67.異国の風 2
靴を履きリンクに上がるとコーチを紹介された。僕たちのコーチは、洋画にでも出てきそうなカッコいいおっちゃんだった。
先生はオスカーと名乗り、僕たち生徒も続いて挨拶をした。オスカー先生の元で今日から同じ二週間の短期コースに参加する仲間は、僕たちの他に三組ほどいた。そのうちの一組が玄関で会ったアシュリーとバーリントンだった。リンクの向こう側では一ヶ月半のコースに参加しているカップルたちが女性の先生にレッスンしてもらっていた。さっきのシニアの選手もそこにいた。
陽向さんと僕が自己紹介を終えると、アシュリーがバーリントンに耳打ちした。
『日本ですって。知ってる?』
『さあ? 知らないね』
二人は先生の方を向いたまま、声を抑えて笑った。
基礎練習からレッスンは始まり、まず僕たちは全員でリンクを大きく回って滑った。先生は、膝の使い方や腰の開き具合など、細かいところまで見てくれた。
僕のすぐそばまで来た先生が、励ますように何かを言ってきた。何を言われているのか分からずにいると、すぐ前にいる陽向さんが振り返って言った。
「もっと押して、ですって。制覇君ならもっと速く滑れるはずだって」
先生は、僕が氷を蹴るタイミングに合わせて、隣で手を叩いた。すぐ横で熱心に声をかけられて、僕は本気で氷を押すしかなかった。すぐに僕は加速し、目の前にいる陽向さんのことを抜いた。それは初めてのことだった。
初めてのことだったけれど、僕の中にはすでにそれが達成できるだけの準備は整ってはいたのだ。これまでは殻を破るきっかけがつかめなかっただけ。
『ここの響きは、どういう風に聞こえる? 明るい? それとも楽しい?』
オスカー先生の言葉は、僕が見落としていることに光を当てるようだった。
『ほら、よく見て。同じテンポで足を揃えてもちょっとした違いで雰囲気がまったく違って見えるだろう?』
先生が披露してくれるステップは色鮮やかで、僕の目を開かせてくれるようだった。
先生はたくさんのアドバイスをくれたけれど、中でも『もっと二人のつながりを意識して滑ってごらん』という言葉は、いつまでも消化できずに僕の中に居座ることになった。
二人のつながりというのは、単なるホールドの話をしているわけではないだろう。その言葉はとても理解しにくくて、でも、今の僕たちにとってとても大切なことのように思えた。
リンクの一つ上の階には、セルフサービス式のカフェがあった。カフェの一部の席からは、リンクの練習風景が見下ろせるようになっていた。
「このサンドイッチ、すごく美味しそうじゃない? 私、これにしようかな」
ショーケースには日本ではあまり見たこともないような、具沢山のピザやサンドイッチが並んでいた。
僕たちはスモークサーモンのサンドをトレーに乗せ、リンクを見下ろす席に座った。初日なのにすでに体のあちこちが痛んだ。さすが世界から生徒が集まっているサマーキャンプだけあって濃いレッスンだった。二時間氷に乗って一時間オフアイスのトレーニングを受けただけで、明日は久しぶりに筋肉痛になりそうだし、頭もパンクしそうだった。
リンクを眺めながらサンドイッチを頬張った。手足の長いカップルが、風を切り、まさに完璧といえるユニゾンで滑っているのが見えた。
「すごいな。さっきいなかったってことは、サマーキャンプに来た子じゃなくてここに所属してる子かな」
さっきのレッスンでも何度もユニゾンという言葉を聞いた。目指すべきはあのレベルなんだろうか。寸分の狂いもなくぴったりとそろっている二人に僕は息をのんだ。
「やーね。制覇君。ペアよ」
サンドイッチを手に陽向さんが笑った。
「ペア!?」
その瞬間、二人の三回転ジャンプがこれまたぴたりとそろって決まった。
「すげー……」
そのあと二人は隣り合って、高速で回転するスピンを姿勢を変えながら何回も回った。
「速い……しかも姿勢まで変えてるのに、タイミングも、体の向きも……なんでこんなにそろってるんだ……」
しばらくすると曲かけが始まった。流れてきたのはきれいなクラシック。スケートではよく使われる曲だ。たしかG線上のアリア。
「うわー……」
その調べにマッチした優美な動き。
そう言えば、シングルの選手の中にも曲によく合った演技をしている人がいる。アイスダンスは音楽性が重要だとさんざん言われてきたけれど、考えてみれば音楽性を大切にしているのはアイスダンスに限った話じゃないんだ……。
じゃあ、アイスダンスっていったい何なんだ?
アイスダンスはジャンプを跳ばない。その代わりに音楽性を大事にしてるんだと思っていたのに。
そしてユニゾン。これだけはシングルにはないアイスダンスだけのものだと思っていたのに。
目の前のこの子たちのずば抜けた音楽性とユニゾン。その上、ジャンプもしてスピンもして。なんだか知らないもっとすごい技も今、やってのけたぞ。
アイスダンスって……ペアから難しい技を引いた残り……なんだろうか……。
くらくらしながら、その後夜の貸し切りに向かった。
そこで僕は、さらに戸惑う経験をすることになった。




