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73.セントラルパークの休日 2


「ああ! 素晴らしきアメリカよ!」

 劇場を出ると、陽向さんは眩しい空に向かって両手をいっぱいに広げくるりと回ると、まるでミュージカルスターのようにそう言った。

 白と水色のストライプのワンピースでアメリカの街に立つ陽向さんは、ミュージカルスターにも引けを取らない輝きを放っていた。


「降ってきたわ! 降ってきたわ! 最高の感動! この溢れんばかりの思いを、今すぐスケートにぶつけたい!」

 練習熱心なだけでなく、こういう情熱的なところも陽向さんがアイスダンスに向いていると思ってしまう理由だ。そして、その思いをこんな公衆の面前で恥ずかしげもなく表せるところも。

 通りがかった人たちが陽向さんをふり返っていた。


 確かに素晴らしい舞台だった。歌声もダンスも全身から響いてくるような迫力で、人間にはこんな力強さがあるんだと感動した。そして出演者みんなが息を合わせて一つの舞台を作り上げていたのがなんといっても印象的だった。さすがだった。二人どころではない、あれだけの人数で掛け合いや歌やダンスを見事にまとめ上げるなんて。


 だけど、そんな興奮の一方で、しこりのような苛立(いらだ)ちも感じていた。

 氷の上で見たウエストサイドストーリーは、この舞台の真似ごとだったんだろうか。

 アイスダンスで目指すものは、こういう「本物」を真似することなんだろうか。

 僕たちが日々磨いている技術のすべては、もしかしてそのためにあるんだろうか。


「そうだ、制覇君! 今からロックフェラーセンターに行きましょう!」

 力強い陽向さんの声。

 こんな風に自分の内側から湧き出るものがある人がいるのに、この先、僕たちが目指すことは他にある何かをなぞることなんだろうか。そんなことのために人生をかけるんだろうかと想像すると、ぞっとした。


 考えこむ僕の腕を、陽向さんが引いた。

「さあ行くわよ!」

 そう言って細い路地の方へと僕を連れ込もうとする。

「えっ、ちょっと待ってください!」

 僕は慌てて陽向さんが握りしめている地図の開かれたスマホを取り上げ、近道しようとしている彼女を説得して、細い路地は避けてロックフェラーセンターへと向かった。


「ああっ、なんてこと! 制覇君。今は夏よ!」

 高いビルに囲まれた広場の前に来ると、陽向さんは僕に向かって突然怒り始めた。

「そうですね」

「何をすましてるのよ~! 知ってるなら、早く言ってよ~!」

「えっ? なんでっ? 陽向さんは知らなかったんですかっ?」

「そういう意味じゃなあ~い」

「じゃあどういう……あ、もしかしてここ、シーズンリンク?」

「だからロックフェラーセンターだって言ってるじゃない。知らないの?」

 ……。知らない。


「ここは冬になると大きなモミの木が飾られて、スケートリンクになるの。モミの木のリンクだってね、もしかしたらここをイメージして作られたのかもしれないんだから。それくらい有名なの。知っておいてよ、それくらい。あーあ。今すぐ制覇君とここで滑りたかった」

 その言葉に、僕は広場を見回した。いったいどこに氷が張られて、どこにモミの木が立てられるのだろう。

 ここが有名で、モミの木のモデルになっているんだとしたら、あいつもこの場所のことを知っているんだろうか。と、僕は久しぶりに果歩のことを思い出した。


「ちょっと。私が制覇君と滑りたいって言ってるのに、今他の女の子のこと考えてたわね!?」

「え……?」

 他の女の子って。果歩は別に女の子ってほどのものじゃないけど。

「まったく。あのね、そういう時には、そんなことないですよって適当に嘘つくものよ」

「……そういうもんでしょうか」

「そういうものよ。でも嘘なんてつかれたら、逆に怒り狂っちゃうかもしれないけど」

 ちょっと待って。なんでそんな怖いこと言い出すわけ?

「私、嫉妬深いから」

 嫉妬……?

 って……?

