魔王様はともだちが欲しい
ドォン、とあちこちから激しい音が聞こえる。建物が壊れる音。老若男女の叫び声。
ここは魔王領に近い町。魔物被害は当然、魔物の上位種族である獣型魔族だって来たこともある。
だがいつも仲間の衛兵たちとともに追い返してきた。大きな被害を出したこともなかった。この先も、みんなで手を取り合い助け合って生きていくのだと、そう思っていたが……
(……これまで、みたいだ)
今まで見たこともない、人に近い形を持った魔族が振るった刃が眼前に迫っている。逃げることは出来ない。
せめて少しでも長く足止めできればと剣を振るったが、あっさり人型魔族に折られてしまっていた。
(ごめん、みんな。ごめん)
目をつむる。瞼の裏にはまだ町にいるだろう妻と子の顔が浮かんだ。
*
濛々と煙が立ち込める町を前に、燕尾服を着た青年はすんと鼻を鳴らした。
「魔族の濃い匂いがしますね。最上位……いえ、上位……であれば、序列五位あたりでしょうか」
「だれでもいいよー。どうせ魔族はみんなともだちになってくれないもん」
隣を歩いていた少女はつまらなさそうに唇を尖らせる。背中には背丈や身なりに不釣り合いな神々しい大剣を背負っている。
少女は大剣の柄を掴み、かちゃり、と音を鳴らした。むき出しの刀身がかすかに光る。
「ねえ、今度のみんなはおともだちになってくれるかな?」
「まだ生きている人間がいれば、の話になりますね」
「あ、そっか、じゃあ早く助けにいかなくちゃ!」
とん、と少女は地面を蹴った。一瞬で姿が見えなくなる。
「……さて、私は高みの見物といきましょうか」
青年は僅かに口角を持ち上げて笑い、見えなくなった少女の背をゆっくり追いかけた。
*
眼前まで刃が迫っていた。真っ二つに切られてしまうのも時間の問題だった。
そのはずだった。
だが、いくら待っても痛みは襲ってこない。
いったい何がどうなっているんだろう。恐る恐る目を開けると、そこには――
「なんでおまえがここにいる?」
「それはこっちのセリフだよー。前にだめだって言ったよね? ね?」
娘とそう変わらない年の少女が、携えた大剣で人型魔族の剣を悠々と受け止めていた。
きょとんとしている間に、人型魔族と少女は何度も剣を打ち交わしている。
「フンッ、人の犬に成り下がったてめえのいうこと聞くやつなんざ誰がいんだよ!」
少女は自分の何倍も大きな人型魔族の剣をあっさりいなしているが、人型魔族も勢いはおさまらない。このままいけば、そう遠くないうちに少女が不利になってしまう。
今まで町を守ってきた衛兵としての矜持と、子と同じ年頃の少女ばかりを戦わせるなんてという親の気持ちから、なんとか自分を奮い立たせて少女に加勢をしようと、立ち上がったときだった。
急に人型魔族の顔色が変わる。ガキンっと音を立てて少女の剣をはじくと同時に、大きく後ろに飛び下がった。
「チッ……あいつもきてんのかよ。分が悪いな……おい! いったん引くぞ! 出直しだ!」
掛け声とともに、人型魔族は空へと飛びあがる。町を襲っていた魔物たちもぞろぞろとさがっていく。
あっという間に魔物たちはいなくなり、町は静けさを取り戻した。
「あ、ああ……」
現実をすぐに受け入れることはできなかった。しばらく呆然と口を開けて少女を見つめてしまっていた。
振り返った少女と目が合い、ようやく我に返る。
「あ、あの!」
少女は身丈に合わない大剣を背中に背負い直していた。見覚えがあり、誰もが一度は手にすることを憧れた、神々しさすらある魔物を切るたに存在する大剣。
「助けていただき、ありがとうございます。あなたは、いやあなた様は、もしや勇し」
「ねえ、おともだちになって!」
「えっ?」
ぽかんとしているこちらをよそに、少女はにこにこ笑顔を浮かべながら手を掴んでくる。
しばし握られた手と少女の顔を交互に見つめしまっていたところ、とたん少女の目じりが下がった。
「だめ? やっぱりだめなの? なんでだめなのかな。あ、もしかして会ってすぐだから? 前の子もそう言ってたもんね……うん、わかった! じゃあ、まずはじっくりお互いの仲をふかめあおう! それからならいいよね? ね?」
