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34.現実 5


 僕は流斗が言った冗談をあてにして、もう一度果歩がDVDを持ってきてくれることを、それからしばらく心待ちに待った。まだ払っていないディスク代も渡さなくてはと、それも毎日学校に持って行った。しかし何日経っても果歩は一向に僕のクラスには来てくれなかった。


 果歩のクラスは一つ上の階にあった。果歩はその教室のずっと奥に座っていた。正確には中央あたりだけれど、僕にしてみれば入り口からずっと遠くに思えた。何度か教室の前までは行ってみたけれど、僕は立ち止まらずにそのままその場を行き過ぎた。ちらっと中をのぞいてみて、気がついて出て来てくれればいいのにと期待したけれど、そんな様子は全然なかった。リンクならいつでもすぐに僕を見つけてくれるのに。

 果歩は何かの委員になったらしく、昼休みは何かと忙しそうにしていた。机や教室の後ろの掲示板に向かって、よく何かの作業をしていた。


「よう、制覇どうした? 常葉木(ときわぎ)になんか用か?」

 果歩の教室の前の廊下で木野に声をかけられた。そういえば木野は果歩と同じクラスだった。

「いや、別にあいつに用なんかねーよ。なに言ってんだよ」

「え? でもお前のクラス、下だよな。なんか用があるから来たんだろ」

「だからってなんですぐあいつと関係あると思うんだよ。他にも用事はあるんだよ」

「そうなのか」

「そうだよ」

「じゃ、俺教室戻るわ。じゃーなー」

「じゃーなー」

 そう言って僕は木野を見送った。

 って、ちょっと待って。なんで果歩を呼んでもらわなかったんだ? 普通に呼んでもらえばよかったことだろ~!


 結局僕はいつものようにモミの木に行くことにした。最初からそうすればよかったことだ。もちろん果歩にはすぐに会えた。

「これ」

 リンクの中にいる果歩にフェンス越しにディスク代を渡す。果歩はそれを受け取るとリンクサイドへと上がり、ベンチに置いてあるスポーツバッグの中へとしまった。


「今日は滑らないの? 制覇?」

「……うーん。どうしようかな」

「どうしようかなって……。靴持って来てるじゃない」

「うん。そうなんだけどさ」

 果歩はくすくす笑いながら、「何? どうかしたの?」と僕をのぞき込んだ。


 あれほどいらないと言っていたことを思うとDVDをもう一度くれとはなかなか言い出しにくい。

「ええっと、ほら、あの……」

「何?」

「ほらその。あれだよ、あれ、あれ!」

「あれ? あれってなんだろ……」

 果歩は(あご)に人差し指を当てて考えこむ。

 気づいてくれー。


「あれっていったら、ほら!」

「ああっ! 忘れてたっ!」

「忘れてたのかよっ!」

「今日アレックスの誕生日じゃない! 制覇、覚えててくれたんだ。ありがとう! 飼い主の私ですら忘れてたのに」

 ちーがーうー。


「なんだ。DVDのことか。早く言えばいいのに」

 アレックスというのは果歩の飼い犬のことだ。もうここ三~四年は会っていない。

 僕はイライラしながらも「アレックス元気?」だとか「大きくなった?」だとか「散歩大変じゃない?」だとかいう話をしばらく続け、そしてようやくDVDの話に漕ぎつけた。


 果歩はスポーツバッグからタブレットを取り出しフードコートの机に置いた。

「DVDは今持ってないから、よかったらここで見ていって」

 僕が席につくと、果歩はすっと隣に腰かけてきた。

「お前は滑って来たら?」

「なんでなんで? 一緒に見ようよ」

 そう言って顔をこちらへと寄せてくる。

「いいから!」

 僕はしっしっと果歩を追い払った。果歩は唇を尖らせてリンクへ消えていった。見送りながら心の中で謝った。自分の姿を受け入れる覚悟を決めてはきたものの、自分以外の人に見られる心の準備まではまだできていないのだ。


 一人になり、僕は動画を再生した。

 しかし、一瞬でタブレットを伏せてしまった。

 とても見る気になれなかった。


 でもここは頑張らねばと自分を奮い立たせてそーっとタブレットを起こした。頭を傾けて、隙間から画面を覗く。

 うわー、だらしねー。なんだこれー。


 姿勢も悪いし(ひざ)もしっかり曲がってない。フリーレッグもきれいに伸ばせてない。なんでこんなにできてないことがいっぱいなんだ。


 散々な気分と闘いながら画面を見ていると、頭の上から突然果歩の声がした。


「なんなら、撮ってあげようか」

「うわっ! なんだよ、いつの間に戻って来たんだよ?」

 慌ててタブレットを伏せる。

「なんだか苦悩してそうだったから。満足いかないところがあるんだったら、今、やり直してみたら? 撮ってあげるよ」

「いや、いーよ、いーよ」

 カメラ構えられた前で滑るなんて、とんでもない。

「あ、でも相手がいないと無理か。面倒だね、ダンスって。まあいいや。じゃあ他の人探そ」


 そう言って果歩はジャンプを練習している人のところへと行った。そしてさっき僕にしたのと同じような提案をしたのだろう、その人の姿を撮影し始めた。その後、交代で自分のジャンプも撮ってもらい、それぞれ自分の映像を確認して、もう一度撮り合いながらジャンプのやり直しをした。

