20.ひく者、ひかれるもの 2
集会が終わるや否や、僕は流斗を追いかけた。体育館を出た先の渡り廊下で、流斗の袖口を後ろから捕まえる。
「賞状見せて!」
走ってきた勢いでそのまま頼んだ。
そして渡された賞状を開いた。
――――――!
流斗の横に名を連ねていたのは、果歩ではなかった。そこにあったのは、見たこともない、読み方すら分からない名前だった。
神宮路 氷華。
氷という文字の入った、まるで芸名のような名前。
パートナーの名前なんてどうでもいいことなのに、僕の目はしばらくその文字の上を行ったり来たりしていた。
流斗のパートナーが果歩ではないことなんて、すでに分かりきったことだった。パートナーなら一緒に檀上に上がるはずだ。しかし果歩は流斗が表彰されている間もクラスの列に座ったまま、のほほんと拍手を送っていた。
だったらどうして二人は一緒に学校に来ているんだ――!
いくら賞状を見つめたところで、その答えなんて出るはずもなかった。そもそも、それこそどうでもいいことだった。誰と誰が一緒に学校に来ようが、そんなこと……。
僕は気持ちを整えて、本来見るべきものに目を向けた。そこにははっきりと、「全日本ジュニア」「優勝」という文字があった。聞き間違いなどではなかった。これはどういうことなんだ。
どこかで流斗と話をしようと、辺りを見渡した。どこでもいい。とにかくこの人混みを避けよう。僕は流斗の手を引いた。ところが流斗はそれを拒んだ。
「君さえ良ければ、俺は別にここでも構わないんだけど。もう隠しようがないし」
これまでのこだわりが嘘のように平然とそう言われた。僕と流斗は人目につかない場所でしか話をしたことがなかった。それを当たり前と考えるようになっていた自分に驚いた。
横を通り過ぎる生徒たちの「日本で一番だって~」「すげー」と言う小さな声が聞こえた。これまでアイスダンスをしていることをこそこそと隠してきたのに、流斗にその必要はもう無くなっていた。
そりゃそうだ。
僕は思った。
アイスダンスをしていて恥ずかしいというより……
……むしろすごいって。
日本で一番とか、普通あり得ないだろ。
こいつって、そんなに上手かったのかよ。
何が勝負しようだよ。
真に受けちゃったじゃないか。
思わず足が止まった。
胸の奥が痛い。
全身から力が抜けていきそうになる中で、自分の手が賞状を握っているという感覚だけが妙にはっきりとしていた。
僕と陽向さんは頑張っても来年西日本には行けない。
近畿でこいつと当たるんじゃその先になんか進めるわけがない。
ぼんやりとそんなことを考えた時、僕はふとある疑問にたどりついた。
でも、今年、近畿でのエントリーは僕たち一組だったようなことを言ってなかったか。
……?
「何か、話があるんじゃないの?」
流斗は悪戯っぽい目で僕を覗き込んだ。僕は視線を賞状に戻した。
聞きたいことがあり過ぎて混乱している気持ちを抑えた。そして……
「これって、本名?」
僕は賞状を指さしながら言った。
わー!! 一番どうでもいい質問をしてしまった!!
「本名だよ。変わった名前だよね」
流斗も普通に答えてるし!
「氷の華と書いて『ひょうか』。神宮路氷華。俺も最初はびっくりしたよ、アイスダンスやってて氷華だなんて。ダンスは母親の代からの憧れだったらしくてね……」
ああ、なるほどね。
教室に戻る生徒の数が減ってきた。僕は流斗に促され、教室に向かって歩き出した。
流斗は僕が返した賞状を、丸めたり空に投げ上げたりして遊び始めた。その片手間に、僕への話を続けた。
「ずっとパートナーを探していたらしいんだよ。かなり長い間……。それこそ、こんな遠い所にまで声をかけてまわるほど」
「え?」
「俺、東京まで練習に通ってるんだ。新幹線で。週二、三回」
自分と同じような境遇で、しかも自分より強者がいたことに驚いた。新幹線で東京って……。
「さすがに話を聞いた時は悩んだんだけど。でも、すごく良い話だったから。コーチもものすごく有名な人で、こんな人に見てもらえるチャンスなんて滅多にないと思ったんだ。新幹線で通うくらい大したことないよね。一時はダンスをやめなきゃならないのかとまで思ってたのに。相手の子もアイスダンスを真面目に何年もやってきた子でさ。でも相手がいなかったから、ずっと先生や年配の経験者に組んでもらいながら、試合に一緒に出れるパートナーを探し続けてたんだって。俺とは年齢的にも所持級的にもバランスが良かった」
相手の子と流斗の境遇を思うと、喜んでやるべきような話だった。相手を探し求めていた子と、ダンスができなくなることを憂えていた奴が組むなんて。
だけど僕はその話を聞きながら、どこか悲しくなっていた。
「一体いつそんな話、知ったのさ?」
「こっちに来てからすぐだよ。ほら、最初に紹介してくれたでしょ? あのリンクにいた、髪の長い人。俺、すぐに会いに行ったよ。君に屋上で相談したその日の放課後」
僕は自分の馬鹿さ加減に動揺した。そんなに早いうちに事が進んでいたなんて。そうだ、こいつは頭がいいと自分で言っていたじゃないか。僕は馬鹿だ。あのリンクで相談できるとしたらあの人だって、ヒントは最初に与えていた。
じゃあ僕は一体何のために頑張って来たんだ?
