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第21章 ひとりぼっち

武漢ウーハン自経団は、漢陽ハンヤン漢口ハンコウ武昌ウーチャンの3つの地区からなり、それぞれに自経団の支団が組織されている。武漢自経団の責任者たる書記と副書記2名は、原則として支団の責任者である支団書記を兼務している。


主な登場人物


ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、ネオ・トウキョウでターミナルケアを生き延びた。大陸の武昌に辿り着き、コンピュータ修理の仕事をしつつ、武昌支団の非常勤の幹部を務めている

高儷:(ガオ・リー)本作のサブ・ヒロインの一人、ネオ・シャンハイのターミナルケア生き残り

ミヤマ・ダイチ:ヒカリの従兄、中国名は楊大地 (ヤン・ダーディ)、武漢副書記兼武昌支団書記

ジョン・スミス:ドイツ人、武漢の電気電子修理工房の店主、ヒカリの雇い主にして武昌支団の非常勤の幹部を務めている

郭偉:(グオ・ウェイ)武昌支団の区の責任者の一人

呉桂平:(ウー・グイピン)武昌支団の幹部の一人

陳春鈴:(チェン・チュンリン)本作のサブ・ヒロインの一人、武昌支団幹部の一人、ダイチ、カオル、張子涵とは幼馴染

何志玲:(フア・チーリン)武昌支団の区の責任者の一人

グエン:ベトナム人、中国名は阮華 (ルアン・フア)、武昌支団の幹部の一人でヒカリの上司

孫強:(スン・ジアン)武昌支団副書記、ダイチを補佐し、公安系を統括する

馬興栄:(マー・シンロン)武昌支団幹部の一人

クリシュナ・ヴァルマ:インド人、武昌支団幹部の一人

ヤマモト・カオル:中国名は李薫 (リー・シュン)武昌支団副書記、ダイチを補佐し、民生系を統括する

楊清立:(ヤン・チンリー)ダイチの従伯父、武漢自治組織の元トップ、現在はダイチたちの顧問役

徐冬香:(シュ・ドンシアン)楊清立の妻、武昌支団の幹部の一人で裁判所を統括する

「シァオ・ヒカリ(ヒカリさん)…」

 かつてはサユリの、今宵からはヒカリが使うことになった部屋の外で、ヒカリを呼ぶ声が聞こえた。

「シァオ・ヒカリ…」

 高儷の声だ。ヒカリはPITを見た。午前1時を過ぎている。ベッドから起き上がり、ドアを開ける。

 立っている高儷は憔悴しきった表情で、昼間とは別人のようだ。

 高儷の腰に手をあてがって、ヒカリは彼女をベッドまで迎え入れる。二人並んでベッドの端に腰掛ける。

 しばらくして、高儷がゆっくりと言葉を発した。

[怖い…]

 そう言うと、両膝を立てて両腕で抱え、膝に顔を埋めた。

(この人は、わたしより長い間、ひとりぼっちで過ごしていたんだ)

 ヒカリは、自分とは比べ物にならないくらい長い間、彼女が感じていた不安を察した。

 腕を回して高儷の肩の端に手を置き、ヒカリが回した腕に少し力を込めると、寄りかかってきて膝から上げた顔をヒカリの胸元に埋めた。ほとんど聞こえないくらいの声で泣いているようだった。

 10分くらいそのままでいただろうか。やがて高儷は顔を上げるとヒカリに向かって英語で言った。

【今晩、ここに寝かせてくれないかしら】

【いいですよ。わたしはソファーで寝ますから】

【お願い。ベッドで一緒に寝て下さい】

 高儷をベッドの奥に寝かせ、ヒカリは手前側に横になった。サユリの使っていたベッドは幅が広く、二人並んで寝てもさほど窮屈ではない。 

 ほどなく高儷の寝息が聞こえてきた。彼女のほうに顔を向ける。窓から差し込むほのかな光に映し出される端正な顔立ち。ゆったりとした周期で動く胸元。

 隣に人の息を感じながら眠るのは、夫のカゲヒコ以来、もう2年ぶりになるだろうか。


 翌朝ヒカリが目覚めると、高儷はすでに起きたようで隣には誰もいなかった。着替えてリビングに向かう。そこからキッチンを窺うと、鼻歌交じりで甲斐甲斐しく料理をする高儷の姿があった。昨夜の彼女とは別人のようだった。

