表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

添い寝インセンティブ


 例えばボタンがあれば押したくなるし、珍妙な食べ物を出されれば嗅ぎたくなるし、ホラー映画や心霊番組は目を反らしつつも観たくなる。それが人間の性というもの。


 だからホラーが苦手なわたしが、今話題のホラー映画を観に行ったのも、その性に従っただけである。仕方がないのだ、わたしも人間なのだから。


 その映画の評判がとても良く、毎日何度も「大ヒット中」「興行収入〇億円突破」というテレビCMが流れ、実際に観に行った同僚たちから「すごく良かった!」「超感動した」「ラストは大号泣」なんて話を聞いたら、居ても立っても居られなかった。


 それでも彼は止めた。「怖くて眠れなくなるのがオチだからやめたほうがいい」と。それでもすでに居ても立っても居られないわたしは、彼の忠告も聞かず、「大丈夫大丈夫」と腕を引き、本来のわたしとはかけ離れたことをした。「わたしの頭」ではなく「人間の性」に従ったのだ。


 ただしそれは大間違いだった。


 上映前に新作映画の予告編が流れたときには和やかだった空気が、本編が始まるとがらりと変わった。日本のホラー映画独特のあの、どんよりして陰鬱な雰囲気と仄暗い色彩は気分を消沈させ、効果音すらも気味が悪く、頭のてっぺんから足の指先まで冷えていくのが分かった。


 百人以上の人がいるはずのシアター内はしいんと静まり返り、まるでこの広くて暗い空間に自分ひとりしかいないような、深い闇の中に自分だけが取り残されているような。そんな感覚に陥った。


 ほんの少しでも動けば、異形のものに見つかってしまう。無意識にそう思い、わたしはただひたすら息を潜め、硬直していた。



 冷えた身体をようやく動かすことができたのは、あちこちからすすり泣く声が聞こえてきてからだった。

 ああ、良かった。ここはわたし一人が取り残された深い暗闇の中じゃなかった、と。ほっとしたのも束の間、今度は震えと吐き気が止まらなくなった。

 胃の中に溜まった絶望が、食道を逆流して吐き出されてしまいそうだった。


 体調は、映画館を出て陽の光を浴びるとすぐに治った。

 明るく活気がある世界で、三百六十度どこを見ても人がいることを思い出したのだった。



 前置きはこのくらいにして、本題に移る。


 問題が起きたのは、この日の夜のことだった。

 昼間観たホラー映画の映像がフラッシュバックして、一人きりになるのが恐ろしくなってしまったのだ。


 だからどうにかして彼に泊まってもらおうと画策した。


 バラエティー番組を観て大袈裟に笑い、タレントたちの発言にいちいち反応し、今まで一話も観たことがない連続ドラマを観て、それを参考に彼に寄り添ってみたりもした。ワインを開け、酔ったふりをしてさらにくっつき、とにかく彼に「そろそろ帰るわ」と言わせないようにした。


 最終電車に間に合わない時間まで引きとめることができたらベスト。飲酒によって彼が居眠りを始めても、わたしの誘いに乗ってベッドになだれ込んでもいい。


 とにかく彼の帰宅を阻止したい。


 ただひとつ、その理由が「彼の忠告を無視してホラー映画を観たから」であると、知られてはいけない。これは絶対だった。


 でも、その一心で行動していたせいで、無意識に時計に視線を送っていたらしい。

 二十三時を過ぎた頃、「はあ」とため息をついた彼が、そのつり目がちの大きな目を細めて、こう言った。


「帰ってほしくないなら、素直に言やあいいのに」と。わたしの目論みはお見通しだったらしい。


 こうなれはきちんと頼んで、泊まってもらうしかない。


 でも、ホラー映画のことを知られないよう、彼の肩にもたれかかって、今日は「そういう気分」だから泊まってほしいという体を装った、が。


 彼は流れるような所作でごく自然にわたしから離れ、クロゼットにしまってある布団を引っ張り出す。そしてどういうつもりか、それを寝室ではなくリビングに敷き始めたのだ。


「……いつも通り寝室でいいじゃない」


 わたしのシングルベッドでは、身体の大きな彼とふたりで寝るのは無理だ。だから「そういうこと」をしているときを除いて、彼は床に布団を敷いて寝ていた、というのに……。今日に限って寝室ではなくリビングとは。一体どういうつもりなのか。


 静かに抗議すると、彼はつり目がちの大きな目を真っ直ぐわたしに向け、神妙な面持ちでこう言った。


「昨日オンデマンドで、心霊の投稿映像を見たんだ。その中に、ベッドの下に霊が潜んでるってのがあって。俺ここに泊まるとき、いつもベッドの横に布団を敷くだろ? そうすると、ベッドの下が丸見えになるんだ。昨日の今日だし、怖いから今日はリビングで寝るわ」


「え……」


 どうしてそんなことを言い出すのだ。そんな話をしたあと、わたしを一人で寝室に行かせる気か? 鬼か?

