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第25章 ヒカリ、夏バテになる

武漢ウーハン自経団は、漢陽ハンヤン漢口ハンコウ武昌ウーチャンの3つの地区からなり、それぞれに自経団の支団が組織されている。武漢自経団の責任者たる書記と副書記2名は、原則として支団の責任者である支団書記を兼務している。


主な登場人物


ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、ネオ・トウキョウでターミナルケアを生き延びた。大陸の武昌に辿り着き、コンピュータ修理の仕事をしつつ、武昌支団の非常勤の幹部を務めている

陳春鈴:(チェン・チュンリン)本作のサブ・ヒロインの一人、武昌支団幹部の一人、ダイチ、カオル、張子涵とは幼馴染

高儷:(ガオ・リー)本作のサブ・ヒロインの一人、ネオ・シャンハイのターミナルケア生き残り、今は武昌支団に勤務する

ミヤマ・ダイチ:ヒカリの従兄、中国名は楊大地 (ヤン・ダーディ)、武漢副書記兼武昌支団書記

張子涵:(チャン・ズーハン)本作のサブ・ヒロインの一人、武漢で物流業者を営むとともに武昌支団の非常勤の幹部などを務めている

ヤマモト・カオル:中国名は李薫 (リー・シュン)武昌支団副書記、ダイチを補佐し、民生系を統括する

孫強:(スン・ジアン)武漢副書記兼漢陽支団書記、前武昌支団副書記、公安系が専門

ミヤマ・サユリ:中国名は楊小百合ヤン・シァオバイフゥア、ダイチの妹、1年前に病死

ジョン・スミス:ドイツ人、武漢の電気電子修理工房の店主、ヒカリの雇い主にして武昌支団の非常勤の幹部を務めている

 漢陽と武昌の体制が変わった頃から、ヒカリの体調がすぐれなくなった。全身に倦怠感を覚え、熱っぽく、しばしば立ちくらみがして食欲が湧かない。

 8月19日の幹部会の日、朝から近くの診療所で診察をうけたところ「夏バテ」との診断だった。数日間安静にして水分をしっかり取って様子を見るように、との医師の指示で、栄養剤と食欲増進剤を処方してもらった。その日は幹部会もマオ委員会も欠席して静養することとし、MATESグループにメッセージを送った。

真っ先に反応したのが陳春鈴。「大丈夫?」のスタンプを送ってきた。

「心配しないで、リンリン」とメッセージを返す。

【食べたいものあったら用意しますから言って下さいね】と高儷のメッセージ。

【お言葉に甘えて、お粥とあっさりしたものお願いします】と返信する。


 18時半を少し回ったころ、ダイチと高儷が戻ってきた。さっそくキッチンに立つ高儷。リビングのソファーに腰を下ろしたダイチのもとへ、起きてきたヒカリがやってきて座る。

「具合はどう?」とダイチ。

「そうね、少しマシになったと思う」と、ふだんよりゆっくりした口調でヒカリが答える。

「ネオ・トウキョウでは経験することのない高温多湿の環境の中で、生まれて初めて生活したのだから、無理もないね」

「さすがにこたえたみたい」

「まあ、いろいろと活躍してもらったから、少しゆっくりするといい」

「幹部会はどうだった?」

「そうだね、漢陽に行ったメンバーが報告に来たので、キミが欠席だったのを除くと、今回は顔ぶれに変わりはなかった。孫書記の報告には、特に区長たちが熱心に耳を傾けていたね」

「委員会は?」

「武漢の意思統一ができたことを受けて、重慶と成都に働き掛けを始めることを決めた。メンバーは今のところ変えていない。3地区の代表が集まる形になるから。それと、来週からはビデオ会議で開催することにした。漢陽、漢口のメンバーが毎回参加できるからね」


 高儷の作った粥と、魚と野菜を薄味で煮たおかずを、ヒカリは「ハオチー」を連発しながら食べた。食事が終わった20時少し前、ドアをノックする音がした。ダイチがドアを開けると、カオル、張子涵、陳春鈴の3人連れ。

[シカリのお見舞いに来た。入っても大丈夫かい?]と張子涵。

[よく来てくれた。どうぞ入ってくれ]とダイチ。

 ダイチと3人は、リビングのソファーに腰をかけた。

[お食事はすませたのですか?]と片づけをしている高儷がキッチンから聞く。

[はい。街中の食堂で」と張子涵。

[シカリ姉さんにお見舞いを買ってきたんだよ]と陳春鈴が、箱を差し出す。

 ダイニングのテーブルからヒカリがゆっくりとやってきて、箱を受け取る。

「ありがとう。気を遣わせちゃってすみません」

[ジョンも来たがってたんだけど、どうしても外せない会合があるらしくて。「仕事は気にしないでしばらく休め、と伝えてくれ」って言ってたよ]

 片づけがひと段落ついた高儷が茶を用意して、ジョンを除いた「秘書處」MATESグループのメンバーが揃った。

「なんだろう、開けちゃっていいですか?」もらった箱を見ながらヒカリが聞いた。

[もちろんだよ、開けておくれよぉ]

 包みを解いて中から出て来たのは、果汁入りゼリーの詰め合わせ。4種類が5個ずつで、ちょうど20個入っている。

[食欲無くても食べられるかな、と思ったんだけど]と張子涵。

「ありがとう。おいしそう。せっかくだから一緒に食べましょうよ」

 高儷が、キッチンから人数分の小皿とデザートフォークを持ってきた。めいめい好きなものを選び、小皿に移して食べ始める。ひとくち口にして「ハオチー」と声を上げるヒカリ。