 そうやってすぐに修正するのか。そりゃ、上手くもなるわ。


 ダンスの練習は、二人でなければできないことばかりというわけじゃない。僕はしばらく果歩の様子を見ていたけれど、その上達していく姿に思い切って撮影を頼むことにした。


 先生についてから半年。何かを教わる度に自分ではしっかりやれているつもりでいたけれど、まだまだ足りていないことがあるのだということに自分の姿を見てはっきり自覚した。

 道を見失ってたのが嘘のように、やりたいことが次々と見えてきた。


 僕はモミの木で練習する日には、なるべく自分の姿を撮影してもらうようにした。


「ここ、なんで思ったようなイメージにならないんだろう」

 と僕。

「バッジテストの時に、やり直しをしたでしょ? あの時、どういう注意を受けて自分がどう変化したかを見てみたら?」

 と果歩。

「お手本になる演技と自分とを比べてみてはどうでしょう」

 と吉田さん。


「最近は検索すれば色々出てきますからね。といっても、必ずしも上手いカップルのものが出てくるとは限りませんが。このイタリアの選手の動きは私、好きなんでおすすめですよ」


 そうやって映してもらった映像はあまりにも自分とレベルが違いすぎて、どこを比べていいかも分からない。でもしばらく眺めていると、こう滑ってみたいという欲求が徐々に湧いてきた。それに取り組んでいるうちにまた行き詰り、行き詰ったらどう乗り越えるかをまた考えた。

 そんな試行錯誤を繰り返しながら進んでいった。壁にぶつかることがあっても、リンクにいる人たちのアドバイスがそれを突破させてくれた。


 先生からの何かがなければ前へ進めないなんて、そんなのは僕の勘違いだった。


「なるほどねえ。何が気に入らないんだろうと思って見てたけど……」

 果歩は僕の映る画面を見ながら、うなずいた。

「こうやって比べてみると、どこがダメなのか明確に分かるね!」

「うるさい」


 暗闇の中で目が見えるには暗さに慣れる必要があるように、アイスダンスの「質」を理解するにはアイスダンスに慣れる必要があるのかもしれない。


 いつの間にか果歩にもダンスを見る目がついてしまったようだった。

 僕のタンゴの動画の途中を指さした果歩が言った。

「ここなんてもっとさあ……」


 もっと、どうすればいいかまで分かるんだろうか……?


「もっと、上手くやったらいいのに」

「だからね。それは分かってるの。だからこうやって練習してるわけ。ちょっとどっか行っててくれる?」


 果歩は僕に向かって舌を出すと、リンクへすっと入っていった。そして僕のやっていたタンゴのパターンを滑り出した。

 少し見ただけで覚えてしまったらしい。

 覚えるのにそれなりに苦労した僕としてはちょっとショックだ。

 果歩は何周か滑るとフェンスまで寄ってきて、僕に笑って手を振った。


「ねえ、私の方がさっきの所、上手く滑れてたでしょう?」

 あっという間に覚えて滑ったことはすごい。だけど上手いかと言われると、何をふざけたことをとしか答えようがなかった。


 その晩、風呂から上がって子供部屋に入ると大義がパソコンの前に座っていた。

「果歩ちゃん、上手いね」

「わっ。なんでお前、勝手に見てるんだよ」

「勝手って……、これ二人で使えっていって父さんがくれたもんじゃん」

「そうかもしれないけど、人のメールは勝手に見るなよ」

「知らないよ。最初から開いてたもん」

「いいから、どけどけ」

 僕は大義をパソコンの前から追い払った。


 果歩はその日の練習の様子をメールで送って来た。僕の滑っているところと、自分の映像の二つ。たまたまパソコンを開いて気がついた。それをしばらく見ていて……そのまま風呂に入ってしまったのだった。


「それ、タンゴだよね。果歩ちゃんかっこいいね」

「あー、はいはい。大義がゴマ擦ってたって果歩に伝えとくよ。男前だって言ってたって」

「兄ちゃんは何滑ってんの?」

「同じだよ。お前、俺のも見たのか」

「ええっ? 同じなの?」

 大義は本気で驚いたような声を出して一瞬止まったあと、ベッドへと向かった。

「ごめん。もう寝るわ」

「ちょっと待て。今の沈黙は何だ」

 大義は僕を無視して二段ベッドの上へと上がっていった。

「こら、無視するな。気になんだよ、その態度」

 僕は大義を追いかけた。頭まで布団で覆っている大義を問い詰める。

「一体何なんだよ、何驚いてんだよ?」

「いや、あの、言わない方がいいこともあると思うんだよ。言ったら絶対怒るし! おやすみ!」

「怒らないから言ってくれー」

「絶対怒るに決まってるよ」


 もうその態度から、大義が何を言いたいのかの予想はついた。

「お前はアイスダンスのことが分かってないんだよ。あいつなんてターンはでたらめだし、エッジは浅いし、足捌(あしさば)きは汚いし、ぜんっぜん上手くなんてないから」

「でも……」

 大義は戸惑ったように小さな声で言った。

「タンゴだって分かったよ。音楽もかかってないのに」


 僕はしばらくパソコンの前に座っていた。

 音楽もかかっていないのに、タンゴだと分かったという大義の言葉。

 陽向さんは音楽に合わせて踊っている。手を動かしたり、顔を傾けたりして。だから表現力があるんだと思っていた。

 だけど目の前の果歩は決して踊っていない。ただ僕と同じステップを踏んでいるだけだ。しかも、音楽はかかっていない。


 どういうこと――?


 僕は果歩の映像を、繰り返し繰り返し再生した。




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