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タモさんはこんなこと考えないよな

作者: ライス中村

 希死念慮。ありていに言えば「死にたい」というその気持ちのことである。世の自殺者のほとんどは、この希死念慮をこじれにこじらせてしまった人々なのである。

 私が考えるに、この希死念慮を、今まで生きてきた中で一度も感じたことがないという人はほとんどいないのではなかろうか。それこそ未来を夢見る小学生、あるいは周囲がドン引きするレベルでポジティブな人でもない限り、一度くらい、気分が落ち込んで「なーんか死んじゃいたいな」くらいの気持ちに至ったことはあると思う。なんなら外から見て明るい人の方が、逆にずっと深く思い詰めていたりするのだろう。

 かくいう私に関していえば、おそらく私は人並みの希死念慮を有している。しかしながら、とはいっても、おおむね精神は良好なままで日々を過ごせているような気がする。「希死念慮 < 死への恐怖」の不等式が成立しているうちは大丈夫だろう。たぶん。

 さて、なぜ私がこんな話題を出したか、皆さんは予想できただろうか。なにも自殺がどうこうみたいな議論をしたいわけじゃない。文章の導入部というものは教師が授業開始直後にちょこっと提示する世間話みたいなもので、授業本編とそこまでのつながりはないのだ。※個人の意見です

 これから少しばかり語りたいのは、希死念慮ともしかすると同系統かもしれないような願望、「こんな風に死にたい」という想いについてだ。


 私はよく「どんな死に方ができたら嬉しいか」という妄想をする。勘違いしないでほしいが、断じて死にたいわけではない。なるべくなら長生きしたい。「死ぬのは死ぬほど嫌であるが、もし死に方を今のうちから予約しておけるのであれば、なるべくならこう死なせてくれるとありがたい」という感じ、と言えば分かっていただけるだろうか。シニカルな妄想だろうか(これは単にシニカルと言ってみたかっただけだ)。

 ニュースなどで、ご高齢の有名人の皆さんが、ガンとか心疾患とか脳血管疾患とか肺炎とか、日本人の死因ランキングTOPの、とても悪い言い方をすれば「ごくありふれた」亡くなり方でこの世を去ったという報道を見るたび、私は少し寂しく感じる。自分だったら、どうせならもっと良い死に方をしたい。

 しかしながら、こんなことを言っておきながら、私が「良い死に方」という概念を自分ではっきり掴めていないというのもまた事実である。

 例えば、私が考えるに、自殺はちっとも良い死に方ではない。2023年現在の日本において、自殺は10代から40代までの死因第1位、50代でも第2位を誇るのだ。「若くして死んだ」という部分と「悲劇的な死に方をした」という部分で一見ユニークに見えるが、とはいえ、だ。なんとなく勿体無い感じがする。

 また、最初に例示したがん・心疾患・脳血管疾患、あとは交通事故で死ぬのも寂しいものだ。「〇〇さんが(これらが原因で)死んだ」という話を聞いても、じゃあ仕方ない、自分たちはそういう死に方をしないように気をつけないとなあ、となるだけで、それ以上はその人の死に方に対して意識が向かない。それから先はその人の人柄とかエピソードについて話題にするようになる。特に私の場合に限って考えると、これでは非常に困る。私の人柄は醜いことこの上ないし、今までの我が人生において笑って話せるような出来事はさして無い。人間は慣習に従う生き物だから、こんなクソみたいな人間である私についてであろうが、死んだ時には誰かしらが私の葬式を開いてくれるのだろうと思われる。人格・エピソードともにミニマムサイズであるところの私のことだ。その葬式に来てくれた物好きな人たちの話の種は、そんなこともあってすぐに尽きてしまうに違いない。生きている間に他者に迷惑をかけてばっかりだった自分であるが、せめて死んだ後くらいはなにかを与うる存在になりたい。