 でもこれはまずい提案だ。一人で眠りたくないから彼をここに留めたというのに、同じマンションの一室とはいえ別室で就寝とは。そんなこと、あっていいはずがない。


 こうなるなら、素直に「怖いから泊まってほしい」と言えば良かったのだけれど、彼の忠告を聞かずにホラー映画を観たことを咎められたくなくて、結局素直になれないのだ。



「……じゃあわたしもリビングで寝るよ」


 今さらカミングアウトするのは恥ずかしくて、どうにか同じ部屋で寝るためにそう提案すると、彼は仏のような笑顔でわたしの肩に手を置き、首を振った。縦にではない。横に、だ。


「いいからベッドで寝な。布団は一組しかないし、ソファーで寝たら身体痛くなるだろ。仕事に支障が出たら大変だから、ゆっくりベッドで寝るべきだと思うよ。な」


「……」


 仏のような笑顔で、わたしの身体を案じているようにも見えるけれど……。違う。真逆だ。


 彼は最初から、わたしがホラー映画を観たせいで、一人でいられなくなっていると分かっていて、最初から待っていたのだ。わたしが素直にお願いするのを……。



 こうなってしまえば、するべきことはただひとつ。恥ずかしがっている場合ではない。彼の忠告を無視したことを気まずく思っている場合ではない。

 床に両手をつき、頭を下げ、謝罪と懇願を出来得る限り声に乗せて、こう言った。


「お願いします、一緒に寝てください」


 すると彼は、先程までの仏のような笑顔を、悪魔のような不敵な笑みに変えて「添い寝代、高いよ?」と言ったのだった。


 リビングに、いつも彼が使っている布団と、わたしのベッドから持ってきて作った毛布と枕で作った簡易寝床を並べて、その上に正座をしながら彼の説教を受けた。

 果てしなく長い説教を要約すると、こうだ。


 あれだけ止めたのにホラー映画を観に行った挙げ句、怖くて一人で眠れなくなるなんて意味不明。しかもそれを隠したままどうにか泊まってもらおうと画策するなんて間抜けすぎる。百歩譲ってホラー映画を観に行くのは良いとしよう。話題作を観たいっていうのは分かる。でも怖くて一人でいられないなら素直にそう言えばいいじゃないか。俺だって鬼じゃないんだから、頼まれれば頷くのに。もうこんな間抜けなことはするなよ、いいな?


「はい、すみませんでした……。これ、ほんの気持ちですが、添い寝代です……」


 彼に頭を下げながら、さっき彼がお風呂に入っているときに用意したポチ袋を差し出す。

 それを見て彼は「本当に用意したのか」と言ってふはっと噴き出し、笑う。



「添い寝代なんていらないから、これ使って、次の休みに映画観に行こう。今度はコメディーとかファンタジーとか、楽しい気分になるやつ」


 さっきまでの悪魔の笑みはどこへやら。その優しい提案に、わたしはこくこくと二度頷いた。


 彼は六十パーセントの優しさと、四十パーセントのSっ気でできていると、わたしは思う。

 悪魔のような不敵な笑みで、鬼のように残酷で無慈悲なことを言ったりもするけれど、基本的には優しい人だ。


 だからホラー映画は行かないほうがいいと忠告してくれるし、わたしの態度であれこれ察して泊まってくれたりもする。

 添い寝代も、自分で言い出したくせに、ふたりのデートに使おうと提案してくれる。


 わたしはその優しさに甘えて、今度は素直に、恥ずかしがらずに、先程以上の謝罪と懇願を声に乗せて、本日最後のお願いをすることにした。



「お願いします、わたしがお風呂に入っている間、脱衣所にいてください……」


 言うと彼は呆れたように笑って、「仕方ねぇなあ」と立ち上がったのだった。





(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