[どうやら食欲は回復しつつあるようだね]とダイチ。

 話題は漢陽に行った孫強のことになった。

[孫局長は、漢陽で大活躍のようだな]と張子涵。

[その通りだ。ただ、ひとつ言うと「孫局長」じゃなくていまは「孫書記」だからね]とダイチ。

[いけない、そうだった。でも「公安局局長」がほんとに板についているから]

 精悍な顔立ちに、引き締まった体躯の孫強の姿を思い浮かべて、一同「同感」の表情。

[でもシカリ姉さんや高儷は知らないだろうけど…ね]と陳春鈴が張子涵にシグナルを送るように言う。

[そうそう]

「え…何ですか? 張子涵、リンリン?」とヒカリ。

[孫書記は、ゲームがお好きでね。どんなゲームがお気に入りか想像できるかい?]と意味深そうな口調で張子涵が問いかける。

[えーと、バトル系とかアクション系、それも男性系の、とか?]と高儷。

[だよね。そう思うよね。でもこれが違うんだな…ねえ楊大地]と陳春鈴。

[え、私に振るのかい。え~と、孫書記は…美少女キャラのゲームを特に好まれるのだ]

 しばらく沈黙したのち、ヒカリと高儷がほぼ同時に驚いた声をあげる。

「ええーっ、信じられない!」

[だよね。でもほんとなんだよね。だから李薫とゲームやアニメの話を始めると、平気で1時間くらい話し込むんだよね。ねえ、李薫]

 陳春鈴の問いかけに、カオルからの返答がない。

[ねえ、李薫ったら、どうしたの?]

[…あ、ああ。なんの話だっけ?]と、あわてて聞き返すカオル。

[孫書記のゲーム好きの話じゃないか。ぼーっとして、李薫も夏バテかい?]と張子涵。

「カオルさんもゲームがお好きなんですね」と言うヒカリ。

 彼女の視線を微妙に避けるようにしてカオルが答える。

「え、ええ。そうですね」…


 …ダイチの家で初めてヒカリに会ったあの日以来、カオルはずっと戸惑いの中にいる。ときどき漏らすため息の原因が、それまでは亡くなったフィアンセのサユリだけだったのが、サユリにそっくりのヒカリも加わって頻度が高くなった。

 特に月曜日、ヒカリがオフィスにやってくる日は、「心ここにあらず」の状態に陥るのをなんとかこらえて乗り切っている状態だ。民政局の自分のデスクから技術局のヒカリの席の間には、財務局と商務局のデスクが並んでいる。ふと気づくと、ヒカリの席に視線を向けている。なのに、彼女が立ち上がって視線が合いそうになると、さっと逸らしてしまう。

 ならば、ヒカリがいなかった今日は平静に過ごせたか、というと、そうもいかない。「いるはずの人がいない」ことが気になって、そわそわとしてしまう。

 陳春鈴が羨ましい。彼女はこの事態を見事に消化して、自分のものにしている。

(なんでこんなにサユリにそっくりな人が現れてしまったんだ…)とつくづく思う。

 カオルがサユリを意識するようになったのは、高中に通うために上海に行き、初めての春節の休みに武昌に戻って再会したときだった。初級中学を一緒に卒業した後、小学校教師になるべく武昌の訓練校に通っていたサユリ。幼馴染で、当たり前にそばにいる空気のような存在だった彼女が、久し振りに会ったとたん、実体を持った一人の「少女」として眼前に現れた。それまで感じたことのない、サユリに対する思いが芽生えた。年に一度武昌に戻って会うたびに、少しずつ「少女」から「女性」への階段を上っていくように変わっていくサユリ。カオルの彼女を思う気持ちは募っていった。

 カオルは、高中の間、何人かの女の子と付き合った。けれど長続きしなかった。3人目、1年上の芸術科のニッポン人から、「普通の友達に戻る」ことを決めた日にこう言われた。

「あなたの眼差しは、いままでずっと、そしていまも武昌に向いている…」

 カオルが3年間の高中生活を終え武昌の支団で働き始めるのと同時に、サユリは小学校教師として働き始めた。明るくて社交的な彼女の周りには、いつも誰かがいた。典型的な「お兄ちゃんっ子」。カオルがサユリの中に位置を占めるのは、容易なことではなかった。挨拶の時に必ずサユリの最近の様子を聞くようにしたり、幼馴染のみんなで集まるときは、必ずサユリのとなりに座るようにしたり、彼女の中に「カオルの居場所」を作っていった。

 高中を卒業して3年経った頃から、二人だけで食事や映画に行くようになった。やがて自然に「そういう」仲になり、5年経ったころには自他ともに認めるカップルとなった。そして7年経ったとき、二人は婚約した。

 二人の前には永く続く未来があると思っていた。実際には1年しか残っていなかった…


…[でも、アニメの話になるとジョンにはかなわないだよな。なあ李薫]と張子涵。

[…ええと、なんの話だっけ?]とカオル。

[おいおい、さっきから何ぼんやりしてるんだい]

[李薫もやっぱり、夏バテなの?」と陳春鈴。

「カオルさん。大丈夫ですか?]と心配げにヒカリ。

「ああ…大丈夫」ぎこちなさを隠せないカオル。

(やれやれ、自分をこんなふうにしている張本人から、心配されている。)

 カオルは溜息が出そうになるのを、どうにかこらえた。


 ヒカリの静養の邪魔になってはいけない、と見舞いの3人は21時頃にお暇した。


 ヒカリは19日を含めて3日静養したのち、22日の木曜日に仕事に戻った。

【本当にもう、大丈夫かい】とジョン。

【ご心配おかけしました。もう大丈夫です】とヒカリ。

【月曜、火曜は店が休みだったし、実質昨日1日の欠勤だから、お前さんの仕事のほうは大丈夫だろう】

【ちょうどタイミングが良かったです】

 暑さも峠を越えたようで、朝晩を中心に随分と凌ぎ易くなってきた。


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