 私的な「良い死に方」の例を挙げると、誰かの身代わりになって死ぬ、というのは理想の形のの一つだ。炎に包まれた建物の中で、取り残された人々をどんどん救い出すが、自分は気づかぬ内に一酸化酸素をしこたま吸っていて、最後の方には気を失ってしまい、そのまま焼かれて死ぬ。スーパー戦隊モノや仮面ライダーシリーズなどを見て育った身であるので、どうにかヒーローになれたらな、という思いは人よりちょっと強い、気がする。

 あるいは飛行機事故・船舶事故に巻き込まれて死ぬ。先ほど「交通事故で死ぬのは良い死に方では無い」とか言っておいて恐縮だがこれらならアリだ。事がうまく運べば、アンビリバボーの再現ドラマでそれなりのイケメン俳優が私の役を演じてくれるかもしれない。

 エネルギー波の押し合いへし合いに負けて死ぬのも良い。これは何を言ってるかわからない人もいると思うので少し説明すると、要はドラゴンボールの孫悟空に敗れる魔人ブウやフリーザみたいになりたいのだ。かめはめ波に焼き切られるか、あるいは元気玉に押し潰されて絶命したい。断末魔も決めてある。「プェ」だ。

 ……とまあ、個別の事例に対して、これは良い死に方、これは悪い死に方、と分類することはできても、それが何を基準に行われているのかは我ながらよく分からない。強いていうなら「良い死に方」はわりかし燃えて死ぬ感じが多いことくらいか。燃える死に方で嫌な死に方、というと、タコ足配線なんかが原因の自業自得な火事には巻き込まれなくない。


 もしかすると、私は単に主人公になりたいだけなのだろうか。人生の99%を傍観者ポジションで過ごし、目立たないように、を信条に生きてきた自分にとって、死というのは一大ピックイベントだ。バイスタンダー(傍観者を英語で言うとバイスタンダーである、かなり強そうだ。トレーディングカードゲームならスーパーレアくらいにはなるだろう)で居続けることにはだいぶ慣れたつもりではあったものの、やっぱり好きでやってるかと言われればNOなのである。いや、主人公と言い切ってしまうと語弊があるような気もする。私が想像する憧れはタモリさんだ。あの、落ち着いて、何事にも我関せずなようでいて、存在感はバッチリ放っていて、そんでもってたまに口を開くといい感じのことを口にする。物事を裏で操るフィクサー。一時期タモリさんの真似をしてサングラスを掛けてみたが、ちょっと経ってから我に返り、私の姿形にサングラスを加えるとどう見たって不審者にしか見えないということに気付けたのでそれ以来はまったく身につけていない。

 主役になりたい、と言う思いと、陰のフィクサーへの憧れ。これがうまい具合に混ざり合って、明るいけど暗い、「こんな死に方ができたらいいな」という願望が形成された……ってことか?いやでも、そんなのはとても残念なようでいて、わりと本当にそれくらいの些細な話なんだろう。私の願望なんて。


 さて、長々と内容が全然無いことを書いてきたが、疲れてきたのでそろそろ筆を置こうかと思う。実際はこの文章は筆ではなくスマホを用いて作っているので「スマホを置く」という表現のほうが正しいような気がするが私はスマホ中毒なのでいっときでも我が身からスマホが離れているとダメだ。最悪死ぬ。

 これといって皆さんになにか伝えたいことがあったわけでもない。お付き合いしてくださってありがとうという気持ちだけは表明しておこう。


 とりあえず、今後は、死に方がどうとかいうくだらないことに思いを巡らすよりも、もっと有益なことをしていくべきだな、と思った。たとえば、テレビでタモリさんの出演番組を欠かさずチェックするとか。生活に素晴らしい彩りが出るに違いない。やっぱりタモリさんは最高なのだ。


 最後に、タモリさんのこれからのますますのご活躍とご健康を願って、天に祈ろうと思う。皆さんもタモリさんの幸せを空に願ってくれないだろうか。皆さんの祈りがタモリさんに通じたら、こんなに嬉しいことはない。はい、今筆をポンと脇に置いた。

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