「え……えっと」
少女の勢いとぐんと近づけられた顔にたじろいでいると、ぐいんと少女が後ろから引っ張られた。
「落ち着いてください、リア様。この方も驚いておられるでしょう」
「あ、サージェス。おそいよ」
「あなたが早いだけです。それより……」
少女の肩を掴んでいた燕尾服の青年がちらりとこちらを見る。一瞬のことだったが向けられた瞳の鋭さに思わず息を呑む。
「また失敗されたのですね」
「まだだよ! まだ! 今お願いしているところ」
「だとしても無理でしょう。この様子なら。さっさと別の町に移動して試されたほうが」
「と、友達ですよね! 私でよければなりますよ、勇者様!」
気がつけば、勢いよく叫んでいた。人型魔族は撤退したとはいえ、出直しと言っていた。油断は出来ない。これだけで勇者を町に引き留められるなら安いもんだ、そんな気持ちだった。
だがそんな考えを知らない少女は、ぱあっと顔を輝かせる。こちらの手は握ったまま嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「じゃあ、リアって呼んで!」
「り、リア様」
「だめ、リア! おともだちどうしでは、さま付けなんてしないんだから!」
にこにこ笑う少女に無理やり立たされる。戦いの中でくじいた足に響いた。
「もっとおともだちつくれるかなー!」
しかしこちらの様子など気づくことなく、少女は歩き出す。ずるずると引きずられるような形で町に戻ることになった。
*
町の中は普段の穏やかな風景など見る影もなくボロボロになっていた。復旧を急ぐ声などが聞こえている。
そんな様子など気にも留めた様子なく、少女は手当たり次第に町の人に声をかけようとしては青年にたしなめられている。そんなふたりを怪訝な目で見つめていたときだった。
「あっ!」
勢いよく少女が走り出す。
一直線に走っていった先には、がれきの間にうずくまるように座って泣いている子どもがいた。周りに両親はいない。はぐれてしまったのだろう。
避難所はそう遠くはない。連れて行ってあげよう――
「ねえ! おどもたちになって!」
その場の空気が止まった。子どもも泣き止んで目を見開いている。しかし少女は気にした様子もなくきらきらした眼差しで子どもを見つめ続けている。
が、反応がないことに耐え切れなくなったのか少女は唇を尖らせた。
「ね、ね、だめ? あなたも時間が必要なタイプ? いっぱい一緒にいたらおともだちになってくれる? それとも他に条件があったりする? ねえねえ」
「ひっ……」
「あ、あの。勇者様……」
ぐるんと少女が勢いよく振り返った。
「リア!」
「は、はい! リア、あの、この子は親とはぐれて不安な状態だと思います、ですから、親を探してあげれば、よいかと……」
「親! 知ってる! えっとねえ……なんだっけ?」
「人間は番って子が生まれるのです。つまりつがいを探せばよいかと」
「なるほど、じゃあいこう!」
無遠慮に子どもの手を取り、少女は歩き出す。
大丈夫だろうか。不安を抱えながら後から追いかけ見守っていたが、心配をよそに少女と子どもは段々仲良くなっているように見えた。少女がよく喋り、子どものことを理解しようとする素振りが時折あったから、子どもは寂しさを紛らわすことが出来たからだろう。同じ年頃というのもあったかもしれない。
安心して胸をなでおろし、ちらりと隣を見た。先ほどまでずっと口元に笑みをたたえて少女を見ていた青年は、今は空を見上げている。
「……近づいてきていますね」
「何がですか?」
「いえ、なんでも」
青年の視線がこちらに向いた。何とも言い難い得体の知れない君の悪さを感じ、視線を逸らす。
「マリー!」
と、悲痛さと安堵が滲んだ声があたりに響いた。
「おかあさん!」
子どもが少女の手を振り払い、向かいにいた女性に飛びつく。
「親? がみつかって、よかったね」
「うん、ありがとう! おねえちゃんのおかげだよ!」
「じゃあ、おともだちになってくれる?」
「もちろ、ん――……」
少女の言葉を遮るように、ドォン! と大きな音とともに、地面が揺れた。
