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85.覚悟 3

 ホテルでの夕食。平野は予選を通過できたといって笑顔で箸を進めていた。だけどなぜ上本は、そして陽向さんも、いつも通り笑っていられるのか。


 味のしない食事をすませて、部屋に帰り翌日の準備をする。乾かしておいた靴にエッジカバーをはめ、キャリーバッグに荷物を詰めていく。フリーの衣装と、念のためのテーピングと、ジャージと、ウインドブレーカーと、待ち時間用のイヤホンと。

 本番までの流れを思い浮かべながら、準備を一つ一つ進める。


「平野の奴、もう寝てやがる」

 上本が指さした方からは寝息が聞こえていた。

「こういう時でも平気で寝れる奴がいるんだな」

 平野にとってこれは初めての全日本だというのに。末恐ろしいよと上本が笑った。

 なかなか寝付けなかった去年を思い出す。


 そう言えば、去年も初日で三点近くの点差をつけられていた。あの時はそれでも、フリーで十分挽回できると言われていたけれど。

 今回はだめだ。あの頃あいつらには苦手分野があった。フリーでこちらが有利になる目算があった。だけど今のあいつらにもうそんな隙はない。

 それに加えてあいつらの持ってくるフリーのプログラムは、例のあれなのだ。


 どうすれば彼らより、高い点を取ることができるというんだろう。


「おい天宮。おーい、あまみやー」

 呼ばれているのに気がつき顔を上げると、上本が部屋の入り口を指さしていた。

「陽向さん来てるぞ」


 開いた扉の向こうに陽向さんが立っていた。髪を下ろし、コートを着ていた。そしてこちらに向かって、手招きをしている。

「上着を持って。いい所へ連れて行ってあげるから」


 僕たちは上着を持って部屋を出た。眠っていた平野まで起こされて。男子は明日早朝から公式練習だというのに、いいんだろうか。

 ホテルのエレベーターを最上階まで上がる。そこから陽向さんの後について階段を上り、屋上へと繋がる扉を開けた。

「寒い!」

 夜の北海道の風に襲われ、慌てて上着を着る。

 一息ついて、眼下一面に広がる夜景が目に入った。


「うわー」

 僕も上本も平野も、空と街との境目までを埋め尽くす細かい光に歓声を上げた。

「どう?」

 自分のものでも見せびらかしているかのように、なぜか得意そうな陽向さん。


「見事よね」

 遠くを見つめる陽向さんの髪が風になびいた。

「こんなにもたくさんの人がいるのに、明日の試合に出るのはたったの二組なんて。不思議よね」

 岡崎さんは去年、表彰台に上がれない組が出てくるくらいまでカップルが増えるのではと楽しみにしていたのに。

 なかなか難しいもんだよな。


「笠井・児島組はね、児島君が今年受験があるから練習をお休みしてるんですって」

「じゃあまた春には復帰できるんですね。よかった」

「それがね、児島君の受けるのは県外の音楽高校らしくって、合格したら解散するみたい」

「あー……そうなんですね」

 それは複雑だろうな。


 日本中にはここから見えるよりももっとたくさんの人がいるのに、アイスダンスのカップルはなかなか成立しない。そんな中でたった数組の存在として僕たちがいるなんて。


 大切にしないとな。この奇跡的なつながりを。

 もしもこの試合で負けても、この先も陽向さんと一緒に次を目指そう。


「でもね、関東ではノービスのカップルが六組にもなったそうよ」

「六組っ!?」

 ノービスはジュニアよりも年齢の下のクラス。僕たちの次の世代のクラスだ。

「どうやら関東では、あの二人への憧れからこの道に入る子が増えてるって噂だけど」

 あの二人とは、当然あの二人である。

「うわー。まじかー」


 やっぱり、すごいんだな。あの二人は……。

 世の中の多くの人はまだ知らないだけなのだ。アイスダンスというものを。

 アイスダンスの魅力に触れれば、志す人はずっと増えるに違いない。あいつらはその火付け役になるのかもしれない。


 屋上を吹く風が体にしみる。そんな中でも、上本と平野ははしゃいで夜景を楽しんでいた。


「さて。そろそろ帰りましょうか」

 陽向さんが扉に向かって歩き出した。

 階段を下り始めると、僕の隣に上から上本が下りてきて並んだ。


「この前は相談に乗ってくれてありがとう。何のために滑るのか、そこが揺らいでたらいい演技はできないよな。はっきり言ってくれて助かった」

 上本は僕の顔も見ずにそう言った。その横顔は、どこか晴れやかだった。

 跳べるか跳べないかと悩んでいたジャンプが今日失敗に終わったのに、今の上本は平野に勝つか負けるかに怯えていなかった。


「本当はあの合同の貸し切りで、お前の演技を見た時から答えは出てたんだけど」

 上本は言った。彼は何のために滑るのかという問いへの答えを見つけ、今日自分が踏むステップを選んでこの試合へとやって来たのだ。

 僕は自分の悩みとしてあの問いを書いたのに。上本はちゃんとそこから考えたのだ。


 明日に怯えているのは、僕だけなのか。


「今日の演技よかったよ」

 と言うと、

「そうだろ、明日もやるぜ」

 と返ってくる。


 やるぜ、か。

 明日こそでもなければ、頑張るでもないんだな。それはほんの些細な違いかもしれないけど、上本の中に何かが宿っていることを確かに感じさせる。


 階段を一段一段と下りていく。

「これまで悪かったな」

 上本がつぶやくように言う。

「俺はどこかアイスダンスを馬鹿にしていた。でも、すごい力を持っているんだな」


 だけど、自分の演技を客観的に見ることのできない僕には、上本の言うすごい力というものに思い当たることが何もなかった。上本と、そしてあの日の南場さんに、僕の演技がどんな感動を与えていたのか。せっかく彼らが言葉をくれているのに、それを僕は理解することはできなかった。


 ただ、上本の空気をすぐそばで感じながら階段を降りていくうちに、波立っていた僕の心は静かに()いでいた。



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