「私はいつだって一番でいたいのよ。ごめんなさいね、こんな性格のパートナーで」


 氷の張っていないロックフェラーセンターにいつまでもいても仕方がないので、僕たちはセントラルパークに向かって歩き出した。ステイ先のおじさんが、ぜひ立ち寄れと勧めてくれた場所だった。


「サマーキャンプの最初にね、他の人と滑る機会があったでしょう?」

 陽向さんは、僕がアシュリーと組んだ日の話を始めた。

「あの時、私、どんな気持ちで滑っていたと思う?」

 僕がアシュリーに敗北感を味わっていた間、陽向さんは何を考えていたんだろう。陽向さんの方は何の問題もなかったようなことを言っていたけど……。


 彼女は、思い出すだけでもわくわくするというように目を輝かせて言った。

「どのカップルよりも、上手くやってやるっていう気持ちでいっぱいだったのよ。私がそうさせてみせるって」

 なんだ、そういうことか。

 嫉妬深いだのなんだのいうから、ちょっとどきどきしてしまったじゃないか。

 でも、いかにも陽向さんらしい。


「私はリードされる側なのにね。それなのにこんな性格」

 それでもうっかり出しゃばらないようにと、僕に対してこれまでかなり気をつけてきたんだそうだ。リードする側なのに彼女より劣っていることを気にしていた僕と、まるで反対のことを気にしていたのだ。

「それなのに、あの先生ってば一瞬で私の性格見抜くんだもの。やんなっちゃうわ」

 陽向さんは唇を尖らせた。


 ビルの並ぶ道をしばらく歩くと、セントラルパークに着いた。とても広い公園で、森に囲まれているように見えるのにその向こうには大きなビルが立っていて、なんだか不思議な感じがした。


「本物になるためには制覇君を振り回すんじゃなくて従わなくちゃならないことくらい、私だってずっと前から分かってたんだから。でも実際に目にするとやっぱり悔しいものね。アシュリーが相手なら、制覇君もあんな風に滑れるんだもの」

 あの日、陽向さんがとてもいらいらしてるように思えたのは、帰国が近かったからだけじゃなかったようだった。

「負けたくないって思って滑ってたら、先生からもまたレディーらしくないなんて言われるし。こうなったらお(しと)やかなところを見せてやるって思ったんだけれど。ふふ。だめよね~。悔しいけどオスカー先生に認められずに終わるのは、私のせいね」


 そうなんだろうか。

 陽向さんが僕に大人しく従ってくれる人なら、もっと簡単にオスカー先生に認められてたんだろうか。

 僕がアシュリーと上手くやれたのは、あの子がレディーだったからなんだろうか。


 ――そもそも僕はアシュリーと上手くやれていたんだろうか?

 陽向さんから見たらあんなフォックストロット、問題外だろう。でも僕は、彼女の滑りたいように滑らせてあげたいとあの時思ったんだ。そのためにどうしてあげられるかを考えたんだ。そしたら、一人ではたどり着けない領域に行っていたんだ。

「――あの~、陽向さん。思うんですけど……」


 カフェで見たアシュリーとバーリントンのやり取り。片方が荷物を持ってあげて、もう片方がパンを取ってあげる。相手が何を求めているかを考えて動いてあげることで、お互いが過ごしやすく幸せになる。

 先生が理解しろと言った異国の文化の本質は、そういうことなんじゃないだろうか。

 お互いがお互いを思いやって動くことがダンスにも求められるということなんじゃないだろうか。

 生活の中で手を貸しあうことでお互いが過ごしやすく幸せになるように、1+1が2以上になる演技というのも、そういう風にして生まれてくるんじゃないだろうか。


 芝生の広がるベンチに座って、僕たちはそんな話をした。

 大きな木の上から、リスが小走りに降りてくるのが見えた。小さな子どもがリスに気づいて、嬉しそうに指さした。そばにいた父親らしき人が、子どもと同じ方を向いてしゃがんだ。


 リスは日本では見ないけど、親子の関係は世界のこんな遠い場所にも当たり前にあるんだな。

 そんな当たり前のことになぜか感動した。


 陽向さんは眩しそうに、景色を眺めた。

「今日はリンクに行かなくてよかったわ……」

 隣のベンチにはおじいちゃんとおばあちゃんが、何をするでもなくただ幸せそうに座っていた。


 遠くの噴水が高く吹きあがる。噴水を囲むふちにギターを手にしたおじさんが二人。表情も音も遠くて分からないのに、僕には彼らがひとつの輪のようになって道行く人に語りかけているかに見えた。


 寄り添い合う人と人との関係には、色んな形がある。

 僕たちもそれでいいのかもしれない。

 アイスダンスのカップルだからといって、こうでなくてはならないと決めつけなくても。


 陽向さんが自分をレディーらしくないと感じるのは、彼女の方が僕より年上で、実力があって、しっかりしているからで、それはパートナーである僕からすると自分の不甲斐なさでもあって、こういう男女の組み合わせであることはアイスダンスのカップルとしては普通ではないのかもしれないけれど、だけど、僕たちは僕たちとして一緒に同じ曲を分かち合えればそれでいいんじゃないだろうか。


 Close to Youの解釈にしても。


 不思議な縁でこんな遠い場所で隣り合って座っている、僕たちはもう十分、世界にたくさん溢れているClose to Youのうちの一つなんだから。


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