「ああ、来ましたね」
鼓膜が破れそうなほど大きな警鐘が響く。
『魔物襲来! 先ほど撤退した人型魔族……だけじゃない! 人型魔族、合計四……!』
「人型魔族が四体!? 魔物型でも精いっぱいだったのに……!」
兎角先に市民を非難させなければと振り返った先に、いた。
「さっきはヤりそこねちまったからなァ」
少し前に殺されかけた人型魔族。他にも、報告のあった三体。気づくのが遅れて、襲い掛かられてきているところだった。少女、それに子どもと母親も魔族に襲われている。
ああ、また。助けてもらったのに、こんなあっさりと――
今度こそ終わったと思った。
だが。
「ぐえっ」
「がぁっ!」
醜い悲鳴とともに、ドサドサっと地面に倒れ落ちる音。見れば、魔族のうち三体が胴を真っ二つにされて横たわっていた。
「え……」
「おともだちに手を出すのはだめだよ」
「あー、やっぱ人型でも下位連中じゃ相手になんねえかあ」
目の前の人型は攻撃の手を止め、がりがりと頭を掻いた。こうしてみると本当に人のようだった。
「ま、でも今のでサージェスが手ぇ出さねえって分かったし?」
人型魔族は、燕尾服の青年を一瞥した後、にやりと笑う。
そして。
「聖剣なんざ使うおまえなら、たとえ魔王だろうが俺だけでも十分なんだよなァ!」
ダンっと踏み込み、少女と子どもたちのほうへ向かっていく。
「あ、」
危ない、と叫ぼうとした。
だが、それよりも早く、足元から這いずり上がってくる悪寒。全身を支配する恐怖。知らないうちに地面に膝をつき、ひれ伏していた。
一閃。
目の前を、黒い刃が通り過ぎる。
どろりとした赤黒い大量の体液が降り注ぐ。
血のカーテンの向こうで、どす黒いオーラをまとった少女が先ほどまでと変わらずに笑っていた。
「おともだちに手を出しちゃだめって、おしえてあげたばっかりなのに。本当に、覚えてくれないなあ」
姿形に変化はない。どこにでもいるような、ごく普通の少女そのものだ。
けれど振るう力は、少女が纏い放つ空気は――
紛れもなく伝承どおりの、魔王そのものだった。
あちこちで命乞いの声があがる。近くにいた者は燕尾服の青年以外、少女の威圧で地面に伏せざるを得ない状態だった。
だが、少女はさして気にした様子もなく、子どもに手を差し伸べる。
「大丈夫?」
「ひっ……」
「い、命だけは、どうか……」
子どもと母は再会したときよりもしっかりと抱き合い、少女に頭を下げていた。その顔には先ほどまで浮かんでいた笑顔や安堵はなく、怯えと畏敬、恐怖が入り混じっている。
少女は目を瞬かせた後、ゆっくりと振り返った。まっすぐに見つめられる。
まるで、おまえはどうだと問われているようだった。
喉が引きつり、全身が恐怖で震える。だが、なんとか力を振り絞って立ち上がり、少女に頭を下げた。
「た、助けてもらったことは、感謝しています。でも、魔王であると分かった以上……」
「だめ? どうしても? わたし魔王かもしれないけど、あぶなくないよ?」
「そ、それは……」
「リア様、現実を見て、さっさと諦めてください。あなたがいるだけで、人々が死にそうです。友達になんてなれっこありません」
「でも、せっかくおともだちになれそうだったのに」
「あなたには私がいるではありませんか」
「あのね、サージェス」
がきんと、鈍い音がした。空を描いた刃が地面に突き刺さった。
「おともだちって、命は狙ってこないんだよ」
見れば、防がれてはいたが燕尾服の青年が少女に襲い掛かっていた。
「序列五位を相手にした後であれば、少しぐらい隙があると思ったんですが」
青年の表情が一瞬歪んだが、すぐにまた笑みをたたえ刃をおさめた。
「ま、私もこの町もだめでも、また新しい町を探せばいいだけです。人間の国は、まだごまんとあるのですから」
「……うん。そうだね」
少女は母親に抱かれた子供とこちらを一瞥する。
どこか寂しそうに見え、思わず口を開いた。
「つぎは、魔王だってばれないようにしなきゃ」
だが、声をかける間もなく少女と青年は連れ立って去っていく。
「おともだち、今度こそできるかな」
少女の期待に満ちた声だけが、その場に残った。