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70.異国の少女 2


 あっという間に合宿六日目。

「今日はローストビーフのサンドイッチにしようかしら。今みたいに練習がハードな時期はね、たんぱく質をしっかり取った方がいいのよ」

 午前のレッスンが終わりカフェに入ると、陽向さんはトレーを手に楽しそうな顔でショーケースをのぞいた。


 僕もトングを手にし、靴を持ったまま来てしまったことを後悔した。

 肩にかけている靴袋が邪魔で、トレーを持ったまま手を伸ばすのが難しいのだ。午後も氷上練習だからと思ってそのまま持ってきてしまったけれど、ロッカーに入れてくればよかった。

 陽向さんも肩に手をやって、不自由そうに靴袋をかけ直している。


 その時、アシュリーとバーリントンがカフェに入ってきた。バーリントンは、アシュリーの持っていた靴袋に無言で手を伸ばした。アシュリーはスケート靴が彼に奪われるのを笑顔で見送ると、トレーを持ってきて、バーリントンが指さした物を自分の分と一緒にそこへ乗せた。


 それは異国の風景だった。

 お互い、さっと手を貸して助け合うんだ。何の打ち合わせもないのに、示し合わせたかのようにスムーズに。そういえば最初に会った時、バーリントンはアシュリーと陽向さんのために、扉を開けてたな。


「あ……あの……」

 僕は陽向さんのトレーへと視線を戻した。サンドイッチはまだ乗っていない。

「何?」

「靴……持ちましょうか?」

「いーわよ。別に」

 陽向さんはどこか不満げな表情でそう言うと、苦戦しながら品物をトレーに乗せ、さっさと会計を済ませてテーブルに向かった。


 アシュリーたちは窓際の席でホッケーの練習を見ていた。

 数日リンクにいて分かったことだけど、どうやらアメリカではホッケーが盛んらしい。リンクでは日頃からこうやって地元のチームの応援ができるようになっていた。


「制覇君は、ちょっとアシュリーにこだわりすぎじゃない?」

 僕がアシュリーの方を見ていると、日頃あまり聞いたことのないような少し不機嫌な声で陽向さんが言った。

「せっかくこんないい環境に来たんだから、自分たちのプログラムのことをもっと考えてはどうかしら?」


 多分これが日本だったら、僕はいつものようにそうですねと陽向さんに合わせていたことだろう。だけど僕はこの時、自分の今の状況がとても限られたものだということを強く感じていた。


「確かに、それも大事だと思います。でも、ここでやるべきことって、それだけじゃないと思うんです。同じ競技に打ち込む他の選手から何かを学べる機会って、日本にはないことですよね。

 だから僕のリードでは滑れないというアシュリーとの出会いは、貴重なことだと思うんです。彼女と滑ることで、僕はここでしか得られない何かを得られるかもしれない」

 陽向さんは考え込むように僕の話を聞いて、「……なるほど。意外と深いのね」とつぶやいた。


 アシュリーは食事が終わると、ホッケーを眺めながら、スマホにぶら下がっているクマのマスコットを、もぎゅもぎゅして遊びだした。

 暇なんだったら、午後の練習の前に少しでも一緒に滑ることはできないだろうか。


「『アシュリー!』」

 僕はまた早速声をかけた。

「『練習の前に、一緒に滑ろう!』」


 すると今回は隣にいたバーリントンが僕に向かって言った。

『君、本当にしつこいね。そろそろ嫌がられていることに、気がついた方がいいよ』

 ちょっと怒っているようだが、何を言っているのかよくわからない。お前にいいリードなんてできるわけがないとかなんとか言っているんだろうか。

 ここは一番簡単な英語で言い返すしかない。


「『僕はアシュリーと滑りたいんだ!』」


 アシュリーがもふもふする手を止めて、丸い目をこちらに向けた。

『冗談じゃない。行こう、アシュリー』

 バーリントンは席を立つと、アシュリーを連れて行ってしまった。



 サマーキャンプも二週目に突入した。

『最終日にミニ発表会をして、講習の締めくくりにしようか』

 先生からの提案で、僕たちはお互いのプログラムを見ることになった。こんなに多くのカップルのプログラムを生で見られるなんて、なかなか貴重な機会だ。


 アシュリーとバーリントンがさっそく練習を始めた。最初のポーズを取り、滑り出したかと思うと、二人はいつの間にかホールドを組んだ。あまりにも自然すぎて、お互いがお互いの動きを読んでいるかのように見えた。

 カフェで見た二人の流れるようなやり取りにどこか似ていた。


 こういうのもユニゾンというんだろうか……?


 それは、シンクロしているというのとは明らかに違った。二人が同時に同じ技をそろえているわけではなかった。それなのに、これはきっとユニゾンなのだと僕は感じた。だって、こんなにも調和しているのだから。


 考えてみれば、アイスダンスは二人がまったく同じ動きを揃えてするということはほとんどない。一人の動きに対してもう一人は、それに対応するような形で(つい)になっている。掛け合いのように。

 そしてお互いの掛け合いが絶妙であれば、それは次々と流れるように見事な連なりを生み出していく。


 僕とは途中で逃げ出してしまったアシュリー。それがバーリントンとでなら、こんな風にやり取りを交わし合っていけるなんて。

 どうすれば、こんな二人になれるんだろう。


 なぜバーリントンは、カフェでアシュリーの荷物に手を伸ばしたのか。それに対してアシュリーはなぜ、彼の分まで食事を取ってあげたのか。

 言葉を交わさなくても、何をするのがその時相手に喜ばれるのかを、二人はお互い感じていたのかもしれない。


 突然、二人の演技が止まった。

「あれ?」

 滑り終えたのではなく、中断してしまったようだった。

「なんだ。バーリントンが相手でも最後までいけるわけじゃないんだ」

 悪気があったわけではなかった。見入っていただけに、そうこぼしてしまっただけだった。遠くから、それも日本語だったのに、バーリントンがすごい目つきでこっちを(にら)んだ。


 陽向さんが僕の袖をそっとつかんだ。

「制覇君、もうあの二人には関わらない方がいいんじゃないかしら」

 確かに、僕は迷惑がられているのかもしれなかった。


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