く済んだおかげか、意識は飛ばずに持ちこたえられた。
しかし、少女は立ち上がってこちらを親の仇かってくらいに睨んでくる。拳を握りしめて完全に戦闘態勢だ。
「ま、待て! 落ち着けええ!」
無駄のない動きでストレート。これを両手ガードで受けると、瞬く間に左フックが向かってくる。
「は、話を!」
これも、かろうじて間に合った右手で受ける。しかし、その右手を捕まれ、空いた右っ腹に二、三発打ちこまれ、その痛みに耐えれず少しよろけてしまう。
彼女はその隙を逃さず、回し蹴りを頭へと放つ。この時は幸運だった。
足が頭へと触れるが、ほぼ反射で下げた頭の方向が右前だったため衝撃をだいたいいなすことが出来た。
「ぐえ!」
が、回転の勢いそのままに繰り出された後ろ蹴りが腹部にクリティカルヒット。情けなく床にしゃがみ込むと、頭を踏まれる。
「抵抗しないでください!」
今のを喰らってまだ動けたら俺は自衛隊とか向いてたな、と思った。
「抵抗しないから話を聞いてくれ!」
「そういう人は怪しいです!」
「決めつけないで話を聞いてくれ! 痛だだだだ!」
強く頭を踏まれる。これはまずい。救急車で運ばれるのが俺になってしまう。
「俺は君の手当をした! 頭に包帯が巻いてあるだろ!?」
「だから話は聞かないと……、ん?」
ほぼ無意識だろう。彼女の手は頭を触れ、その包帯の存在を確認した。
「……本当だ」
「だから少し話させてくれ、頼む!いや、お願いします!」
もう子供でなくなった男が自分より小さい少女に頭を踏まれ、醜く懇願している様子という見るに堪えない光景だが、仕方がない。
「……」
少しして、頭に乗っかっていた重圧が減圧されていった。申し出は通ったらしい。
「一から説明してください」
正座になりながらこちらにそう命令する。促されたので正座をして。
今、起こったことをありのまま話した。
「……ということでありまして」
先程の出来事で恐怖を覚えたままの俺は馬鹿丁寧な丁寧語で話す。頭痛が痛くなりそうだ。
「成る程。では本当に悪党ではない、と」
「そうでございます。というか、悪党のパターンの方が珍しいでございます」
「そういうものですか。良く分かりました、感謝します。でもその口調畏まりすぎて気持ち悪いから止めてください」
「あ、はい」
いきなりの暴言に本来ならば叱っていたところであるが、相変わらずビビって強気にはなれない。
彼女の口から感謝の言葉など出ず、そのまま時が少し刻まれた後、思い出したように話した。
「あれ? そういえば、私をどうやってコックピットから出して……」
彼女がそこまで言った後、絶句といった表情になる。
視線の先にはコックピット、正確にはそこに空いた人が一人通れるくらいの穴が一つあった。
「さ、さっき超強化ガラスは割れなかったって……」
「ん? はい、その通りです。だから、えっと…………あった」
再び片付けておいたそれを少女に見せた。手で持てるサイズで、片方がすぼまった棒の先端に円状の刃がついている。
「それは!? ……それは?」
――知らないのか。
「ダイヤモンドカッターですよ。ワンチャンこれでいけるかもって思ったので」
「……ダイヤモンド!?」
さっきの二割増しで驚いた。さっきの倍速以上のスピードでこっちに寄り、俺からカッターを奪う。
人を殴ったり驚いたり節操のない子だ。
「話に聞いていたものとは違う……」
「話?」
「あ、えっと」
やっちゃった、とでも言うように口を押さえる。
「話って……、誰の?」
彼女は、ゴミを、いや、塵を見るような冷徹を極めた目で。
「……うるさい。貴方に言う筋合いはないです」
独裁の女王が下僕に自決を命じるときと同じ、冷めきった声で言われた。
「ごめんなさい」
やだこの子、マジ怖い。どこ触っても棘しか生えていないじゃないか。
…………しかし、この少女はダイヤモンドを見たことがないのか。テレビでわりと見掛けるものだと思うけど。
――と、ここで可笑しすぎて受け入れていた謎を思い出したので聞いてみた。
「そういえば、そもそも貴方は何処から?」
「言いません」
「いや、そこを何とか」
俺が言い終わるぐらいにまた凄く睨んできた。懇願作戦は通らないだろうな。
次、と諦めて別のコミュニケーションがないか考えていたくらいで。
「……ください」
そういってカッターを持つ手をこっちに向ける。
「……それを?」
こくんと頷く。――こくん、なんていう擬音が良く似合う頷きだ。
「それなら、さっきの質問に答えてもらえません?」
「……」
聞こえているはずだが、俺の目をじっくり見たまま動かない。――なんか、あれなので見つめ返してみる。
五秒で目を逸らされた。
顔が少し紅くなっていた。
「……もしかして恥ずかしかっ――ごめんなさい何でもないです」
無言でカッターを構えたので訂正しておく。
まだ少し紅い。
「……話します」
――お。
「話します。だから、貴方は二つ私の願いを聞いてください」
成る程。更に交渉材料を要求されるか。
