1日目
毎日連載予定
朝はいつも同じようにやって来るはずだった。窓辺から差し込む薄い光、外の通りを掃く老人の穏やかな箒の音、揺れるカーテンと微かに鼻腔をくすぐるパン屋からの焼きたてパンの匂い――それらが、平凡な日々を支える舞台装置のように、毎朝決まった順序で訪れ、そして自分もまたそれに順応していた。
その朝も、俺はいつものように目を覚ました。木造りの安宿の二階に借りている細長い部屋。粗末な布団と固い枕、壁にはいくつかの釘跡が残るだけで飾り気はない。寝ぼけた頭を振って、軋むベッドから起き上がる。生暖かい吐息を吐き出しながら、ぼんやりと窓の外を見ると、夏の終わり特有の湿った空気が流れていた。
しかし、この日は違っていた。
目を開けた瞬間、視界の隅に奇妙な文字が浮かんでいた。
――「魔王復活まで:100日」――
普段なら一笑に付すような言葉だ。魔王復活? 昔話や伝承の中でしか耳にしない話ではないか。しかし、その言葉は確かに俺の視界に焼き付いている。頭を振ろうが目をこすろうが、消えない。
俺はひとまず顔を洗いに階下へ降り、宿の女将から借りた水桶で顔を何度も濯いだ。冷たい水が目を覚まさせるが、文字は依然として視界に浮かんでいる。どうするべきか、困惑の中で考えた。
医者に相談しても仕方がない。これは病気とは違う何かだと直感していた。ならば、占い師や学者、あるいは教会の神官に話を聞くしかない。
まず向かったのは、広場の片隅で店を構える占い師、マルフェお婆さんのところだ。彼女はこの町で長年占いを続けており、その言葉は時に的中することで有名だった。
「おはようございます、マルフェ婆さん」
「あら、アルト。今日は早いね。どうしたんだい?」
彼女の声は落ち着きがあり、どこか安心させてくれるものだった。俺は視界に浮かぶ文字のことを正直に話した。
「魔王復活? そんな話は初めて聞くよ。星の動きに異変はないし、予兆も感じられない」
占い師でさえ答えを持っていない。次に向かったのは町外れの倉庫に住む旅の学者アルトだ。彼は王都で学んだ知識を元に、各地で記録を集めている変わり者だった。
「魔王復活…記録では封印されし魔王の存在が語られているが、それは伝承に過ぎない。君が見ているものが何か、私には断定できないが、何らかの異常が起きているのは確かだろう」
彼もまた、確たる手がかりを持っていないようだった。
最後に訪れたのは町の教会だ。神官ならば魔術や呪い、あるいは予言について何か知っているかもしれないと思ったのだ。
「それは奇妙な話ですね。魔王復活に関する伝承は確かに存在しますが、それが具体的な日付を示す形で現れるなど…」
神官も困惑を隠せない様子だった。
店の支払いを済ませ、これまでの働きで貯めた財布から代金を支払う。少しの貯蓄があり、相談の足しにもなる余裕がある。目には、解決への決意が宿っていた。
再び町の通りへ戻った俺の視界に浮かぶ「魔王復活まで:100日」という文字は、まるで俺に行動を促しているかのようだ。
「何かしなければならない…」
その日、俺は町で得られる情報を全て集めることにした。行商人に噂話を聞き、衛兵に町外れの状況を尋ね、商人には旅の道中で見た異変がないかを確認する。わずかな手がかりでも掴めれば、次の行動が見えてくるはずだ。
これが俺の新たな日常の始まりだった。