 彼女に気づかれないようにリビングのソファーに腰をおろすと、起きてきたダイチに向かって、口に指一本立てるサインを送り、ひそひそ声で昨夜のことを話した。

「久し振りに人に会った興奮で紛れていたのが、本当の感情が表れたんだと思う」とヒカリ。

「しばらく、ひとりにすることはできないな」とダイチ。

「今日は、わたしがジョンのお店に連れて行くことにするわ」

「わかった。ボクのほうも考えておく」

 高儷が作った粥の朝食をすますと、ヒカリは高儷に言った。

【今日はわたしと一緒に来て、ジョンの店での仕事ぶりを見て下さい】

【お邪魔にならないかしら】

【ジョンも賑やかなほうが喜びますわ】

 そうして準備ができると、二人はダイチの車に乗り、真夏の光の中を抜けてジョンの店に送り届けてもらった。


【これはこれは。美女がお二人揃って嬉しい限りだ】と、ジョンがニヤニヤしながら言う。

【あら、わたし一人のときは一度も「美女」って言わなかったくせに】と口を尖らせて文句を言うヒカリ。

 ジョンには、ヒカリからMATESで事情を知らせている。

【「美女」なんて言われるの、何年ぶりかしら】と高儷。

【おや、高儷、あなた英語が喋れるんだね】とジョン。

【はい。ネオ・シャンハイの学校で必修でしたから】

【じゃあ、この3人で話すには好都合だ】

 そうこうするうちに、開店の時間になった。

 高儷は、ヒカリが難物のコンピュータ修理に手を焼くところや、ジョンが手際よく電気製品を直すところを興味深そうに眺め、来店した客の応対を手伝ったり、書類を片づけたりして一日を過ごした。閉店の1時間くらい前に、ジョンに食料品店の場所を聞き、頭痛を催すような熱気の中を、夕食の食材の買い物にでかけた。

 閉店すると高儷はヒカリとともにキッチンに立ち、いろいろとヒカリに教えながら19時半までに本格的な料理を4品調理した。

【こいつあ、見事なものだ】と目を丸くするジョン。

 さっそくビールで乾杯し、食事を始める3人。


 仕事を切り上げたダイチが30分ほどして訪れ、食事に加わる。

 豆腐料理を頬張りながらダイチが言う。

「ヒカリが使うクルマの手配ができた。明日のうちにここに届けるということでいいね?」

「ありがとう。助かります」とヒカリ。

[それと、高さんの自経団入団申請書類とヒカリの転入申請書類を持ってきた。今晩のうちに記入してほしい。明日朝出勤のときに第15区の事務所に寄って申請に行きたい]と言ってダイチは高儷とヒカリに書類を渡す。

 ヒカリは第7区から第15区へ移動することになる。

[高さんのことは郭区長に話してある。書類で記入できないところはそのままで大丈夫]

「第7区の何さんとは挨拶だけで終わっちゃったな」とヒカリ。

「実は、彼女と郭区長には特別な役職についてもらうつもりでいる。彼女とはこれからいろいろと関わってくることになるよ」


 その日の夜も、高儷はヒカリの横で寝た。カレイドスコープを持ってきた。母親の形見。

【ネオ・シャンハイで、一人でいたときによくこれを見ていたの】

 ヒカリも見せてもらう。真ん中から外に向かって対称で幾何学的な模様が広がる。回すと次から次へと変わり、一つとして同じものは現れない。

 起きたときにヒカリが寝ていたら起こしてほしい、と高儷に頼んでおいたので、翌朝の食事の準備は二人ですることができた。


 武昌第15区の区事務所は、ダイチの自宅から2ブロックほど下ったところにある。朝から雨の中、ダイチがヒカリと高儷を連れて区事務所へ行くと、第15区区長の郭偉が出迎えてくれた。提出された書類にさっと目を通すと、郭偉は[第15区へようこそ]と二人に向かって微笑みかけ、高儷に向けて言う。

[高さん、ひとりでさぞや大変だったろう。しばらくゆるりとお過ごしなさい]

[ありがとうございます]と高儷。

[そうそう、私たちの所属する班の区長助理は、あの張子涵だから]とダイチ。

【彼女のことをよく知っていますので、またいずれご紹介します】とヒカリが高儷に言う。

 今日も高儷はジョンの店で一日を過ごすことになっていた。ダイチの言葉の通り、その日のうちにヒカリ用のクルマがジョンの店に届けられた。地上走行型のミニバンで、ジョンのよりひと回り小さいサイズだった。ヒカリと高儷が移動に使うのに、丁度いい大きさだ。


 その日の夜も、高儷はヒカリのベッドで寝た。このあと一週間ほど続くことになる。


 翌11日は日曜日。午前中は自宅で過ごすダイチを残して、昨日届いたミニバンをヒカリが運転し、高儷と二人、ジョンの店に行った。

 夕方、高儷がヒカリを指導して作ったニッポン料理が完成した頃、ダイチが訪れた。

[ニッポン人が中国人に教わって作ったニッポン料理とは、面白い」とジョン。

 4人で囲む食卓で、ダイチが切り出した。

[高さん。もしよろしければ、武昌支団の仕事をお手伝いいただけませんか?]