まあ、これ以上駄々をこねると俺の命を引き換えにしてきそうなので、先ずは話を聞こう。
「願いって、例えば?」
「えーっと、……これです」
俺がコックピットから彼女の他に救出していた小さなバッグから、円形のシールを取り出す。ニコちゃんマークが描かれている。
「シール?」
「ええ。これを貼ってください」
想像していたほどきついものではなかった為(さっき言った通り、命を捨てろとか)、易々と首にそれをくっ付けた。
人体は多少凸凹があるが、空気が入ることもなく、ぴったりと肌に吸着した。何故か、少し痛い気もする。
「貼ったぞ。これは何なんだ」
「それは毒が塗ってあります。あ、勿論肌の上からでは効き目がないので針付きステッカーで代用してますよ」
淡々とそう説明した。
…………………………………………。
「うわああああ!?」
ゾンビになりたてが如く首を搔き毟る。
というか、早くしないとマジで死人になる。
焦っているからか、それともそういうものなのか、どちらにせよシールが外れる気配がない。
「大丈夫です! 毒とは言っても死にはしませんよ」
「マジですか!」
ジェットコースターに乗った気分だ。山を過ぎて安堵に包まれる。
「私が効能を起動しなければですが、ね」
いつの間にか持っていたあからさまなスイッチを見せて一言。奪い取るのは不可能だろう。
地表どころか地下に叩き落とされた。
「それじゃ、所謂生殺与奪の権利は?」
「勿論私の独占です」
「……マジか」
これじゃ交渉なんかではなく、一方的な脅迫じゃないか!
……と、心の中で叫びはしたが、もう自分自身は諦めたのか声には出なかった。むしろ、次を煽るつもりでいる。
「……それで、次は何を?」
「今考えてます」
彼女は彼女なりの事情があるのか直ぐに答えは出なかった。
……さて、この取引を成立させるべきなのか。いや、もう辞められないのは分かっている。でも、一応考えているのだ。
――正直、何をさせられるか分からない以上、これに乗るのは利を見れば得策でないのは理解している。
ただ、この状況が控えめにいって意味不明な状態だ。
なんかもうなんでもいいんじゃないか。
損得、危険性。そんなものより興味を優先させたくなった。
「決まったか?」
「……はい。そしたら――」「待て」
なんだよ、と言うようにこっちを向く。
「先に俺の質問に答えてくれ」
いつの間にか敬語を止めていたことに今更気づいたが、今はもう気にしたって意味がない。
「……私は」
渋々了承。そんな意が見て取れる。
「私は、サンランド地区から来ました」
「…………どこ?」
「――やっぱり」
俺の反応は予想通りだったらしい。生まれた疑問への答えは既に用意されていた。
「私は貴方とは違う世界から来た。そういうこと」
そういうこと、か。俺は妙に納得がいった。
今、俺の海馬に刻み込まれたばかりの記憶の不可解さを、不気味なくらいに解消してくれたからか。馬鹿みたいな言葉で。
「今は何年?」
意図は掴めた。
「西暦で二〇二三」
「西暦……、ええと、旧聖暦のことか。それは本当?」
ああ、と頷く。何かを思案しているようで顔が強ばる。
「……私の世界は、三九九六年」「はあ!?」
二十二世紀から来た、とならまだ冷静でいたかもしれないが、四十世紀からとなれば話は別。
今から千九百年程度先などという遠すぎる話、別と呼ぶには随分距離がある。
「つまるところ、タイムリーパーってことか?」
「短絡的すぎ。違います」
「悪かったな、短絡的で」
「さっきも言った通り、私は別の世界、次元から来た」
「西暦の差は、私の世界線が先に生まれ、約二千年後にこの世界線が生まれた可能性。それだけ。Are you OK?」
「OK……といきたいが、可能性? 確定じゃないのか」
「それは――」
急に呻き、頭に触れる。彼女が怪我していたのを、あんだけ元気に動いていたからとすっかり忘れていた。
介抱しようと近づく。
「悪い。無理させたな。少し休んで――」「願い」
被せられた言葉は直ぐに途切れる。意識も朦朧としているらしい。目を開いたり閉じたりしながら言葉を紡ぐ。
「……願いは」
二つ目が決まったらしい。別に起きてからでもいいが、かといって、今目の前の言葉を断ち切る必要はないと判断した。
「何だ、何をすればいい」
「……」
――ほんの一瞬だが、躊躇したように見えた。
「……き」
「き?」
「……起業してください」
「……は?」
それが願い? 起業? 俺が? さすがに突拍子も無さすぎる。
「待てそれは――」
詳細を聞こうとしたが、既に目蓋は落ちきっており、返事をする気配は無い。――ギリギリ意識がある形だったので、仕方はないが。
聞こえるのは外からのサイレンのみだ。
通りすぎる時特有の低くなっていく現象(確かドップラー効果といったな)も起こらず、近くに停まったのが分かる。
意味不明だった状態が更に不明瞭になる。何も分からぬまま、何も見えぬまま、俺はなんとなく、窓の外の星空を眺めた。
――と、これで回想は終わりだ。