何の心配もせず、あのリンクに居続ければ良かったのか?
だけど、そうしても結局は無駄だったのかもしれない。
実際流斗だって東京なんかにまで行って、全然知らないような子と組んでいるのに……。
試合をしたわけでもないのに、僕の中は敗北感で一杯だった。
「そうなんだ……。なるほどね……。で、それからすぐ、組んだんだ?」
「うーん。一週間くらいしてからだったかな? 紹介してもらうのに二~三日、会うまでに二~三日、返事するのに二~三日経ってたし」
「よく今年の試合に間に合ったね?」
「いや。間に合ってない。テキトーだね、今回は。相手がたまたまシルバー用にプログラム持ってたから、それを適当にアレンジして使っただけ。見たら笑うよ、最悪の出来栄え!」
そう言って流斗は自分で声を出して笑った。
何が面白いんだ、こいつは。
「テキトーで、最悪なのに、全日本で優勝なんだ?」
僕はいかにも面白くないという声を出してしまった。大した苦労もせず、人が羨むようなものを余裕で手に入れてしまうような奴なのかと思うと、耐え難かった。
「ああ。あれね」
僕の声に反応して、流斗は慎ましくなった。彼は僕を不用意に傷つけたいわけではなさそうだった。賞状を投げ上げるのをやめ、くるっと巻いて手に持った。
「全然大したことないよ、全日本ジュニアで優勝なんて。アイスダンスじゃね」
「謙遜かよ。本当にすごい奴ほど、大したことないとか言うんだよな」
南場さんもそうだった。
僕は非常に嫌な気分になった。あまりに気分が悪すぎて、流斗は謙遜などしない奴だということを忘れていた。
「いや。ほんとだよ。俺が優勝なんて、まずそこからしておかしいよ。しかも、組んでから三ヶ月も経ってないのに。全日本ジュニアなんてほんとに……世界から見たら底辺だ」
トップのお前が底辺だったら、僕は一体何なんだ……。
僕の無言の問いかけに、流斗はかしこまった声で言った。
「俺の運動神経、知ってるだろ」
流斗の運動神経は悪くはなくとも、たいして良くもなかった。
一体、何が言いたい……?
「競技人口が少なすぎるんだよ。運動神経のある奴がもっとやってれば、俺なんて絶対に埋もれてたはずだ。これは危機的状況だよ。女の子にしてみれば、パートナーを探すのだって一苦労だ。それにこの状況の一番の問題は、競い合う相手がろくにいないってことだよ。だから日本は弱いんだ。こんなんで、世界に通用するわけがない。こんなことだから日本じゃアイスダンスはあり得ないなんて言われるんだ」
流斗は真面目な声でそう言った。
その言葉は僕にとって、何のフォローにもなってなかった。彼が優勝したことがいかにすごくないかというより、世界にまで視野を広げて問題意識を持てるだなんて、むしろすごい奴だという印象を僕に与えただけだった。
「俺はこの状況を変えなきゃと思ってるよ。身近な場所で沢山の人がもっと気軽にアイスダンスを楽しめるようにしたいんだ」
そりゃそうだろうね。東京まで新幹線なんて普通じゃないよ。
流斗の前向きな声に対して、僕はもう投げやりな突っ込みを心の中で入れるだけだった。
流斗はいつものような生き生きとした表情に戻ると、
「そういう意味で俺は来年からが楽しみだよ」
と言って、手に持った賞状を僕の顔先に突きつけた。
「全日本には出れるよね?」
「全日本?」
まるで出るのが当たり前かのように、流斗はその大会の名前を出した。
「俺はそのつもりで練習するよ。お互いに意識し合えば絶対に強くなれる。強い奴が増えれば、注目が集まる。注目が集まれば、競技人口も増える。そうすれば日本のアイスダンスの歴史は変わる。きっと近いうちに俺たちはアイスダンスの歴史を変える……」
流斗の話は、僕からはずっと遠い所を流れていた。
普通に考えたら、彼の発言はそれはもう相当に中二病な発言でしかなかった。だけど僕にはそれを笑い飛ばすことはできなかった。流斗にはそれだけの実力があるのかもしれなかった。僕には計り知れないような世界の話だ。
一体なぜそんな話を僕なんかにするのだろう。流斗はなにか勘違いをしているのだろうか。僕が流斗と張り合えると勝手に勘違いしたように。
僕なんて全日本どころか、一人では試合に出られるかどうかすら怪しい所にいる。だけどそんなことくらい、流斗も分かっているはずじゃないか。僕のことを馬鹿にしたのは、ついこの前のことだ。エッジが甘いと言った上、先生につけばいいのにとまで言った。
流斗はそんなことも忘れてしまったのだろうか。あの状態からどうすれば勘違いなんてできるのだろうか。
心当たりはあった。西日本大会へのエントリーの件だ。あれが陽向さんの力だけでなされたことを、流斗は知らない。
つまり彼が話しかけているのは、目の前にいる「僕」ではなく、西日本にエントリーされた「音川陽向 天宮制覇 組」なのだ、そう思った。
僕が陽向さんのパートナーとして相応しいだけの実力を本当に持っていたら良かったのだけれど。
悲しいような、悔しいような思いが僕の中で綯い交ぜになっていた。
僕は自分が何に傷ついているのかまったく分からなかった。