[…そうですね。ひと月以上ブランクがあるので、てきぱきとはいかないと思いますが、それでもよろしければ]と高儷。

[ご自分のペースでやっていただければ結構です]とダイチ。

「どちらの局になるの?」とヒカリ。

「カオルに話をして、副局長の呉桂平ウー・グイピンの下で民生局の仕事をしてもらうことにした。彼女は高さんより少し年上で、面倒見のいい女性だ。明日、週に一度の幹部会があり、ヒカリやジョンや、昨日言ってた張子涵とか、ふだんはオフィスに来ないメンバーも来ます。よろしければ明日から出勤していただけませんか?]

[わかりました。ヒカリさんも行かれるのでしたら、一緒に行きます]と高儷。


[このドキュメントの整理をお願いします。急ぎませんから]と民生局副局長の呉桂平。

 翌12日武昌支団オフィスにヒカリとともに出勤した高儷は、指示された仕事にとりかかった。出勤したメンバーは、それぞれの業務やミーティングで午前中を過ごした。

 昼食は高儷を囲んで、マオ委員会秘書處のMATESグループの面々に、呉桂平を加えたメンバーで食べた。ヒカリが高儷から料理の手ほどきを受けていることを聞いた陳春鈴は、

[こんど私にも食べさせておくれよぉ]とせがみ、高儷が、

[はいはい。いいですよ、リンリン]と答えると、

[私のことを「リンリン」と呼んでもいいのは、シカリ姉さんだけだからね!]と一悶着。


 幹部会ではダイチから、区長の取りまとめ役として「総区長」と「副総区長」の役職を設け、総区長に第7区の何志玲、副総区長に第15区の郭偉を任命することが発表された。同時に二人はマオ委員会の委員にも任命された。

 幹部会に続いて行われたマオ委員会には高儷も出席した。

 新たに委員となったメンバーのために、前回の議論のダイジェストがダイチから報告された。それに続いて総区長の何志玲から発言があった。

[住民に直接接している立場として、住民の間に広がりつつある不安が、徐々に大きくなっていることを感じます。できる限り早く、支団としての公式発表が行われることを望みます]

 それに対してダイチが発言する。

[住民に対して公式発表を行うためには、二つの課題をクリアしなければなりません。一つは他の地区、特に上海との意思統一を行うこと。もう一つは国際連邦の了解を得ることです]

[意思統一ができないと、国際連邦への働きかけはできないのでは?]と商務局長のグエン。

「連邦のキーパーソンに対して事前の働きかけを行うことはできます。マオに関する最新の情報入手もできるかもしれません」とヒカリが発言する。

[武漢についていえば、漢口は大丈夫だろうが、問題は漢陽だろう]と公安局局長の孫強。

[漢口の書記の王義衛ワン・イーウェイは誠実な男だが、ご存知の通り、漢陽の書記の趙秀清チャオ・シウチンは金の亡者だ。おかげで漢陽は局長クラスから区長助理クラスに至るまで金権体質が蔓延し、賭博が公然と行われるなど治安もよろしくない]

[最近は上海を本拠とするMATES詐欺の下請け稼業にも手を出しているらしい]と監察局局長の馬興栄。

[シェルターの権利をちらつかせて大金を巻き上げる、あの手口か?]と財務局局長のクリシュナ・ヴァルマ。

[「星の衝突があっても、これを飲んどきゃ大丈夫」と言って栄養剤を高値で売りつける、なんていうのもあるらしいわ]とグエン。

[武昌でも被害の報告が上がってきている]憮然とした口調で孫強が言う。

[MATESで最近さかんに過激な書き込みをする武漢のアカウントがあるのですが、内容をみると、どうも漢陽発ではないかと思われます。関係は定かではないですが]とカオル。

[いずれにせよマオの対策についての話を漢陽の趙書記に持っていっても、儲けのネタにでもならない限り乗って来ないだろう]

[漢陽の問題については、私のほうで考えがある。まずは私と徐法院院長に任せてくれないか。孫局長にはいずれ出馬をお願いすることになると思うが]と委員長の楊清立。

[それではこのようにしましょう。漢陽については楊顧問と徐院長にお任せします。私は漢口の王書記と面談して話をします。そして、国際連邦については、ヒカリにコンタクトを始めてもらおうと思います。いかがでしょうか]とダイチ。

[異議なし]と一同。

 こうして8月12日のマオ委員会は閉会した。


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